すさびる。『この物語の終わりに、思う。』

晴羽照尊

この物語の終わりに、思う。


 物語に終わりなどないように、人生にも、終わりなどないのだと思う。


 三年前に、母が他界した。五十代も前半の、まだまだ若い時分だった。そのときに思ったのだ。母が死んでも、僕たちはまだ、生きている。生きていかなければならない。世界ここに母を知る人間が、まだまだ生きている。彼らが――僕らが母を忘れない限り、母は、世界に存在しているのではないか?


 母は、アクティブな人だった。僕たち兄弟が、年も近い三人兄弟だったから、お金がかかったのもあるだろう。もともとエレクトーン講師を目指していたらしいが、生徒がつかなかったのか、やはりお金のためか、ピアノの講師をしていた。それに並行して、いろんなパートの仕事も。僕が幼いころ、ときおり母の訪問営業に付き合わされた記憶がまだ残っている。


 僕たち兄弟が成人したころ、つまり、もうだいぶ手間がかからなくなってきたころから、地元の伝統工芸に興味を持ち始め、その職人のようなこともやっていた。ピアノ講師としての仕事は少なくなっていたが、その経験も生かされていたのだろう。いつのまにか、その伝統工芸に関しても生徒を持ち始めた。やがて、生徒がいなくなって、ピアノ講師はやめた。


 母が乳がんになったのは、二十年以上前だったと記憶している。僕が小学校低学年のころ……だと思う。少なくとも、いまでは記憶が曖昧なほどに、遠い昔だ。

 手術が成功してからも、定期的に通院していたことは知っていた。が、もう大丈夫だと、僕はそう思っていた。僕は大学生になって、地元を離れた。


 母の病状が再発したのは、五年ほど前だろうか。僕も大学を卒業していたけれど、地元には帰らず、どころか、定職にも就かずにふらふらしていた。バンド活動をしては音楽で生きていきたいと語り。勉強をしてみてはいろいろ資格を取ろうと躍起になり。そしていまでは、作家になるために毎日キーボードを叩く日々である。ある年、実家に帰ると、母の髪の毛はすべて抜けていた。


 母が死んだ日。その、前日。僕はコンビニで深夜のアルバイトをしていた。母の容体が芳しくない。それを聞き、翌日には急遽、実家に帰る予定だった。結局、死に目にはあえなかった。


 父は、母に余命のことを告げなかった。兄弟たちも、父の意向だからと納得した。僕もだ。いちおう。それでも母と最後に会った日、母は、珍しく僕たち兄弟を抱き締めた。ぞっとするほどに痩せ細った体。それでも懐かしい、温もりとともに。母はちゃんと知っていたのだろう。もう長くないことを。


 僕が作家になるつもりであることを、家族も、親戚も知っている。それでも、誰も強く反対はしなかった。僕がこうしているのは、彼らのおかげだ。

 でも、きっと本気で応援してくれていたのは、母だけだった。家族で本をよく読むのも僕と母だけだったから。母は本当に、人生を楽しみ、やりたいことに取り組み、なにより、アーティスティックな人だったから。


 母がいなくなったのは、火葬が始まった――あの部屋に入ったときだった。今生の別れに、多くの嗚咽が漏れる。僕はというと、ぼうっとそれを眺めているだけだった。ただ、内心でだけ頭を下げ、母に感謝を伝える。母が死んで、僕は思った。母を含めて、これだけたくさんの人に、僕の行く道を容認していただいている。


 自分の生きる道は自分次第で、誰のためでもなく、他の誰のものでもないけれど、それでも、きっと反対が強ければ僕は諦めていただろう。

 諦めた方が、もしかしたら正しく、幸せだったのかもしれない。でも、僕が僕らしく生きるには、やはり、僕は僕らしく、あるいは母のように、好きなことをなんでもかんでも、取り入れて進むしかないのだと思うから。


 だから。母へは別れではなく、感謝を。これからも、きっと僕の心にも息づいている、母へ。




 近況報告です。僕はまだ、変わらずにここで、こうしています。



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