変則的ゴール

和泉

第1話 

「あっ、あのっ、次の大会で一番とったら付き合ってくれますか?」


 校舎裏、俺の口から出たのは昨日一生懸命考えた文句だった。照れ隠しで目は合わせられないけど、精一杯俺の気持ちを伝えた。

 

 すると目の前で俺の告白を聞いていた女子は、腕を抱いて、目を逸らし、頬を赤く染めて、少し震える声で言う。


「い、いいわよ……」


 その表情が愛おしくて絶対に一位を取るぞという気持ちに火がついた。たとえ終わりは悲しいものになると分かっていても。








 告白した相手は同級生で陸上部のマネージャーの女子。クラス内で見る彼女はクールでツンツンしている事が多いけれど、短距離の選手だった俺はタイムを測って貰ったり、タオルや水筒を渡してもらったりした。相変わらずツンツンしてたけど、時折見せる優しさや、陸上をサポートする事に対する真剣な思いに触れて彼女の事が気になり出したんだ。

 それから俺の目はいつの間にか自然と彼女のことを追いかけるようになっていて、クラス内で友達と話す時にたまに見せる笑顔や、授業中だけ眼鏡をかけ真剣にノートを書いていることも、食べる事が好きなのか昼食は頬をいっぱいに膨らませて食べていることも、意外と綺麗好きで消しかすを執拗に気にしていることも、何故か目が合うと慌てて逸らしてしまうことも、俺の中では彼女を好きな要素の一つに成っていった。


 そんな彼女の名前は清水恵梨香しみずえりか。そして俺は春の大会シーズンに入る直前、彼女に告白した。


「それにしても、告白とはよく言ったなぁ、奥手だと思ってたけど意外とやるじゃねぇか。それもなんだっけ? 『一位取ったら付き合ってください』だっけ? その為に猛練習してるって聞いたぞ」


 ニヤニヤしながら俺の周りをくるくると歩き回るこいつは親友の阿部あべだ。


「っせぇな。べ、別にいいだろ、それしか思いつかなかったんだよ」


 俺はあの日を思い出し恥ずかしさが込み上げてきて阿部に強く当たる。でも阿部はそんなの気にしないようで飄々と俺を煽り続ける。


「漫画かっつーの。今時そんな文句で告白するやついねーぞ?」

「そりゃ、告白なんかしたことねーし分かるわけねーだろ」


 実際告白の方法が分からなかった俺は聞いたことのあるセリフでどうにかアタックするしかなかったのだ。でも俺にも一応考えがあるんだ。ほら、清水さんは女子マネなわけだから、モチベを上げることも役割だから断りづらいとかさ、そもそも俺に告白する勇気がないから一旦話を聞いてくれるかどうかで脈アリか否かを判断するとか……うん、我ながら姑息だ。


「で、でも俺はこうするしかなかったんだ!!」

「おお、おう。どうしたどうした」

「いや、俺も急に告白するとなると心の準備が出来なくってさ……」

「ああ、それ、聞きたかったんだけどなんで急に告白したんだよ」

「…………ああ、それな、ちょっと耳貸せるか?」


 俺は今までのコメディ調の口調から一段階冷えた真面目な顔で阿部に話しかける。


「ん? まあいいけど……」


 阿部は俺の変化に戸惑いながらも顔を近づけてくる。放課後の教室、誰も残っていなかったけれど俺は声をひそめた。


「清水さん、春の大会終わる頃にさ、転校するかもって噂があんだよ」

「え、まじか……」


 つい最近出回ってきた噂。まだ一部の人しか知らないみたいだけど。俺は陸上部にいたから情報が回るのが早かったんだと思う。


「それ、ほんとなのか?」

「まあ実際聞いたことはないけど……十中八九はね」

「それってじゃあもし告白が成功しても……」


 阿部はそう言って言葉を止めた。俺を気遣ってくれたんだろうか。でももう割り切った。涙はもう枯れた。転校、諦めるには十分すぎる理由だ。


「まあだから最後に俺の気持ちだけ伝えたかったんだ。そこで付き合って欲しいって言っちまったのは俺の弱いところだな……」


 本当に弱かったな。そう思って俺は自虐的に笑ってみせた。でも口から溢れるのは乾いた笑いだけだ。阿部は何を言えばいいか分からないというように困り眉になって黙った。でもそんな空気を壊したくて俺は椅子から「ほっ」と立ち上がると努めて明るい声を出す。


「じゃあ今日も俺は一位目指して走るぜー!! じゃあな!!」


 鞄を引ったくるように取ると走って教室を飛び出した。走るのは気持ちいい。走っている間はどんな事も考えなくていい。風になっていられる。だから俺は足を決して止めずに動かし続けた。


 来る大会の日を待ち望んで、俺は必死で練習に打ち込んだ。これほど何かに本気で取り組んだことはない。足はパンパン、吐く息は途切れ途切れになっても絶対にやめなかった。


 そして迎えた大会当日――。






 ――とはならなかった。















「本日で感染者は500人を超えました。えー、外出時にはマスクの着用を――」


 昼のニュースが俺の耳から入っては通りすぎていく。食べているはずのパンは味がしない。でもそれは噂されている味覚障害ではないとハッキリ分かった。そう、それはきっと、昨日告げられた事のせい。


 新型ウイルスが到来、猛威を振るい始めた日本では緊急事態宣言発令による外出自粛が始まった。それに伴い、部活はなくなり、俺の目標だった春の大会も無くなった。いや、それだけならまだなんとか耐えられていた気がする。けれど、昨日告げられたのは学校の休校。それはつまり清水さんとの急すぎるお別れを意味していた。


 俺は特別な平日休みを無気力に過ごしていた。起きてから体に力が入らない。頭がぼうっとして、もうどうでもいいやという気持ちが俺を支配していた。頑張ったのに、とか、ふざけんな、とか、こんな別れは嫌だ、とか、そんな思いは昨日の夜全て流した。枯れたと思っていた涙は本当に枯れてしまったみたいだ。

 転校は諦めるには十分の理由。なんて可愛い虚勢だろう。本当に諦めきれない時を知ってから言えよ。


 俺は一日をダラダラと過ごした。外を眺めたり、映画を見たり、昼寝したりしたが、決して心が満たされる事はなかった。そういえば、清水さんが転校するのは本当らしい。昨日、本人に聞いた。でもそれ以上話せばきっとカッコ悪いところを見せてしまうから、俺は逃げるように別れを告げた。ああ、くそ、さっきから阿部からのラインがうるさいな。俺を心配してか、何か知らないけど。俺は通知のたびに震えるスマホを止めるべく、阿部のラインを通知オフにしようと、スマホに手を伸ばした。するとその時、またスマホが震えた。


 新着一件。清水さんからだ。


 俺は吸い寄せられるように画面に触れて清水さんとの個人チャットを開く。そこには。


『今、電話してもいい?』


 俺は急いでスマホを操作し返事を返す。


『いいよ』


 すると程なくしてスマホが震え出した。俺は受話器のマークを押して通話を始める。


「もしもし……」

「も、もしもし。あのさ、私が転校するの知ってた?」


 清水さんの声は若干掠れている。


「うん、噂でなんとなくは」

「そ、その、なんで言わなかったのとか、お、怒ってない?」

「全然。それは清水さんが決める事だし」

「わ、私は、決意を邪魔したくなかった。だから言わなかったのよ。それを知って欲しくて……」


 驚いた。清水さんが自分の気持ちをこんなにストレートに吐露してくれるのは珍しい。それに俺のために転校を隠していてくれたのも嬉しい。さっきまでの惰性は何だったのかと言うぐらいに気分が回復した。


「ありがとう清水さん。けど、約束果たせなくてごめん」

「あ、あなたが謝る事じゃないわっ。仕方がなかった。……そんな言葉で済ませない程に悔しいけど……仕方がないのよ」


 そんな言った声は震えていて、感情を無理やり堪えているようだった。それが俺にはとても意外に思えた。


「……え、清水さんも悔しいの?」

「悔しいに決まってるじゃない! あなたが毎日ボロボロになるまで練習しているの知ってるのよ? そうよ、知ってるの。あなたが誰よりも熱心に走って、誰よりもタイムを気にして、誰よりも大会を見据えて、誰よりも速く走ってたこと知ってるからッ」


 通話越しの彼女の声は震えていた。


「悔しいに決まってるじゃない……」


 絞り出すように言われた最後の言葉。そんなこと言われたら――もう、なんだよ、俺のはもう枯れたはずなのに――嬉しいじゃないか。俺の頬をツーと涙が伝う。


「俺も清水さんがめちゃくちゃ応援してくれて、ずっと熱心にサポートしてくれてたの知ってるからッ!」


 気付けば俺はスマホに向かってそう叫んでいた。


「ありがとう……」

「うん、こちらこそありがとう……」


 そう言って俺は涙を拭う。すると清水さんも涙を拭いたのだろうか、向こうからも微かな衣擦れの音が聞こえた。でもそれもすぐにやみ、会話が再開される。


「あのさ、私、今日何の為に電話したかって言うと、ちょ、ちょっとあなたに話があったのよ」

「話……?」


 若干上擦った声でそう言った清水さんに俺は聞き返す。すると、何回か深呼吸が聞こえてきて、清水さんはふっと息を吸うと言った。


「わ、私、私は、し、清水恵梨香は、あなたの事がずっと好きでした!」

「……!!」


 そんな……し、信じられない。清水さんに告白されるなんて……。


「だ、だって俺は一位になってないんだよ?」

「そ、そんなの関係ないわよ! 私はあなたが一生懸命走ってるのをずっとカッコイイって思ってたのよ。でも私こう言う性格だから上手く伝えられなくて……で、でもとにかく私はあなたが好きなの」


 そんなに言い切られるとは……夢みたいだ。俺の中でぶわっと嬉しさと驚きが湧き出て溢れた。


「それに、別に一位取らなくても私から告白しちゃいけないってルールじゃなかったわよね? わ、分かったら早く返事聞かせなさいよ」


 清水さんは分かり切っている俺からの返事が聞きたいみたいだ。そんな可愛いところ見せられたら、俺も応えるしかない。


「ああ、ありがとう。俺もずっと前から好きだったよ」

「あぁーもぅー、知ってるわよバカっ!」


 そんな照れた反応に俺は笑った。その後はどんな所がカッコいいとか可愛いとか、ずっとなりたかった恋人になって話し込んだ。


 たとえ残された時間が僅かでも。たとえ目指したゴールが違っても。


 俺は今日という日が本当に幸せだった。

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