第十四話 思春期
そして中学校へ入学。かつて私が通った中学に通う娘。制服はお洒落に変わっていたが、校舎はそのままで懐かしかった。
ここでも驚く事があった。昔私を気遣ってくれていた美術の先生が、校長先生に出世していたのだ。
「山路美知留です。覚えていますか?」
と、声を掛けた。
「ああ山路さん、元気そうだね」
と、覚えていてくれた。
「娘の祝子です。よろしくお願いします」
「ああ不思議な縁だね。この仕事していると親子二代受け持つ事もあって本当に嬉しいよ」
と、笑顔で言ってくれた。小学校の先生にもまったく同じ事を言われたものだ。
ああ坂戸で良かった。改めてそう思う。かつて坂戸を捨てて、銀座デビューしたと、出世したのだと思いあがっていたシンデレラストーリーは捨てた。
私は坂戸に縁を持てて本当に良かった。
…と、喜んでいたのもつかの間、中学生になって間もない祝子にこんな事を聞かれた。
「私は捨てられた子なの?」
何て事を言うんだ。びっくりする。
「違うよ、お母さんはマリア様みたいにひとりで祝子を授かって、喜んで産んだんだよ」
「そんな訳ないじゃん。ひとりで妊娠する訳ないじゃん」
…いじめに遭っているのか?嫌な予感がする。
さびしい、悲しい目をしている我が娘。どうしたんだろう…。
夏だというのに祝子が長袖を手放さない。紫外線を防ぐ為か?最初そう思っていたが、着替える姿を偶然見てしまい、驚愕する。両腕に無数のリストカットした跡が生々しくある。傷の位置から察するに、自分でやったのだろう。誰かにやられたのではなく…。
「どうしたの?その傷」
そう聞いたが娘は答えない。黙って長袖を着て隠してしまった。唖然とする。あんなに無邪気で甘えん坊で可愛らしかった子が、そんな事をするなんて…。
物凄く嫌な予感がする。
娘がしょっちゅう無断外泊をするようになった。何か事故にでも遭ったのではないのかと心配でたまらず、自転車で近所を探し回る。祝子は見つからず、へとへとになってアパートに戻る。母は平気で寝ている。孫が心配ではないのかと、腹が立つ。
明け方や朝になり、ひょろりと帰って来る娘。
「どこに行っていたの?」
と聞くが答えない。何度も何度も無断外泊を平気でする娘。
母は母で
「ああお帰り」
と平気で言っている。私の時と同じだ。中学生の娘に言う言葉ではない。
ああ、誰か親身になって相談に乗ってくれ…。
祝子の担任の先生から電話が来た。祝子が授業中に平気で教室を出て行ったり、教科書を全部学校に置いて行ったり、屋上で仲間とたむろしていたりする。家庭できちんとしつけてくれとの事。それが出来ないからこうなっているというのに…。
「本人がいちばんつらいと思いますので、支えてやって下さい」
と言ったら
「重いです」
と即答された。ああ、担任が重いと突っぱねるなんて…。誰か相談に乗ってくれ…。
ママ友達に相談してみた。しかし彼女はこう言った。
「どうにもしてあげられないけど」
…絶句する。
別のママ友達に相談してみた。だが彼女はこう言った。
「子どもの非行は必ず親に原因があるよ」
…また絶句する。
別のママ友達に相談してみた。彼女はこう言った。
「知らないよう、自分で何とかしてよう」
…またまた絶句する。
娘の通う中学のスクールカウンセラーに相談してみた。プロの意見を聞けば何とかなるのでは?淡い期待を捨てられなかった。だがそのカウンセラーは、私の話を聞き
「はい、はい、なるほど」
としか言わない。何か答えを求めて待っていると、向こうも延々と黙っている。
「あなたはカウンセラーになって何年ですか?」
と聞くと
「何故そんな事を聞くんですか?」
と、のたまう。
「電話で黙っちゃうから」
と言えば
「お母さんが喋るのを待っていました」
と、私のせいだと言わんばかりだ。また何か言えば
「はい、はい、なるほど」
と言う。そしてまた延々と黙る。腹が立ち
「黙っている人と電話していてもしょうがないので切ります」
と切った。カウンセラーも、担任の先生も、ママ友達も、母も、誰もまともに相談に乗ってくれない。ディズニーランドのペアチケットをくれた同僚は独身だし、相談しづらい。
ああなんて、ひとりぼっちなんだろう。
娘が補導された。びっくりする。何をしたと聞けば、化粧品を万引きしたという。慌てて大宮のデパートへ駆けつける。
ふてくされた娘。
「どうしてこんな事したの?」
「うるせーよ、ババア。母親づらしてんじゃねえよ」
「祝子、前に話したから分かってくれていたと思っていたけど、化粧品を買うと、そこの化粧品会社の人たちやこのお店の人たちのお給料になるの。万引きしたら、お店の人も化粧品会社の人もお給料が入らなくなるからみんなが迷惑するの。だから絶対に勝手に持って来てはいけないんだよ」
「知るか、ババア、理屈っぽいんだよ」
絶句する。いつからこんな言葉を使うようになったのか?
この時、レジ係りをしている初老の女性と目が合い、どこかで見た顔だと思った。
手続きに手間取り、終わったのは夜中だった。タクシーで坂戸へ帰る。母は平気で
「ああお帰り」
としか言わない。自分の孫が万引きしたというのに。
娘が二度目の補導をされた。熊谷のショッピングモールで洋服を万引きしたのだ。友達は逃げたが祝子は捕まった。その友達の名前を言おうとしない祝子。
庇っているのか?脅されているのか?またしても慌てて駆け付ける。
店の人に謝り、品物を返し、許しを乞う。そんな私の姿を軽蔑の眼差しで見る娘。
帰りはまた夜中になり、タクシーを使う事になった。
「テメエ、どうせ相手の男に捨てられたんだろうが。テメエに魅力がねえのがわりーんだ」
と、ねちねち言う娘。返事のしようがなく黙ってしまう。
女性運転手の視線が突き刺さる。どこかで見た眼差しだと思うが思い出せない。
母はまたしても
「ああお帰り」
としか言わない。私が思春期の時と同じだ。
娘が三度目の補導をされた。久喜のゲームセンターで機材を破損し、お金を盗んだという。何故こんな事ばかりするのか?この子はさびしいのか?何が不満なのか?私か?母か?被害にあった店と警察に、娘の代わりに頭を下げまくる。
ゲームセンターを出る際に警備員の男性とすれ違う。相手がわずかに反応した。
終電をまた逃し、タクシーで坂戸へ帰る。
「自分の子を妊娠した女を捨てて逃げて行くなんて、よっぽどだよ」
どうしてこんな事ばかり言うのか?
「誰でも務まるファミレスの厨房おばちゃんしか出来ねえしな」
…返事が出来ない。その通りだから…。
回数を踏むにつれ、私も慣れてきた。こんな事に慣れたくはないが。
「祝子、お願いだから坂戸で捕まって。タクシー代が大変」
そんな冗談ともつかない言葉が出てくるようになった。
祝子が鼻で笑う。
何か、悪魔のように見える。
この子の小さくて可愛いお尻を洗った日が幻のように思える。
「テメエ子ども産めば、その男が自分と結婚してくれるとでも思ったのか?」
…答えたくない。私は授かったあなたを「産みたいから産んだ」。ただそれだけだ。彼が戻ってくるなんて露ほども思っていなかった。そこは母と同じだ。自分がそうしたいからそうした。あなたを産みたい、心からそう思った。そして産んで良かったと、今この瞬間も思っている。
画材の会社は辞めた上、鴨宮のアパートも引き払っており、彼は私の所に「戻りようがない」状態だった。私も彼の「済まない、本当に済まない」という書き置きを見て即座に別れを決断し、彼の会社へ訪ねていく事すらしなかったし、お揃いの腕時計もその場で捨てた。我ながら潔かったと思う。
そしてその途端に「運命の電話」が鳴り、母の入院していた病院へ行く事になった。良いタイミングで事故に遭ってくれたものだ。
必要な縁がつながり、無くてもいい縁がなくなり、今に至っている。考えようによっては、あなたのお陰で坂戸に戻って母と暮らせるようになったとも言える。小学校で六年間私を担任してくれた先生にも、中学校で気遣ってくれた先生にも再会できた。
今以上の人生は考えられない。
もしかして色々な選択肢があったのかもしれない。
江里子ママのように銀座一のママとして華やかな世界に身を置き続ける。誠心誠意持って接客する事でお客さんに喜んでもらう。働くホステスやボーイたちの成長を喜び、店を切り盛りする。麻耶組や深雪組を押さえ、毎月売り上げトップを誇る。
または咲さんのように誰かと結婚し、専業主婦としてどこかで静かに暮らす。毎月旦那さんに生活費を貰い、自分は働かなくても家事と育児さえすれば生活が成り立つ。旦那さんが買ってくれた大きな一軒家で当たり前のように暮らし、ママ友達とランチを楽しんだりフラダンスを習ったり、毎年家族旅行を楽しんだり、お金の心配をしなくていい生活。
あるいは画材の会社で取締役を目指して仕事を頑張る。たくさんの部下を束ね尊敬されながら、今日はどこの現場に行く、この店の仕入れはどうする、この画家の絵はどこの画廊に飾る、この新人の育成を誰に任せる等、常に仕事の事を考えて生きる。自分の収入で欲しいものを好きなだけ買い、自分の力だけでマンションを買ったり車を買ったり、結婚するにしても、相手に専業主夫になってもらう。自分の生活も人生も好きなように構築する、本当に自立した人生。
もしくは鴨宮のアパートで、カメラマンの彼と同棲を続ける。結婚や出産等、一切考える事なく、ただ彼の夢を応援して楽しく暮らす。彼が賞を取ったり、良い作品を世に送り出したり、活躍する姿を喜び、自分の夢を彼に託して生きる。そう、もしあなたを宿さなかったらどうなっていたか?考えなかった訳ではない。あのまま大好きな人と暮らし続ける、そんな毎日も楽しかっただろう。
また、もっとさかのぼって、高校生の時に「ホステス高校生」と黒板に書かれた似顔絵を黙って消し、唖然とするクラスメイトを尻目に平然と高校生活を続け、卒業後に普通に就職してその会社の独身寮で暮らす。結婚はせずにずっと働き、自分の事だけを考える人生。そんな人生もあっただろう。あの時、ホステス高校生と書かれた事は物凄く嫌だったし、男子生徒にお尻も軽いのかと聞かれた事も耐えられなかったが、そこで逃げずに闘っていたら、その後の人生はまるで違ったものだったかも知れない。
だが、私は神様にどんな選択肢を提示されても、今の人生を選ぶよ。
祝子、あなたがどんなにぐれようが、非行を重ねようが、私に罵詈雑言を浴びせようが、それでも私にとってあなた以上の子どもはいない。そして母以上の母親もいない。
こんなに有り難い、尊い人生、他の何にも代えられないの。それに気付かせてくれたのは、他ならぬ祝子、あなたなんだよ。あなたは私が産みたいから産んだ、かけがえのないたいせつな存在なの。それだけは分かってほしい。
確かに私は若いうちに基盤を築かなかった。だから三十歳を過ぎて物凄く苦労したし、今になりファミレスの厨房で働くしかない。
だがやはり、ホステスという仕事は若いうちしか出来なかった。ましてクラブ江里子だからこそ私は売れに売れたのだろう。そこでクラブデビューして本当に良かった。何年も売れ、高い年収やチップを得たお陰で若くして三千万円もの貯金も出来た。今はだいぶん減ってしまったが、クラブホステスでなければその金額を貯める事は出来なかっただろうし、十代で女友達のアパートを渡り歩き邪見にされたり、同棲した彼が私の悪口を言っているのを聞いたり、居たたまれない経験をしたお陰で貯金のたいせつさを骨身に応えるように学べた。
そして何年も疎遠だったからこそ、今、母と暮らせる日々を尊く思える。
今以上の人生は、考えられない。
いずれにしても、今あなたが非行に走る事で救済のサインを出しているなら、私は何を置いてもあなたに応えるよ。今こそあなたを助けなくては。私はもう六十歳。じゅうぶん生きたから、今すぐ死んでも良い。だけどあなたはまだ若いし、これからいかようにも人生を立て直せる。私は三十歳を過ぎてから人生を立て直したよ。だから大丈夫だよ。
娘よ、どうかもう、リストカットをしないで。
無断外泊をしないで。
万引きをしないで。
悪い友達と付き合わないで。
授業中に外に出ないで。
物を壊してお金を取らないで。
そして何より、自分を粗末にしないで…。
原因は何だったのか?
もしかして、私もあなたを放置したのか?そう言えば忙しくて苛立ち、生返事をして済ませた事もあった。悪かった。それがいけなかったのか?
生まれた時から父親がいないのが不満なのか?
貧しくゆとりがなく、旅行に連れて行った事もなく、ディズニーランドも年に一度しか連れて行けない。それが嫌だったのか?
私は確かに理屈っぽい。それが鬱陶しいのか?
そして何より「これから」どうすればいいのか?
「このままでは高校へ進学できません」
三者面談の席で、祝子の担任の先生が言う。
校長先生が、祝子を憐れむ目で見ている。やめて、その眼は。祝子が傷つくから。
祝子は無言のまま空虚な目をしている。カメラマンの彼を思い出す眼差しだった。
埼玉県内でも偏差値の低い県立高校を受験する。かつての私と同じだ。私が中退した高校だけは避けてくれ。心の中でそう叫ぶ。
祝子が選んだのは、あまり評判の良くない高校だった。そこなら通用すると思ったのか?
届いた合格通知書。ほっとする。
「おめでとう」
そう言ったが、返事はなかった。めでたくもないのか?
いかにも素行の悪そうな少年少女たちの中に祝子がいる。
ああ、悪い影響を受けなければいいが…。
心配は尽きない。
電話が鳴る。
また祝子が何かしたのか?
…今度はただでは済まなかった。
娘は振り込め詐欺の受け子をやって捕まった。
もう謝罪だけでは済まない。
高校は退学処分になってしまった。
親子三代で高校を中退。何て事だ。それだけは繰り返して欲しくなかった。
少年院へ送られていく我が子。
助けたいが、もはや手も足も出せない私。
母は一切何も言わなかった。何とも思っていないのか?
私の育て方がいけなかったのか?
甘やかしたのか?
家庭環境が悪かったのか?
自責の念にかられる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます