第16話

エドガー様はコーヒーを飲み干し、ため息をついた。

 

「お悩み事でもあるんですか」


「悩みよりは……何を報告しようか考えている、と言った方が正しいかな」

「報告?」


 エドガー様が言うには、私が外で暮らすならばそれなりの成果が何かないのか、とせっつかれているらしい。


 昨夜の隣国の話題の他にもまだまだ爆弾を抱えているとは、聖女管理局の労働もなかなかに心が疲れる仕事だ……。


「今まで通りにはやっていますけれど、それではダメなのでしょうか」


 結界の調子は変わらず、問題なく維持できている。精霊様からのお告げも特にない。ダリル王子は北部でよろしくやっていて、第二王子はハゲていない。


 全てが万事うまく進んでいても、それでは足りない。


 聖女は苦労すべし、と言いたいのだろうか。不都合がないのに、楽しくやっている事自体が気に食わないのだろうか? やはり、コンスタンティン王子にはせめてハゲてほしい。


「聖女が外に出る危険性と天秤にかけられるぐらい有益なことがあれば良いのだが……」


 このままだと私は王宮に戻されてしまうかもしれないと言うのだ。それは困る。せっかく表札までつけたのに、このままだとダリル王子だけが楽しくなってしまうではないか。


「確かに、私が出張している時にフィオナに万が一の事があっては大変だと思うと何も言い返せないところではある」


「そんな……せっかくいい感じにご近所とも馴染みはじめてきたんですよ」


 この生活を知って、今更殺風景な聖女宮に戻れるものか。断固拒否である。


「言い訳を考えておく」


 何でもすぐに解決してしまうとどんどん要求が増すばかりだから、しばらく様子を見る。


 そう言ってエドガー様は立ち上がり、書斎から小さな箱を持ってきた。昨日の夜は手紙に気を取られて全然気がつかなかった。


 差し出された箱は、パカっと開くタイプのものだ。胸がときめく。これは……これは……まさかこれは!


「指輪!!!!」


 思いっきり立ち上がった拍子にコップを倒してしまった。


「新品でなくて申し訳ないのだが、実用性重視で」


「あれ? てっきり注文したものかと思っていました」


 数日前にお店で選んだものが刻印されて戻ってきたのだろうと判断したが、そうではないらしい。


「王家の宝物庫から譲り受けてきたものだ」


 エドガー様が早くしてくれと催促をしてくる。ドキドキしながら開けると、中には銀色の指輪が二つ入っていた。それぞれに赤い石と、青い石があしらわれている。


「これは王家に伝わる指輪で……」


 エドガー様の説明によると、この二つの指輪は強い魔力で結ばれていて、相手がどこにいるのか、魔力をたどることで探すことができるらしい。


 あ、これっていわゆる束縛ってやつですか?と尋ねると「防犯と言ってほしい」といつもの調子で返ってくる。万が一、私が誘拐された時のために身につけておいてほしいと言われ、頷く。



 この指輪は二つで一つ。その昔、愛の深い聖女がいた。彼女は定められたとは言え婚約者を愛していた。


 彼女が結婚の際に出した条件は二つ。自分以外の妻を娶らない事。自分の作ったこの指輪をはめる事。婚約者の王子は、快くそれを了承した。


 そうして、役目を終えた聖女は祈りをやめ、愛しい人の元へ嫁いだ。二人は仲睦まじくやっているように思われた。


 しかし数年のちに聖女は謎の病死を遂げた。そして時を同じくし、夫も離れたところで亡くなった。その傍らには、愛人がいたと記録に残っている……。


「それって呪いの指輪では?」


「呪われるような事をしなければいいだけとも言える。実際、終わりを迎えるまでの間には鹿狩りに行って遭難した夫を夫人が見つける、という逸話がある」


 その物語は私も知っているが、二つの話の登場人物が同じだとは気がついていなかった。


 指輪をはめてみる。確かに、魔力がある。しかし意識しないと気がつくほどでもない。


「同時に亡くなってしまうのは、流石に眉唾ものでは?」

「呪いがかかっているのは男性用だけだ」


 エドガー様はなんでもないような顔をして指輪をはめた。


「それってつまり私が死ぬとエドガー様もお亡くなりになると言う事ですか?」

「ああ」


「えっ!!」


 慌ててエドガー様の手を取って指輪を取り上げようとする。抜けない。やっぱり呪いの指輪だ……。 


 かつての聖女が、愛が高じたのか、それとも最初から信じていなかったのか。とにかく、残りの魔力を振り絞って指輪を作った。自分が死ぬと、相手も死ぬように。


 それって殺人なのでは……いや、もしかして聖女が病死したのも偶然ではない?


「フィオナが死ななければ私も死なないのだから、なんの問題もない」


 やっぱり、エドガー様は変なところで思い切りが良すぎると思う。


「それは困りますよ!」


 と言いつつも、実際に私が先に死んだあと、再婚されたらちょっと腹立たしいのは事実ではある。いやいや、それにしたって一緒に死んでくれとはとてもとても……。


「どのみち君に何かあれば責任を取って毒杯を煽る……だとマシな方で、市中引き回しの刑になるかもしれん」


「所長ってそんなに責任が重いんですか!?」


 先代の所長はとてもそんな緊張感を持って私に接しているとは思えなかったのですけれど。


「表に出てはいないが、王家以外閲覧禁止の歴史書に記載があって……」


 エドガー様はずっと私より聖女に詳しい。この世界で一番詳しいかもしれない。もしかして聖女マニアが高じてこの仕事に就いているのかもしれない。


 責任を取らされた歴代の所長の話を聞きながら、それなら心臓発作の方がマシかもしれないと思う。


 私も不意に誘拐されたりしないように気をつけよう。



「何か成果、か〜」


 夕食をつつきながら考える。豚肉とキノコ、野菜の炒めもの。本当は薄切りにした肉で細く切った野菜とキノコを巻いて綺麗に盛り付けして、ソースをぐるーっとかけるとレシピには書いてあったけれど、巻いても巻かなくても味は同じだと思うのだ。


 成果。仕事らしきもの。左手の指輪が目に入り、閃いた。


「この指輪。私が誘拐された時のために、ってお話しされてましたよね」

「ああ」


「いざと言う時のために、もっと王宮から距離を取ってみるのはどうでしょう」


「南か北に?」

「国外に」


 エドガー様は眼鏡を拭き、顎に手を当てて何事かを考え始めた。この時の顔が、私は一番好きなのだ!ランプの光で彫りが深く見えて知性を感じるし、左手の薬指で鈍く輝く指輪がロマンチックだし、手前にある皿とグラスも絵画的な配置に見えておしゃれに思えてくる。


「旅行に行きたいのか?」


 別に国外に逃走したい訳ではないけれど、旅行には行ってみたいとは思っている。何やら、市井では新婚旅行というものがあるそうなので。


「それはかなり難しいとは思うが……」

「い、いえ、そこまでは。研究ですよ、研究。ちょっと離れるぐらいでいいと思うんです」


 いくら私でも、この状況でさらに遊びに行くなんてわがままがすぎると理解してはいるのだ……。

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