第十一話 平和な日々
娘の誕生日、毎年ケーキを買ってきて年の数だけロウソクを立てて祝った。母は私の誕生日を祝わない人だったが、だからこそ私は祝子の誕生日を祝う。
「ハッピーバースデー、トゥーユー、ハッピーバースデー、ディア、トキコ」
と歌い、祝子が火を吹き消す瞬間、何とも言えない程幸せそうな顔をするのを見た。
昔、一緒に暮らした彼が私の誕生日を祝ってくれたものだ。あの時は本当に嬉しかった。あの時も私はきっと何とも言えない程幸せな顔をしていた事だろう。
「おめでとう、プレゼントだよ」
と、事前にリサーチしておいた祝子の希望の品を渡す時、恥ずかしかったのか、祝子はにこにこしながらテーブルの下に潜り込んだ。あまりに可愛くて、微笑ましくて、抱きしめたくなる。ああこの子は、私の代わりに祝福されているんだ。
テーブルの下から恥ずかし気な顔を覗かせ、嬉しそうにプレゼントを受け取る娘。
「開けてごらん」
興奮気味にビリビリと包装紙を遠慮なく破り、中から出てきた人形を抱きしめる祝子。いつまでも飽きずに遊んでいる。
ああこの人形を買って良かった。この人形を買ったお陰で私の物は何も買えないが、それでもいい。こんなに喜んでくれるならば。
青い鳥はいつの間にか目の前に現れてくれていた。おかしな心の病気もいつの間にか治っていた。擬似恋愛など考えたくもない。何故昔はあんな事をしたのだろう。
後日気付いたが、祝子はビリビリの包装紙とリボンをたいせつに保管していた。なんて良い子に育ってくれたんだろう。
クリスマス、我が家にもサンタさんは来てくれた。
イブの夜、寝入った祝子の枕元にプレゼントを置く。
翌朝、わざと寝たふりをしていると先に目を醒ました祝子が
「サンタさん…」
と呟きながらプレゼントを見入っている。そろそろと手を伸ばし手に取るのを寝たふりをしながら見ている。また興奮して包装紙をビリビリ破くのかと思っていたが、そっと剥がして中を取り出す。現れたふかふかのセーターを着て私を起こす祝子。
「ママ、サンタさん来たよ」
「あれえ、良いセーターくれたねえ。良かったねえ」
そう言うと添えてあったカードを見て
「お手紙入っている」
と不思議そうに言う。
「ときこちゃん、めりーくりすます。さんたより、だって」
と読み上げ
「なんでサンタさん、ときこの名前、知っているんだろう」
と本当に不思議そうに言う。
「ママがね、サンタさんに電話で言っておいたんだよ」
と答えると
「へえ…」
と言っていつまでも不思議そうにしている。
その冬の間、祝子はいつ見てもそのセーターを着ていた。
「これ、サンタさんにもらったんだよ」
と、保育園の友達にも見せびらかしていた。
包装紙とリボンはやはりたいせつに取ってあった。
一DKの我がアパート、和室に布団を二組敷き、そこで祝子を真ん中にして母と私が両側に寝る。寝相の悪い祝子があっちへ転がってもこっちへ転がっても布団からはみ出ないで済むのは、母と私が柵のような役目をしているからだ。
ある明け方、寝ながら半回転した祝子が不意に目を醒まし、誰も居ないような錯覚をしたのか、あらぬ方向へ向かい大声で言った。
「ねえ、ねえ!」
私は言った。
「どうしたの?」
祝子はくるりと振り返り、私を見て安心したように笑った。
「ときこ、どこか知らない所に行っちゃったかと思った」
寝ぼけながら私は答える。
「こんな可愛い子、どこへもやらないよ」
祝子が嬉しそうに私にしがみつく。
ああ幸せだ。この子を生んで本当に良かった。貧しくても何でも幸せだ。
気づいたらカメラマンの彼の事さえ忘れていた。
湯上り、裸の私のお尻を、祝子がとんとんと叩いている。
「ママのお尻、ぷよぷよしている」
と余計な一言も付いてくる。昔はスタイル抜群と言われ、モデルになれるとまで褒められたが、今はあちこちたるんで見る影もない。
鏡に映る五十歳の私は白髪も多く、髪も痩せて頭皮が目立つ。体も顔もすっかりたるんでいいおばさんだ。
だがいい。スタイルが良く孤独より、スタイルは崩れても家族がいる方が。稼ぎが良くて心の病気を患っているより、稼ぎはたいした事なくても満ち足りて心身ともに健康な方が。
勿論あの頃はあの頃で楽しかったが、あのまま五十歳にならなくて、今の人生になって、本当に良かった。お尻のたるんだ、ファミレスの厨房おばちゃんでも…。
保育園で習った踊りを娘が踊っている。
「ママ見て、ずっと見ていて」
そう言う。家事や明日の仕事の準備が気になるが、今のこの子には今しか会えないと、娘の踊りに付き合う。うまいのか何なのかよく分からないが、拍手をして褒めた。
この褒め方も、最初分からず戸惑った。母が私を褒めない人だったので。だが周囲を見て子どもを上手に誉めるお母さんの真似をした。
「うまい、うまい」
娘は嬉しそうに歌を歌い始める。
「ママ聞いていて、ずっと聞いていて」
延々と歌う娘の歌を聴き続ける。忙しいのに、と苛立つが、この子の今の歌は今しか聞けない。
「ママ、折り紙教えてあげる」
娘が折り紙を延々と折る。
「上手だねえ」
褒めると嬉しそうに微笑み、山のように折ってくれる。
「これ取っておこう」
と言うと、にこにこする。
狭い我が家、置き場所に事欠くが、天井から吊り下げればいいかとも思う。狭いからこそ、貧しいからこそ、色々な工夫が生まれる。
アパートの前でボール遊びをする。投げたり蹴ったり走り回ったり、体力を使い、高齢の私にはきつくへとへとになる。
「ママ、本当はめんどくさいとか思っている?」
そう聞かれ、どきりとした。ああこの子は私の胸の内を見透かしているのか?
「そんな事ないよ」
そう慌てて答え、上辺だけでなく、遊ぶ時も本気で遊ぼうと決めた。そう、今のこの子とは今しか遊べないのだ。
娘は本当に色々な事を教えてくれる教授さんだ。
家事をしながらテレビを見ていたら、家庭の主婦が
「ママもたまには息抜きしてきます」
というメモと千円札一枚を置いて遊びに行く場面があった。
私だって毎日本当に忙しく、自分の時間など一分もなく、息抜きなどした事もない。妬ましいやら悔しいやら。私だってクタクタだ!もういっそテーブルの上にパンを置いてしまいたい。出来合いの弁当で済ませたい!
だがそこでぐっと堪える。ああいけない。私はそうされてつらかったんだ。
気持ちを切り替えてフレンチトーストを作り、冷蔵庫へ入れる。
テーブルの上にはパンの代わりに
「れいぞうこに、おやつがあるよ」
とメモを残す。これでいい。これでいいんだ。絶対に手抜きをしない。するもんか。私は一生懸命な良いお母さんなんだ!
だから神様、十分だけ昼寝させてください。布団にフラフラと倒れ込みながら、自我自賛する。昔は容姿を自我自賛していたが、今は行動を自我自賛するようになれた事を喜びながら、一瞬で眠り落ちる。
うちのカーテンやカーテンレールがボロボロになっている。祝子がターザンごっこをしているからだ。
「あーあーあー!」
そう叫んで楽しそうな我が娘。…まあいいや。怪我さえしなければ。
祝子が猿のようにウキーウキーと言って、ドアノブにつかまっている。
「ときこ、ウキちゃんだよ」
そう言って嬉しそうなサル娘。…いいよ、いいよ、可愛いから。
祝子が嬉しそうに言う。
「ママ、ペコちゃんがお風呂に入っている時にポコちゃんが覗いたんだって。その時にペコちゃんが何て言ったと思う?」
「ん?何て言ったの?」
「ミルキー」
…一拍置いてから大笑いする。
見る気?とミルキーをかけている訳だ。ああ面白いねえ。駄洒落娘よ。
野菜を食べたがらない祝子に言った。
「祝子、レタスをスライスチーズでくるんで食べると、チョコレートの味がするよ」
祝子がほんと?という顔をしながら試している。
「あ、ほんとだ。チョコの味がチョコッとする!」
…騙されてくれて有難う。相変わらず駄洒落娘よ!
家事を終え、やっと椅子に座ってテレビを付けたら、祝子が私の膝によじ登って来た。
そのまましがみつき、嬉しそうににこにこしている。
…まあいいか、これが団欒になるなら。
保育園へ急ぐ朝、支度の遅い祝子につい苛立ち
「早くしてよ」
と言った所、急に自分のシャツをまくり、ニコニコしながら丸いお腹を見せた。
何故そんな事をするのか?ぽかんといていると
「ママ、ときこがどうしてこんな事をするか、分かる?」
と聞く。
「ん、どうしてかな?」
と聞いた所、こんな答えが返ってきた。
「ママに笑って欲しいから」
それを聞いてはっとする。
そうだ、この子の望みは支度を早くする事ではなく、私に笑顔でいて貰う事だ。
またこの子に教わった。やっぱりこの子は私の先生だ。
祝子が三輪車で転んで手と足に怪我をした。慌てて祝子を抱え、病院へ走る。
「ママ、三輪車、三輪車」
と叫んでいるが、三輪車などどうでもいい。
「取られちゃうよう!」
とまだわめいている。
…幸い手も足も骨折はしておらず、擦り傷で済んだ。ほっとする。
「ママ、三輪車」
尚も言う娘。公園へ行くと、誰かが隅に立てかけておいてくれていた。
「あった、良かった」
嬉しそうに駆け寄る祝子。
「祝子、三輪車の心配をしていたの?ママは祝子の方が心配で、大事だよ」
そう言ったらこんな答えが返って来た。
「また買うのは大変でしょ」
お、子ども心にもうちが経済的に大変という事を分かっているのか?
子どもに怪我や火傷はつきものだ。なるべくそうならないように細心の注意を払うが、それでも子どもは怪我や火傷をする。私は祝子に何かあれば即座に手当てをし、病院へ連れて行き治療を受けた。
そうしながら、幼い私が怪我や火傷をしても赤チンを塗って放置した母を思い出す。つらかった。病院へ連れて行って欲しかった。
絶対に放置するもんか。こんな可愛いたいせつな子を。
プラスチックのミニカーで祝子が遊んでいる。
「ブーブー」
私は家事をしながら見ていたら、急に落としてばらばらにしてしまった。
「あ、ママ、壊れちゃったあ」
と、祝子が言う。私は慌てて駆け寄り
「怪我しなかった?」
と聞き、祝子の手足を見る。怪我はしていないようだ。ならばいいと散らばったミニカーを片付けようとした所、急におへそを押さえてこう言った。
「あ、入っちゃった、入っちゃった」
プラスチックの破片がへそに入ったと言う我が子。慌てて綿棒でへそをほじったが破片は出てこない。もしや奥に入ってしまったのか?青ざめる。
「本当に入っちゃったの?」
と聞くと
「うん」
と、助けて欲しそうに頷く。これは困った!慌てて小児科に電話で予約を入れ、時間が来るまでに精一杯の事をしようと綿棒を手にへそと闘う。へそが開きそうな気がして
「祝子、フーってやってごらん」
と言った所、普段私の言う事など聞かないくせに、素直にフーっと息を吹く。
「もういっぺん、フーっ」
と言うと、また素直にフーっと息を吹く祝子。助けて欲しい時は素直なんだな、笑う訳に行かず、真剣にへそをほじくり続ける。神妙な面持ちで見ている娘。
「取れないから、お医者さんに取ってもらおう」
そう言った所で、祝子の足元に破片が落ちている事に気付く。
「あれ?これじゃないの?」
と聞いた私に、祝子が急にけろりとした顔になり、うんと頷いた。
「入っちゃったって言わなかった?」
「ん、なんか、入っちゃったような気がしたの」
「何だよ、びっくりするじゃないかよ」
そう言って抱きしめる。ニコニコする祝子。私にかまって欲しかったのか?
なんて可愛い子なんだろう。本当にこの子を産んで良かった。神様が産ませてくれた。
ああ神様、祝子のへそにプラスチックの破片など入れないでいてくれて、本当に有難うございました。小児科にキャンセルの電話を入れながら、微笑ましくてたまらなくなる。
うちの近くの公園でイベントが行われる。ポニー(仔馬)に無料で乗れるという。
早速申し込み、当日はカメラを持って張り切って祝子と参加する。だが、張り切っていたのは私だけで、祝子は最初から浮かない顔をしていた。
係員のお姉さん二人が祝子に馬の刺繍が入ったベストを着せ、ヘルメットをかぶせようとした所、大泣きを始めたのだ。
「嫌だ!嫌だ!」
…係員のお姉さんたちも困っている。
「嫌だ!嫌だ!」
わめき続ける祝子。他の子はみんな普通に着せてもらい、ポニーに乗せてもらい、楽しそうに写真におさまっているというのに…。
「わあああああああん」
…結局ポニーには乗れずじまいで帰る事になる。他の家族は楽し気にしているのに。
甘やかしたのか?ポニーに乗った君の雄姿を私は写真に撮りたかったんだよ。せっかく来たのに、本当にもう。ちっとも微笑ましくないし楽しくなかったよ。思わず言ってしまった。
「せっかくポニーに乗れたのに、良い思い出作りしたかったのに」
するとこんな答えが返って来た。
「ときこ、お馬さんなんか乗りたくないもん」
ああ、そうだったんだ。それはママが悪かった。君の意志をきちんと確認してから申し込めば良かったんだね。何も知らずにいきなりお馬さんに乗れと言われて嫌だったんだね。
また君に教わったよ。教えてくれて有難う。
今日は無駄足ではなく、そういう学びを得た一日に変わったよ。
うちの近くの公民館でイベントが行われる。児童劇団の子たちが上映するミュージカルを無償で見られるという。早速申し込みたいのをぐっと堪え、祝子に聞いた。
「ミュージカル、観に行く?」
「ミュージカルってなあに?」
「舞台の上で役者さんたちが歌ったり踊ったりするの。楽しいよ」
「見たくない」
「分かった」
ああ、申し込まなくて良かった。前回、学習した事が活きた。同じ間違いをしなくて本当に良かった。
うちの近くの会場で、祝子がいつも見ている子ども番組の収録が行われる事になった。子どもは無償で、大人はひとり千円で入場できる。
「祝子、この番組を生で見られるよ。行く?」
「行く!」
と、目を輝かせて即答する祝子。早速申し込み、当日二人でウキウキと出掛けた。
舞台にはテレビでいつも見ている歌のお兄さん、お姉さん、体操のお兄さんがいる。児童劇団員らしい子どもたちも歌ったり、踊ったり、会場は大盛り上がりだ。
「ひろみちお兄さーん」
と、大はしゃぎの祝子。ああ、君の意志を確認して、尊重して、本当に良かったよ。
歌も、振り付けも、毎日テレビで見て覚えているらしく、一緒に踊って歌って、心から楽しそうな娘を見て嬉しくなる。
ああ君を放置するまいと思うがあまり、ポニーだのミュージカルだの、余計な事をしたママが悪かった。これからもこうしていいか、ああしていいか、君に確認してからにするよ。教えてくれて本当に有難う。
パート先でなめこと煮魚を貰った。保育園に祝子を迎えに行き、家に帰る。
「さあ食べよう」
と、食卓に温め直した煮魚と昨日炊いた炊き込みご飯、なめこで作った味噌汁を並べた所、祝子が眉を曇らせる。
「ときこの嫌いなものばっかり」
「ああそうか。煮魚も、なめこの味噌汁も好きじゃなかったのね」
祝子は箸を取ろうとしない。
「じゃあほうれん草入れた卵焼き作ってあげようか?お味噌汁の代わりにコーンスープ」
祝子が嬉しそうに頷く。
「ときこの気持ち、分かってくれて有難う」
「どういたしまして。嫌いなものを無理に食べても栄養にならないからいいよ」
用意した卵焼きをニコニコ食べる祝子。これは甘やかしになるのか?我がままになるのでは?という考えが頭をよぎるが、子どもの気持ちを尊重するという意志を貫く。
風邪を引いてしまった。仕事を休み、家でひたすら眠る。母も疲れているらしく隣りで眠っている。ふと目を醒ますと、私の枕元で祝子が膝を抱えて座っていた。
「何時頃起きる?」
と遠慮がちに聞いてくる。それを聞いた母が珍しく祝子を咎める。
「祝子、ママは体調が悪いんだよ。寝かせてあげな。そんな、早く起きて、なんて」
そう言われた祝子がつらそうに俯く。
「何時頃起きる?って、聞いただけだよねえ」
と言った所、ウンと頷く。
「早く起きてなんて一言も言っていないよね」
と言うと、またウンと頷く。
「何時頃起きるか聞いて、その間どう過ごすか考えようって思ったんでしょう?」
また頷く祝子。
「つまんなかったんでしょう?さびしかったんでしょう?ママもおばあちゃんも寝てばっかりいるし」
頷く祝子。母に言った。
「偉いじゃない、こんな小さい子がたったひとりで」
そう言って起き上がる。
「ママ、もう腰が痛くて寝ていられないから起きるわ。テレビでも見ようか」
若い頃と違い、長時間寝ていると腰が痛くなるのでそうそう寝てもいられない。
祝子を膝に乗せ、テレビを付け、子ども番組にチャンネルを合わせる。
「祝子は自分の気持ちをきちんと言えるから偉いね。ママ、祝子のそういう所好きだよ」
嬉しそうな娘が言ってくれた。
「ときこ、ママ大好き。ときこもママのそういう所好きだよ」
この子に風邪をうつすまい、それだけを考え、愛しい娘の頭を撫でる。
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