いのちと小説

添野いのち

いのちの先へ

 2020年3月13日。僕が始めて、近況ノートに「文章」を公開した日。この日、〈添野いのち〉は生まれた。

 あれから1年。趣味で書き続けている小説を読んでくれる人が増えてきた。もちろんカクヨムの中では微々たる人数。それでも僕の拙作を読み、感想を残していってくれる。これほどまでに嬉しいことはない。本題に入る前に、僕の作品を読んでくださっている読者様全員にお礼を申し上げます。いつもありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。


 さて、本題に入りましょう。

 ここ最近、小説を書きながらこう考えることがある。僕が小説を書き続けた先に、何があるのかと。〈添野いのち〉としてのゴール地点は、いったいどこにあるのかと。

 僕は小説を書くことを生業としているわけではない。あくまでも趣味として書いているだけである。そんな僕は、一体何を目標に小説を書いているのだろうか。

 好物の紅茶を飲みながらゆっくり考えた。今日はアールグレイ。紅茶を飲んでいると頭の中が整理され、今まで気づけなかったことを見つけられる(気がする)のだ。

 紅茶をゆっくりと口に含み、目を閉じた。酸っぱさの中に、わずかな苦味と甘みを感じる。やっぱり、この味の深さが好きだ。こうして深夜に紅茶を嗜むのはやはりやめられない。好きなものは好きだから。

 その時、1つ気づいた。好きなら何でも良いのではないかと。小説を書くのが好きで1年間、執筆を続けてきた。だったらわからない目標、見えないゴールがどこにあるのかなどに囚われることなく、ただひたすらに小説を書き続ければ良いのではないか。小説を書いていく過程で、コンテスト入賞を目指すとか、面白い作品を研究すればなお面白いであろう。好きでやってるのだから、自分が面白いと思えることをやれば良い。そう思えた。

 趣味とはある種の自分磨きだと思う。仕事として同じことをやる人と比べると、どうしても内容は劣ってしまう。でもそれにめげず、自分なりに試行錯誤して好きなことをやり、大成させる。そしてその過程を大いに楽しむ。それでいて僕に何の不足も無い。むしろ、人生を紅茶の如く濃い味にするのには十分である。

 趣味に向き合う姿勢は人それぞれ違うだろう。僕が「小説を書く」という趣味に対する姿勢はあくまでもこう、というだけだ。別に適当にやって楽しむので十分な人もいれば、専門家のように1つ1つ細かく研究する人だっている。趣味との向き合い方は人それぞれで良いと思う。自分が楽しいと思える方法で、小説を書いていきたい。


 というわけで、僕、添野いのちはこれからも、どこにあるかわからないゴールへ向かいながらその道中を出来るだけ楽しむ、そんなスタイルで創作を続けていきます。自分が「これが〈添野いのち〉のゴール、終着点だ!」と感じるその瞬間まで、1秒1秒を楽しみながら走り続けていきます。道中がより楽しい旅になるよう、これからも応援をよろしくお願いします。


 2021年3月31日

 添野いのち

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