第十五話 希望
娘が収容されている少年院へ行く。
バス便で、駅からもかなり遠い。地図を見ながらとぼとぼと歩く。
どうせ何しに来た等、罵倒されるのだろう。私に魅力がないから父親に逃げられた、とか、何も能がない、とか、私のせいでこうなった、とか、罵詈雑言浴びせられるのだろう。
ああ行きたくない。
途中でコンビニに寄り、プリンを買う。
応対してくれた女性店員が、私の顔を凝視している。
何だろうと思いながら、店を後にする。
…あれ?ここは本当に少年院か?住所は合っているが…。
〇〇学園、と校舎にあり、どこかの小綺麗な女子校のように思える。
鉄条網もないし、従来の少年院のイメージではない。
不思議な気持ちで吸い寄せられるように入ると、よく手入れされた庭や花壇が目に付く。収容者が育てた花なのか?
受付で思わずこう聞いてしまった。
「ここ、本当に少年院ですか?」
そう言われ慣れているのか、出迎えてくれた女性が笑いながら頷く。
「そうです。山路祝子さんの面会ですね。こちらへどうぞ」
何となく、誰かに似た面立ちの人だと思った。
彼女に連れられ、奥へ進む。
収容者の食事を乗せたカートを押す、配膳係りの女性とすれ違い、一瞬目が合った。
…あれ…?
通された部屋で待っている。
面会とはガラス越しかと思っていたのでそれも意外だった。
なかなか現れない娘。会いたくない等ごねているのか?
しばらくしてドアが開き、入って来る祝子。
「いらっしゃい」
唐突に言われる。
少年院で、いらっしゃいもないだろうと思っていたら、私の正面にドスンと座り、何やらテキストを色々と広げ始める。まったく悪びれていない娘。唖然とする。
半袖を着た腕に、リストカットの跡が生々しく残っている。それもこれも何も、一切気にしていない様子の娘が得意げに言う。
「見て、見て。これが高卒認定試験のテキストで、こっちが漢字検定。これが英語検定、こっちが数学のテキスト。この前、調理師の国家資格取ったし、次は何の資格取ろうかなって考えているんだ」
言葉を失う。
「私、ここに来て良かったよ。こんな私でも出来る事があるんだって分かったんだもん。色々と資格も取得出来るし、ここに居る間にたくさん勉強して、出所してから役に立てるよう用意しておく。今は準備期間だ」
目を見張る。この子は少年院に入った事を少しもマイナスに捉えていない。むしろプラスにしている。不意に咲さんを思い出す。ああ、咲さんもそうすれば良かったのに。
「祝子、プリン食べて。甘いの好きでしょ?」
そう言ってコンビニで買ったプリンを出すとようやく黙って食べ始めた。
あっという間に面会時間が過ぎる。
「またね。次も良い報告、出来るようにしておくよ。お父さんにもよろしくね」
バイバイと手を振り、ドアの向こうに消える娘。
…え?…。お父さんって…。
もしかして私の知らない所で父親に会っていたのか?
ああ、だから捨てられたとか、そんな事ばかり言っていたのか。
無断外泊は、父親の所に行っていたのか。ああ謎が解けた。そういう事だったのか。
カメラマンの彼が、どこかで私のその後を知り、自分の子に会いたいと思ってくれたのだろう。祝子に近づき、父親と明かして聞かれるままに色々話してしまったのだろう。言って欲しくない事もあったが、まあ仕方なかったのだろう。
ああ、祝子の気持ちも分からなくもない。
普通の幸せな家庭に生まれたかっただろうに、私のせいで私生児にならざるを得ず、家は貧しくぎりぎりの生活を続け、仕事と家事で多忙を極め、自分に勉強を教えながら居眠りしてしまう母親と、自分に無関心な祖母、たまに会いに来る父親。父親から聞きたくない話を聞かされ、怒りの矛先をどこに向けていいか分からず、持て余し、自傷行為する事で、悪さをする事で、荒れる心を何とかおさめようと小さな胸を痛めていたのだろう。
申し訳なかった。だが明るい展望が見えたような気もする。
まして少年院に居る間を準備期間と捉え、自分にも出来る事があったと気付きを得た上、勉強する時間をたっぷり取れるから良かったなんて、頼もしいではないか。
ああ祝子は大丈夫だ。元々人に気を使う優しい思いやりの深い子だ。事故に遭った時に加害者を心配していたくらいだし。
だから大丈夫。必ず良い大人になれる。幸せに生きられる。
大丈夫!
大丈夫!
大丈夫!
学園を出て、美しい夕日に包まれた。さっきまでと景色が違って見える。
ああ、娘はここに来て良かったと言ってくれた。
私の子育ては間違っていなかったんだ。確かに人に迷惑をかけたし、賠償金の支払いもあるけれど。
それでも大きな幸せを感じる。
幸せな気持ちのまま家に帰る。母が言った。
「ああお帰り」
お帰りじゃないだろう。孫の様子を聞こうともせず、どういう神経なのだろう。
「祝子に面会して来たよ」
「ああ祝子、元気だった?」
と、平気で言う。唖然としているとこう言ってけらけら笑った。
「いいよ、いいよ、何度出戻っても、ちゃんと迎えてやろう」
そう言えば、私に対してもそうしてくれたね。
問題は全然解決していないが、何か、解決したような気楽さに見舞われる。
確かに問題は解決していなかった。
もうひとつ、大きな問題があった。
携帯電話が鳴る。
勤め先のファミレスの番号が表示されている。
ああ解雇通知だ、仕方ない。重い気持ちで出る。
「山路です。このたびはご迷惑をお掛けしました」
開口いちばんそう言った。
「ああ山路さん、明日八時から五時までシフト入っているから来てね」
と店長が事もなげに言う。
「あのう、行っても良いんですか?」
不思議な気持ちで聞くと
「当たり前だ、忙しいんだから。待ってるよ」
と言われた。
呆然とする。
翌日、重い足でファミレスに出勤する。
みんなが白い目で見るのではないか、店長はああ言ってくれたけど、他のみんなは迷惑だから辞めて欲しいと言うのではないか、恐る恐る厨房に入って行く。
「ああ山路さん、おはよう」
笑顔のみんなが一斉に言ってくれた。
「おはようございます…」
と小さな声でやっと言う。
「皆さん、このたびは大変なご迷惑をおかけして…」
と言いかけたが、
「山路さん、早く手、洗って」
「そうだよ、手が足りないんだ」
「山路さん、早く仕込み始めて」
「今日からイタリアンフェア始まるし、てれっとしている時間ないよ」
「よし、始めるぞ」
「もう始めてんだよ」
「誰だよ、レタス、出しっぱにしてんのは」
「あ、私でーす」
「樋口さんかよ」
「そこ、火、強すぎ。焦げるよ」
「あ、ごめん」
「中井さんかよ」
「オーブンこっち使うよ」
「島津さん、先にこっち焼いて、それは後でいいんだよ」
「山路さん、お皿並べて」
「お湯、沸かせってーの」
「大内さんってば、その前に皮むきだろーが」
「お、わりー、わりー」
「誰だよ、ピューラーこんなとこに置いてんのは」
「あ、ごめん」
「酒井さんかよ」
「だーれ?私の足、踏んでいるの」
「あ、ごめん。斎藤さんの足だったの。タワシか何かかと思った」
「私の足はタワシかよ」
「それにしては硬ぇなって思った」
「私の足だっつーの、痛えっつーの」
「だからごめんってば」
「もう、森川さんは」
「あっ、どんケツしないでよ」
「あ、ごめん」
「榎本さんのオケツかよ。柔けえケツだね」
「私のケツはたるんでっからね」
「引き締めなよ、少しは」
「もうトシだからね、緩む一方だよ。風に乗ってふーわりふわりといきそうだよ」
「スゲー、風にたなびくオケツ」
「あははははは。平本さん面白過ぎ!ケツを風にたなびかせてどうすんだよ」
「ん、見たくない」
「羽生結弦君とか、若くて引き締まったオケツなら見ても良いかも」
「変態かよ」
「誰かのスマホ鳴ってるよ」
「あ、私の」
「野口さんかよ。更衣室に置いとけってーの」
「置いてくるからその間に山路さん、生クリーム泡立てて」
「野口さん、スマホ触ったらもう一回手を洗いなよ。スマホはナントカより汚いって言うから」
「ほーい」
「何だよ、そのほーいってのは」
「いや、和むかと思って」
「もうじゅうぶん和んでっからいいんだよ。和み系の山路さん、来てくれたし」
「そう、山路さん、和み系。みんなのオアシス」
「山路さん、手際良いんだし、山路さんがいないとみんな困るんだよ」
「そう、この何日か、本当に大変だった」
「山路さんみたいに、ちゃんと段取り考えてやる人ばっかじゃないからさ」
「悪かったですねー」
「もう、横山さんは」
「みんな山路さん、待っていたんだよ。ほんと」
「山路さん、これもお願い」
「山路さん、味見して」
「山路さん、これどう?」
「みんな、口はいいから、手を動かせってーの」
…みんなに矢継ぎ早に言われ、言葉が続かなくなった。ってか、謝罪の言葉など不要のようだし。
ほっとして思わず笑顔になる。
みんなも笑顔爛漫で頷いている。
ああ、ここにまだ私の居場所はあったんだ。
心を、心から救われながら、仕事を始める。
…問題は、解決していた。
六十歳過ぎての転職はさぞかし大変だろうと思っていたが、その必要はなかったようだ。
イタリアンフェアは大盛況だった。慌ただしい一日が過ぎ、五時過ぎに帰ろうとした所店長が来てシフト表を渡された。
「山路さん、悪いけどイタリアンフェア終わるまで休みないから、よろしくね」
「はい…」
有難くシフト表を受け取る。
みんなの心遣いが、収入が途絶えずに済む事が、居場所がある事が、心から嬉しかった。
幸せな気持ちのままアパートへ帰る。
「あ、お帰り」
母が言う。
仕事場の人間関係が上手くいっているのも勿論有難い事だが、家で自分を待っていてくれる家族がいる事もやはり有難い事だ。ひとりで暮らした期間が長かっただけに、邪険にされた経験があるだけに、尚更そう思える。
もうひとつ、少年院にいると言えども帰りを待てる家族がいる事も、やはり有難い。
やっぱり幸せだ。
家族がいて、働く場所があって、笑顔で接してくれる仲間がいる。
ああ、恵まれている。
仕事場で嬉しい事があったというのが分かるのだろうか。
母も笑顔で頷いている。
ひとつ、母とカメラマンの彼には共通点があった。それは
「〇〇って言ったじゃない」
と言わない事だ。
健さんが
「逢いたいです。逢えますか?って言ったじゃないか」
と、ねちねち私を責める人で、その上何でも人のせいにしたり、言い訳したり、本当に鬱陶しかったので、カメラマンの彼と母のそういう所は心地が良かった。
私は無意識に、母と似ている人を選んだのかも知れない。
…その母の言動がおかしい。かつて酒を飲みすぎ、今頃脳がいかれたのか?
パートも辞めた。正確に言うと辞めてくれと店側から言われたらしい。
祝子が少年院に入った事を分かっているはずなのに、祝子の分まで食事をテーブルの上に用意したり、ランドセルを磨いたりしている。
「祝子は居ないでしょう。三月出所予定だよ」
と言うと
「あ、そうか」
と我に返ったような顔になるし
「祝子はもう十六歳だから、ランドセルも必要ないでしょう」
と言うと
「あ、そうか」
と手を止める。
…もしや、嫌な予感がする。
「認知症ですね」
MRIの画像を見ながら医者が言う。があんとする。母も黙り込む。
「どうすればいいですか?」
そう聞いた。医者が何事か答えるが、まったく頭に入って来ない。
本当に、何をどうすればいいのか…?
母が日常的な事が出来なくなった。
食事が出来ない、排泄が出来ない、着替えも出来ない、フラフラと夜中に徘徊する。毎回追いかけていくのもしんどい。仕事中に凄まじい睡魔に襲われる。もはや体が持たない。私の方が倒れそうだ。
「老人ホームに入れたら?」
以前、ディズニーランドのペアチケットをくれた同僚が言う。
「費用が心配よ」
そう答えると
「山路さんが介護離職する方が困る」
と言ってくれた。私も定年まであと何年もないが、パートで残っていいと店長に言ってもらえた。パートの時給は千円だ。昔は水商売が時給千円だった事を思い出す。時代は進んだ。
「特別養護老人ホームに申し込めば?費用も安いよ」
と、彼女が教えてくれた。この人は本当に私の為に色々と提案してくれる有り難い友達だ。
早速あちこちの特養から資料を取り寄せ、見学を始めた。
老人ホームと言っても、色々だ。結婚式場のような所もあれば、リゾートホテルのような所もある。そうかと思えば刑務所のような所も、病院のような所もあった。良質で費用の安い施設を懸命に探す。私を放置した母ではあるが、それでも私は母を放置しない。
勿論娘も放置しない。疲れていても何でも、週に一度は面会に行く。行くたびに資格試験に受かった等、楽しげに話す娘。
普通の、まともな会話が出来るようになったのが何より嬉しい。時々、少年院ということを忘れる程だ。以前は私の事を「てめえ」と言っていたが、最近は「あなた」に変わった。近い将来、また「お母さん」と呼んでくれるのか?
もうひとつ、以前はさびしい悲しい脆さを感じさせる目をしていたが、今は目標を持った力強い眼差しになった。目はこれほどまでに、ものを言うのか?
春、祝子が出所した。久し振りの電車に酔い、ひと駅ごとに降りて吐き散らかし、ベンチにぐったり座り込み、何本も電車を見送り、なかなかスムーズにいかない。
やっと坂戸駅に到着した時はフラフラだった。
「大丈夫?」
と背中をさする私の手を邪見に払う。
「やめろ、余計気持ち悪くなる」
と、相変わらず口も悪い。やっと歩き、ようやくアパートに辿り着いた時はもう何も出来ず、敷きっぱなしの布団に着替えもせずに倒れ込んだ。
「ああお帰り」
と、母が平気で言う。お帰りじゃないだろう!どこから帰って来たと思っているんだ!と言いたいのをぐっと堪える。
私は家事をこなし、娘の好きなオムライスを作った。
少年院では酷い食事だっただろう。せめて食事くらい手作りでおいしいものを食べさせたい。母はまったく料理をしない人で、私は出来合いの弁当やパンで育った。その為、私はまともな味覚が育たず、小学校の給食を初めて食べた時に、世の中にこんなにおいしいものがあるのかとびっくりしたものだ。私にとって学校は、まともな食事をさせて貰える唯一の場所だった。
レストランでアルバイトをした時も、まかないが嬉しかった。こんな気持ち、誰にも分からないだろう。親に毎日手料理を食べさせて貰っている友達が羨ましく、妬ましかった。
ひとり暮らしを始めてからも、アパートでは出来合いのお弁当を食べ続けた。クラブ時代にお客さんとの同伴出勤やアフターで、豪華なレストランに連れて行って貰えた事は何度もあったが、自分のアパートに帰ればまたまずく、貧しい弁当を食べざるを得なかった。
私が料理をするようになったのは、画材の会社で電子レンジを貰った事がきっかけだった。初めて作った手料理は本当においしく、感動した。料理の楽しさに目覚め、それからは簡単ではあるものの、毎日料理をするようになった。
昔、誕生日を祝ってくれた彼と暮らした時も頑張ったが、決して上手に出来たとは言えず、その人が不満だったのも、友達に私の悪口を言いたくなったのも分かる。別れたいと言ったのも、勢い余って口走ったのだろうし、追いかけてくれなかったのは、正直ほっとしたからなのだろう。
だがたった十七歳の私に、仕事と家事をうまく両立しろと完璧を求めた彼も決して良いとはいえなかった。あのまま一緒にいても幸せとは言い難い生活が続いただろうし、あの恋はやはり早めに終わらせて良かったのだ。意味があったとすれば、家事の基本を学べた事だったろう。その後ひとり暮らしをするようになってから、掃除や洗濯、片付けの要領が良くなったし。
私が思うに、料理に勝る健康管理法はない気がする。手料理を食べるようになって、格段に健康状態も精神状態も良くなった。風邪も引きにくくなったし、イライラしなくなったし、体力も付いたし、喘息も完治した。
カメラマンの彼と同棲を始めてから、食器や台所用品を買い揃え、料理の本を見て研究し、彼に豪華ではないものの、愛情のこもった手料理を毎日振る舞った。お互い出来合いのまずい弁当を食べ続けた身、手料理に勝るものはなかった。そこで手料理を学んでおいて良かった。私が彼と出会った意味のひとつに、それがあったのだろう。
坂戸へ帰ってからも毎日料理をした。母は黙って食べる人で、あまり張り合いはなかったが、祝子においしいものを作ってやりたい、うちのご飯はおいしいと思って欲しい、その一念で料理をし続けた。忙しくても普段の食事も弁当も手作りにこだわった。何が何でも祝子の味覚をまともなものに育てたかった。それがファミリーレストランの厨房で働く事につながった気もする。祝子にファミレスの厨房おばちゃんしか出来ないと馬鹿にされたが、私はやりがいのある仕事だと思っている。
お客さんや共に働く従業員が私の作った料理やデザートを喜んで食べてくれる姿を見るのはこの上なく嬉しい。いつか自分の店を出したいという思いが頭をもたげる。…これは叶いそうにない夢だが(三十代前半で、何も夢がないと嘆かわしい日々を送った事を思えば、叶いそうになくても夢を持てた事自体は嬉しい)。
もうひとつ、咲さんが料理の上手な人だったので、料理のうまい人は素敵だなと思った事もある。私が咲さんに出会った意味のひとつにそれがあったのだろう。そして咲さんは、小料理屋を営むお母さんに似て、料理上手になったのだろうし、そこは良かったと言えよう。
やっと起き上がった娘がオムライスを少しずつ胃に入れている。胃が小さくなっているらしく、少ししか食べられない我が娘。
「急に、こんなに、食えるか」
と、悪態も漏れなく付いてくる。そんな事はいい。聞き流す。とにかくこうして無事にこの家に戻ってくれた事が何より嬉しい。
咲さんは少年院を出てもお母さんにさえ受け入れてもらえず、行き場のない不安に押し潰されそうだったろう。だからこそむやみに健さんに固執したのかも知れない。
ただ、優しそうな旦那さんには受け入れてもらえている様子だったし、子どもたちは無条件に咲さんを愛してくれるだろうし、今は私のように幸せなのだろう。
幸せの形は人それぞれだ。
母が布団で静かに寝息を立てている。眠ってくれている方が楽だ。
赤ちゃんのように、自分の事が自分で出来なくなりつつある母。
サポートしてやろう、という気持ちが生まれる。
私が赤ん坊の頃、一応は色々とサポートしてくれたのだろうから。
お陰で私は生きているのだし、大人になれたのだから。
母に対し、憐憫という感情が生まれる。
祝子が食卓で静かにテキストを広げている。邪魔しないよう静かに家事をする。
やがて今日の分が終わったらしく、テキストを閉じてじっとしている。
ああ、私はこういう静かな生活をしたかったのだ。
勿論、祝子もこういう静かな生活をしたかったのだろう。
家事を終え、椅子に座ってテレビを付ける。
祝子が黙って私の膝に乗ってきた。
そのまま二人でテレビを見る。
細身で小柄な女の子とはいえ、四十五キロくらいはあるだろう。
なかなか重く、足が痛い。
だが否定するまいと黙っている。
そのうちすっと立ち上がって別の事を始めた。
赤ちゃん返り、という言葉を思う。
「お話しよう」
と、静かに祝子が言う。
「何のお話しようか」
と、笑顔で、静かに答える。
「資格試験の話」
と、嬉しそうに何の資格は取りやすいとか、仕事に有利等の話を延々始める。
相槌を打ちながら聞いている私。
こんな幸せがあったのか。
これが本来の祝子だと嬉しくなる。
母が失禁した床を掃除する。
幼かった祝子が漏らした床を拭くのは嫌ではなかったが、大人の母の排泄物を処理するのは気分が悪い。
「おしっこやうんちはここでしてね」
そう言って母をトイレに座らせる。母の衰えた手足に鮮やかな入れ墨が不釣合いに目立つ。
母は太ももの両側や首の後ろ、肩に入れ墨をしている。若い頃は張り切ってミニスカートを履いたり、肩の開いた洋服を着たりして見せびらかしていたが、段々そういう服装はしなくなり、というか、出来なくなり、今に至っている。
パートで働いていた時は、夏でも常に長袖やハイネックを着て隠していた。この入れ墨のせいで友達にいじめられたつらい過去がよぎる。勿論母にそんな事は言わないが。
母が戸惑っている着替えを手伝う。
「ここに腕を通すんだよ」
そう言って着替えをさせる。幼い祝子の着替えは可愛くて楽しかったが、母の着替えは時間もかかるし、楽しくない。
「お財布がない」
と言う母に
「ここにあるよ」
と言い聞かせる。これで十五回目くらいだ。
「お腹空いた」
と言う母。五分前に食事を終えた事をもう忘れているのか?あなたの胃はどうなっているのだ?
仕事の帰りにフラフラと徘徊している母を見つけ、家に連れて帰る。
「事故に遭うと危ないから家から出ないでね」
と、何度言っても出て行ってしまう。いっそ本当に事故に遭ってしまえば楽になる、という考えが頭をよぎる。ああいけない。そんな事を考えては…。
だがもう、疲れて、疲れて、限界だ…。
だが考えようによっては恵まれていると言えるだろう。
世の中には小さな子の育児と、年老いた親の介護の両方を自宅で行う人も多い。
私の場合、まだ良い方だ。娘はもう手がかからないし、母は三か月くらい待機した後(物凄く長い三カ月だったが)、特別養護老人ホームへ入れた。優先順位が高い上、私がもう面倒を見られない状況というのが大きくものを言った。私が決して高給取りでない事も考慮され、費用も毎月九万円という格安さだ。保証金も要らず、毎月九万円で面倒を見て貰えるなら、こんな有り難い話はない。あのちっちゃいのか硬くてコラボ硬くて
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