第15話

「おはようございます、エドガー様」


「……おはよう」

 エドガー様は今にもフラフラで、過労死しそうな顔をしている。


 私は朝の祈りを終え、体操をして、身支度を調えたところだ。聖女の朝は早い。今から朝食を作るつもりだ。


「どうかしました?」

「夢見が最悪だった……」


「へえ。どんな夢ですか?」

「いや……誰かに罵られながら叩かれていたような……」


 私の怒りが波及して、エドガー様の深層心理にダメージを与えたのかもしれない。


「何か後ろめたい事があるから、そんな恐ろしい夢を見るのではないですか?」

「……」


 おっ、この反応はちょっと私の発言が『ぐさっ』としたようだ。やはりあの手紙は何か不審だ。


 さらに追及しようとした時、ことり、と外から物音が聞こえた。毎朝やって来るのは牛乳屋のコリンだ。例の逃走事件の時に、台車に乗せてくれた子。


 彼は引っ越してから数日経った頃、牛乳の定期購入の営業に我が家を訪れた。断れるわけもない……断るつもりもないのだけれど。


 そうして彼は毎日玄関の前にある小箱に牛乳を入れていく。


 この前はかつて歌っていた通り、ものすごく巨大なチーズの塊を売りにやって来た。おろし金で削って使うタイプのようだ。


 エドガー様は大して値切りもせずにそれを購入した。私からすると、結構恐ろしい金額だった。口封じの代金が含まれているのだろうか。


「おはようコリン」

「フィオナさん、遅くなってごめんなさい」


「大丈夫。何かあったの?」


 コリンの実家は郊外にある牧場だ。日が昇る前から牛乳を搾って、街まで届けにやってくるのだ。


 確かに今日は随分と遅かった。まあエドガー様のお寝坊具合に比べたら誤差の範囲内だけれど。


「母ちゃんが倒れちゃってさ。それでバタバタしちゃってなかなかに忙しいんだ」

「それは大変ね……」


「だから今は期間限定で手伝いの人を探しているんだ。フィオナさん、早起きだよね。旦那がいない間だけでいいから手伝ってくれたりしない?」


「いいよ」


「ダメだダメだダメだ。認められん」


 エドガー様が後ろからやってきて、断りを入れてしまった。コリンはぷうっとむくれてしまう。


「なんでさ? 変な人はうちで働いてないし。フィオナさんだってこっちに移住してきて、知り合いが増えた方がいいでしょ」


「とにかくだめだ」


 エドガー様は断固拒否の姿勢を崩さない。


「幼妻束縛男……」

「ぐっ」


 コリンはボソッ、と憎まれ口を叩いて去って行ってしまった。実は、この前エドガー様が昔お小遣い稼ぎをしていた定食屋さんでも仕事の募集があったので相談してみたのだが、許可が下りなかった。その時は昔の知り合いから話を聞き出されたくないのかと思っていたけれど……。


「コリンは本当に困っているみたいでしたよ」

「いや、その、あー、なんだ。朝とは言え、場所が遠いからな。危ない」


 これは過保護、というべきなのか……それとも私が何か問題を起こすのを危惧しているのだろうか?


「それとなく霊薬を作って、渡してあげようかな」


 王宮にいた頃はニヶ月に一回、人々を治癒するための会があった。それはすなわちお布施を……となるのだけれど。


 これは相当に疲れるので、あまり頻繁に行える事ではなかった。私は聖女としては歴代でも大分力が強い方らしいが、治癒に向いている魔力ではないそうだ。


 勝手にやるとお金を払っている人が不公平なので無闇矢鱈に治療するのは禁止されているが、滋養強壮に良いシロップです。ぐらいの嘘は許されるだろう。


「それは構わないが、外に働きに行く必要はない。元々君にはこの国を守護する重責があるし、家事だってやってもらっているわけだから……」


 お金が足りなければ生活費を増やすから何か楽しいことをしなさい、とエドガー様は言う。


「働くのも楽しいかもしれないじゃないですか?」

「それはそうだが……」


 エドガー様は台所で朝食の準備を始めた。片手で卵を割ることができるなんて、なんて素敵な男性なのだろう。


 朝食はベーコンエッグとパン、牛乳。今日はエドガー様がこちらにいる日なので、朝は軽めにして昼と夜を豪華にするつもりだ。


「質屋さんの受付は目利きができないので難しいね、とお義母さんに言われてしまいまして。絵のモデルの話もあるんですけど」


「絵のモデル!?」


 エドガー様は、寝起きとは思えないほどの大声を出した。


「はい。それは短期的なものですし、やった事があるからいいと思うんですが……」


「だめだだめだだめだ。そんなのは一番だめだ。画家ってやつは、碌でもない女たらしの集まりなんだ」


 エドガー様は画家に親でも殺されたのかと思うぐらいの勢いで否定し始めた。


「何か嫌な思い出でも?」

「いや。偏見だ」


 エドガー様はすとん、と着席し、また思い立ったように立ち上がり、コーヒーを淹れに行った。

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