第13話
「それで魚が消えちゃったんですよ。猫ですかね?」
今日の出来事を旦那様に報告して、私は一気にエールを喉に流し込んだ。
聖女は禁酒。儀式の時だけお酒を飲む、ってのが古くからの習わしだったのだけれど、そんなカビの生えた風習は私の代でポイーである。
酒は百薬の長だと三軒隣のお爺さんも言っていた!
「食用か不明な魚を売りつけるとは、なにを考えているんだあいつは」
エドガー様はむすっとした顔でトマトを口に入れた。
晩ご飯の材料が無くなってしまったので、帰宅したエドガー様の提案で外食に出かけている。崖の上の、見晴らしがいいレストランのテラス席。
今日は月末のため、帳簿の上では外食費はもう無いのだけれど「私の個人的な支出ならば問題ない」とエドガー様は言う。
それって予算を決めている意味がまるでないのでは、とうっすら思ってしまうのだけれど……私としては甘やかされて嬉しくなってしまうので、指摘はしない事にしている。
なんたって、エドガー所長は「出張」から戻ってきてお疲れだしね。私の代わりに王都へ報告をするために週に二回ぐらいは向こうへ戻っている。本人は移動中は寝ているから大丈夫だと言うけれど心配だ。
おかみさんが通りがかったので、その背中に声をかける。何でも頼んでいいとお墨付きをもらったので……。
「すいませーん、エールお代わりくださいな」
「エールは二杯までだっ!水を飲みなさい、水を!」
私はお酒が好きだ。飲むと楽しい気持ちになる。エドガー様は私がそのうち一日中酒浸りになるのではないかと疑っているらしい。
「エドガー様の分を含めて四杯じゃダメですかね?」
祈りのポーズでお願いしてみたけれど、却下されてしまった。おかみさんがやってくる。
「自分が下戸だからってケチケチするんじゃないよ。嫁さんに逃げられても知らんよ?」
そう。エドガー様はお酒に弱いらしい。私に気を使って「飲みにはいかない」と言っているわけではなかったみたい。
「……三杯だ。それ以上は、今日はもうやめなさい」
女将さんが、おかわりのエールを持ってきた。聖女たるもの、お残しはいけません。
「ああ、ありがたい。大地の恵み、至上の甘露が乾いた体に染み渡ります」
「あっはは、フィオナちゃん、面白いねえ〜。エビは何匹?」
「三匹!」
「次はお茶にしなさい」
「むむむっ」
エドガー様の前にはハーブティーが置かれているが、私にとっては飲み飽きたものだ。ちびちびとエールを飲む。
「しかし、消えた魚か……」
エドガー様は海に沈んでいく夕日を眺めながら呟いた。
「心当たりありますか?」
「普通の魚は移動しないからな……微かに、魔力の残滓が確認できた。魚に擬態した何かかもしれん」
何かとはなんだろう。巷には、妖精や精霊が馴染みのある生き物に擬態して人々の前に現れたと言う話は聞くが、少なくとも私の管轄外の存在だった事は間違いない。
「うーーん」
考えてもわからないものは仕方がない。推理は私の仕事ではない。適材適所、ってやつかな?
ニンニクと一緒に炒められたエビがやってきた。両手でつまんで腹にガブリと食いつく。
「今日のお仕事はどうでしたか?」
秋と冬には式典が入っているので、その準備もしなくてはならない。
私は人前で踊るとか恥ずかしくてあまりやりたくないし、そもそも寒いのでとても厳しい戦いを強いられるのだが、信心深い一般の方には「聖女様を見ると寿命が伸びる」と信じている人が少なからずいるらしく、毎年会場近くの宿は大賑わいで中には自分の家を貸して他の地方に旅行に行く……なんて人も少なくないらしい。
そういえば二年前の冬の儀式の時は……。
「まあ、ぼちぼちだな」
私が過去のときめきに浸っていると、エドガー様がやっと返事をした。この言い方はあんまりよろしくない事があったと推測する。
「……」
じっと見つめると、エドガー様はバツが悪そうな顔をした。たまにこうして素の表情を見せる時がある。私はそれを見落とさずに、日々本当のエドガー様を見つけようとしている。なかなかうまくいかないのが現状だけれども……。
「君はなんでも見透かすような目をしている」
「そうでもないと思いますが」
エドガー様はここでする話ではない、と言って食事を続けるように促した。
帰り際、坂を登りながらエドガー様は小さな声で話し始める。何を言っているのか聞き取るのが大変なので、腕を組んで歩く。
これは業務上必要な密着なのであって、不純な気持ちからくるものでは……ええ、ありますけれども。
エドガー様は何やら不穏な話を聞いてきたようで、隣国つまりは海を挟んだ先にある島国だが、そこの結界が弱まっていると言うのだ。
「でも、それは単純に聖女の代替わりでしょう?」
昔々、この大陸で国同士の国境は明確ではなかった。そのために戦争が起こり、いろいろな国が滅亡したり合体したりしていたそうだ。
しかし、ある時を境に聖女の結界によって国境線が保たれるようになった。
それ以来この辺りの国は聖女の力そのものが国境を維持する役割になっているのだ。基本的に侵略はしない。万が一そのようにされた場合、聖女は結界を守護しない。
加護を失って危険になった土地は栄えない。なので侵略する意味もない。そのようにして、各国の均衡が保たれている……はずなのだが。
「この情報は隠しているんだが、どうも軍部はフィオナに結界の範囲を拡大する力があるのではないかと疑っているようなんだ」
「侵略ですか」
そのような記録は、あることには、ある。かつて一人の聖女によって栄えた国があった。その聖女は女王となり、どんどんと勢力を拡大していった。しかし、代替わりした時には領土を保つことができず、結果国は滅びた。
「……不可能ではないと思いますけどね」
今まで、求められた以上の力を使おうと思ったことはなかった。しかし、規則にとらわれなくても、色々抜け道があると知ってしまったら。私が自分で何かできると思ったとき、他の人も私を使って何かできるんじゃないのかと思うのは普通のことに違いない。
隣国の結界が弱まっていると言うのなら、なおさらだ。物事には機会と言うものがあるのだから。夏のはずなのに何だか寒気を感じてしまい、エドガー様の腕にかじりつく。
「そんなことはさせない。聖女として職務は全うしてもらうが、それ以上の血生臭いことは我々の管轄外だ」
「だから、今以上のことはしなくていい」
エドガー様の言葉はまるで自分に言い聞かせているかのようだった。
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