15章その1 終焉へ至る道①
ユーリ・アウグヌス。第三十七代教皇である彼は、弱冠十五歳の少年である。
生まれは有力な枢機卿の血筋。幼い頃から神童の誉れ高く、五歳で聖篇を諳んじ、七歳にしてその注釈書を著すまでとなり、将来の教皇候補として期待されていた。だが、わずか十歳にしてその座に就こうとは、誰が想像し得ただろうか。
先代が崩御したのは、彼が十歳になった年だった。間を置かず、後継を巡る争いが繰り広げられ、その一勢力に彼は担ぎ上げられた。
彼らは幼いユーリを教皇に据え、その後ろ盾として権勢を振るおうと考えたのだ。それを理解した上でユーリは彼らの話に乗り、そして見事に教皇の座を射止めることとなる。
即位してすぐ、彼は無垢な子どもの仮面を脱ぎ捨てた。その最初の仕事は、彼を担ぎ上げた者たちの一斉放逐だった。教皇の座を薄汚い権力の道具にしてはならない、という号令とともに。十歳だとは信じられないほどに、それは鮮やかな手際だった。
これに国民は熱狂した。彼こそ我々を導いてくれる真の盟主だと、口を開けば誰もが称えた。位に就いてすでに五年経つが、その人気に陰りは見られない。
大衆の圧倒的な支持を背景に、彼は多くの政策を断行した。
形骸化していた法を次々廃止し、新しい施策を続々と打ち出していった。癒護課の創設もその一つで、おかげで主要三都市では死亡率が劇的に改善した。
不思議なことに、彼の身体は十歳からまったく成長することがなかった。彼の即位を神が祝福している、だから神は彼に永遠を授けたのだ――やがてそんな考えが広まり、彼は畏敬の念を込めてこう呼ばれるようになる。小さな大教皇、と。
慌ててベッドから降りようとするミナを、教皇は鷹揚に制する。
「まだ傷は癒えてないんでしょ? そのままでいいよ。えっと、ミナって呼んでいいかな。僕のことはユーリでいいから」
「え、いいですけど……あ、いや、それはさすがに……」
少年の砕けた調子に、呆気にとられるミナ。一方で、ハルは動揺も見せずに教皇の靴へ口づけをした。
苦い顔をしてハルを立たせると、教皇は手近の椅子に座る。そういった何気ない所作の一つ一つから気品が漂い、溢れていた。
「だからそういう堅苦しいのはいいから。今、僕はお忍び中。ただの一般人だと思ってよ。でも、ハルも元気そうでなにより――」その端正な顔がしかめられる。「ごめん、大変な目に遭ったばかりだったね」
「教皇猊下も、他人の病室を覗き見するほどにお元気なようで」
「ユーリだよ。名前で呼んでくれって言ったろ?」
「分かりました、猊下」
ミナはそっとハルの袖を引っ張った。
「ど、どういうこと? 知り合いなの?」
「まあ、身分が違いすぎるから知り合いってのはおこがましいけど。俺が審察官になれたのは、こいつの鶴の一声があったからなんだ」
「こいつって」
「聞こえてるよ、ハル」
気を悪くするでもなく、教皇は笑った。
一年前のことだ。使徒採用試験に臨んだハルだったが、異邦人である彼が合格することはないだろうと、当の本人ですら思っていた。
だが、運命は彼に味方した。異邦人が受験すると聞きつけたユーリが、わざわざ試験の場に臨席したのだ。
「変わった出来事があればどこへでも出向いて、自分の目と耳で確かめる。それが教皇としての僕の信条さ。まあ、首都を留守にするわけにはいかないから、残念ながら遠出はできないんだけどね。それはいいとして、試験に合格したのはハルの実力だよ。僕はただ厳正な評価をするよう試験官に耳打ちしただけだし」
「いえ、ありがとうございました。猊下が酔狂な方で助かりました」
ユーリは肩をすくめると、「さて」と身を乗り出した。
「思い出話に花を咲かせてもいいんだけど、そんなことをするために僕を呼び寄せたわけじゃないだろ?」
「呼んだ? 教皇を?」
驚くミナに、小さな教皇は頷いた。
「ハルが今日まで何をしていたか知ってるかい? 怪我から回復した後、教皇庁に拘束されて延々と上級審問を受けていたんだよ。なぜかって? マズロー司教が犯人ってこと以外、事件について黙秘し続けたからさ。繊細な問題が含まれているから教皇以外には話せないってね」
ハルが後を引き取る。
「で、ミナが審問できる状態になったから、そっちから先に片付けようって思ったんだろ。俺は晴れて釈放され、ようやく見舞いに参上つかまつったってわけ」
「そして審問の報告を受けた僕は、ハルの真意を尋ねにのこのこ出向いて来たと、そういうことだね」
ふふと笑い、彼はハルへと顔を向けた。
「そろそろいいかい? 教皇以外に話せない繊細な問題っていうのを聞かせてほしいな」
その顔から笑みが消え、途端に部屋の空気がぴんと張り詰める。どれだけざっくばらんに話をしていても、彼は確かに教皇だった。その一挙手一投足には場の雰囲気を一変させる力がある。
「少し長いですが、一から説明させてください」
事件の概略、そして聖堂での出来事が簡潔に説明される。概ね正確な内容だったが、あいまいにぼかされる箇所もいくつかあった。例えば、マズローの動機に関する部分がそれだ。ローザの立場を慮ってのことだろう。
にも関わらず、不自然さをまるで感じさせることなく話は進んでいく。その口の巧さに、ミナはあらためて舌を巻いた。
黙って聞いていた教皇は、贖宥石のくだりで眉をひそめた。
「『街道商会』とやらの存在だけでも頭が痛いのに、よりによって贖宥石とはね。この国の根本を揺るがしかねないな」
「とりあえず、このことを知ってる連中には口止めしておきました」
「賢明な判断だ。よくやってくれたね」
「別に国を思っての行動ではありません。そして、本当にお話したいのはここからです」
ハルは居住まいを正した。
「マズローが神罰を無効化していると確信した後、一つの疑問が浮かびました。神罰を覆すほどの奇跡がどうして起きるのか? 答えはすぐに出ました。俺の知る限り、この国でそんなことを可能にする力は一つしかありません。加護です」
加護の中には、神の力としか思えないものも存在する。そして、神罰の無効化は不可能とされる四事象に含まれていない。
「だから贖宥石を見せられた時、加護によって創られたものだと判断しました。とすると、その使用回数や使用期間には制限があるはずです」
ちょうど恒炎が一年で消えるように、加護は一度に使える回数や持続期間に限りがある。
ふむ、とユーリが頷いた。
「加護であれば、そうかもしれないね」
「ここで、頭の隅に引っかかるものがありました。司教四人が神罰を受けたあの事件です。少々飛躍しますが、もしかしてあの四人も贖宥石を持っていたのではないか? そして偽証を繰り返している最中に石の効能が切れ、神罰を受けてしまったのではないか、と」
一つ息をつく。
「そこで、この件についてリズ審察官に調べてもらいました。本当は俺ができればよかったんですが、身体が治ったと思ったらすぐさま上級審問だったので」
この病室へ来る直前、ハルは彼女からの報告を受け取った。
結果は予想通り。四人の司教はいつ頃からか、首飾りや指輪の形で瑠璃石を身につけていた。さらに、それらは業火に焼かれた後、綺麗に消えてなくなっていたことも確認された。
業火によって焼き尽くされた可能性はある。だが、使用上限に達した贖宥石が自然消滅したとも考えられる。
「そこで、リズ審察官がさらに詳しく聞き取りをしたところ、極めて重要な証言が得られました」
神罰が下る以前に、彼らが偽証したのを聞いたことがある――そう証言する者が複数現れたのだ。
「証言者たちは自分の勘違いだろうと言っていますが、おそらくそうじゃない。四人は贖宥石によって神罰を回避していたんです。つまりマズローを含め、同時期に五人もの人間が石を保持していたことになり、いくら何でもこれは偶然では片付けられません。石を創り出し、ばら撒いた何者かがいると考えられます」
「なるほど。それは贖宥石の存在以上に由々しき事態だね」
こめかみを押さえる教皇に、ハルは首を振った。
「猊下、重要なのはここからです。石を所持していた五人は、いずれも長年司教を務めてきた敬虔なミト教徒で、人望の厚い者ばかりです。マズロー司教に至っては、自分の妻をためらいなく火刑に送るほど信仰に尽くしていました。ここで大きな疑問にぶつかります。そんな信心深い彼らが、何者からか贖宥石を渡されたとして、果たして受け取るでしょうか?」
教皇の目に鋭い光が浮かぶ。ミナの口があんぐりと開いた。
「いいえ、受け取るはずがありません。信仰篤い彼らからすれば、贖宥石などあってはならない代物です。そんなものを渡そうとする輩がいれば、異端者として厳しく断罪するでしょう」
偽証してはならない――それはミト教徒を清浄たらしめる、唯一の教義だ。
「だが彼らは贖宥石を受け取り、あまつさえ使い込みまでした。彼らにそんな行動を取らせることができるのは神か、さもなくばそれに限りなく近い、絶対者と目されるような存在だけでしょう。そして、そんな存在はこの国に一人しかいない。ユーリ・アウグヌス教皇猊下、教国の頂点であるあなたです。贖宥石をばら撒いたのはあなたですね?」
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