交差地点
凪野海里
交差地点
「じゃあね。遊ぶ時間あったらLIMEで教えてね」
「うん、わかった。バイバイ」
電車から降りホームへと渡った友人に、私は手を振った。ドアは完全に閉まり、やがて電車は発車して友人の背中はあっという間に遠ざかった。
今日は高校の卒業式だった。最後の登校。その言葉に一抹の寂しさを感じながら、私は息をついて背もたれに深く寄り掛かり後頭部を窓につけた。
車内の乗客はまばらだった。最寄り駅まではまだあと2駅ほど。終点まではあと5駅。私は向かいの席から見える窓の景色をぼんやり眺めた。
景色はいつの間にか、家々が密集する地域から田園風景へと移行した。ちょうど西にあたる位置だからか、夕陽が眩しい。私はカーテンを閉めようと立ち上がった。ガタゴトと揺れる車内でふらつきながら向かいの席にたどり着き、カーテンをさげるために腕を持ちあげた。
そのとき、西日が強く目を射た。
「まぶしっ」
思わず言葉をもらし、目を強くつむった。西日を見ないように気を付けながら、ゆっくりとカーテンを下ろそうとしたとき。不意に誰かが笑う声が聞こえた。
あれ、こんなに笑い声がするほど人がいたっけ? この車両にいるのは私だけだったはず。そう不思議に思って目を開けると、さらに驚くべき光景が目の前には現れた。
窓の向こうに広がる景色。それが何故か車内の風景へと変わっていた。
夢でも見ているのか。私は目をこすって、じぃっと窓の外を見る。もしかして車内が反射で映し出されているだけ? そう思ったけれど、いくらじっくり見ても窓の外の風景は、さっきまで見えていたはずの田園風景ではなく、明らかに電車のなかの風景だった。
しかも、その電車には西日特有のオレンジの光がなかった。代わりに、まるで朝日のような暖かな日差しが入ってきている。
いったいどういうことだろう。私は困惑した。窓をたたいてみる。すると向こうからも窓をたたかれた。
いつの間にか、窓の向こうに『制服を着た私』がいた。
私は茫然と立ち尽くす。すると向こうも驚いたように私を見ていた。鏡映しになっているのかと思ったけれど、窓の向こうにいる『私』は、長い髪をポニーテールに結わえている。今の私は肩に届かない程度に髪をばっさり切っているから、あきらかに違う髪型だった。
それに、窓の向こうにいる『私』の髪型には見覚えがあった。あれは私がまだ高校に入ったばかりの頃にしていた髪型だった。
「私なの?」
思わず問いかけると、窓の向こうにいる『私』と思しき彼女は、怯えた目をしながらうなずいた。それから「あなたも私?」と窓を隔てているからだろう。くぐもった声でそう聞かれた。
どうして、高校に入りたての自分がいるのだろうか。いや、まだそうと決まったわけではないか。でもこの子は間違いなくあの頃の『私』だ。などと考えを巡らせる。
「あなた、いくつ?」
「15歳。あなたは?」
「……18」
『私』は驚いた顔をしていた。なんだか鏡映しみたいで気味が悪い。もちろん私も驚いていたけれど、それと同時に恐怖もあった。
この世界には自分に似た人間が3人いる、なんてことを聞いたことがある。もし本当に自分に似た人間に出会ったら、こんな恐怖を味わうのだろうか……。
「――18ってことは、高校卒業するんだ」
「ああ、うん」
私は制服の胸ポケットにピン留めしたままの、「卒業おめでとう」と書かれたリボンを『私』に見せながらうなずいた。『私』は感心したようにそれを見て、「私はね」と口を開いた。
「これから入学式なんだ」
「そうなんだ」
「ねえ、高校生活って楽しい? あ。楽しかったって聞くべきかな」
私はその質問に口をつぐんだ。
楽しかった、楽しくなかった。と問われると「楽しかった」と思う。勉強は大変だったけど、部活は楽しかったし、クラスメイトとも仲良くなれた。
けれど高校生活は楽しい思い出ばかりではない。つらいこともたくさんあった。例えば、2年生の頃に出会った彼――。彼は家の都合で転校してしまった。私は連絡先を聞きたかったけれど、勇気がなくて聞けなかった。
お父さんが今朝言っていたことを、ふと思い出す。「今日の卒業式で、もう一生会うことのないクラスメイトや友だちもいるかもしれないから。悔いの内容にな」まるで部活の遠征に出かける前みたいなやり取り。けれど笑わなかった。何故かその言葉は、私の胸にグサリと刺さった。
もし私が2年生のあのとき、彼に勇気をだして連絡先を聞いていれば。あるいは告白をしていれば。何か変わったのではないか。
「未来のこと、知りたい?」
私が問いかけると、『私』は驚いたような顔をして期待の籠った目を向けてきた。やはり自分の未来は気になるものだろうか。もし反対の立場なら、私も気になったはずだ。けれど――。
返事を待っていると、やがて『私』はふと真顔になって「いいや」と首を横に振った。
「聞きたいけど、そしたらそのときに得た感動とか全部、つまらなくなる気がする」
「そっか」
やっぱりな、と思った。『私』のことは私が1番わかっている。
未来を知るのは面白そうなことではあるけれど、いざその未来が訪れたときに得た感情はなくなる気がする。
「ねえ、じゃあせめて忠告」
窓の向こう側がわずかにかすんで見えた気がした。もうすぐこの時間も終わるんだと、なんとなく悟る。
「悔いの残らないようにね」
「うん、わかった。じゃあね。元気で」
バイバイ、と手を振った『私』。私も手を振り返した直後、窓の向こうの景色が一瞬暗転して、そして気付いたときには元の田園風景が広がっていた。
私はカーテンを閉めて、席に座る。まもなく最寄り駅に着く。車内アナウンスがそう告げていた。
そのとき何の前触れなく、スカートのポケットに入れておいたスマホがバイブした。なんだろうと思って開くと、「友達申請」とある。メッセージも送られていた。誰だろう、怪しすぎる。そう思いながらも、とりあえずタップした。
表示された内容を見て、私は驚いてしまう。
「久しぶり。卒業おめでとう」
「俺のこと覚えてる?」
そんな2行で始まるメッセージ。綴られた名前には「あの人」の名前が書かれていた。
交差地点 凪野海里 @nagiumi
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