ミルキー杯の幕間

棚霧書生

ミルキー杯の幕間

 レーサーって職業は格好いい。命を懸けて一番を目指す。レースの勝った負けたの結果で世間からの注目度もスポンサーからの待遇も天と地ほど変わってくる厳しい世界だが、幸いにして俺はまだやめたいと思ったことは一度もない。……ないのだが、最近は不快なことが増えてきた。たとえば

「地球の田舎モンがなんでミルキー杯に出場してんだ?」

「金を積んだか、お偉方にちょっとした営業をかけてんだろ」

「実力がゴミの奴が一人でも混じってたら、ミルキー杯の格が落ちちまうよ!」

「バッカお前、そりゃ言い過ぎ……、でもねえな! ガハハハハハ!!」

 こういう下品な会話がミルキー杯に参加した直後から、あからさまに飛び交うようになった。わざわざこちらに聞こえるように話しているのだから質が悪い。

 ミルキー杯は数ある宇宙船レースの中でも一際大きい大会で、バカでかい金額の賞金がかけられていることから注目度が高い。さらに初開催から百年以上の長い歴史を持っていることも相まって宇宙中にファンがいる。かくいう俺も物心つく頃にはミルキー杯を夢中になって見ていたファンの一人である。

 だが、地球出身者がこのレースにエントリーできるようになったのはほんの数年前のことで、参加したくてもできない奴が多い中、ありがたいことに俺は代表選手に選ばれた。子供の頃から見ていたレースに参加できることに胸踊らせ、熱い闘いをするんだと俺は意気込んでいた。しかし、待っていたのはクソみたいな現実だった。

「レースにはママについてきてもらってるのかぁ?」

「子供がレースに参加するのは危ないと思うんだが、なんでいるんだろうな?」

「地球人はあれで成人した姿らしいぜ」

「はっ? 本当かよ、めちゃくちゃ小さいじゃねえか」

 クスクスクス、と悪意に満ちた嘲笑が耳に障る。ミルキー杯の一部の参加者たちの中では片田舎の新参者などイビリの対象でしかないらしいと俺は今まさに辛い現実を思い知っている最中だ。先が思いやられる……。

 ミルキー杯は三ヶ月以上に渡って行われる長期の大会だ。全部で五区間のレースがあり、それぞれのレースで一位は五点、二位は四点、三位は三点といった具合に順位によって点数が振り分けられ、全てのレース終了後、獲得した点数の合計が一番高い者が優勝者となる。現在はちょうど第一区間のレースが終わったところだ。

 一旦レースが終われば、レーサーたちは次のレースまでの間、主催者側が用意した待機施設を使用することになっている。これは不正を防いだり、選手たちの安全を確保したりするための対策なのだが、つまりが俺の悪口を叩く奴とも一つ屋根の下で過ごさなくてはいけないのだ。まあ、一つ屋根の下と言っても広いホテルの別々の部屋に宿泊しているので、四六時中悪口が耳に入ってくるわけではないのだが。

「飯が不味くなるなぁ、早くどっか行ってくれねえか」

 それはこっちのセリフだ。コップを掴んでいた手に思わず力が入り、爪の先が白くなる。

 生憎と食事処は一箇所しか用意されておらず、俺はあのムカつく奴らと同じ場所で食事をするしかなかった。レースの規定で外食することが禁止されていなければ、俺がここに来ることは絶対になかっただろう。気分が悪い。さっさと自分の部屋に戻ろう。

 俺はまだ中身が少し残ったままの食器をトレーに乗せ、食器返却口に向かう。性根の曲がった奴らの近くは通りたくなかったが、そこを避けると返却口まで行くのに遠回りになってしまう。ビビってると思われるのも癪だし、真に受けていると取られるのもなんだか嫌だった。

 俺は結局、口からクソみたいな言葉を垂れ流している野郎どもの横を通ることにする。通りすがりに俺も悪態の一つでも吐いてやろうかと思っていたが、嫌がらせに関しては奴らの方が俺よりも一枚上手だった。

 奴らがやったことは実に単純、歩いてきた俺に足を引っかけて転ばせたのだ。打ちつけた膝がジンジンと痛む。もう我慢ならない。カッと頭に上昇した怒りに身を任せて、奴らを殴る……のはレースを失格になるかもしれないからやらないとしても、思いっきり怒鳴りつけてやろうと思った。

 だが、そのとき俺にもクソ野郎どもにも想定外なことが起こっていた。転んだ拍子に俺が手を放してしまったトレー、さらに乗っていた食器と中身の残飯が宙を飛び、前方にいた人物にぶつかったのだ。

 カランカラン……と音を立てて食器が床に落ちたとき、食堂は緊迫感のある静寂に包まれた。皆、動きを止め、その人物を注視する。

 俺の残飯を被ったのはレース界の不動の帝王、ロイド・サーダリアだった。ロイドはいくつもの大会で優勝、過去のミルキー杯にも幾度も出場し良好な結果を出している、表彰台の常連だ。その実力もさることながら、容姿も整っているのでレースファン以外からの人気も高い。実力や世間からの注目度からして、現在、間違いなくレース界のナンバーワンスターは彼である。

 ロイドは自分の服をじっと見ている。そこには大きなシミがついてしまっていた。彼は顔色を少しも変えず、俺たちの方へゆっくりと歩み寄る。そばに来られると改めてその大きさに圧倒されてしまう。俺の身長は百八十センチ、地球ではまあまあな高さだがミルキー杯に出場している異星人たちは二メートルくらいある奴がほとんどだ。しかし、ロイドはさらに大きい。他の異星人たちより頭一つ抜けている。そのうえ、体も鍛えているので、発達した筋肉の厚みがさらにロイドを大きく見せている。

「おい……」

 ロイドの声は低い。なにを言われるのだろうか。ドクンドクンと自分の心臓の鼓動がいやによく聞こえる。俺はツバを飲み込んだ。

「歯を食いしばれ」

「えっ」

 マジか。俺、ロイドに殴られるのか。

 クククッと俺を転ばせた奴が笑いを堪えているのには、本当に腸が煮えくり返る。だが、それよりも俺はロイドに殴られることが恐ろしくてならない。あの巨体に殴られて果たして無事でいられるのか。無理だ。瞬時に俺は逃げようと思った。しかし、情けないことに体が震えて上手く動けない。ロイドが拳を振りかぶる。

「ひっ……」

 怖くて目をつぶった。が、俺が恐れていた衝撃は来ない。その代わりに

「へぎゃあッ!?」と間抜けな悲鳴をあげ、俺に足をかけた奴が椅子から転げ落ちていた。

 なにが起こったのか一瞬、理解できなかった。だが、ロイドは俺ではなく足かけ陰湿野郎の方を殴ったのだと、一拍置いてようやく思い至った。

 俺はロイドにどういうつもりなのか、問い質したかった。だが、ロイドは俺が混乱している間に食堂から立ち去ったようで姿はどこにも見えなかった。


 ロイドとの再会は意外なところですぐに叶った。大浴場にロイドがいたのだ。俺は異星人から見れば小さい体をからかわれることを避けるため、入浴の時間をかなり遅くしていた。そのためか俺とロイドの他に大浴場には誰もいなかった。

 ロイドは洗い場の端の方で髪を洗っていた。俺も自分の体を洗いながら、ロイドに話しかける機会をうかがう。ロイドが湯船につかって、一息ついたところで俺は意を決して彼に話しかけた。

「あのッ、さっきはどうも」

 ロイドが俺を見る。が、特に返事はない。

「えっと、その、服のシミとか大丈夫でしたか……?」

 大スターのロイドに話しかけるというだけでもドキドキするのに、数時間前の事件のことがさらに俺の緊張に拍車をかける。だが、俺はロイドのことが随分と気になっていた。話しかけずにはいられない程度には。たぶん俺はロイドがあのムカつく野郎を殴ってくれたことが嬉しかったのだと思う。

「……ロイドさん?」

 ロイドはなにも喋らず、迷惑そうに眉を寄せると黙って立ち上がり浴場から出ていってしまう。俺はしばらく動けなかった。頭の中にまで湯気が入ってしまったかのようにボーッとしていたが、ある瞬間ハッとして湯船のお湯を両手ですくい顔を洗った。落ち込んでいても仕方がない。俺はレースをしに来たのだ。もうレースのことだけを考えよう。

 鬱々とした気分で風呂から出て脱衣場に行くと服を着たロイドが安楽椅子に座って寛ぐ姿が目に飛び込んできた。まだいたのか。鉢合わせないように結構、時間を開けたつもりだったのに。わざわざ居座るなんて一体、どういう神経をしているのだろう。正直なところ、とても気まずい。

 さっさと身なりを整えて、脱衣場を出ていこうとした俺をロイドが呼び止める。まさかロイドからもなにか嫌味を言われるのだろうか。俺は身を固くした。

「風呂に入るときは翻訳機、外しててな。悪いがもう一度、用件を言ってもらえるか」

「え……? あっ!」

 完全に翻訳機の存在を忘れていた。ロイドの首には先程はなかったチョーカーが着けられている。そういえば、俺も風呂に入るときは着けていなかった。ということは、俺は伝わらない言葉でロイドにべらべら話しかけてしまっていたのか。そりゃ、ロイドも困った顔になるわけだ。なんだか猛烈に恥ずかしくなってきた。翻訳機のことも、ロイドのことを嫌な奴かもと勝手に勘違いしていた自分にも。

「あの、大したことは喋ってないのでお気になさらず……」

「ふーん……。あれか、食堂の件なら気にするなよ? オレがあいつにムカついただけだからな」

「あ、でも」

「でも、じゃない。もう忘れろ」

 ロイドの言葉は飾りっ気がなくて短いものだがミルキー杯に参加してから久しぶりに感じる、人の暖かさがあった。

「レーサーは誰よりも速くゴールすることを考えてればいいんだ」

 ロイドが言ったのは当たり前のことかもしれない。だけど俺にとって、その言葉をレース界のスターであるロイドにかけてもらうことは、倒れかかっていた体を支えてもらったような、とてつもない安心感を得られるものだった。

 俺は涙を堪えながら胸いっぱいに息を吸い込み、大きな声で一言、はい! と言った。

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