金色の魚 (2021 Remaster)

雨宮吾子

01

 父の葬式を終えて、私はぼんやりとした明かりを発するスマートフォンを手にしたまま、新鮮な空気を吸うために外へ出た。

 田舎の夜空は綺麗だといわれることがある。星々は人の生死と関係なく煌々と輝いていて、たしかに明かりの少ない田舎から見る夜空は綺麗だと思う。ただ、田舎の闇夜はどこまでも湿っていて、都会の闇夜がどこまでも明るく、そしてからりとしているのとは正反対だ。別にそれを悪いというのではないが、明らかに都会の側に属する私は、久しぶりに帰郷した田舎の空気に馴染めずにいる。電波さえ拾えればスマートフォン一つで充分な情報が手に入るし、そうでなくてもテレビを点ければ都会で流れるのと同じ番組を見ることもできる。様々な手段で得られる情報は実は大したものではなく、贅沢品の一種といえるのではないか。芸能人の誰々がどうとか、話題の新製品がどうとか、初公開された作品の予告がどうとか……。しかし、情報の波から一歩退いてみたところで、絶えず更新されていく情報を摂取したいという欲望は容易には抑え得なかった。

 軒下でぼんやりと最新のニュースを確認していたところへ、遠い親戚の男性が煙草を吸うために外へ出てきた。私は折悪しく電話がかかってきたふりをして、少し離れたところへ歩いていく。田舎の闇夜は湿っているといった。人工的な装いの都会と自然なありのままの姿を色濃く残している田舎とではまるで環境が違うから、それは当然のことといえる。しかし、それ以上に田舎に住まう人々には独特の情念があって、何か湿っぽい空気を作り出しているのではないだろうか。特に今回のような葬式の場に集まるのは高齢化した人たちが多く、都会ではなかなか聞くことのない話題で持ちきりになったりする。どこそこの家でも誰かが死んだがこういうことは立て続けに起こるものだとか、あの家では妙な宗教を信じているから気を付けた方が良いとか、地元の名士を寸評してその直線上に国政を批判対象として置く、といった具合に。私は彼らの知らない世界を知っているが、彼らもまた私の知らない世界を知っているのだった。

 人気のないところまで来て、私は電話をするふりを止めた。背中が妙に冷たく感じられるのは汗のせいだろうか、それとも嘘のせいだろうか。湿っぽいのは田舎の闇夜ばかりではない、私は何となくそう思った。




 闇夜が云々という話にしても、今度の葬式がなければ何も感じなかったはずのことだ。黒、黒、黒。どこまでいっても黒いものから逃れられないその儀式の只中にいれば、必然的に黒という色がもつイメージというものを考えさせられてしまう。同じ黒でもボールペンの生み出すかっちりとした黒と、どこか書き手の感情をより反映しているかのような墨の黒とでは、その感じ方はまるで違う。そんな当たり前のことを、私は読経を聞きながら延々と考えていた。そうした思考はやがて、この儀式の端緒となった父の死へと収斂していく。私は、父があまり好きではなかった。突き詰めていくと人間は他者を許容できないものだ、結局最後は一人で旅立たなければならない、などと考えたりしたが、それは私が自分自身を弁護するための理屈以上の何物でもなかった。

 私から見る父とは、孤独な存在だった。平日は黙々と勤め先に出かけ、夜遅くに家に帰ってきてからも一人で静かに食事をし、休日になれば寝転がってテレビを見るなどして家にいた。母や姉にしてみれば特に失点を与えるような人生の過ごし方はしていなかったかもしれない。しかし、同性である私にしてみれば、父は大いに反撥しなければならない反面教師だった。もし大人になって父と同じような生活をしていたなら、それは順当な人生の線路から外れてしまったことを意味する――そんなことを考えていた時期もあった。

 そうした反撥は最後まで変わらずに残り続けた。父が病に倒れてから亡くなるまでの間も、また故人となった父と二人きりになったときも、私は父を許すことができずにいた。

 そう、許せなかったのだ。

 私は父から愛情を受けたと感じたことがなかった。私も一端の大人として、不自由なく育て上げてくれた父を立派だと思わないわけではない。だが、あることが引っかかったまま、私は父を許せずにいるのだった。

 思考がそこまでいったところで、私は点灯させていたままのスマートフォンの画面を消し、ようやく世界との通信から逃れることができた。残ったものは特になく、暗闇を払う外灯の光も虚しい。ふと、先程から聞こえていた水の音に初めて意識が向いた。道路の脇を流れる水路の音だ。しゃがみこんで手を突っ込むと、意外な冷たさに驚かされる。子供の頃もそうやって水の中に手を突っ込んで、手がふやけるまで遊んでいたことを思い出した。音や感触の快さは、その水という物質が時に人の生命を奪い去っていくことを忘れさせる――幼かったあの頃も、そして大人になった今でさえも。

 私は今まで何を積み重ねてきたのだろう。たしかに父のような休日の過ごし方はしていないかもしれない。だが、所詮は独り身の気楽さ故だ。父が私を養い始めた年齢は既に通り過ぎてしまった。そうすると、私は父に比べて劣っているのだろうか? 原始から多くの息子が父親に対して抱いてきたであろう複雑な感情を、私はここでまた演じなければならないのか。

 いや、そうではないはずだ。私は父に違和感を覚えたきっかけの言葉を今でも覚えている。

「あっけないもんだな」

 そう、その一言だ。覚えているのはその言葉の色だけではない。あのときに見ていたもの、聞いていたもの、感じていたものの全てだ。

 私は、忘れられずにいるあのときの情景を、昔から変わらず流れ続けている水路の中から掴み上げるのだった。




 小学生だった私は、当然のことながら今よりもずっと無力な存在だった。お祭りの屋台で掬ってきた――正確には長時間の格闘の末にお情けで貰った――金魚を、私は一生懸命になって育てていた。それまでに金魚を育てた経験はなく、何をすれば金魚が長生きするかという知識もなく、頻繁に金魚鉢の水を替えたり餌をやったり、それから何をするでもなくじっと眺めていたりした。私がそこまで一生懸命になったのには理由があったのだが、とにかく、私は夏休みの間中、懸命に金魚の世話をしていた。

 貰ってきた三匹の金魚のうち、最初に一番大きいのが死んだ。そのときは仕方ないと思った。まだ二匹残っているのだから、と。

 しかし、それから三日もしないうちに残りの金魚も死んでしまった。私の初めての冒険は、あっさりと終わってしまったのだった。

「お父さん、金魚、死んじゃった」

 私が家族のうちで初めてそう伝えたのは、父に対してだった。母も姉も、私に金魚を育てることはできないと見くびっていたから、どうしても二人には言いたくなかったのだ。

 昼寝をしていた父を起こして、私は庭に小さなお墓を作ってもらった。金魚の件に関していえば、私は最初から最後まで他人の力を借りっぱなしだった。

 父があの言葉を口にしたのは、そのときだった。

「祭りの屋台でとってきた金魚はすぐにくたばってしまう。あっけないもんだな」

 普段は無駄口を叩かない父が、何気なく呟いた一言だった。私は、横から父の瞳の黒を見つめた。どんよりとしていて、何が含まれているのか分からない色をしていた。

 私はそこにどんな感情があるのか、ずっと後になるまで考えてみることをしなかった。ただ、小さな生命への侮辱のようなものを見た。それが感情のフィルター越しに見たものであると自覚するのに時間はかかったが、しかし、実際に侮辱の色が全くなかったかと問われると、何ともいえないというのが正直なところだ。

 結局、その言葉が全てを裏切ってしまったのだった。




 田舎から帰ってきた私は、水槽の中から適当に金魚を掬って、陶器の大鉢に移し替えた。地元の名産の焼き物で、訳あり品を安く購入することができたのだった。

 カーテンを開けて朝の早い時間の光を誘い込む。ちょうど卓の上に光が差し込んで、黒くゴツゴツとした陶器の中に泳ぐ二匹の蘭鋳らんちゅうが照らし出された。黒い大鉢を選んだのは、葬式帰りだったせいもあるのかもしれないが、そこに白と赤の蘭鋳を泳がせてみたならどうなるだろうと思いついたためでもあった。ふと思い立ってドビュッシーの音楽を流してみる。「金色の魚」と題されたその作品は、たしか金魚ではなくて錦鯉のことを指していると記憶していて、でっぷりとした蘭鋳の泳ぐ様からはちょっとかけ離れているようにも聞こえた。それが却って面白くもあって、終いにはフニクリ・フニクラ、と全く別の曲を呟いてみたりしている。どちらかといえばこちらの方が、でっぷりとした蘭鋳には似合っているかもしれない。

 光の底にいる二匹の蘭鋳は、見た目に反して実に力強く泳ぐ。その身を捩るごとに前へ進むとき、光の粉を散らしているようでもある。二匹は口をパクパクさせながら大鉢の中を泳いでいるが、水面から口を突き出したりはしない。あちらへ行ったかと思えばこちらへ行き、何か見えざる目標を目指しているようにも見える。大鉢の黒が光によって多少淡く感じさせられ、その中を泳ぐ二匹の白と赤とはその反対に強調されている。光を誘い込んだのは正解だと思った。

「あっけない、か」

 愛しの金魚たちを愛でながら、いつしかあの言葉を思い返していた。あのとき、父は何を考えていたのだろう。無力なる金魚たちの死を、どう受け止めたのだろう。

 それはある種暴力的な言葉ではあるが、しかしあのときの父が持ち得た唯一の表現なのではなかったか。本質にあるものは、人や動物の営みへの虚しい想いではなかったか。父がスコップで地面を掘る姿が思い出される。父はお世辞にも器用な人とはいえず、あの日、金魚を葬るために掘ってくれた穴も、どこか不格好だった。父は不器用な人だったから、つい不格好な言葉が飛び出したのかもしれない。

 しかし、不器用や不格好といった表現で済まされるものだろうか。私には一切が分からなくなってしまった。

 私が歳を重ねて大きな金魚を育てることができるようになったのは、一つにはあの夏に埋葬した三匹の金魚への罪滅ぼしという意識があったためでもある。ただ、負けず嫌いな気持ちや探究心の方が勝った。また、己よりも小さな生命を育てることで、何か大きなモノになったような気分を味わっていないといえば嘘になる。私は私なりのわがままで生きているのだった。

 黒い儀式の果てに見た父親の白い骨は、父親の生の証として祀られるだろう。だが、あの夏の三匹の金魚たちはといえば……。

 カーテンを閉めて、大鉢に移し替えた二匹の蘭鋳をそっと元の水槽に戻してやった。水槽にいた蘭鋳たちは、仲間の帰還を祝うでもなく、ただ当たり前のように身を捩らせながら水中を泳いでいる。

 私は自分のことを、この夏に亡くなった父親の生の証の一つとは思えない。だが、あの夏に埋葬した三匹の金魚を、私は一つの糧として生きていきたいと思っている。そうして絡み合う二つの死の間で、私は、私ではない何者かになっていくのだろう。

 一日が始まっていく時間の中で、私は汗を洗い流したいと思った。脱衣所で服を脱いで裸になったとき、洗面台の鏡に映る自分の姿を見て、私は初めて自分と向き合ったような気がした。

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金色の魚 (2021 Remaster) 雨宮吾子 @Ako-Amamiya

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