13章 その2 罪と裁き②
「もしかして、クラッドは住民たちに食べられてしまったのではないか? 一人では無理でも、住民全員で食べれば食べ切れるのではないでしょうか?」
少なくとも死体の隠し場所についてはこれで解決できる。さらに、切り分けた血肉をそのつど調理して食べていけば、解体時の痕跡も最小限に抑えられるのではないだろうか?
「そんなはずがないでしょう!」
汚いものでも見るような視線でハルを
「あなたは本当に頭がおかしくなったのですか? それとも、あなたの故国では死体を食べるんですか? それは異邦人にとっては当たり前のことなんですか? はっ! この国の者がそんなことをするはずがない! まして、相手は落火です! そんな汚らわしいものをどうして――」
「落ち着いてください」
声と手で相手を制する。
「可能性を検討しているだけです。そして、俺もさっさと終わらせたいので先に答えを言ってしまいますが、これも除外されます。理由の一端は今あなたが答えてくれました。心理的な理由から、ミト教徒が落火を食べるはずがない」
マズローの言うごとく、ミティア教国民にとって落火とは汚らわしく、唾棄すべき存在だ。罪を重ね、清浄とは対極に位置する彼らを体内に取り込むなど、死体を食べるということ以上に耐え難い所業だろう。
「付け加えると、これを遂行するのは物理的にも困難です。今この町には五十人もおらず、しかも老齢の方ばかりです。さて、片腕をなくしたクラッドの体重をとりあえず七十キロと仮定すると、そのうち骨などの非可食部位は十キロほど。残り六十キロとして、少なく見積もっても一人当たり一キロは食べなければなりません。さらに解体、調理の時間を考えると、夜明けまでに食べ切るのは非現実的であることが分かります」
食べるのみならず、住民全体への計画の伝達、各人への合意の取り付け、解体時の痕跡の隠滅、非可食部位の処分にも時間が必要だ。作業を数日に分ければ可能かもしれないが、だとすれば町を調査した時に発覚しないはずがない。
「そもそも、住民たちは今回の事件に関係しているのでしょうか? 第一の事件後に暴動を起こし、『侵入者を探し出して殺せ』と叫んでいた彼らが? 暴動自体が事件からの目くらましという可能性もなくはないですが、偽証と紙一重のそんな芝居を打つ方がはるかに危険です」
暴動後には事情聴取されるし、そうなれば偽証ができない彼らがクラッドのことを隠し通すのは至難だろう。そして、現実にはクラッドについて表沙汰にならなかったことを考えると、彼らは純粋に不安に駆られて蜂起していたとするのが自然だ。
「ようやくこれで町のあらゆる場所の検討が終わりました。町の中に死体を隠せる場所は存在しません。よって、クラッドの死体が町の中にある可能性も消去されます」
ぱん、とハルが手を打った。
「さて、四つの可能性を検討してきましたが、こう結論せざるを得ません。生きていようが死んでいようがクラッドは町の中にも外にもいないと。けれど、そんなことが可能なのでしょうか? 一体、クラッドの身に何が起きたのでしょう?」
ハルが言葉を切り、沈黙が降りる。だが場にいる誰もが――マズローすら――身じろぎ一つせず、ただその時を待った。
一瞬、静寂に耐えきれなくなったように篝火が大きく揺らめいた。
「ここまで来ると」
厳かにハルの口が開かれる。
「もう答えは一つしかありません。クラッドはどこにいるのか?文字通り、彼はこの世から消滅したんです。灰も残さず、神罰による業火に焼かれて。それ以外の説明は不可能です」
マズローが目を細めた。目の前にいる少年の底を見極めようとしているかのように。対して、目を逸らすことなくハルは続ける。
「では、神罰はどこで下されたのか? まず屋外ではありえません。火柱は高々と噴き上がるし轟音も響き渡ります。真夜中だろうと気付かれないはずがありません。なにせ、修道院での口論すら向こう三軒まで響き渡るくらいですから」
加えて、ここの住民は十五年前の紛争を経験している。
――ちょっとした光や物音でも、すぐ目が覚めてしまう身体ですので。
ノラが話してくれた物音や光への過敏。住民は多かれ少なかれ同様の症状を抱えていることだろう。
「では屋内? 例えば民家の中はどうか。これもありえません。藁ぶき屋根やすき間だらけの雨戸では業火を隠すことは不可能でしょう。なにより、そこで業火が起きたという痕跡が残るはずです。ですが、これまでの調査ではそのようなものは見つかっていません」
官舎や宿舎、修道院、さらには二つの井戸も同様の理由で除外される。
「隠し通路の中? ですが、クラッドが最後に侵入してから町を出た人間はいないと証明されています。クラッドは隠し通路へ戻ってはいないんです」
一息置いて、ハルが答えを告げる。
「業火を周囲の目から遮断することができる場所、それはこの町に一つしかありません。この聖堂です。ここなら光は漏れないし、大抵の音であれば遮断される。そして」
ハルは頭上を振り仰いだ。
「天蓋は闇が覆い隠してくれる」
それを合図に、ミナが右手を掲げた。上空へ緩やかに炎球が射出され、闇に隠れた天蓋の一画が照らし出される。床の焦げ跡のほぼ真上、淡い光の中に浮かび上がった壁面は広範囲に渡って黒く焼け焦げ、細かい亀裂が縦横に走っていた。
「ご覧の通り、あの区画だけ明らかに異常な痛み方をしています。あれこそ、ここで神罰が執行された証拠です。クラッドはここで業火に焼かれ、巻き起こった火柱によって刻まれたのがあの痕跡です」
すうっと炎球が消え、天蓋が再び闇に覆われる。
マズローが口を開いた。
「なるほど、確かに筋は通っていますね」苛立ちを含んだ声だった。「それで? それがこの私に何の関係があるというのです。不信心者が神によって罰せられた。ただそれだけのことでしょう?」
「それが大いにあるんですよ、マズロー司教」
ハルの声に鋭さが増す。
「クラッドは業火によって焼かれた。なのに、どうしてこの聖堂の床はこんなにきれいなんでしょう?」
これまで聖堂内では、中央の焦げ跡以外に何の痕跡も見つかっていない。
「たとえ消えない炎だと分かっていても、身体を焼かれれば人は何とかしようとあがくものです」
聖堂の近くには厨房も井戸もある。水を求めてそこへ行こうとするのが普通だろう。例えそんな判断ができないほどに錯乱していたとしても、身体が焼ける苦しみでのたうち回るはずだ。
「けれど、大理石やら扉やら長椅子やら、聖堂のどこにもそんな痕跡は残っていない。あるのは、あの天蓋の真下の焦げ跡だけ。つまり、業火に包まれながらも、彼は一切動かなかったということになります。なぜでしょうか?」
ハルは唇を湿らせる。
「失神していた? いえ、神罰の間、気を失うことはありません。それが神罰の決まりですから。では、鎖や縄で縛られていた? けれど、業火の前では溶けるか燃え尽きるかしてしまいます。また、何人かで物理的に押さえつけようにも、炎のせいでまともに触れることすら難しいでしょう」
「動けないほどに衰弱していたとか、他にいくらでも可能性はあるでしょう!」
意図を察したのだろう、司教が叫んだ。
「そう、そこが核心です」すかさずハルの声が飛ぶ。「俺が今話している痕跡というのは、業火によるものなんです。業火は人を焼き尽くすほどの炎。床に残る痕跡は、あの天蓋以上に激しいものになるはずです。死体を焼いた跡とは比べ物にならないほどの、常軌を逸した痕跡に。ですが、そんなものはどこにも、クラッドが神罰を受けたはずの場所にすらありません。なぜでしょう?」
マズローが呻いた。
「合理的に説明しようとすると、これも答えは一つしかありません。この町唯一の加護持ちであるあなたが、彼を宙吊りに押さえ込んでいたんですよ。さっきのローザと同じように」
ローザが身体を震わせる。その背にミナはそっと手を置いた。
「ここからは推測です。あの夜、あなたはたまたまこの聖堂でクラッドとエリス修道女の逢引に出くわしてしまった。当然、あなたは不届き者を加護で捕らえ、尋問したでしょう。一方、クラッドからすれば、十五年経った今でも夢にうなされる相手に出くわしてしまったわけです。身動きを封じられ問い詰められた彼は、恐怖心から咄嗟にあらぬ言い訳――つまり偽証をしてしまいます。そして、あなたの加護の中で業火に焼き尽された」
言い訳のせいで神罰に焼かれた罪人は大勢いる。
「そうそう、クラッドは十年以上野盗として生活している筋金入りの悪人です。修道女を復讐の道具として利用しよう、なんて考えがあっさり浮かぶほどのね。そんな男が思わず偽証してしまう理由、俺には他に思いつきません。これも傍証となるでしょう」
クラッドが業火によって消滅しまうと、次はエリスの番だった。
「おそらく、業火を前にした恐怖で動けなかったのでしょう。そして、あっさりあなたに捕まった。けれど、エリス修道女は黙秘したんじゃないですか? 自分の大切な友人たちを守るために。業を煮やしたあなたは彼女の首を絞めた。殺すつもりはなかったのかもしれません。ですが、彼女は死んでしまった」
ふう、とハルは一息つく。
「後は簡単です。彼女の態度から、他の修道女の中にもこの件に絡んでいる者がいると察したあなたは、まずリノ修道女、次いでセラ修道女の関与を探り出し、順に殺していった。彼女たちを密かに夜の聖堂へ呼び寄せるのも、あなたなら簡単だったでしょう」
ぴたりと言葉が止む。口を開く者は一人としていなかった。マズローもハルを睨みつけるばかりだ。
「とまあ、ここまでは一気にまとまったんですが、そこで壁にぶつかりました。あなたが犯行を否定している、という壁に」
「そ、そうですよ」
マズローが甲高い声を上げる。
「今の説明など何の意味もない。神がそれを証明してくださっています!」
「神がいればの話でしょう?」
ぴしゃりとハルが言った。
「論理的には犯人はあなたしかいない。だが、神はあなたが犯人ではないと言っている。ひどい矛盾もあったものですが、幸か不幸か俺は異邦人です。この国の神やら教義やら、そんなものは
論理的にそれ以外ありえないのなら、前提を棄却するしかない
「あなたは何らかの方法で神罰を無効化している」
マズローの瞳が大きく揺れる。その顔にはこれまでにないほどの、あからさまな動揺が浮かんでいた。
「ただ、さすがにこれはあまりにあまりな考えです。だから、何でもいいから傍証がほしかった」
右手を構えたまま、ミナが口を開いた。
「この話を聞いた時、私も最初は信じられませんでした」
過去に神への失望を味わっていなければ、彼女も一笑に付していただろう。
「でも言われてみれば、一つ思い当たることがあったんです。告解室であなたは、自分がこの町に来てから犯罪は一つもない、とおっしゃいました。でも今日、クラッドについて訊ねられた時には、彼のことは片時も忘れたことはない、ここで彼らが犯した罪は町の汚点だとおっしゃった」
ハルが後を継ぐ。
「あなたはミナに、いろいろなご高説を下賜されたそうですね。人はなぜ罪を犯すのか、とか。だがそれは、ちょっと聞いただけでもおかしいと分かる代物でした。修辞学でいうところのいわゆる循環論法というやつです。けれど、どれほど奇妙に聞こえても、それ自体は矛盾の生じることのない類の論理だった」
ですが、とハル。その声はわずかに昂っている。
「クラッドのことはそうはいかない。なぜならこれは、この町で犯罪が起きたかどうかという具体的な事実に対する、相反する二つの言明だからです。それらが一人の人間の口から出たのであれば、どちらかが真でどちらかが偽でなければならない」
クラッドについて覚えているなら、「犯罪が一つもない」というのは虚偽だと知った上で発言したことになる。一方、犯罪が一つもないと本気で信じ込んでいるのなら、この町の汚点云々は虚偽として発言したことなる。
「これでようやく全貌が見えてきました。とはいっても、まだ道半ばです。今の説明にしても、どうとでも言い繕うことができるでしょう。なにせ、あなたは偽証ができるんですから。だから罠を張りました。次の標的はローザだと分かっていたので、あなたの手の届かないところへ彼女を移動すると言えば、無理にでも行動を起こすと踏んだんです」
ミナはそっとローザに目を遣る。
彼女を囮とすることに、ミナとロンゾは最後まで反対した。だが、本人にすべてを打ち明けたところ、迷いない答えが返ってきた。
――三人のために、何でもします。
「罠を張るに当たっては、随分と神経を使いました。あなたと違って、俺たちは偽証できませんから」
まずは、ローザを隣町へ移す予定を実際に組んだ。例え罠が不発に終わろうとも、彼女は明日移動する手はずになっていたのだ。
マズローへの仕掛けは、ハルが単独で行うことになった。偽りは口にできず、しかも相手に疑念を抱かせてはならない状況で、彼はうまく立ち回った。クラッドが事件の犯人だと一言も口にすることなく、それでも彼が犯人であると信じているかのように話を進め、罠の存在をマズローに悟らせなかった。
――クラッドがどうやってここに侵入したのか、その方法が分かりましたから。
もちろん、クラッドが隠し通路を使って教会へ侵入したことは分かっていた。
――今晩、彼が敷地内に入り込むことは決してありません。
なにせ、彼はすでに消滅しているのだから。
――条件が整えばクラッドは必ずここに姿を現します。
過去へと十日以上時間を遡ることができれば、彼は聖堂に姿を現すだろう。実現不可能な、あくまで仮定の上での話であるが。
「そしてもう一つ。ウェル料理長に舞台からのご退場を願いました」
罠を成功させるにあたって、彼は大きな障害だった。事件は悪霊の仕業だと盲信し、敷地内に三叉架を無数に突き立てた彼が、今夜どう行動するのか予想がつかなかったからだ。
余計な活動を夜も構わず続けてしまうと、マズローが計画を取りやめる可能性がある。だが、彼に事件の概要を説明しても信じないだろうし、それどころか司教へすべてを話してしまう危険すらある。
この問題を解決するための方策が、宿舎から出るなという例の依頼だった。それはマズローにとっても都合のいい提案なので、彼が協力してくるだろうことは分かっていた。そして実際、ウェルの行動を封じることに成功する。
これで準備は整った。後は、ローザの移動に難色を示すマズローを突き放すだけでいい。
「苦労してこしらえた穴に、あなたは見事落ちてくれた」
――事件の真相が分かりました。
晩餐前、マズローはローザにそっと耳打ちした。
――この事件には審察官たちが絡んでいます。このままではあなたは無益に処刑されることになってしまう。そうなる前に、私たちだけで秘密裏に相談が必要です。
そして、寝静まった頃に聖堂へ来るよう言い含めたのだ。
決定的な現場を押さえるため、ハルたちは聖堂で待ち伏せをした。
「あなたが入ってきた瞬間、膝が震えましたよ。ようやくすべてが終わるという気持ちと、後は……あんたへの怒りでいっぱいだった」
気を静めるよう息を吐くと、ハルは静かに宣告した。
「さっきはぐちゃぐちゃと弁解してたが、あんたがローザに言ったことに申し開きの余地なんてない。マズロー司教、あんたは卑劣で残忍な人殺しだ」
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