第12話

過去のあれこれを精算し、新婚生活が本格的に始まった。街の人は皆親切で、思ったよりうまくやれていると思う。


 私は今「市政の生活」を勉強中。すなわちお金の使い方だ。「普通の金銭感覚」を身につけなければいけない。何てったって、新妻。遅ればせながら花嫁修行中の身なのだ。


「フィオナちゃん! 魚買っていかねえ?」

「お魚ですかあ。食べるのは好きなんですけど、捌くのはまだちょっと」


 魚屋のクロウさんに声をかけられる。この人はエドガー様の同級生、いわゆる幼なじみなのだ。こちらに引っ越してきた私にとても親切にしてくれている。


 彼の実家は街では手広く商売をやっていて、日替わりで軒先に立ったり、私とはじめて会った日の様に、港で調理した物を販売したりしている。


「とは言っても。五日連続で魚料理なので……」


 買い物は難しい。一度にあれやこれやと買ってしまって、結局使いきれずにエドガー様に助けを求めるハメになる。先月はそうだったので、今月もおそらくそうなるだろう。


「まあまあ、見るだけでも。魚は毎日食っても問題ないから。今日のおすすめはこれだな」


 軒先に並べられている魚を眺める。青と緑のまだらだ。大人二人が消費するには、少し、いやかなり大きすぎる。何しろ、片手で持つにはちょっと苦しいレベルだ。


「ちょっと重量的に無理があるような……」


「エドガーが何とかするって。余ったらご近所にあげればいいんだしさ」

「でも、お高いんでしょう?」


 かごの中の財布をちらりと見やる。家計のやりくりに失敗したのは本当の話だ。


「なんと驚きの、売れ残り、ぽっきり300ゴールド」


 氷の上に載せられた魚が、助けを求めるようにパクパクと口を動かした。私、晩ご飯のおかずを探しに来ているから……助けてはあげられないのだけれどな。


「お買い得だぜ!」


 顎に手を当てて考える。ちなみにこれはエドガー様の真似である。何ちゃら効果で、好きな相手の仕草をまねると、相手もだんだんこちらが気になってきて、好意を持ちやすくなるのだそうだ。


「ほら、こっちの魚が一尾80、こっちは一切れ120、これは250。お得だろう?」


 ……確かに、そう聞くと、非常にお買い得に聞こえてくるから不思議だ。これが接客、というものか……。


「では、買います」


「毎度あり! 捌くか? 冷静に考えたら、切り身にすりゃ売れたかもしんねえな〜。小分けにして食べる分だけ買うか?」


「うーん。せっかくなので、そのままで。それよりこの魚はどう調理すれば美味しいんですか?」

「わかんね」


 私もなかなか性格が雑なのだが、クロウさんを見ていると大丈夫なのかな? と思う時がある。しかし、ずっとこんな感じでお店をやっているみたいだから、私のような素人より「見る目」があるのだろう。うん、そうに違いない。そう信じている。


「このお魚ちょっとエドガーさ……んの目の色に似てますね」

「それ本人には言わない方がいいぞ」


 クロウさんは私よりエドガー様……オトコゴコロ、に詳しいのだ。悪しき慣習は撤廃すべきだが先輩の忠告には従うべきであると、神妙に頷く。


 お魚を丸ごとうちまで運んでもらう。頼めば捌いてもらえるけれど、私は包丁の使い方がものすごく危なっかしい……らしいので、練習をしようと思ったのだ。


 小さいよりは大きい方がやりやすい、そんな予感がする。道すがら、エドガー様は幼少期、学校で「海辺の生き物」をまとめたレポートを提出し、先生に大層褒められていたそうだ。


「それ、今でも読む事が出来ますかね?」

「あのおっかさんなら保管してんじゃねーかな」


 なら、明日になったらこっそり尋ねてみよう。エドガー様に尋ねると先回りされて隠蔽されてしまう危険性がある。



「このタライは後日返してくれりゃいいからな」

「ありがとうございます」


 台所で包丁を研ぐ。解体作業は外でやるつもりだ。料理の本を持って中庭に向かう。


 私は中庭でお魚と向き合った。海の中には、このぐらい大きな魚やウネウネした生き物がたくさんいるのだそうだ。


「えーと、まず、息の根を止めるところから始めないとね」


 聖女は殺生を禁止されていた……が最新の研究ではそれは関係ないことが証明されている。論文を書くのは主にエドガー様で読むのもエドガー様なので、世の人々には反説も何もないわけだが……。


「苦しまないように一息にやってあげるね……」


 口をパクパクさせて、まるで私に何か伝えようとしている様に見える。しかし、これも命をいただくのに必要な儀式。骨やヒレは肥料としてガーデニングに使うから許して欲しい。


 お魚さんは必死にパクパクパクパクと口を開いたり閉じたりしている。やはりちょっとエドガー様みたい。じっと眺めていると、だんだん情が湧いてくる。


「うーん何だかかわいそうになってきちゃった」


 海辺のテラスで貝を焼いて食べたり、魚を塩と香草と大きな葉っぱで包んで蒸し焼きにしたものは好きだ。冷えたエールがあると尚更良い。


 しかし、この魚はちょっと食べる気がしない……なんというか、食べ物だとあまり思えないのだ。


「海に帰してあげる分にはいいよね?」


 私は戦いに敗北した。やっぱり、今度からは捌いてもらったやつを買おうと思う。



 魚にそっと手をかざして、回復魔法を使ってあげる。エドガー様が帰ってきたら、申し訳ないけれど海に帰すのを手伝ってもらうつもりだ。



「んん?」


 魔力がグングン吸い取られていくのを感じる。あれ、魚を治癒するのって人間より手間がかかるんだ……知らなかった。これはエドガー様に報告しなければならない。


 魚はタライの中でビチビチと跳ね始めた。水が足りないのだろう。井戸水に塩を足したらなんとかなるだろうか……?


 その時、玄関から物音がした。誰かが訪ねてきたようだ。


「 マクミランさーん、いらっしゃいますか?」


 そう。私の名前は、フィオナ・マクミランと言うのです。なんと、エドガー様と同じ名字なのです! 素晴らしい事ですよ、これは。


 式はまだだけれど、結婚式ではなく結婚契約書にサインをした日が結婚成立した時なのだ。つまり私は何がなんでも新妻なのである。


「はーい、フィオナ・マクミランでございまーす」


 勢いよくドアを開ける。壁を新しく塗り直し、玄関のちょっとしたスペースに若木を植えた! そしてまだまだ新居の改築は終わらない。


「奥さん、表札が出来上がりましたよ。取り付けちゃっていいですか?」


「お願いしますっ」


 私のお気に入りの白いお家。坂の上で、少し登るのが疲れるけれど、眺めも日当たりも良くて、屋上からは海が見えるし、小さな中庭には井戸だってついている王宮より百倍素晴らしい家なのである。


「はい、確認とサインをお願いします」

「……最高ですね!」


 私の感激を、塗装屋さんは自分の仕事に対する賞賛だと受け止めたようだった。


 確かに銀色のプレートはキラキラで、なんだか文字も非常にシュッとして美しいので、あながち嘘でもない。


 取り付けられた表札を眺めて家に戻ると、先ほどまであった生臭さが跡形もなく消え去っていた。


「あれ?」


 タライの中は空っぽで、びしゃびしゃになった水だけが残っていた。


「あれれ?」


 中庭から空を眺める。晴れている。


「鳥……かな?」


 巨大な魚がいるのならば、同じくらい大きい鳥が存在してもおかしくはない。持って行かれてしまったのかもしれない。


 さっぱり状況がわからない……が世界は驚きに満ちているので考えてもわからないことは仕方がない。


 忘れないうちに家計簿を取り出し、支出の欄に「7月31日、使途不明金(魚) 300ゴールド」と書き加えた。

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