夫婦のゴール

野森ちえこ

二十一回目の離婚宣言

 受験のゴールが合格なら、入学のゴールは卒業だろう。

 練習のゴールは本番で、就活のゴールは就職。それなら就職のゴールは定年か。

 世の中には、じつにさまざまな『ゴール』がある。

 恋愛のゴールが結婚だとして。

 では、夫婦のゴールとは、いったいなんだろう。

 ぼんやりと、そんなことを考える。


『私たち、離婚しましょう』


 にっこりと、それはそれは素晴らしい笑顔の妻に離婚を切りだされたのは、ついきのうの話だ。


 ――たまの休みもずっと部屋にこもってプラモデルいじくって、充実したおうち時間? そうね。さぞかし充実していたでしょう。あなただけは。


 ――めずらしくサプライズ旅行をプレゼントしてくれたことがあったけれど、宿泊先がホラールームだなんて、なんの嫌がらせかと思ったわよ。私、ミステリーは好きだけど、ホラーはダメだってさんざんいってたのに。聞いちゃいなかったのよね。


 ――私が風邪をこじらせて入院したときだって、お見舞いにもぜんぜんきてくれなくて、看護師さんなんかは『お仕事が忙しいんですね』とかいってたけど、ある意味正解だったのかもしれないわね。

 それまでの経験上、私も直観してたわ。

 雑誌編集のなにがそんなに楽しいのか知らないけれど、私と読者と仲間たちなら、あなたは私より読者や仲間のほうをえらぶって。


 ――プライベートのあなたは、遊びも趣味もぜんぶソロプレイ。ねえ、私たち、夫婦でいる意味ないでしょう? だから私、本日をもって、あなたの妻を卒業することにしました。


 妻から離婚をつきつけられたのは、かれこれ二十回目だった。


 最初に離婚をいい渡されたのは、二十一年まえにして二十一回目の結婚記念日で、その年ぼくらはたしかに別れたのだ。


 仕事にかまけて、おおらかな妻に甘えて、家庭をほったらかしにしてきたぼくに、堪忍袋の緒を切らした彼女をつなぎとめるすべはなかった。


 だから、正確には妻はもう妻ではないのだけど。ぼくにとっては、妻はやっぱりいつまでも妻のままだった。


 *


 娘からぼくのスマホに連絡がはいったのは、三か月ほどまえのことだ。


『お母さんがお母さんでいられる時間、もうあまり残されてないみたい』


 別れてからのほうが、ぼくらの関係は良好になった。ときどきは妻と娘と食事にも出かけていた。

 戸籍上は夫婦じゃなくなったけれど、ぼくらはずっと家族だった。


 その妻が、認知症と診断されたという。

 ぼくは走った。妻のもとへ。

 そうして駆けつけたぼくに、妻は離婚をつきつけた。


 以来、彼女は二十一年まえのあの日をくり返している。

 彼女にとっても、それくらいおおきな出来事だったということだろうか。


 夫婦のゴールとはなんだろう。

 この三か月というもの、正解のない問いがずっとぼくの中を漂っている。


 別れても、妻がずっと妻であったように、ぼくも彼女にとって夫のままでいられたのだろうか。

 わからないけれど、ただひとつ、たしかなことがある。

 今、妻と過ごす、そのささやかな時間が、ぼくにとってなによりも大切で、尊いものであるということだ。


 だからぼくは、今日も彼女のもとへ向かっている。

 二十一回目の離婚宣言を受けとりに、妻に会いにゆくのだ。


     (了)


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夫婦のゴール 野森ちえこ @nono_chie

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