第4話
「腹減ってんなら、これ食えよ」
彼は何らかの揚げ物を差し出してきた。私がしゃがみ込んでいたのは、空腹のせいだと思っているらしい。
串がついていて、立ったまま食べられる。中身は魚のようだ。
聖女は殺生が禁止と決まっているので、魚を食べた記憶はもう、ない。物心ついてからずっとパンと野菜だけ食べて生きてきた。
祈りの最中に「別にそんなことしなくていいんだよ?」と声が聞こえる気がするのだが、何百年も前からの決まりで、私の意見が取り入れられたことはない。
祈るのは私だけれど、誰も私のことなんて気にしていない。だって、感情のある人間だとすら思っていないのだから。
もうどうにでもなれ。魚にかぶりつく。
熱い。
「んまーい」
聖女はそんな言葉使いをしちゃいけないんだけど、小さい頃の記憶がそうさせた。
午後の祈りの時間だ。この国を覆う結界が、ほんのわずか、髪の毛の一本ぐらい弱くなったのを感じる。
まあ、なんとかなるでしょうと頭の中で軽く祈りを捧げてみると、簡単に結界を復元することができた。やはり、私はあの聖石と離れても繋がっているらしい。
エドガー様の研究の通りである。私は力が強いから、離れていても結界を維持できるのだ。
これならあのまま、私がここでこっそり結界を張り続けて、エスメラルダ様が表向きの聖女ってことでなんとかなるかもしれないな? とぼんやり考えて首を振る。
なーんてね。そんな都合のいいこと、あるわけがないのだと、本当はわかっている。
伝統的なやり方を変えるのは、反発がものすごいのだ。私が大変でもだれも困らないしね。
無言のままでいると、今度は揚げた芋を差し出される。魚のフライには芋がついているのが定番だ、と男性は言った。塩がきつい。違う。私が泣いているのだ。
おかわりをした。男性は何も言わず、今度は違う食べ物をくれた。なんだかわからないが、そのグニグニした白い輪っかを食べる。
「腹が減ってんなら、ちゃんと座って食えるところに行った方がいーぜ」
「ビーフシチュー……」
エドガー様は食べられない私に気を使ってあまり話をしてくれなかったが「ビーフシチュー」と言う料理が好きらしい。常々、それを食べてみたいと思っているのだ。
「それはねえよ? 食べたいなら市街地に戻って……」
男性は何やらおすすめの店の場所を教えてくれている様だったが、土地勘がないのでさっぱりだった。
食べ物が胃に入った事で、精神が少し安定した。とことこと歩いて、港の端っこまで行く。目の前には海だけになる。
目を凝らすと、銀色の魚の群れがチラチラと集まってきている。ここは船の影になっていないので、先程よりも水面はずいぶん明るい色をしていて恐ろしさは感じない。物珍しくて、身を乗り出す。
「ま、待て! 待て待て待て待て頼むから待ってくれ」
後ろから私を呼ぶ声がする。
この声はまさしく「聖女管理局」の所長、エドガー様である。
「待て、フィオナ! 早まるな!!」
エドガー様は私が海に身を投げると誤解しているのかもしれない。手で頬の位置を動かして笑顔を作り、振り向く。
「所長、おはようございます」
「昼だ! むしろ午後だ!」
あえて茶化した言動をすると、大真面目な返答が返ってくる。
エドガー所長は真面目なのだ。悪く言えば頑固で融通がきかない、よく言えば誠実で親切で責任感があって頑張り屋さんで信用のできるひと。全力で走ってきたのか、メガネがずれている。
私がへらへらしていたので、エドガー様は眼鏡を拭いてかけ直した。
狭い世界のことしか知らないけれど、今まで見た男性の中で一番この人が可愛いと思う。今日街に出てきて、それを再確認できたのはいいことだ。
「フィオナ、一体何を考えているんだ!?」
「愛について」
私がカッコよく返答したので、エドガー様は言葉に詰まった。そうして、視線を彷徨わせて、くしゃくしゃになった船の乗船券を見咎めた。
「それは……」
「あ、これは冗談です。ほんの、じょーだん、です」
慌てて背中を向ける。エドガー様を置いてこの国から逃げ出そうとしたことを悟られたくなかった。やっぱり私は聖女失格だ。
「他国に入るには、身分証が必要だ。君はそれを持っていない……」
エドガー様は気まずそうにそう告げた。
「あ、そうなんですか、あはは……そんなの、全然、知りませんでした」
視界がぼやける。悪事を企んで、正義の味方に圧倒的な正しさでそれを暴かれた人って、きっとこんな無力感に苛まれるのだろう。
チケットをビリビリに破いて、海に撒き散らす。ものすごく馬鹿だ。
「お手数をおかけして申し訳ありません。戻りましょう」
結局、私が行けるところなんてないのだ。それなら、困らせて失望される前に戻った方がいい。聖女であれば、私を見てくれるのだから。
馬鹿だった。自由になったはずなのに、どうしてこんなに気持ちが沈んでいたのかと言うと、私は一人だからだ。人間は一人では生きていけないと本に書いてあったけれど、確かにそうだ。
「フィオナ」
私が必要だと、いなければ不安で夜も眠れないと、そう言って欲しい。そうすれば、また明日から私は頑張るのだから。
「結界のことならご心配なく。先程ここで調整できました。図らずも、仮説が証明されましたね。まあ、あまり関係のないことでしょうけれど。あ、せっかくですからご両親に挨拶して行かれますか? ほら、こんな状況ですけれど、所長も三十連勤目ではなかったでしょうか。私は馬車で待っていますから……」
「フィオナ。もういいんだ」
もういいって、何がですか? いらないって事ですか? 私は言葉を紡げなくなってしまった。
「まだ帰らなくてもいい」
エドガー様は私に手を差し伸べた。またとない機会なので、その手を握る。
「……どうしてですか。責任を追及されて、私を連れ戻しに来たんでしょう」
「それはそうだが」
エドガー様は私の手を握り返した。びっくりするほど暖かい。ずっとこのまま、帰るまで……帰ってもこのままでいてくれたらいいのに。
「馬鹿なやつだと、呆れていませんか」
「驚きはしたが……たまには、貴族たちが右往左往するのを眺めるのも悪くない気分だ」
やだ、今日のエドガー様、普段の100倍ぐらい『ワル』っぽくて素敵。いつもの管理局の制服であるローブを着ておらず、中のシャツとズボンのみだからだろうか……?
「せっかくなので、視察をしておくのも悪くない」
「ビーフシチュー……」
「ビーフシチュー?」
本当ですか?と聞きたかったのに、思わず口をついて出たのはなぜか料理の名前だった。
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