13章 その3 罪と裁き③

 マズローは項垂れ、ぴくりとも動かなかった。審察官二人は顔を見合わせると、車椅子の罪人へと一歩踏み出した。

「なあるほど、よおく考えられていますね」

 唐突に、調子はずれの声が響き渡る。声の主は身体を起こすと背もたれに悠然と身を沈め、嘲りに満ちた目で四人を見渡した。

「うんうん、さすがに両親を殺された人間は違いますねえ。一生懸命勉強したのでしょう。異邦人なのが本当に惜しいです」

 まるで酔っ払いが読めもしない外国語を読んでいるような、聞いているだけで居心地の悪くなる声だった。

「司教……」

 ロンゾが悲痛な面持ちで呻く。

 ハルの推理を聞いて以降、彼は一貫してマズローの無実を主張してきた。そんなことはあり得ないと繰り返し、ハルと取っ組み合いになる場面もあった。罠を仕掛けることに関しても、司教の無実を証明するために同意したのだ。

「ああロンゾ、そんな顔をするものではありませんよ。私まで悲しくなってしまうではありませんか」

 尊大な姿勢のままマズローが微笑むと、ローザがひっと悲鳴を上げた。先ほど彼女が間近で見た笑みの何倍もの酷薄が、そこには浮かんでいた。ミナの全身も粟立つ。

「ふん、それがあんたの本当の姿ってわけか」

 場がマズローに呑まれる中、一人ハルは冷静だった。マズローが鷹揚に首を振る。

「まるで、普段の私が偽りであるかのような物言いではないですか。そんなことは断じて言うべきではありませんよ。黒いのの分際でね」

 長槍を抱えたロンゾが弱々しい足取りで進み出る。

「冗談……冗談なんでしょう? あなたが三人を殺したなんて」

「そんな顔はするなと言ったでしょう、ロンゾ? ええ、ええ、あの三人は私がこの手に掛けたのですよ」

「でも、否定していたじゃないですか!」

 長槍を激しく床に突き立てる。破裂音とともに、大理石に深く亀裂が走った。

「神に誓ってやってないって、はっきりとおっしゃった!」

 その悲痛な咆哮に、マズローはため息をつく。

「うんうん、ロンゾ。あなたは昔から手のかかる子でしたが、いくつになっても変わらないのですねえ。ここまでの話を聞いていなかったのですか。私に神罰は下らないのですよ」

 マズローは左手を掲げた。その薬指には、ミナが告解室で見た指輪が青く輝いている。

「これは贖宥石しょくゆうせきとでも呼ぶべきもので、身につけている者には神罰が下らなくなるのですよ。つまり、神に特別に選ばれた証というわけです」

「そんなこと、あるわけが!」

「それがね」マズローの口が大きく歪む。「あるのですよロンゾ! うんうん、あなたたちは神に選ばれたことも選ばれることもないでしょうから、にわかには信じられないでしょうがねえ」

 裂けた口から哄笑がほとばしる。優越と不遜にまみれた笑いだった。千切れるほど身体をねじり、額に汗を浮かべながら笑い続けるその姿に、聖職者の面影はもはや欠片ほども残っていなかった。

「何笑ってるんですか!」

 ミナは声を張り上げた。これ以上耳障りな笑いを聞いていたくはなかったし、ふざけた態度への憤りを抑えることもできなかった。

「三人を殺しておいて、どうして笑っていられるんですか! あんなにひどいことをしておいて!」

 ぴたりと笑いを止め、マズローは憐れむようにミナを見た。

「ああ、ああ、ミナ・ティンバー。あなたも手のかかる子のようですね。あんなひどいこと? 言いがかりも大概にしてください。エリス、リノ、セラ、それにそこのローザ。この子たちはこの町に落火を引き入れ、しかもそのことを隠し続けてきた。その二つの罪を、神に選ばれた私が浄化してあげたのですよ? 感謝されこそすれ、罵られるいわれなどありませんねえ」

 その人を食った口調に、ミナの中で黒い塊のような感情が広がる。

 ――何を言っているの。

 右手の炎が音を立てて揺らめく。

 ――

 ぽん、と肩に手が置かれた。ハルだった。「落ち着け」。耳元で囁くと、彼はゆっくりと前へ出る。

「マズロー司教。あんたにそんな資格はない。罪人に刑を執行するのは、裁きの門の刑吏の仕事だ」

「うんうん、やはり異邦人ですね、何も分かっていない。私は神に選ばれた人間なのですよ? 私には人々の罪を浄化し、そして魂を救済してやる義務があるのです」

「へえ。じゃあ、そんな選ばれし司教様に一つ質問だ。あんたの行為が正しいのだとしたら、なぜそのことを隠し続けてきた? 罪深い修道女たちを私が救ってやったのだ、と大々的に宣言すればいいだけの話なのに、なぜそうしなかった?」

 マズローの顔から笑みが消えた。

「言えなかったんだ。そんなことしたら、殺人者として自分が裁かれるから。そう、自分のしたことが裁かれるべきことだって、あんたはちゃんと自覚してるんだ。そして、自分かわいさにだんまりを決め込んだ。何が選ばれし人間だ、聞いてあきれるな。そういえばあんたさっき、罪を隠ぺいするのも罪だとか言ってたよな? なら、その点でもあんたは罪人ってことになるぜ。神に選ばれたあんたが言ったんだから、間違いないだろ?」

「……くだらない。黒いのがたわごとを」

「はん、じゃあたわごとついでにもう一つ質問だ。なぜリノ修道女を手に掛けるまでに一週間以上かかった? 嘘がつけるんだ、探りを入れるなんて簡単だろ?」

 いや、とハルは首を振る。

「探りを入れる必要すらない。修道女たちはクラッドが町の中にいると思い込んで、事件後しばらく恐慌を来たしていた。事情を知るあんたなら、その様子だけで全員が共犯だと気付くはずだ。なのに長いこと何もせず、しかも俺たち二人が到着してから手を下した理由は何だ? 罪を清めてやるつもりなら、すぐにでも取り掛かればよかったのに」

 マズローが肘掛けに拳を打ちつけた。

「それこそどうでもいいことでしょう! 最終的に罪は清められたのですから!」

「いいや、違う」

 響き渡った叫びを断ち切るように、ハルは語気を強めた。

「あんたには罪を浄化しようなんて思いはこれっぽっちもない。今あんたが言ったのはすべて、エリス修道女を殺した後で生み出されたくだらない妄想だ」

 声をなくしたように、マズローは口をぱくぱくとさせる。構わずにハルは続けた。

「エリス修道女を殺した後、あんたの中で何が起きたか言ってやるよ。あんたの説によると、罪人はすべからく不信心者だ。つまり、エリスを殺してしまったあんたも、不信心者ということになる。だが、信心に生きてきたあんたには、それは到底許容できることではなかった。どうするか迷った挙句、例の言い訳を思いついたんだ」

 エリスの罪を浄化してやっただけなのだ――そう自分に言い聞かせ、それを立証するために彼は死体を焼いた。そして、万が一にもクラッド以外の落火が神聖なる聖堂に侵入しないよう篝火台を戻した。問題は天蓋の焦げ跡だったが、それは彼の『巨腕』でもどうすることもできない性質のものだったため、見つからないことを祈るしかなかった。

「ただ、いくら取り繕ったとしても、所詮は言い逃れにすぎないと分かっていた。だから、自分が罪人だという事実を突きつけられることに恐怖し、修道女たちの様子を観察することも、それ以上の行動を起こすこともできなかったんだ。だが不安とは裏腹に、追及の手があんたに伸びることはなかった」

 この町で、彼を疑う者など一人もいなかった。。そもそも、もし審問されたとしても偽証ができるし、いざとなればクラッドにすべての罪を着せてしまえばいいではないか。その際には天蓋の焦げ跡が役に立つ――

「時間とともに恐怖は薄れ、捕まらないという確信が強まっていった。と同時に、初めはただの思い付きに過ぎなかった言い訳が、あんたの中で真実に変わっていった。自分はエリスを浄化してやっただけなのだ、と。そしてその考えを補強するため、さらなる妄想が生み出された」

 ――私は神に選ばれた人間なのだ、だから罪人を浄化してやらなければならない。

「そこであんたはようやく次の段階へ進むことになる。第二の事件までの空白は、『神に選ばれた私が罪人を浄化する』という、自意識まみれの気持ち悪い妄想を発展させるための時間だったんだ」

 この頃には、修道女たちの恐慌は沈静化していた。だが、絶妙のタイミングで二人の審察官が到着する。

「わざわざ自分が探りを入れずとも、俺たちの介入で自然と罪人があぶり出される――あんたはそう踏んだんだ。そして、彼女たちがぼろを出すように手綱を緩めることにした」

 ――司教、今かなり優しいから。

 日課が免除されたことについて、セラはそう語っていた。だが、実際のところそれは優しさからの行動ではなく、罪人をあぶりだすための方策にすぎなかったのだ。夕食後に修道女たちへの聞き取りを許したのも、その一環といえる。

「以降、彼女たちの様子を注意深く観察したあんたは、リノ修道女、そしてセラ修道女の関与を察し、殺した」

 ハルは拳を握り締める。

「最後にローザだ。彼女の火刑を保留したことは、これまでの話を決定的に裏付けている。あんたの目的が罪の浄化なら、なぜ保留した? 火刑は罪を浄化するためにあるのに? 今のこの状況を見れば答えは明白だ。自分の手で彼女を浄化するためだ。神に選ばれた自分が彼女を救う、という物語に沿ってな。

 隣町へローザを移すのに難色を示したのも、自ら手にかけることができなくなるからだ。だが結局は押し切られる形となり、慌てて浄化を決行することにした。

 一際乾いた音とともに、拳が祭壇に叩きつけられた。

「罪の浄化? 魂の救済? 笑わせる。そんな御大層な名目なんてあんたにはない。自分の罪を認められず、醜い詭弁で正当化しようとしているだけだ。あんたは選ばれた存在でも何でもない。子どもだましの言い逃れで自分すら欺こうとする、幼稚な卑怯者に過ぎない!」

「黙れ下衆が!」

 絶叫と同時に巨腕が出現し、その拳が高々と掲げられた。だが振り下ろされる直前、マズローの前方の床が激しい音とともに爆ぜ散る。炎球が放たれたのだ。

「動かないでください」

 ミナの声に悔しそうに顔を歪め、マズローが喚く。

「くだらない妄言を吐き散らかすな、下衆が! 貴様の言っていることこそ、神を冒涜する妄言以外の何ものでもない!」

「じゃあさ」

 ハルの冷え切った声が響いた。

。私はあの修道女たちを浄化したんです、最初から最後までそのつもりで行動しましたってな」

 途端、マズローの目がぎょろりと見開かれ、その頬はひくひくと痙攣を始めた。肘掛けは今にもへし折らんばかりに握りしめられ、高くいからせた肩がわなわなと震える。

「できないのか?」

 とどめを刺すように、ハルは司教を睨みつけた。

 少年の胸の内が、ミナにはよく分かった。自分の罪に縛られ、懊悩し続けてきたのがハルだ。そこから目を背けているだけの男を許すことなどとてもできないだろう。

 そう、ミナも同じ気持ちだった。

 今の説明を、彼女は事前にハルから聞かされていた。あくまで想像だが、と前置きをされた上で。

 当然、マズローへの激しい怒りが巻き起こった。そんなくだらない理由で二人は殺されたのか、と。

 その一方で、渦巻く感情に呑み込まれまいとする自分もいた。これまで思い込みから間違いを犯してきた苦い経験がある。予測や怒りに任せて断罪するわけにはいかない。まずは本人から話を聞かなければ――そんな思いが頭の片隅にあったのだ。何より、身勝手な妄想のせいで二人が殺されたなど、あまりに理不尽ではないか。

 だが。

 目の前の男は罪を暴かれると、死んだ三人へ懺悔をするどころか、自分は間違っていないと哄笑した。茶化したような態度で、自分は神に選ばれた人間なのだと宣った。

 ミナは理解した。ハルが正しかったのだ。ハルの言葉に一言も返せない今の彼の姿が何よりの証拠だ。

 ローザを見る。視線を受け、彼女ははっきりと首を振った。ミナは頷き返すと、マズローへと顔を向けた。

 ――で、どうするの。

 リズの言葉を反芻する。

 彼の処遇に口を出す資格など、自分にはない。それは結局、ローザの気持ちを無視して、身勝手に裁くということなのだから。

 ――だけど、やれることはある。ううん、やるべきことが。

「マズロー司教」

 ハルが怒りを代弁してくれたおかげで、いくぶん冷静に声を出すことができた。

「自分の罪を認めてください。自分は選ばれた者ではなく、ただの罪人なのだと。それが死んだ三人への、せめてもの償いです」

 そう、裁くことはできなくとも、言葉を伝えることはできる。昨晩ハルと重ねた、あの対話のように。

 罪を認め、贖いを決心する。それが今の彼に必要なことだ。どのような処罰が下されようと、本人が罪に向き合わなければ償いにはならないのだから。

 だが、彼はこちらを一顧だにしない。ミナは声を荒げた。

「マズロー司教!」

「そんな偉そうなことを、この私によく言えたものですねえ。セラを見殺しにしたくせに」

 纏わりつくようなその声は、マズローの口から発せられたものだった。いびつに首を捻じ曲げると、彼は蛇のようにミナを凝視した。

「ああ、かわいそうなセラ。自分の運命を悟った後、あの子は泣きながら何度も口にしました。『助けて、ミナ。死にたくない』とね」

 セラの声を楽しそうに真似るマズロー。開き直ったのか、余裕のない態度は嘘のように消え失せている。

「きっとあなたは、守ってやるとでもあの子に約束したのでしょう? でも、守れなかった。あの子は最後の最後にこう言いましたよ。『約束してくれたのに、ミナの嘘つき』と」

 ミナは生唾を飲み込んだ。脳裏に浮かぶ、白濁した二つの目。

 ――ごめん、セラ。

 足先に力を入れ、一歩前に出る。

「私は、確かに約束を守れませんでした。それは、私の罪です」

 マズローに、そしてセラに向かって宣言する。

「でも、私はそこから目を逸らして逃げたりはしません。もう取り返しはつかないけど、私は私なりの方法で償っていくつもりです」

 甲高い笑い声が響き渡った。

「何を一人で納得して、一人前な口を利いているのですか。私が今言ったことは、まだほんの序の口に過ぎないのですよ? もっとおぞましい行いをあなたはしているのです」

 聖職者が舌なめずりをする。

「私がどうやって罪人どもを探り当てたのか、分かりますか? セラの場合は簡単でした。リノの死体を前にしたあの子の様子を見れば、察するのは容易です」

 ミナたち四人が地下通路前に集まっていたその裏で、彼はセラの部屋を訪れ、優しく囁いていた。

 ――あなたの罪は知っています。ですが、私はあなたを許しましょう。

「ふふ、あの子は泣きながら私に縋りついてきましたよ。ローザのこともその時に聞きました。あの子も救ってやってくださいとね。うんうん、罪人同士、仲がよいことです」

 ――今晩聖堂に来てください。まずはあなたから罪を雪ぐための儀式を行いましょう。ただし、これは教国の秘儀なので、誰にも、ローザにも口外してはなりません。

「本当は二人まとめて浄化したかったのですがねえ。セラから聞いた話では、どうやら赦免の誘いには乗ってこない公算が高いようでしたので、まずは一人確実に浄化することにしたのですよ」

 ミナは唇を噛んだ。

 一部屋に固まるという提案をセラが拒んだ、本当の理由。それは、修道院を一人で抜け出すためだったのだ。

 そして、ドア越しに聞いたセラの呟き。

 ――あいつはいない、あいつはここにいない……。

 あれは、聖堂へ行くために部屋を出ても襲われることはないと知った、安堵の呟きだったのだろう。

「では」マズローは大きく身を乗り出した。「リノの場合はどうだったのか。何と驚くことにあの日、あの子は自分から告白を志願してきたのですよ」

 ――司教だけに告白したいことがあります。

 晩課が終わった後、リノはマズローにそう耳打ちした。彼は答えた。――今晩、聖堂へ来るように。

「そこであの子はすべてを告白しました。私はどうなってもいいからクラッドを捕まえてください、と。残念ながら、他の子の関与については黙秘を貫きましたが、私からすれば罪人が一人特定できたわけで、とてもありがたかったですよ」

 結局、リノは信念を貫いたのだ。そしておそらく、ローザたちに迷惑が掛からないよう、一人で罪を被るつもりでいた。

 だが、彼女が告白の相手に選んだのは最悪の人物だった。

「ところで、なぜあの子は急に告白する気になったのでしょうね?」

 マズローの口が大きく吊り上がる。追い詰めた獲物に向けるような、残酷な笑み。

「彼女は言っていましたよ、ミナ・ティンバー。とねえ。エリスに恥ずかしくない行いをするようにとあなたから言われ、告白する決心がついたと。うんうん、あなたが変な正義感を振りかざして余計なことを言わなければ、あの子は死なずに済んだかもしれませんねえ」

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