駄作

牡丹

第0話

 妻が死んだ。

 死因は火事による焼死。

 僕は胸にでかい穴が空いたような喪失感を覚えた。

 僕はひたすら考えた。

どうすればこの穴は埋まるのか、と。

考えて考えて考えて考えた結果、自殺するしかないと思った。

この穴はどうやっても埋める事は出来ない。

ならば穴自体を壊してしまえば済む話だ。

でも、ただ死んでやるのは花がない。

何よりあいつの思い通りなっているみたいで癪に触る。

だから僕はもう一度彼女に会ってから死ぬ事にする。

正直この行動に意味はないし、時間の無駄にも程がある。

けれど僕は自殺という人生最後の決断を無駄にはしたくない。



まずは、そうだな。

 僕の昔話からしよう。

あの日は確か小学校に提出物を忘れて、一人で取りに戻っていた時の話だ。

夏が終わったというのに蝉が忙しく泣いていた。すでに日は暮れて、廊下の端に立つと突き当たりが見えないほど暗かった。一人で歩く廊下は足音だけが響き、より一層静寂を際立る。

ようやく教室の前についた僕は、職員室で借りた鍵を使ってドアを開け、すぐさまドアの横にある電気のスイッチに手を掛けて教室の電気をつけた。

教室の蛍光灯は思いのほか眩しくて、少し目が眩んだ。

すぐに窓際の自分の机まで走り机の中を漁ると、くしゃくしゃになったプリントが机の奥底から出てきた。

机の上で皺を伸ばしてから手に持っていたファイルに入れ、僕は教室を後にした。

僕は教室の鍵を閉めて、何かに追われている様に走って職員室の前まで行った。

職員室に着いた僕は、ドアの前で呼吸を落ち着かせて、ドアをノックした。

「失礼します」と僕は律儀に頭を下げた。

「あ、××君。プリントはありましたか?」

優しい声で僕に喋りかける女性は、僕の担任の土河先生だ。新任の先生なのに、とても落ち着きのある穏やかな先生だったのを今でも覚えている。

「はい。ありました」と僕は先生に鍵を渡した。

「そうですか、良かったです。次からは気をつけてくださいね」

 先生は僕のおでこを軽くデコピンして、口元を隠しながら笑った。

「もう、外は暗いですけど、帰り道は大丈夫ですか? 心配なら送りますよ」

「大丈夫です。一人で帰れます」

「ふふ、頼もしいですね」と先生は僕の頭を撫でた。

「それじゃあ、知らない人は着いて行っては駄目ですよ。真っ直ぐ家に帰って下さいね」

「はい。分かりました」

「では、さようなら」と先生は頭を下げる。

「さようなら」

 僕も一緒に頭を下げて、職員室を後にした。

昇降口に降りていき、いざ外に出てみると、いつの間にか雨が降っていた。

雨が降る予報ではなかったのか、と僕は首を傾げ、同時に傘が無いことに気づいた。

走って帰ろうにも、取りにもどった宿題を濡らすわけにもいかない。

僕は何処かに置き傘がないか、下駄箱の周りをグルグルと周り始めた。

すると、使われていない下駄箱一つ、少し古びだ赤い傘が立てかけられていたのを見つけた。

念のため周りを見渡し、声を掛けてみたが、誰かいる様子はない。

僕はその傘を手に取り、その場で広げてみることにした。

何年もそこに置いてあった様に埃を被っていたが、使えない状態ではなかった。僕は再度周りを確認して、その傘を手に持ち、そそくさと学校を後にした。

時間が経つにつれて雨は一層強くなり、傘に雨が跳ねる音は重く、鈍くなっていった。

水溜りを蹴飛ばしながら、歩いていると遠くの方に黒い靄の様な物を見つけた。

よく目を凝らしても何かは分からない。僕は好奇心からその霧に近づいた。

でも、実際あらかた予想はついていた。

あれはきっと幽霊だ。

というのも、僕は子どもの時まで幽霊を見る事が出来た。

僕にとって幽霊を見る事は、日常でさえあった。だから、いつもならわざわざ近づいて行ったりはしない。それが普通ではなかったから、僕は気になってしまった。

通常、僕が見る幽霊は全て白い靄で覆われていた。そして、大体の幽霊はただそこにいるだけで、何の害はない。この時の僕の幽霊に対する認識は、生きている人間となんら変わりがなくて、怖いという認識はしていなかった。

黒い霧との距離を詰めていくにつれて、その幽霊の形があらわになっていく。

案の定幽霊だったそれは、小さく呻き声をあげながら、体から黒い泥の様な物を溢していた。

初めて見るそれに関わってはいけない事は一目でわかった。

僕は逃げようと足に力を入れたが、その前に黒い幽霊と目があった。すると黒い幽霊は、人間ではありえない角度まで口角が上げて笑った。

 途端に僕の体は動かなくなった。足を動かすことは愚か、黒い幽霊から視線を外す事も出来なくて、まるで自分の体の中に誰がいるような感覚だった。

必死に抗がい続けたが、何か明るい、でかい物体が急接近してきたのを視界の端で捉えた。でも、それに気づくにはもう遅くて、尚且つこの動かない体ではどうしようもなかった。

声すらも出せない僕は涙と共にゆっくりと目を閉じ、死を覚悟した。 

だが突然、僕の後ろ襟が何者かに掴まれ、勢いよく引っ張られた。

僕はその勢いで尻餅をついた。それと同時にとてつもない爆発音が辺りに鳴り響いた。

「大丈夫!」と聞き覚えのある声が僕の鼓膜を揺らす。

 ゆっくりと目を開けると目の前には、僕の手を取った土河先生がそこにはいた。

でも、僕は先生の後ろに広がっている光景にしか目がいかなかった。

住宅にトラックが突っ込み辺りを破壊し、周りの家を巻き込んで火が燃え盛っている。

先生は僕に必死に喋りかけていたが、何を言っているのかは頭に入ってこなかった。

何故なら、僕の目の前にはあいつがいた。

僕は必死に意識を逸らそうとした。それでも、黒い幽霊が僕は覗き込む形で、顔を近づけてきた。冷たい、苦しい、怖い、そんな負の感情だけが僕を取り巻く。

黒い幽霊はしばらく僕の顔を見つめてから、ボソボソと言葉らしき事を繰り返した。

「縺後↑縺ォ縺輔>、縺後↑縺ォ縺輔>、縺後↑縺

何を喋っているのか、まるで理解出来なかったが、恐ろしい事を言っている事は感じ取れた。

奴はしばらくその言葉を繰り返していると、突然ピタリと喋るのをやめた。そして後ろを振り返り、何か重いものを背負っているように一歩一歩重い足取りで歩いてく。

燃え盛る家の前まで行くと、突然ケタケタと声高々に笑い始めた。

それは怖いなんて生温い感情ではなく、今この場で死ぬ方がマシだと思わされるほどの圧迫感が僕を押しつぶしていた。

ここで僕の意識は途絶えた。



二月の朝。  

 僕は寒さで布団の中で身を縮めいなかがら、微睡んでいた。

 数分後にドアの開ける音が聞こえた。

「おはよう。朝だよ」と僕の体を左右に揺さぶる。

 僕は重い瞼を持ち上げて返事をする。

「おはよう、薺」

「うん、おはよう。もうご飯出来てるからね」

 彼女はにこりと笑ってから部屋を出て行く。

僕は大きく伸びをしてから、体を持ち上げて部屋を出た。

 ドアを開けるとリビングには味噌汁のいい匂いが漂っていて、彼女と一緒に席についた。

僕はこの時間が何よりも好きだった。

学生の頃は朝が憂鬱で仕方なかったけど、今では朝食が楽しみの一つになっている。

僕は他愛のない話をしながら、皿の上の魚を口に運び、幸せと共に噛み締めた。

「それでね、今日お姉ちゃん達とお出かけするから、帰ってくるの遅くなるね」

「ん、分かった」と僕は続ける。

「あ、ユリもいるのか?」

「うん、会うよ。それがどうかした?」

「いや、気になっただけ。最近会ってないなって」

本当にそれだけ、別に他意はない。

「最後に会ったのは半年前だっけ」と彼女が言う。

「そのぐらいかな・・・あ、三人でゲームセンターに行った時が最後じゃないか?」

「そうだ、そうだ。あの時は楽しかったな。知らない人に『仲良い家族ですね』って言われたよね」と彼女は笑う。

「うん、言われた」

 僕もつられて一緒に笑った。

 そうやって僕達は朝から何気ない会話で盛り上がる。

 同棲してた時を合わせると、僕達はもう四年も一緒にいる。それなのに毎日、会話の内容が途絶えないのは本当に不思議に思う。

 食事を終え、僕はいつものように身支度をして玄関の前に立った。するもいつものように、薺が見送りをするために僕の元へ小走でやってくる。

「よし! それじゃあ、今日もお仕事頑張ってね!」

「うん。行ってきます」

「いってらっしゃい」

僕は振り返ってドアノブに手をかけた。

だがその瞬間、背中に凄まじい悪寒が走った。

 すぐさま振り返えると、首を傾げる彼女の背後に黒い靄の様な物が現れたのを僕は見逃さなかった。

 僕は子どもの頃に身をもって体験している。

僕は首についてるペンダントを外して薺の手に握らした。

「今日はこれを肌見放さずっと持ってて。絶対に外さないでね」と僕は彼女を見つめる。

「う、うん」薺は少し戸惑ってから頷いた。

正直、今日は家から一歩も出てほしくなかった。けど、一人でいるよりかは幾分マシだし、。それにペンダントもある。

しばらくペンダントを見つめていた薺は顔を上げて、口を開いた。

「ねぇ、理由は・・・聞いちゃ駄目?」と彼女は少し寂しそうな顔で言った。

「うん。知らない方がいい」

 この類は見えていなくても知っているというだけで害になる。なるべく薺には危険な目にはあって欲しくなかったから、僕が霊を見えることは一度も話したことはなかった。

「わかった」と言って彼女は首にペンダントをつけて微笑んだ。

「ほら、会社遅れるよ。」

「うん、いってきます」

「いってらっしゃい」と彼女は手を振る。

 僕は玄関のドアを開けて家を出た。

 僕は入ってきた駅の出入り口と逆の出入り口から出て、すぐそこのケーキ屋でショートケーキ一個とモンブラン一個を買って家に向かった。

冷たい夜の中を僕はイヤホンで音楽を聴きき、軽く口ずさみながら歩いた。時折、頬を撫でる風が吹き、身震いをしてからマフラーに顔を埋めた。とても寒くて、早く家に帰りたいが、僕は冬のは好きだった。今日は澄んだ空気に加え、綺麗な月光が光り輝いていた。月と星を眺めながら二十分ほど歩いたところで家の前に着いた。

名残惜しさも感じつつ、鞄から鍵を取り出し玄関のドアを開けた。すると、部屋の中は真っ暗で、まだ薺は帰ってきてないようだった。

「ただいまー」

僕の声は壁に反射するだけで、返事は返ってない。家に上がりリビングや寝室、浴室を見て回ったがやっぱり薺は帰ってきていなかった。

今朝の黒い幽霊の事もあり、僕は少し胸騒ぎがした。ペンダントを念を押して渡したから大丈夫だと分かっていてもどうしても心配はしてしまう。僕はスマホを開き薺に電話を掛けようとしたその瞬間、家の固定電話の音が鳴り響いた

「あ、すいません。間違えました」

 すぐに電話は切られた。

そうだ、そんなわけない。僕の悪い癖だ。何事も悪い方向にばかり想像してしまう。  

僕はテレビのリモコンを手に取り、適当に番組を変えていった。三、四回チャンネルを変えたところで、緊急速報という単語に目が止まり無意識に手を止めた。

『午後七時頃、船橋にあるショッピングモールから火事がありました。火はおよそ二時間程で消し止められましたが、店は千三百平方メートル延焼し半焼しました。警察によりますとこの火事で重軽傷者五十名、死亡者一八名だということが分かっています。現在警察と消防が出火の原因を調べてます』

 ハキハキとした声でキャスターが言った。

いつもなら、思ってもないのに可哀想なんて考えて、数分後には忘れるだけのニュースだった。人間なんて自分と自分の周りのことしか考えていない。

けど、今の僕は心臓が通常より強く、そして早く動き呼吸の仕方さえ忘れていた。

 理由は一つだ。このショッピングモールは今日薺が行っている場所だった。僕は電話をかける一歩手前で止まっていたスマホの画面に目をやった。画面には、数件の電話がかかってきた後とボイスメッセージが一件。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。絶対に認めない、薺はまだ生きているはずだ。もう彼女に触れることができない世界なんてある訳がない。あってはならない。 

僕は家の鍵も閉めずに走り出しショッピングモールに向かった。さっき飲んでいた酒はいつの間にか完璧に抜けていて、薺に会うことしか頭になかった。

僕は走って、走って、ひたすらに走った。頭がぐらぐらする。息が続かないし気持ちが悪い。朦朧とする意識の中で小さな段差に左足を引っ掛け倒れ込んでしまった。

上手く受け身も取れず、肘を擦り剥き、破けてしまったズボンからは血が滲んでいた。疲れのせいで上手く足に力が入らなかったが、足に鞭を打って無理矢理体を起こし、袖で口元わを拭ってから僕はまた走り続けた。

ひたすら走り続けた結果、あと一回角を曲がれば目的地に着くとこまで到着した。だが、またしても手をついて倒れこんでしまった。口からは自然と唾液がこぼれ落ち、その唾液が地面に到達する頃には汗なのか唾液なのか分からないほどだった。

荒れ続ける呼吸の中で這いずりながらも前に進み、道の角を曲がり顔を上げた。

ガラスは粉々に割れて、壁は炎が焼けた後の黒い煤がそこら中につき、原型をも留めてないショッピングモールだったものがそこにはあった。

 僕は壁に手をつきながら立ち上がったその瞬間、見えない何が僕の頬を撫でて唇には柔らかい物が当たる感触を確かに感じた。僕は咄嗟に頬と口を押さえ、微かにあった温もりを逃さまいとするが、押さえる前からその温もりはすでに消えてしまっていた。僕は次に、その見えない感触を起こした何かを捕まえようと手を伸ばしたが、それは馬鹿みたいに空を切っただけだった。

頭がどんどん真っ白になっていった。

これは僕にしか分からないことだ。霊感が無くなったと言ってもゼロではない。不意に見えることは今でもある。そして、今の感触は見えずとも誰の物かわかりきっていた。唾液と汗に使っていた液体は涙に変わり、涙がこぼれ落ちるたびに、頭が真っ白になる感覚はスピードを増していった。

そう、あれは確かに薺のものだった。

ここから僕の記憶は途絶えた。 



※ ※ ※


寒い。

僕はソファで目を覚ます。

二日酔いが残る頭を支えながら体を起こし、机に置かれているビールの空き缶を腕で押しのけて、床に落とした。

払い除けて出来たスペースに僕は一冊のアルバムを置いた。

僕は丁寧に一ページ一ページをめくった。

この写真は全て僕が撮った物で、その殆どは綺麗な景色や街並みを眺める薺を遠くから写真に納めた構図だ。

数時間かけて全ての写真に目を通し、僕は数枚の写真をアルバムから取り出した。

どれも綺麗で儚くて、今では悲しい写真だった。

 その写真を小さなアルバムに移し替えて、僕は外に出る準備を始めた。

 僕はこれからこの写真の場所へ、死んだ薺に会いにいく。

こんな事人に話したら頭がおかしいと思われるだろう。

けれど、過去に幽霊を見る事が出来た僕には死んだ人間に会う事が可能だった。

ただしそれには条件が三つある。

 一つ目は、霊がこの世に存在し続ける時間には限りがある事。

その期間はぴったり四十九日間。

 僕は色んな幽霊を見てきたが、四十九日以上その場所に居続けた幽霊は一人もいなかった。

 だけどよくよく考えれば、なんて不思議な事はない。

 仮に未練が残っている者がこの世に残り続けるとしたら、きっとこの世は幽霊で溢れかえってしまうだろう。だから、四十九日という制限付きで、死んだ人間は幽霊になる。

 二つ目は、幽霊は全て地縛霊になるという事。

 死んだ人間は今まで生きてきた中で最も思入れのある場所に現れる。

 これに関し、理由はわからないが、今まで俗にいう背後霊だとか、浮遊霊だとかは一度も見たことがなかった。つまり、まだこの世界に薺がいるという事だ。

 最後は僕はこのままでは幽霊が見えないという事。

 一つだけ方法があるが、まぐれでその方法を見つけだけで、自分の意思でやろうとしたことはなかった。

僕はこの三つの条件の下に、薺を見つけにいく。

そして四十九日が過ぎたら僕はきっと自殺するだろう。

でも、それでも良いんだ。

薺がいない世界で生きる価値なんて存在しなのだから。

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駄作 牡丹 @akayaki

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