第27話

「あれ?」 


 目を開けるとすでに朝だった。私はソファーにいたはずだが、いつの間にかベッドで眠っていた。もちろんエドガー様が隣にいるはずもない。


 あの状況でいきなり寝落ちするとかありえるか? と思うのだが、実際に朝なので仕方がない。


 そっと別室を覗き込むと、エドガー様は丸まって眠っていた。


 ぐちゃぐちゃになったはずの船内は、翌朝には綺麗さっぱりと元通りだった。私たちが寝ている間、夜通しで復興作業が進んでいたようだ。


 お客さん達もみんな落ち着いていた。喉元過ぎればなんとやら──で、今回のことは旅を刺激的に味付けするスパイスとして消化されたようだった。


 私としてはエドガー様の活躍? について語り合いたい気持ちでいっぱいだけれども……それを言うと一般人でないのがばれてしまう。残念。


 着岸前に船長さんと話をする機会を設けてもらう。彼は一部始終を見ていたので、口外せぬ様に伝えるためだ。


 船長さんが言うには、猫さんがこれからも人間の船に手出しをしないよう説得してくれたので安心したと言い、私たちの正体については報告に入れないと約束してくれた。


 元々、国の要人が乗船する話だけは報告に上がっていたらしく、つまりもう船の人にほぼバレてしまっているのだが、それはやっぱりバレた数に数えなくていいらしい。



 下船の案内がはじまる。私たちは一番に降り立つ事になった。胸いっぱいに異国の空気を吸い込んでみる。潮の香りがして、あまり雰囲気が変わったようには思えない。ようこそ、と書かれた看板がある。外国とは言え、使う言語は同じなのだ。


 しかし、一つ気になることがある。


「結界は相当弱いですね……」


 腕をからませ、小さい声で囁くとエドガー様はこちらに首を傾けてきた。段々扱い方がわかってきたような気がする。仕事の内緒話をする体で密着すると、彼は私の策略に気がつかないのである。……もしかして、エドガー様本人も建前のためにそうしていたり?


「……やはり、か」

「そうですね。正直、壊せてしまいそうなぐらい薄いというか」


 国境を越えるのは生まれて初めてだったが、船が私の作った結界を抜けて空白地帯に移行した時、はっきりとした感覚があった。こちらの国の排他的経済水域に入ってぬるりとした感触はあったが、やはりそこまでの圧は感じない。


 猫さんの発言通り、私は海を超え他の国に侵入しても、力を使えるだろう。


 エドガー様は眼鏡を外して拭き、かけなおした。その一連の仕草の中に、何がしかの不安を感じ取る。


「それだけはやめてくれ。侵略行為になってしまう」


 私を見つめながらものすごく低い声でつぶやくエドガー様は、まるで知らない人のようだった。


「何も、言わなくていい」


「……でも、それって『成果』になるのではありませんか」

「言いようは他にいくらでもあるさ。そんなことを聞いたら奴らがどれだけ喜ぶか」

「しませんよ、頼まれても……」


 手をぶんぶんと振ると、エドガー様はいつもの表情に戻った。国に戻って何か問われたとしても、今感じたことはおくびにも出してはいけないと念を押される。


 戦争はほとんど起きないが、数百年の歴史の中、水面下での小競り合いがなかったとは言い切れないのだから、とエドガー様は一人ごとのように呟いた。



「さて、まずは大使館に行こう」


 港には宿からのお迎えが来ていたが、荷物だけを預け、私たちは真っ直ぐ市街地へ向かうことにした。


 一般人と同じ大型の乗合馬車に乗り、街の中心部へ向かう。小さな島国なので、港がある場所がすなわち首都なのだ。


 なかなかに混雑しており、座ることはできなかった。窓から徐々に変わっていく景色を眺めていると、なるほど建物の様子が全く違うと旅の期待に胸を膨らませる。


「ねえ、お二人さんは観光客でしょう?」


 乗り合わせていた女性に話しかけられる。言葉は通じるが、独特の訛りがある。エドガー様と目配せをする。知らない人と簡単に話してはいけない、というのだ。特に、このような話好きそうな女性とは。


「ええ。新婚旅行でして」


 それを聞いた女性は若干罰の悪そうな顔をしながらも、好奇心には勝てないと言った雰囲気で口を開いた。


「さっき聞いたんだけどさ、なんでも竜が出たって本当なの」

「ええ」


 誤魔化すのかと思ったが、エドガー様はあっさりと事実を口にした。


 車内がざわめく。なんだか視線を感じるなと思っていたら、観光客、つまりは船でやってきた私たちが何か知っているのでは、と耳をそばだてていた人が多くいたのであった。


「やっぱり、空白地帯には竜がいるんだね。数日前も、結界の向こう側に竜の姿が見えたって大騒ぎになっていたんだよ」


 私の結界は陸地よりかなり離れたところまで張られているが、この国はそうではなく、結界がでこぼこしている。場所によっては結界ギリギリまで迫っている竜が見えてもおかしくない。


「そうですか。大陸まではその話は聞こえてきませんでしたね」


 やっぱりそうなんだ、とざわめきが広がる。この国の国民は不安に思っている様だ。うちの国はどうなのだろう。


「新婚旅行だってのに、こんな恐ろしい事件が起こってしまって申し訳ないね」


 近くにいたおじさんが私に話しかけてきた。


「うちの国の聖女様、力が弱まっているってもっぱらの噂なんだ。あんたらのところの聖女様は若いらしくて、羨ましいね」


「陛下もさっさと次の聖女に入れ替えてしまえば良いのに」

「愛人だから贔屓しているって話でしょ」


 市街の人々は聖女の悪口を言い始めた。あまり良い気持ちはしない。


「聖女の選定は精霊様がお決めになることです。人は聖女がいなくても生きていけるし、聖女もまた、信仰がなくても人間として生きていけます。本人が嫌になれば、国の守護を投げ出すこともできるのですよ。公人とは言え、一人の人間。それを忘れてはいけないと思います」


 エドガー様の言葉に車内はしん、と静かになった。エドガー様はたまにびっくりするぐらい威圧感を出すのだ。


 聖女は信仰がなくても人間として生きていける。


 エドガー様は聖女の私がいなくなり、ただのフィオナだけが残った時、どのような行動に出るのだろう。その時までに、私は本物の妻になることができるのだろうか……?

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