14章その1 辿り着いたその先で①
蹄鉄と車輪の音が規則正しく響く。
気が付くと、馬車に揺られていた。
車内には誰もおらず、外は真っ暗で何も見えない。馭者に声を掛けてみるが、返事はない。振り返りすらしない。
どこへ行くんだろうと思ううち、馬車はぴたりと止まった。
ほろが一瞬にして剥ぎ取られる。いつの間にか馭者も馬も消えており、荷台だけがぽつりと取り残されていた。
目を凝らすと、正面に薄っすらと人影が見えた。影は三つあり、俯いていて顔は分からないがどれも女性のようだった。三人の背後には杭が立っており、どうやら後ろ手に縛り付けられている。
輪郭が徐々にはっきりしていく。
修道衣の二人と、やつれた女性。いずれもよく知った姿だった。
突如、彼女たちの足元から炎が巻き起こった。空気が揺らめき立ち、禍々しい赤が闇ともども三人を侵食していく。
手を差し出すが、届かない。伸ばした指先に火の粉が飛ぶ。熱い、と感じた次の瞬間には全身が炎で包まれていた。羊皮紙が燃えるように、それはあっという間の出来事だった。
世界が赤く染まる。
ああ、これでようやく――
瞼を開くと、視界一面に白が飛び込んできた。その暴力的な眩しさに、ミナは思わず目を細める。慣れる従って、どうやらそれが天井で、自分は仰向けに横たわっていることが分かった。
辺りを見回そうとすると、首に硬い棒でも突き刺さっているかのような激痛が走った。手を伸ばそうとしたが、両腕ともぴくりとも動く気配がない。
諦めて天井を見つめていると、次第に記憶の断片が形を成していった。サウスウェルズでの四日間。修道女たちとの対話、ハルたちとの調査、マズローとの対決、そして、神罰。そのどれもがつい今しがた起こったことのように感じられる。
ただ、業火に包まれて以降のことは不思議と思い出すことができなかった。神罰による影響なのかもしれない。
――そっか。私、死んだんだ。
自分でも意外なほど冷静だった。
後悔は山ほどある。というより、後悔しかないような気がする。けれど仕方がない。つまらない自分の、どうしようもない行動が招いた結果だ。忸怩たる思いを吐き出すように、その小さな口から呟きが漏れる。
「あーもう。ほんとダメダメな人生だったなあ」
「ミナ?」
頭上から声が上がり、懐かしい顔が彼女を覗き込んだ。その目は赤く充血しており、下瞼は黒々と隈どられている。
「……リズ?」
「ミナ!」
飛びかからんばかりの勢いで抱きついてくるリズ。途端、ミナの全身に激痛が走る。身体がばらばらになりそうなその衝撃に、口をついて悲鳴がほとばしった。
「あ、ごめん!」
リズが慌てて離れる。その瞳は薄っすらと濡れていた。
――どういうこと?
痛みに涙を浮かべながら、相手の顔をまじまじと見つめる。
自分は業火に焼き尽くされたはずだ。それこそ灰も残さずに。それなのに目の前にリズがいて、しかも会話をしている。
「もしかして、リズも死んだの?」
一瞬呆気にとられた顔をしたかと思うと、リズは怒ったように声を上げた。
「そんなわけないでしょ! ミナ、あんた助かったんだよ」
「助かった?」
「そう、助かったの。ここはラテナ。ミナは帰って来たの」
「ラテナ……帰って来た……」
やはり事情が呑み込めない。何と言えばいいのか分からず、ミナは咄嗟に謝罪を口にしていた。
「ごめん、お土産忘れた」
泣き笑いのような顔で、リズが乱暴にミナを抱き締める。
室内に二度目の絶叫が響き渡った。
首都ラテナ、そしてミティア教国の中心――第一教区。
教皇庁をはじめ官舎が立ち並ぶその一画に、癒護院はあった。ミナが寝ているのはその三階、重傷者専用個室だった。
室内は清潔な白一色に統一され、首都でも珍しい両開きのガラス窓が設えられている。ベッドや来客用の椅子といった調度にしても、一見しただけで高級品だと分かる品が揃っていた。
時刻は早朝。ミナがここに運び込まれてから今日まで、リズは仕事を休んで付き添ってくれていたらしい。何も分からずにいるミナに、彼女は事件の顛末を話してくれた。
マズローは自身の加護により自滅したこと。ミナへの神罰は贖宥石により打ち消されたこと。暴徒たちは地下通路までは追って来ず、一人の犠牲もなく逃げ切れたこと。
さらに、スロースの口添えで、街道商会がミナをわずか一日半で首都まで搬送したこと。道中、加護による不断の応急処置が施されたおかげもあり、癒護院での治療十日目にして彼女が意識を取り戻したこと――ミナにとってはそのすべてが驚きの連続で、くらくらとめまいすら感じた。
「スロースさん、そんなことまでしてくれたんだ」
マズローとの対決を前に、ミナは密かに彼へ協力を要請していた。
何せ相手は異教徒の軍勢をたった一人で撃退した化物だ。万が一にでも取り逃がすことがないよう、保険として町の周囲と隠し通路に待機してもらおうと考えたのだ。賛成しないだろうと、ハルには相談しなかった。
地下通路に出たミナを感知したのだろう、スロースは出口で待っていた。そして、彼はミナの話に乗った。
――神罰の無効化……面白い話ね。うまくすれば、いろいろ楽しいことを起こせそうだわ。
ただし、彼が約束したのはマズロー捕縛への協力だけだ。ミナを首都まで運搬するなど、余計な仕事以外の何物でもない。
――彼女とは食事の約束をしているからね。
渋る街道商会の面々に、彼はそううそぶいたという。ミナはあらためてその器の大きさを実感した。
暴動は夜明けとともに周辺の町の協力で鎮められた。死者は出なかったようなので、ウェルとノラは無事だったのだろう。ただ、ローザとロンゾに関しては、街道商会が隣町まで搬送したらしいのだが、その後の安否は分からないという。
――すべてを見届けたら、裁きはきちんと受けますから。
ローザの言葉が頭をよぎる。マズローの死を見届けた彼女は、一体どういう決断をしたのだろう。
そして、ロンゾ。崇拝する相手に裏切られた彼の心には、どんな思いが去来しているのだろうか。
話を聞きながら、ミナはただただ二人の無事を祈った。
「まあ、大体こんなところかな。あと、何か聞きたいことある?」
「ハルは? ハルは無事なの? 業火に触れたんでしょ?」
リズの顔があからさまに曇る。
「え、何? もしかして……」
「ああ大丈夫、ダイジョーブ。あいつもここで治療受けたから。全身ぼろぼろだったけど、ミナほどひどくはなかったからもう全快してる。ここに来るまでの方がむしろ一苦労だったみたい」
落火は街へ入ることができない。そのためミナたちは街の近傍に荷台ごと放置されることになった。訝しがり様子を見に来た門番にハルが自分たちの身分を説明し、二人はようやく街中へ運び込まれたのだという。
「私が今した話も、全部あいつから聞いたこと」
「……よかった」
安堵の吐息が漏れる。――本当に、よかった。
「でさ、ミナ。ここからはあいつの伝言」
そう言うリズの声は不機嫌だ。
「リズ、もしかしてハルのこと嫌い?」
ハルのあの性格だ。二人の間がうまくいかないだろうことは容易に想像できる。リズがため息をついた。
「嫌いだね。というより、私はあいつが許せないのさ。ミナをこんな目に遭わせたんだから」
「でも、それは自分のせいっていうか……」
「どんな事情があるにしろ、だよ。しかもそれだけじゃない。こんなとんでもない事態にミナを巻き込みやがって」
ミナは首を傾げる。
「とんでもない事態って、サウスウェルズのこと?」
「もっと大きな話。で、それに対処するにはあいつの言う通りにするしかない。それが確実だし、悔しいけど私だけじゃ……ミナを守り切れないから。それがまた腹が立つ」
「何言ってるの?」
不吉な予感にミナの胸がざわめく。――まさか、事件はまだ終わっていない?
「ごめん、詳しくは話せないんだ。でも信じて。これも全部、ミナを守るためなんだ」
そう言うと、彼女はミナの頭にぽんと手を置いた。
――事件についての一切を黙秘するように。
それがハルの伝言だった。
理由を聞いても、とにかくそうするしかないとリズは繰り返すばかりだった。ただ、それが自分のためなのだということはひしひしと伝わってきたため、ミナも同意するほかなかった。
「あとさ、これは私から」
帰り際、戸口に立ったリズはほんのついでのように言った。
「また命を捨てるような真似したら、殺すから」
振り返ることなく彼女は出て行った。ドアの閉まる小さな音が、ミナの耳にはやけに鋭く聞こえた。
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