15章 その2 終焉へ至る道②
乾いた拍手が響き渡った。
「いやあ、お見事。まさかそこまで辿り着くなんて、本当にびっくり」
先ほどまでとは打って変わって、はしゃいだ歓声を上げるユーリ。目をきらきらと輝かせ、秘密を暴かれたにも関わらず今の状況を心から楽しんでいるように見える。
「そう、あの石は僕が創って配ったものさ。僕の加護は『贖宥』。瑠璃石に贖宥の力を込めることができる」
言いながら右袖をたくし上げる。手首には聖痕が、そして二の腕には瑠璃石で彩られた腕輪が青い光を放っていた。
「授かったのは十歳の時。で、その代償がこの成長しない身体ってわけ」
「なるほど。教皇に就任できたのも、その加護のおかげですか」
ユーリが口笛を鳴らす。
「狡賢い枢機卿たちと渡り合うのに、とても役に立ってくれたよ。こんな子どもに踊らされていたと知った時のあいつらの顔ときたら、本当に愉快だった」
その口からくすくすと笑いが漏れる。実に無邪気な笑顔だった。
「それで?」ハルが遮る。「あの五人には?」
「うん、渡したのは半年前」
ちょうど公会議が開催され、全教区の司教が首都に集結するという絶好の機会があったためだ。五人それぞれと面会した彼は、実際に贖宥の力を見せた上で贖宥石を渡していったという。
「確かに、僕からじゃないと受け取らなかっただろうね。みな敬虔なミト教徒たちだったから」
「何で……」
ミナの口から当然の疑問がこぼれる。その脳裏には、贖宥石を誇るマズローの醜悪な笑みが浮かんでいた。
「率直に言って」一転してユーリの顔が引き締まる。「今のままだとこの国は滅びる運命にある。周りを敵に囲まれているからね。周辺国が手を結んで攻めてくれば、しのぎきることはまず不可能。この国を存続させるためには、周りと手を取り合うことが不可欠なんだ」
「そんなこと、果たして国民が許しますかね」
ハルの疑義はもっともだろう。異物を徹底して忌み嫌う土壌がこの国にはある。彼らと手を結ぶなどと言おうものなら、内乱が起きてもおかしくはない。
「許す許さないじゃない。やらなくちゃいけないんだよ。今のところ国民は僕に熱烈な支持を寄せているし、それに応えるだけの能力が僕にはある。何より、他国との交渉を有利に運ぶための大きな武器がある」
「贖宥石」
ユーリが頷く。
「交渉使節に持たせればこれほど心強い武器はないよ。しかも、相手はこちらが偽証できないと思い込んでいる。その効果は計り知れないだろうね。ただ、一つ問題があった。何回まで使えるか、だよ。自分が使う場合の上限は分かっていたけど、それが他人にも当てはまるのか分からなくてね。あの五人に配ったのは、それを確かめるためだったのさ」
検証するにしても贖宥の存在を公にするわけにはいかないため、協力者は秘密を厳守できる者でなければならない。信仰篤い五人はまさにうってつけの存在だった。
だけど、とその顔が悲しそうに歪む。
「そんな彼らでも、贖宥の力を手にした途端に変貌するんだね。いざって時以外は使うな、使ったらそのたびに報告しろ――そう強く申し含めておいたのに報告は一つも来ず、四人は業火に焼かれてしまった。偽りを口にする快感に溺れてしまったんだろうね。おかげで贖宥石の使用上限は分からずじまいさ」
深いため息。
「結局、最後まで神罰が下らなかったのはマズロー司教だけ。きっと、事件を起こすまで使わなかったんだろうね。五人の中で信仰を貫き続けたのは彼だけだった、ということかな。その彼にしても、最後は贖宥石に心を取り込まれてしまったわけだけど」
ゆるゆる首を振るユーリ。その顔には憂いの色が浮かんでいた。
「他人事みたいによく言えますね」
静かな怒気を孕んだ声が上がる。はっとミナが声の主を見ると、彼は教皇へ厳しい視線を投げかけていた。
「五人が亡くなったのはあなたのせいなんですよ? あなたの身勝手な実験のせいで。そのことについて何も思わないんですか?」
「えっと、何を怒ってるの?」
ユーリの顔には紛うことなき困惑が広がっていた。
「ねえ、僕はただ彼らに贖宥石を渡しただけなんだよ? しかも、加護の上限について厳しく言い含めた上で。そこから先、彼らが何を選択してどう行動するかは彼ら自身の問題でしょ。そう思わない?」
なおも言い募ろうとするハルを制し、彼はミナへと顔を向けた。
「人の行く末っていうのは――運命と言い換えてもいいけど、人それぞれの選択に寄って立つものなんだよ。それこそどうしようもないほどに。ねえ、ミナ? 君たちがそれを証明してくれたじゃないか」
「へ……?」
ぽかんとする少女の横で、ハルが苦々し気に舌打ちをする。
「やっぱり、今回の応援派遣はあなたが」
「あっは、気付いていたの? さすがハルだね」
材料はあった。教皇庁から下された、本来はあり得ない新人二人への捜査応援の命令。そして、ミナを捕まえるなという上司の指示。今回の件に関して、最低でも司教より上が絡んでいる証左だ。それに。
「経験不足のこんな若造二人を派遣するなんて暴挙、考えつくのも実際にやろうとするのもあなたくらいだと思っただけです」
異邦人であるハルの使徒採用を後押しした彼なら、それくらいはやりかねない。
「そう、今回の応援派遣の人選は僕の考えさ。神罰の無効化なんて発想、骨の髄まで信仰に染まった人間には到底辿り着けないだろうからね。君たち二人はまさに適任だったんだよ」
審察官二人を見遣るユーリ。
「君たちの仕事ぶりは知っていたよ。罪人を逃がすミナとその真逆のハル。ふふ、とても興味深い組み合わせだと思わない?」
ミナは腰を浮かせた。驚くことばかりで先ほどから息つくひまもなかったが、今回はそれらとはまた別の意味での衝撃があった。
「びっくりした?」少年が微笑む。「教皇には教皇なりの情報網があるんだよ。でも、心配しないで。ミナが捕まることはない。ハルの上司にそう命令したのは僕だからね」
「どうして……」
「そうしてまで君を捜査応援に派遣したかって? サットン司教が言ってたでしょ? 経験を積んでもらおうと思ってね」
あっけらかんと言い放つと、彼は目を細めた。
「君とハル、水と油のような二人はどう事件と向き合っていくのか? 何せ、やることなすこと正反対の二人だ。そこにはいろいろな葛藤や衝突が待ち受けているはずだよ。それを乗り越えることできっと、二人は大きく成長する。そう思ったんだ。君たちを捜査応援に派遣したのは、事件解決と二人の成長、その二つを願ってのことさ」
一石二鳥でしょ? と胸を張るユーリ。
「そして実際、君たちは期待に応えてくれた。こんなにうれしいことはないよ。あとでもっと土産話を聞かせてほしいな」
ぞくり、とミナの背筋が粟立った。腹の底から不快が湧き上がる。まるで自分の思いに、感情に、無造作に手を突っ込まれたような。
目の前の少年は人の運命はその人間の選択によると言いながら、ミナたちが成長したのは自分のおかげだと言っているのだ。サウスウェルズでの濃密な時間を否定するようなその物言いに、心穏やかでいられるはずがないだろう。
いや、それだけではない。なおも気持ちの悪い感触がまとわりついてくる。どこかが歪にねじれている。それが何なのか見極めようとするが、明確な言葉にすることができなかった。
「同じように」黙り込んだミナをよそに、弾んだ声が続く。「僕はあの五人に成長の機会を与えたんだ。贖宥という誘惑を手にした彼らは考えなくてはならない。自分の信条を貫くか、それとも偽証という力を使うか。どちらに転ぶにしろ、悩み、葛藤し、そして考え抜くことが彼らの成長につながる。そう思ったんだよ。結果、五人の司教は破滅した。そして、それを選んだのもまた彼ら自身。そう思わない?」
「ご高説に水を差すようで悪いのですが」
ハルが冷ややかに口を挟んだ。
「五人にしろ俺たちにしろ、今あなたが言っていることは余計なお世話以外の何物でもありません。本人の預かり知らないところで、勝手に
「すべてを知ろうとしてはならない、それができるのは神だけなのだから。ただ身を任せなさい、あなたにできることはそれだけなのだから」
朗々と読み上げられる聖篇の一節。ミナもよく知るそれらに、けれどどこか引っかかりを覚えた彼女は、すぐさまその理由に思い至る。
「ああ、またやっちゃった」ユーリが頭を掻く。「ついつい引用のルール忘れちゃうんだよね」
そう、教皇は引用元を明示していない。
引用の際は、引用元を提示しなければならない。さもなければ偽証と見做され神罰が下る――その原理原則を彼はあっさりと破っているのだ。
あらためて『贖宥』の力を見せつけられた気分だった。その点も含めて、聖なる言葉であるはずのそれら章句が、今は禍々しい底意を秘めているように感じられた。
「ともかく」咳払いするユーリ。「ねえ、干渉のまったくない人生なんてありえないんだよ? 例えそれが勝手に整えられた舞台だったとして、大事なのはその舞台でどう行動するかでしょ? そして、何を選択するかの権限は君たち自身に委ねられている。一体どこに問題があるのかな?」
「いい加減、くだらない御託はやめにしてください」ハルが吐き捨てる。「あなたの言っていることはすべて、くだらない建前にすぎません」
「ひどい言われようだなあ」
「じゃあ教えてください。なぜ五人に贖宥石を渡したんですか?」
教皇の顔に初めて怪訝そうな表情が浮かぶ。
「さっき説明しなかったっけ? 使用上限の確認のためだよ」
「検証の方法が不自然すぎます。使用上限を確認するだけなら、協力者一人にその場で偽証を重ねさせればいい」
その方が手間もかからないし、秘密を共有する相手も少なくて済む。何より、上限を正確に確認することができる。
「賢明なあなたがこんな簡単なことに気付かないはずがない。それなのになぜ、わざわざ回りくどい方法を取ったのか? 上限の確認なんてどうでもよかったんですよ。あなたの本当の目的は、石を手にした五人の反応を楽しむことだったんだ」
おそらく、四人が偽証を繰り返していることは「教皇なりの情報網」に引っかかっていたはずだ。その際に再度注意を喚起することもできただろう。
だが、彼はそうしなかった。
「俺たちを調査応援に派遣したのも同じです。贖宥石を渡した張本人のあなたなら、応援要請の書簡を目にした段階で即座にマズローが犯人だと分かったはずです。わざわざ俺たちを派遣せずとも、彼を呼んで詰問すれば済む話です」
そうすれば石の存在が漏れる危険もないだろう。
「なのに、なぜわざわざ派遣したんですか?――俺たちを事件に放り込んで楽しもうと考えたからです。葛藤やら衝突やらに悩む姿をね」
ハルの言葉に、ミナはようやく思い至った。先ほど
思い返せば、それは発せられた言葉の端々にも見え隠れしていた。
――おかげで贖宥石の使用上限は分からずじまいさ
司教たちの死を何とも思わず、贖宥石の上限を話題に出す無神経さ。
――君とハル、水と油のような二人はどう事件と向き合っていくのか? 何せ、やることなすこと正反対の二人だ。そこにはいろいろな葛藤や衝突が待ち受けているはずだよ。
まるで舞台を前にはしゃぐ観客のような弾んだ声。
たった二つの言葉。けれど、それらは彼の考え方を如実に表している。彼にとって人とは実験をするための道具、遊んで楽しむためのおもちゃに過ぎないのだ。一石二鳥でしょ?――その言葉が脳裏で不快に反響した。
あらためて少年を見る。自分より小さなその姿が、今はまるで得体の知れない化け物のように感じられた。
その化け物へ、ハルが言葉を叩きつける。ミナの想いを代弁するかのように。
「あなたは結局、他人の人生をおもちゃにしているだけです。平たく言えば悪趣味の極み、最低のクズです。そんな人間に踊らされていただなんて、考えただけで虫唾が走りますね」
「ハル」
浴びせられた罵声に対して、教皇はあくまで平静だった。
「そこまで言うなら、今度は僕から質問しよう。神がなぜ偽証を禁じたか分かるかい? なに、難しいことじゃない。答えは聖篇に書いてあるんだから」
滔々とその一節が暗唱される。
――決して偽証をしてはならない。それは世にある悪徳の中で最も卑しいものである。偽る者は業火によってその身を禊ぎ、魂を昇華させなさい。清水が涸れた土地を潤し、果実を実らせるのと同じように。
「これが答えさ。だけど人間っていうのは勝手なもので、あれこれいろんな解釈を捻り出してしまう。ミト教徒の清浄さを保つためだとか、治安を守るためだとか。ひどいものになると殺人容認のレトリックに使われる始末さ」
その口からため息がもれる。
「ねえ、今の君たちもまさにそれと同じだよ。僕がちゃんと答えているのに、自分の都合のいいように解釈をする。僕の声が聞こえているはずなのに、それを無視するような言葉を返す。本当にひどい。泣きそうだよ」
ゆるゆる首を振ると、ユーリは身を乗り出した。
「いいかい、大切なのは相手を信じて受け入れることだよ。僕はあくまで国を思い、そして君たち国民の成長を願っている。そして、そのための行動は惜しまない。四人の司教の件にしろ君たちの件にしろ、僕が言った言葉に嘘偽りはない」
「じゃあ」
「腕輪を外せ? ひどいなあ。こんなに本気の本気で答えているのに。その思いを踏みにじらないでほしいな。まずは僕のことを信じて。すべてはそこからだよ」
その顔に弾けるような笑いが浮かぶ。一かけらも
――こんな人が教皇だなんて。
短い沈黙が流れた。やがて二人の空気から察したのだろう、ユーリがそっけなく肩をすくめる。
「残念」
と、その手が打ち鳴らされた。
「さて、この先はいくら話し合っても水掛け論になるだけだし、この件はもう終わりにして次に進もう。多分だけど、僕に対するこの告発もまだ話の一部で、本当の目的はもっと別にあるんでしょ?」
「……いいでしょう」
相手を睨みつけたまま、ハルが深く腰を落とした。ほう、とミナは息をつく。息を詰めていたせいですっかり硬くなってしまった身体をほぐしながら、ゆっくりと体勢を変える。そんな彼女へほんの一瞬目を遣ると、ハルは本来の目的を口にした。
「取引しよう。俺たちはこのことを誰にも話さない。代わりに、あんたはミナが裁かれないよう手を回す」
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