チョコレート的決定論 with ホムンクルス

永久凍土

Hasta la vista, Baby!

 ステンレスアルミ全面三層鋼両手鍋。

 内側ステンレス鋼、中間アルミニウム合金、外側ステンレス鋼のサンドイッチ構造。

 幅約三十三×高さ十七センチ、約六リットルの容量を誇るいわゆる寸胴。

 ステンレス特有の鈍い輝きを放つ両手鍋が、こぽこぽと煮え立つ軽い音を立てている。

 ワンルームマンション。一人暮らしのキッチンを満たすのは芳醇でリッチなカカオの香り。

 そう、沙良古奈美さら・こなみはチュコレートを大量に溶かしている真っ最中である。


「くくく、全ての準備は整った。愛しの甲斐留かいるくんは私のもの……」


 時はバレンタインデー、二月十四日の午前零時を目前に控える。

 カカオに含まれるテオプラミンのリラックス効果に促され、古奈美は至福の時を過ごしていた。

 膿茶色の液体、淡く湯気が立つそれをシリコン製のキッチンスプーンで丁寧にかき混ぜる。

 うっとりと彼女の視線は宙を泳いでいる。


 沙良古奈美は今年二年生に上がる女子大生。

 バイト仲間の男の子に恋したりする、どこにでも居る普通の女の子である。

 ほんの少しだけオカルトに造詣が深く、やや独占欲と妄想癖が強いことを除けば。


 彼女を特徴付ける、ぽってりとした厚い唇に薄く笑みが浮かぶ。


「林檎、ザクロ、イチジク、トリュフ、甘草、カズラ、カキ、ニンニク、オットセイのペニス、ヒツジの睾丸、蜂蜜酒、朝鮮人参、マンドラゴラ。そして私の秘密のエキス………」


 うわ言のようにそう口にすると、次に冷蔵庫から琥珀色の液体が入ったシャーレを取り出した。


「遂にこの究極の惚れ薬を使う時が来た。これさえあれば、彼の全てが私の思いのまま……」


 古奈美は琥珀のそれを小匙一杯分ほど掬い取って寸胴に投入。撹拌のため更にスプーンでかき混ぜる。

 とろりと艶やかな液面を晒す、たっぷりとした量のチョコレート。

 ほんの一瞬だけ、つんと強い刺激臭が鼻に付く。


「うーむ、でもちょっと作り過ぎたかな……。まあいいわ。プランB、序列二位の礼央くん、三位の小峯くんの分も用意しなくちゃいけないしね」


 さて、と寸胴に蓋をするとそれに背を向け、今度はチョコレート型の準備に取り掛かる。

 壁掛けの時計が日付が変わる刻限を告げた。


「うふふ、明日のこの時間、私は一体どうなっているのだろう? ああ、きっとこの惚れ薬は効果抜群。甲斐留くんの逞しい腕で抱き締められ、荒々しく唇を奪われる私。二人は夜のネオン街に紛れ、そしてそして、お洒落なシティホテルの一室へ。窓から漏れる街の灯りに照らされながら、獣のようになった私達は貪るようにあんなことやこんなことを……」


『…… ぶふっ』


 ——— だ、誰?……


 聞こえたのは古奈美の背後すぐ。

 こ、こここ…… と続いて蓋が動くような音。

 訝しんだ古奈美が後ろを振り向くと、閉めたはずの寸胴が蓋だけ僅か右にズレている。

 息を呑む。聞こえるのは壁時計が静かに時を刻む音。

 しばし沈黙の後、かたかたと再び蓋が音を立てて震え出す。

 遂には耳障りな音を立て、勢いよく床に転げ落ちた。

 

「ええっ……?」


 古奈美は転がった蓋を拾い上げると、おもむろに寸胴の中を覗き込む。

 すると、ぬるりと寸胴の中から「何か」が現れた。

 溶けたチョコレートと湯気に塗れる、太い棒状のそれ。


 びちゃり。


 その何かは棒の先端を更に分裂させ、細まった四本の棒状を寸胴の縁に掛ける。

 まるで、小さな子どもの指だ。

 凍てつくような恐怖が古奈美の背筋を一直線に貫いた。


「いやああああああああああああああっ!」


 驚愕の声を上げ、思わず寸胴に蓋をする。


 ぶじゅ。


『い、痛えっ、なっ、なにさらすんじゃコラァっ!』


 ——— は?


『おいおい勘弁してや。千切れてしもたやないか、ワイの指が』


 びりびりとステンレスアルミ鋼の寸胴側面を震わせ、何かは言葉を呟き始める。

 くぐもった声質は幼く、男児か女児か分からない。


「な…… え、ええ? な、なに、なんで?」


 古奈美は恐る恐る手を伸ばして蓋を開けると、濃茶の液面から今度は頭部らしきものが迫り上がる様子が見える。

 一見チョコレートに塗れた子どものようなそれ—— 艶やかな糸を引き、その何かは口らしきものを開いた。


『わっちゃー、親指以外エンコ詰めとか、マジ洒落ならんでしかし』

「えええっ、意味が分からないっ、なんで関西弁? というか、何者!?」


 ようやく冷静さを取り戻した古奈美は、至極当然の疑問を口にする。

 よいしょ、とばかりにチョコレート液面から上半身を起こした何か。

 寸胴の縁に両肘を掛け、ふうと一息を吐く。

 甘いカカオ臭が一層強まる中、誇らしげにその言葉を発した。


『ワイか? ホムンクルスや。君の妙な薬で錬成されたんや。ま、よろしゅう』

「ほ、ほ、ほ、ホムンクルス…… ってしかし(早速うつった)」


 古奈美は動揺を隠せない。一体何が起こっているのか。

 自ら生成した惚れ薬とチョコレートが引き起こした何らかの偶発的科学作用に違いない。

 だが、それ以上は全く見当もつかない。

 今、超常の存在が(チョコレートだが)目の前に居るのだ。


『ああ、君らこの世界の常識で言うたら「偶然」やけど、あらゆる出来事は先行する出来事のみによって決定されるから、偶然ではないで』


 ——— な、なに言ってんのコイツ……




***




『そやねんワイ、ホムンクルスやから何でも知ってるで。インテリジェントデザイン説って聞いたことあるやろ?』


 まるで湯船のように寸胴から身を乗り出すホムンクルス。


「ええっと確か、自然界に存在する全ての事象は機械的・非人称的な自然的要因だけでは説明はできないから、何者かによる構想・意図・目的といった意思の介在を科学的に認めようって、九十年代のアメリカで興った運動のこと?」


 古奈美はすっかり小さな来訪者に慣れていた。

 余分なチョコが落ちて僅かに痩せたが、ねっとりと光る幼児体形のそれは全身チョコレート製の言わばお人形フィギュアである。

 見た目のユニークさもさることながら、何よりも態度が馴れ馴れしい。


『へえ、詳しいな。その何者かは実在するねん。君らやこの世界、いや宇宙の精妙なシステムそのものを造った大いなる存在ビッグボスの端末やでワイは。要するにな』

「ウソ、そんなの科学的根拠が無いし、与太話じゃないの?」


 厚い唇のおかげでヘの字に結ぶ口が目立たない古奈美。


『そらそうやろ、ビッグボスは距離や時間も超越した高次存在やからな。君らには絶対に観測不可能や。例えば二次元世界に知性が存在するとして、タテとヨコしか物差しが無いのに三次元世界の君らを観測できるかっつったら無理。それと同じや』

「ええ……」


 在ろう事か、ホムンクルスは両手指を組んで前方に伸ばし、腕のストレッチを始める。

 まるで我が家と言わんばかりのくつろぎ具合である。

 蓋に挟まれて切り離された指は、いつの間にか再生していた。


『この世界に存在する全ての素粒子の振る舞いを把握しとるから、この先に起こる出来事も全て知ってる。先も言ったけど、現在は過去に起こった素粒子の運動の結果やからね』

「それって要するに決定論でしょ? 素粒子の位置と運動は同時観測が不可能だから否定されてるはず。未来は状態関数の収束確率に依存するって……」


 あたかも反論を待っていたかのように、即座にホムンクルスは応える。


『せやから、この世界の住人にはどう足掻いても無理ってだけの話や。素粒子そのものを用意して動かしとるビッグボスに関係あらへん』


 古奈美はそう広くないワンルームのキッチンで腕組みをし、しばらく考え込んだ後。


「じゃあ、私と甲斐留くんの未来も知ってるって言うの?」

『おうよ。君ら二人はそのチョコが切っ掛けで結ばれるんやで』

「えっ、それ、本当にホントなのっ!?」


 古奈美の顔にパッと明かりが灯る。

 だが、ホムンクルスは不敵な笑みを浮かべる(ように見える)。


『ただな、未来に狂ったAIが現れて人類を滅亡まで追い込むねん。で、そいつを打ち倒す人類のリーダーに成るのが君らの子どもや。でもって、AIは現在の君を抹殺するために殺人ロボットを送り込んでくるねん』

「ぜ、絶対ウソっ、滅茶苦茶、荒唐無稽! でも、どっかで聞いたような……」


 古奈美は深夜を忘れて驚き、地団駄を踏む。

 だが、ホムンクルスはお構い無しに淡々と言葉を続ける。


『ちなみに君が甲斐留くんを諦めたとして、二位の礼央くんとも上手いこと行くんやけど……』

「まさか新婚旅行で乗った豪華客船が沈没する、とか言うんじゃないでしょうね?」


 ホムンクルスは両腕を左右に大きく広げる。その姿はまるで風を切って飛翔するかのよう。

 古奈美の脳裏に一瞬、在りし日のセリーヌ・ディオンの歌声が流れた。


『いや旅行先で、グルニオンとトビウオを掛け合わせた米軍の生物兵器に襲われる』

「それって殺人魚フライングキラーじゃないっ!」

『三位の小峯くんは二度目の殺人ロボット襲撃に巻き込まれて死ぬ』

「キャメロン縛りやめろ」


 ふっ、と嘆息したホムンクルス、遠い目をする(ように見える)。


『五十年前やったかなぁ、前にワイがカナダで錬成された時にな、ちょうど出会った若かりし頃のキャメロン少年にプロットを吹き込んだんや……』

「どうしてそこだけ宇宙人ポールなの……」


 げんなりする古奈美。

 にわかに信じがたい衝撃的未来であるが、今目の前に居るホムンクルスも現実である。

 だが、ある疑問に突き当たった。


「ちょっと待って。未来から殺人ロボットってタイムパラドックスはどうなるの?」


 タイムパラドックス/時間の逆説とは、タイムトラベルに伴って生じる矛盾や変化のこと。タイムトラベルした過去で現代、つまり相対的未来に存在する事象を改変した場合、その事象における過去と現代の存在や状況、因果関係の不一致という逆説が生じることに着目した概念である。


『未来を知ってるっつっても、確定しとるワケやない。線路は敷かれてあるけど、まだ列車は通過してないだけ、みたいな』


『確かにビッグボスはこの世界を造ったけど、一度走らせたら直に触れることはできんのや。手を入れるとなると、この世界の物理法則に従わざるを得んからね』


 ホムンクルスは左手の人差し指と親指で輪を作り、右手の人差し指を出し入れする。

 一部のおじさんがする「ある暗喩」と同じ、下卑たハンドサイン。

 にちゃり、と口角を吊り上げた(ように見える)。


『そこで線路の方を改変して、未来に出現予定の物や事象を任意の時間に突っ込むねん。それが殺人ロボットやワイやったりするんや。確定してない未来から現れたからパラドックスは起きん』


 続く古奈美は当然の混乱と激昂。


「な、な、な、なんでビッグボスはそんな余計なことするのよっ!」

『君らかて、例えば実験で培養した細菌がコロニーを作り始めたら、意地悪してちょちょっと弄ったりするやろ? それと同じ、ただの気まぐれ』

「ひ、酷い、そんなぁ……」


 古奈美はがっくりと肩を落とす。

 すると、玄関口のインターフォンが鳴った。


 \ピンポーンッ/


「えっ、こんな時間に? 誰?」


 早くも午前一時を回っている。

 この世界の常識に沿えば、他人宅に訪問する時刻ではない。


『ああ、お喋りしてる間にお出ましのようやね』

「えっ、お出ましって、もしかして……」


 再び鳴らされるインターフォン。

 今日に限って、不穏な響きがワンルームの部屋中の空気に満ちる。


『そう、例の殺人ロボットや。レーザー照準器付きAMTハードボーラー持っとるで』

「えええっ、どっ、どうするのよっ、どうしたらいいの!?」


 ざわざわとした胸騒ぎに顔を青くする古奈美。

 執拗に鳴らされ続けるインターフォン。

 最中、ホムンクルスはずっと低い声色で、ぞろりとその言葉を口にした。


『君らにはええ言葉があるやん。これは運命ニューフェイトや』

「ひえええええええええっ! って言うか、あ、あなたは一体、何の為に現れたのよ!」

『ようやくそれを気にするんか、君……』


 そうホムンクルスが口にした瞬間、大きな打撃音と共に玄関ドアの鍵が吹き飛んだ。

 続いて鍵跡の穴から生え出た腕が、玄関ドアを一気に外へ引き剥がす。

 がしゃんっと玄関ドアが廊下に激しく倒される音。

 黒いレザージャケットにサングラス。現れたのは凡そ二メートル近い屈強な大男。

 両の手には鈍い光を放つ二丁の拳銃、AMTハードボーラー。

 古奈美の額にポッと二つの赤い光点が浮かび上がる。

 レーザー照準器のレッドポインタだ。

 大男はゆっくりと固く結んでいた口を開く。

 発せられたのはラジオボイスのように嗄れた機械音声。


「オ前ハ、沙良古奈美、カ?」


「いやああああああああああああああっっ!」


 何度目かの悲鳴が上がったその時、今度は背後からガラスが割れる音。

 バルコニーに通じる大窓からもう一人、何者かが侵入した。


「古奈美、耳を塞いで伏せろっ!」


 古奈美は聞き覚えがある声に従い、咄嗟に床に伏せる。

 もう一人の何者かは銃床を切り詰めたショットガン、イサカM37を発砲する。

 合計五発の轟音に次ぐ轟音。

 至近距離の散弾は全て大男を捉え、廊下の向かい壁まで吹き飛ばした。

 むせるほどの硝煙、そして大男の動きはぴたりと停止する。


「え? え? か、甲斐留く……」


 古奈美は身体を起こし、背後の男に声を掛ける。

 窓から侵入した何者—— 甲斐留は古奈美の問いを遮るように応えた。


「いいからっ、逃げるぞ!」

「えっ、えっ、だ、だってこれ……」


 甲斐留は半ば強引に古奈美の手を取り、急いで玄関ドアから連れ出した。


「か、甲斐留くん! ねえっ、待って……」


 一瞬、部屋を出る古奈美は倒れた大男に視線を走らせる。

 無数の銃撃痕から出血は殆ど認められず、銀色の金属らしきものを覗かせている。

 例の殺人ロボットに間違いないだろう。

 マンション廊下を急ぎ足で駆ける二人は、やがて非常階段へと消えていった。


『やれやれ。事前にワイが教えなんだら今頃は蜂の巣やで。意外とアホの子やしな』


 独り寸胴に取り残されたホムンクルスは、チョコレート塗れの腕で頬杖を付く。

 その独白は、この世界に顕現した理由の告白でもあった。


 しばらくして、倒れた大男の瞳に禍々しい紅い光が灯る。

 甲高い高周波と微かなモーターの駆動音。

 再起動の合図だろう。


『ま、ここから先は大体ワイのプロット通り。潮時やな。ほな、Hasta la vista, Baby! 』


 ホムンクルスは呟き、徐々に寸胴の溶けたチョコレートに沈んでいった。

 最後になった右手にサムズアップを残して。




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