百合の老婆と百合に目覚めた孫娘が語る

睡蓮

第1話 思い出語り

「お婆ちゃん、好きな人ができたの」

「ほう」

「それがね、女の人なの」

「ふう、そうかい」


 私の孫、玲花れいかは中学3年生になる。

 初恋なのかどうかはわからないけど、好きな人ができたらしい。

 それが女性とは──血は争えないと思う。



 私にはとても好きな人がいた。

 彼女とはパートナーとして、つい一昨年まで一緒に暮らしていた。

 60年という長い年月を共に過ごし、喜びも悲しみも二人で分かち合い、貧しい時は一枚の食パンを二人で一日掛けて食べ、余裕ができた時は温泉旅館の露天風呂に二人で入った。


 私の彼女、文海ふみちゃんは、母性オーラを体中から出しているような人で、丸顔にぱっちりした眼、綺麗な鼻筋に真ん中だけが厚く膨らんだ特徴的な唇をしていた。

 子供が何人いようと、全部母乳で賄いますと主張しているような巨大で強大な胸は、男ばかりでなく女性だって憧れてしまう。

 安産型のこれまた大きなお尻と力強い太股。高校生の頃からお母さん感丸出しで、私はその姿を一日見ていても飽きなかった。


 初めて出会ったのは中学2年の時だった。

 戦争の混乱がまだ感じられた頃のことだ。


 転校してきた彼女の、当時としてはハイカラな名前に興味を持ち、声を交わしたらその人柄に一目惚れをした。

 通学路で待ち合わせをして一緒に登校するようになり、お互いのことを話すうちに本格的に恋に落ちた。

 文海ちゃんがどれほど私のことが好きだったかは分からない。でも、一緒の高校に進み、高校2年生の時に文海ちゃんの家で初めて抱き合って朝を迎えた。

 あれから猛勉強をして、二人で名門と呼ばれる女子大に入った。

 当時、私達の高校からはこの大学に進学する人がほぼいなかったから、卒業式の時に先生から随分褒められたのを覚えている。


 大学は自宅から通えなかったので、親元を離れて同棲を始めた。

 親にはもちろん言えず、お互い一人暮らしだと偽って、それぞれの部屋を持ちながら最終的に彼女は私の部屋で暮らすことを選んだ。


 アナタの匂いが好きだから、と文海ちゃんから提案されたのだ。

 私達はほぼ毎日、肌を合わせ、互いを求めた。

 それはそれは甘美な日々だった。

 文海ちゃんは私以上に私のカラダに詳しくなった。


 就職はお互い順調だった。

 私達の通った大学は名門と呼ばれる女子大だったし、OG会も強力だったから、私は金融機関に、彼女は繊維会社に就職が決まった。


 自分のお金で生活するのだから、お互いの親に堂々と同居宣言をして、顔を見せに行った。

 彼女の両親は驚愕しつつも、最後は泣きながら交際を認めてくれた。

 私の両親には水を掛けられた・・・・・・


 築50年は下らない自分の家に二度と戻ることはないと、最後に敷居をまたぐ時、後ろから父親に一言言われた。



「孫の顔を見せれば許す」



 悔しくて、悔しくて、二日二晩泣き通した。



 1964年に精子バンクができた時、真っ先に私達は門戸を叩いた。

 当時は不妊夫婦のためのものだったけど、無理なお願いを聞いてもらい、彼女は妊娠して母親になった。

 実父の唖然とした顔は今でも忘れない。

 ともあれ、お互いの家族公認となり、心の楔が取れたことで、これからは幸せに暮らしていけるはずだった・・・・・・



 シングルマザーに全く優しくなかった時代、同性愛に全く理解がなかった時代。


 彼女は職を失い、私は一家の大黒柱としてお金を稼いだ。

 女性の給与がとても低かった時代だ。

 必死に働いても昇進はしないし、手取りも増えない。

苦しかった。それでも我が子、黎子れいこに苦しいところは見せまいと、貧乏に耐えた。


 黎子が年頃になると、私達の関係を疑うようになった。

 父親は誰なのか、そもそも母親と私の関係は何なのかと。


 いっそ、文海ちゃんと別れ、養育費を渡す存在になった方がこの子の為には良いのかと話し合いをしたことも一度や二度ではない。でも・・・・・・


 文海ちゃんは私達の関係に誇りを持っていた。

 私と一緒に人生を歩むのは幸子さちこと黎子だけだと。


 やがて、黎子に彼氏ができて、婚約の運びとなった。

 黎子は私達のような同性愛者ではなく、ごく普通に異性を愛し、結ばれていった。


 そして、孫娘が二人でき、今はスープが冷めない距離に住んでいる。



 文海ちゃんとはいくつになってもお互いに大好きだった。

 黎子が結婚して二人だけの暮らしに戻ってから数年間、ずっと昔を思い出したかのように毎日抱き合った。

 更年期なんて嘘だ。

 第二の青春は飽きることがなく、頻度は落ちても愛情の確認はずっと続いていた。

 肌が触れるだけで私達は気持ち良くなれたし、歓びも感じられた。

 若い頃には想像もできなかった底知れぬほど深く長い至福の時間だった。


 それは文海ちゃんのカラダに異変が起きるまで続いた。



 余命3か月。

 巨大な乳房が仇になった。

 癌が見つかった時は既に手遅れだった。

 これがね、といって最後に触らせてくれた垂れきったそれは、どす黒い塊と化していた。



 あれから・・・・・・



「ばあちゃん、私っておかしい?」

「全然おかしくないよ」

「このまま好きになってていいの?」

「当たり前よ。人が人を好きになるのはおかしいことじゃないでしょ」

「そっか」


 玲花は顔を上げ、目を見開いて窓の外を見た。

 今にも泣き出しそうな雲が広がっている。


「私、幸せになれるかな?」


 ああ、昔、文海ちゃんに私が言った言葉だ。


「絶対になれるわ。絶対になる・・・・絶対に」

「うん、そうだよね」


 文海ちゃんから言われた言葉を一言一句変えずにそのまま発したら、孫の頬に一筋の涙が走った。

 このやりとり、昔と変わらない。


「お婆ちゃん、明日も生きていてね」


 文海ちゃんに呼ばれている私には人生のゴールが見えている。

 病院のベッドは私のために臨戦態勢を整えているようだ。

 そこまでしてくれなくても、もう覚悟はできている・・・・はずだった。



「ああ、その時はまた見舞いに来てくれるかい」

「もちろん」



 玲花は文海ちゃんによく似ている。昔習った隔世遺伝というものだろうか。

 とても大きな胸を揺らしながら、部屋を出て行った。



「文海ちゃん、あと一度だけ玲花に会わせてね」



 枕元に置かれた文海ちゃんの遺影に、小さく頭を下げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

百合の老婆と百合に目覚めた孫娘が語る 睡蓮 @Grapes

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ