七 適性



「こんなところに、通路があったのですね……」


 青く光るランタンを持って危なっかしく歩いているファラが、きょろきょろと狭い石の通路を見回しながら言った。上を向いていて足を滑らせ階段を転げ落ちそうになったが、ナーソリエルが咄嗟に腕を掴んで事なきを得る。


「ありがとうございます」

「……気づいていなかったのですか?」


 エルトールが苦笑しながら言った。この地下へ続く通路の入り口は確かに少し柱の陰になっているが、特に隠されているわけでもない。もう雨季も終わろうかという時分になって今だに存在を知らぬというのは、かなり間が抜けている。


「全然わかりませんでした。秘密の通路みたいで、なんだかわくわくしますね。フォーレス神殿には地下室なんて無かったので、すごく楽しいです」


 ファラがにっこりし、エルトールが「かわいい」と呟き、ナーソリエルが深いため息をついた。しかし間抜けとはいえ賢い部分は賢い少年なので、このひと月ばかりで言葉は随分と流暢になった。複雑な問答はまだ難しいが、今のこの会話も全てヴェルトルート語でなされている。特別語学の才能を感じるわけではないが、ファラは甘ったるい性格に反して大変な努力家で、ナーソリエルよりもずっと根気強い。通訳が必要なくなる日もそう遠くはないだろう。


「今は楽しんでいてくださって結構ですが、向こうに着いたらもう少しきちんとしてくださいね。根神官こんしんかん達はナシル並みに皆厳しくて気難しいですから……」

「エルトール、そなた」

「ほら、着きますよ」


 狭い階段が終わって、少し開けた場所に出た。それは不思議な形の部屋で、まるで蜘蛛の巣のようにあちこちへ向かう通路が口を開けている。根の区画には扉がない。全てが繋がっているのが根であるという表向きの理由もあるが、この湿った地下を少しでも風通し良くしようという役割もあるらしい。


「水の根の間です。各神殿の地下にこうしていくつか部屋があって、根神官達はここに自室を持っています。別に禁じられているのではありませんが、あんまり地上には出てこないですね。ああ、そこの通路を更に進むと、中央広場の真下に出ます。他の神殿の根神官達とは、そこで一緒に会議をしたり審判を行ったりするのです」

「ふうん……」


 ファラがキラキラした目で根の間を見回し、そして向こうの壁際に立っている根神官へ「こんにちは、水の葉ファーリアスです! 輝く日差しに豊かな実りを!」と明るい声をかけた。濃紺のマントを纏い、フードを深く下ろして佇んでいる人影によくそんな元気な挨拶ができるなと思ったが、それは相手も同じであったようだ。


「……水の根、第二審問官アタだ。こちらへ」

 彼らが無口なのはいつものことだが、常よりも声の勢いが弱々しい。能天気すぎる子供に気後れしたのだろう。


「はい!」

 ファラがやはりにっこりする。これは「落ちる」な、とナーソリエルは確信した。どう考えても、根には向いていない。


 葉神官ファラは今から根神官、つまり神殿の異端審問官の適性検査を受けることになっていた。枝でも葉でもなく根を名乗る彼らは、神殿の敵となる異端を探り、審判を下し、時には非情な手段で排除する。かなり高い能力と精神力が求められるため、種から葉になる段階で才能のあるものを引き抜いて教育するのだ。隣国の神殿から移籍してきたファラもその例に漏れず、葉になってからではあるが才能の有無を調べられることになっていた。


「ナーソリエルも、試験を受けたのですか?」

 紺ローブの男に続いて歩きながら、ファラが尋ねた。


「……いや、私では魔力が足りぬゆえ」

 首を振って答える。実のところ愛し子であるとの理由から魔力量と無関係に打診があったのだが、「情緒不安定で神経質すぎる」とヴァーセルスに一蹴されて話が立ち消えたのは黙っておいた。その時は第一審問官がわざわざ地上に上がってナーソリエルを見に来たのだが、なぜ祈りや問答の時間でなく、食後の洗い物の時間だったのだろうか。根を希望はしていなかったものの、今だに納得いかない。


「──イーファ、葉の訪れだ」

「参ったか」


 通路の先の部屋に入りながらアタが呼びかけると、女性の声がそれに答えた。水の第一審問官イーファだ。水の根は基本的に戦闘能力の高い火を補佐する立場にあるが、噂によると彼女自身も火と遜色ないくらい戦えるらしい。彼女のことはナーソリエルも儀式の際に何度か見かけていたが、いつもフードを被っているので顔は見たことがない。


 案内されたのは「水脈の間」と呼ばれる、部屋の中に細い川が流れている場所だった。ナーソリエルも入るのは初めてで、つい興味深く周囲を見回してしまう。しかし腕を組んで左の壁に寄りかかっている気の第一審問官ソロとフード越しに目が合ったので、きょろきょろするのをやめた。例の「洗い物」の際に少々言葉を交わしたが、なかなかに過激な思想を持っている人間なようで、端的に言って苦手だった。


「濃紺マントの五人が水の第一から第五審問官。それから各神殿の第一審問官。少し明るい紺色の三人は、根神官ではありますが異端審問官ではありません。今は見習いで──今日は見学ですか?」

 エルトールが声をかけると、紺色のフードを下ろした子供達が一斉に丁寧な礼をとり、中央の一人が平坦な口調で言った。


「左様です、枝神官エルトール。審問官の仕事を学び、また新たな根の誕生を見届けんと参りました」

「……素晴らしいことです。私の名前、よく知っていましたね」

「根は全てに通ずるものですゆえ」

「そ、そうですか……」


 高い子供の声でありながら、話し方は大人よりも遥かに落ち着いている。エルトールが少したじたじとなって、心配そうにファラを見下ろした。この中でやっていけるのかと案じているのだろうが、どう考えても彼はここに入れないと思う。


「では、これより汝の適性を見る。光も雨も届かぬ地中へと潜り、地上に育つもののために己を捨てられるか、まずは問答だ」

「はい!」


 冷たい声で告げた水の第一審問官に、輝くような笑みでファラが元気良く言った。イーファが小さく咳払いし、後ろの根神官達が顔を見合わせる。


「──異端を審問し、審判を下すのが我ら審問官の務めである。水の葉ファラよ、汝は異端は排除されるべきと考えるか」


 尋ねられたファラが難しい顔になってナーソリエルを振り返った。やはりまだ難しかったかと翻訳すれば、ファラは小さく「うーん……」と言いながら考えて、そして少し驚くような鋭い目をして口を開いた。


「思想という意味でなら、そうかもしれません。色々な考え方が認められるべきと思いますが……それと、神への冒涜を笑って許すのは違う」

「ならば異端に出会った時、汝はどうする」

「……教えを説きます。神の恵みは皆を幸福にするものですから、きっとわかってくださいます」

「どうしても聞き入れず、例えば神官を害そうと武器を振りかざした場合は?」

「……頑張って守ります」

「防戦一方か?」


 ファラはその質問に暫し考え込み、そして丁寧に答えた。

「多くの大切なものを守るためならば、こちらも攻撃しなければならないのかもしれません。けれど……できる限り、それは避けたい。どんなに悪い人に見えても、私達の言葉の選び方で、行動のしかたで、変わることだってあると思います。最後まで、私はそれを諦めずにいたいです」


「ふむ」

 審問官達の間に少しだけ微笑んだような空気が漂った。ナーソリエルにしてみれば白々しい綺麗事に思えたが、どうやら生真面目な彼らはお気に召したらしい。


「慎重に判断し、救える者は救うという考えは良いですね。我らは武を持つからこそ、その武を使わぬ選択をする人間であらねばなりませんから」

 地の審問官が口を開いた。それでどうやら問答は終わりらしく、今度は治療の能力を見ようと、水のアタが袖を捲る。火の審問官がベルトからナイフを抜いて進み出た。


「……え、何を」


 ファラが口を開いたのとほぼ同時に火の審問官が銀に光る刃を振り下ろし、アタの腕が深々と切り裂かれて血が飛び散った。ふらっと目の前が暗くなり、片膝をつく。エルトールが「おやおや」と言いながらナーソリエルの背をさすった。触らないでほしい。


「治療せよ、ファラ」

 深手を負っているとは思えぬ口調で静かにアタが言う。


 息を呑んでいたファラが、と視線を鋭くして歩み出た。血を流す腕を取り、片手をかざす。小さく祈りの言葉が唱えられると、顕現陣のひとつもなしに傷はみるみる塞がって跡形もなくなった。次いで浄化の呪文が唱えられ、飛び散った血飛沫が一滴残らず消えてなくなる。


「……素晴らしい」どこからともなく囁きが沸き起こった。


「──外来の患者の治療をさせるべきでした」

 鋭い共通語でファラが言い、まだ貧血が治らないナーソリエルが弱々しくそれを訳した。その声に振り返ったファラが早足にこちらへ歩いてきて、さっと額に手を当てる。祝福が通り抜けて、霧が晴れるように目眩が消える。


「自分で自分の腕を刺した傷は、祝福の力で治らない。つまり神が、それをだめだと言っているのです。あなた方が今やったことは、それと何が違いますか」


 気のソロがにやりとし、まだナイフを握ったままの火の審問官がぽかんと棒立ちになった。水の第一審問官イーファは、続きを待つようにじっと沈黙したままだ。


「確かに、火の審問官さんがアタを傷つければ、私の術でも治ります。けれど、神に仕える者が、そんな抜け道を使ってはいけません!」


 鋭かった視線が涙で潤み、声が掠れてきた。しかしファラは悲しそうにしながらも真っ直ぐ前を見据えて立ち、青い怒りの魔力光を体から立ち昇らせながらイーファを睨みつける。


「……これは、一本取られたな。確かに我らの所業は抜け道の利用に近かった。次からは治療院まで足を運ぶとしよう」


 賞賛するような審問官の声を聞いて、ナーソリエルは眉をひそめた。雲行きが怪しい。このままではファラが根へ引き抜かれかねない。彼らに認められてしまえば立派な医者になりたいという夢から遠ざかると、あの子供は理解しているのだろうか?


 しかし、そんな心配はどうやら不要であったたしい。もう決まりも同然だという顔をした審問官達が、次は身体能力を見ようと隣の訓練場へ案内しようとした、その時のことだ。


「あっ」


 石畳につまずいて、ファラがバシャンと水路に落ちた。腰までの深さがあるそこから慌てて這い上がろうとして、水路の中で更に滑って転ぶ。流されていったのを、慌てて火の審問官が引きずり上げた。


「……水の葉よ、君は馬に乗れるか?」

 沈黙の後、低い声が淡々と尋ねた。根神官らしい冷静さというより、困惑に近いように聞こえる。


「乗れます」

 ファラがにこっとして言った。後ろでエルトールが首を振りながら「一分おきに落馬するので決して目を離さぬようにと、フォーレス神殿の教育役から申しつかっています」と言う。


「一分おきに……」

 数人が囁き合った。なんとなく皆黙ったまま訓練場に移動し、審問官のひとりがファラに小さなナイフを手渡す。


「……防御の型を教える。やってみなさい」

 そして火の審問官がゆっくりと手本を見せてやったが、ファラはその場で無様にぴょこぴょこと跳ね回り、手を滑らせてナイフを取り落とし、落としたナイフの上に倒れそうになって地の審問官に抱き上げられた。


「……稀有な才だ。光の当たる場所で育てるのが良いだろう」

 しばらく沈黙の時間が続いた後に、イーファがぽつりと言った。


「汝は葉から枝へ、そして樹となって星を目指すべき存在だ」

「えっ、ありがとうございます……」

 両手の指先で口を隠し、嬉しそうにもじもじしながらファラが言う。


「……確かに、光の当たる場所に置いておくのが良いでしょうね」

 ついさっきまで楽しげにしていたソロも平坦な声で言う。彼のこんなに疲れた顔は初めて見たと、ナーソリエルは少し気持ちがスカッとした。





 そんなことがあった日の午後、図書塔でマソイと待ち合わせたナーソリエルがその様子を語って聞かせると、彼は笑いが止まらなくなった様子で下を向いて肩を震わせた。


「いや……ふふ、可愛いじゃない。そうか、あの愛し子……そんな感じなんだ」

「全く嘆かわしいが、しかし根に行かずに済んだのは幸いだろう。明らかに不向きだ」

「ナシルに懐いているくらいなんだから、相当能天気だよね」

 そして何やら不愉快なことを言い出した。


「何だと?」

「いやあ、呆然としたソロも面白いけれど、ナシルがなんだかんだあの愛し子を可愛がっているのも笑えるなあ」

「そのような事実はない」

 睨みつけるが、ナーソリエルの愛想の悪さにすっかり慣れてしまったマソイは気にせず笑う。


「ふふっ、結構気に入っているくせに。眠れない夜には部屋に招いて寝かしつけてあげているんでしょう?」

「はっ? いや、違う、いや……誰に聞いた」

「トルス。彼はエルトールに聞いたと言っていたよ」

「違う。一度、一度だけだ……」

「へえ、本当だったんだ。ただの噂話かと思っていたよ」

「そなた」

「それで、進捗を話してもいいかな?」


 一瞬迷って、ナーソリエルは視線で先を促した。策にはまるようで不愉快極まりないが、実のない言い合いよりも議論の方が大切だ。

「……話せ」

「ダナエス神殿長、どう思う」


 その言葉を聞いて、ため息が出た。

「……そなたもそこへ行き着いたか」


 ダナエスは天の神殿長だ。世界神の父母である光と闇の神を祀る天は、五神殿の頂点として位が高く、神殿長もまた気や水と比べて強い権力を持っている。つまり天の神殿長は、この中央大神殿の長と言い換えても差し支えない。


「とても……洗脳的な話し方をするね、彼は。けれど口調が巧みで、それを気づかせない。僕も流されそうになるよ」

「それは……」

 そなたが素直すぎるせいではなかろうか、と言おうとしたがやめておいた。あまりいじめるとファラの話を蒸し返される。


「カイラーナが頻繁に出入りしているよね」

「彼の方はそれほど狂信的な気配を感じぬが」

「そう、だからカイラーナに相談してみるのはどうだろう。危険かな」

「ふむ……」


 丁度今夜、カイラーナに論文のことで部屋へ呼ばれていた。怪しまれない程度に、探りを入れてみても良いかもしれない。そう話すと、マソイは心配そうに眉を寄せた。


「うーん……確かに共同研究がある君の方が自然に会話できるだろうけれど、そういうのは僕の方が向いていないかな? ナシルはさりげなく相手の真意を探るとか苦手でしょう。すぐ面倒になって真っ直ぐ尋ねてしまう」

「黙れ」

 いい加減子供のように扱うのはよせ──と苛立ちを込めて睨むと、マソイは少し仰け反ってから首を振った。


「ナシル、君の目つきは年々怖くなっているんだから、あんまり睨まないでくれるかな」

「黙れ」

「……ねえナシル、その怒ると瞳が深くなるの、一体何なの?」

「自分では見えぬ」

「まあ、そうだろうね……」


 馬鹿な会話をしていると鐘が鳴ったので、もう一度マソイを睨んでから図書塔を後にする。夕食を終え、入浴後にもう一度枝の衣へ着替え直し、時間を確かめると階段を上がってカイラーナの自室へと向かった。





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