11章その1 月と合わせ鏡①

 ハルは修道院の一室、左の突き当りの空き部屋へと運ばれた。どうやら意識を失っているだけで命に別状はないようだ。

 目覚めるまでの介抱はノラが買って出てくれた。今朝突き飛ばされたばかりだが、気にしている様子は微塵もなかった。

 騒動が一段落する頃には晩餐の時間はとうに過ぎていた。全員が集まるのも難しく、食事はウェルが食堂に用意したものを各々で食べる形となった。

 無理矢理腹に詰め込んだミナは、ロンゾと連れ立ってローザの部屋に三人で集まった。

 これまでに得た情報を二人に伝える。落火たちの所業に怒りを露わにする二人だったが、クラッドに関する不可解な状況を聞くに及び、その顔に困惑が広がることになる。

「……中にいるはずはないんだ」

 声を絞り出すロンゾに、ミナは首を振った。

「でも、状況を考えると町の中に潜伏しているとしか」

 暴動が終息した後、ロンゾは参加した何人かから事情を聴取した。

 暴動のきっかけは、聖堂に入ったハルがなかなか出て来なかった、ただそれだけのことだった。たったそれだけで住民は不安を刺激され、教会に押しかけたのだ。

 そして重要なのは、日中から住民たちが交代で教会を見張っていたという証言だった。彼らは「教会に出入りする者はいなかった」と口を揃えて明言したのだ。

 第二の事件が発生した後、教会の敷地内はミナたちが調べ尽くしている。つまり現在、少なくともクラッドが敷地内にいないことだけは確実なのだ。となると潜伏先は敷地外、町中まちなかしか考えられない。

「あんたらが派遣されて来る前に何度も調べた。隠れるような場所なんて、本当にないんだ」

 町には教会、官舎のほかは土壁の民家に畑、共同井戸があるのみだ。民家の間は開けており見通しもいい。確かに、隠れるに適しているとは言い難い。

「もちろん、外にもな」

 事件翌日に町から出た二人の人物が彼とマズローであることは、すでに確認済みである。ロンゾは町周辺の調査、マズローはその護衛だった。二人で固まってかなりの広範囲に渡って調べ上げたが、怪しい痕跡は何も見つからなかったという。町は小高い丘の上にあり、開けた周囲に視界を遮るものはない。例え小さな痕跡だろうと、何がしかが存在すれば間違いなく気付いただろう。

「家の中に匿っているとか」

「そんなことする人間、この町にはいねえよ。クラッドたちの家族も紛争の時に全員死んでるしな」

 これも先ほど確認した事実だ。

「でも、クラッドには加護があるんです」

 『魅了』――蔑むように呟くミナに、ロンゾは首を振った。

「前に言った通り、住民全員に審問したんだ。侵入者を匿っていないかってな。もちろんそんなことしてるやつはいなかった。というか、そもそも家の中にも隠れるような場所なんてない。見て分かるだろ?」

 そこでローザが言葉を挟む。

「やっぱり、町のどこかに隠し部屋があるんじゃないですか?」

 二人は同時に唸った。

 教会内部に隠し通路があったのだ、町中に同じような仕掛けがある可能性は否定できない。念のため夕食後に図書室をひっくり返して調べたが、それを示唆する手掛かりはなく、かといって否定する証拠も見つけられなかった。

 そもそも度重なる紛争により焼失してしまったのか、古い資料はほとんど残っていなかった。教会設計図が残存していたこと自体、奇跡と言って過言ではないのだろう。

「……まあ、今はあれこれ言っても仕方ない。まずは当面の問題をどうするか考えるべきだろうな」

 そう、様々な疑問が積み重なっている中で、差し迫った問題が一つある。今後クラッドがどう動くか、だ。

 現在考えられる最も合理的な説明は、ローザの言ったように隠し部屋にクラッドが隠れている、というものだ。

 とすると、一つの疑問が浮かぶ。なぜ彼は町から出ようとしないのだろう? 夜陰に乗じて地下通路へ抜けるなど、脱出する機会はこれまでいくらでもあっただろうに。

 大怪我をして動けない? だが、第一の事件後にロンゾが町中をくまなく調べている。血痕やそれに類する痕跡はどこにもなかった。

 隠し部屋は一方通行で、一度入ると中からは出られない仕掛けになっている? だがリノが殺された今、この説も否定されるだろう。

 マズローへの復讐のために潜伏している?

 聖堂で修道女を犯すという卑劣で姑息な復讐方法を取るような人間が、身の危険を冒してまで何日も潜伏しようとするだろうか? そもそも、彼はエリスを外へと連れ出そうとしていたのだ。それをわざわざ中断してなおかつ仲間に知らせないまま潜伏する――そのような行動に出る合理的を見つけるのは困難だ。

 他にもいくつかの仮説が出された。だが、どれもこれも同じように穴のあるものばかりで、筋の通った説明をつけることはできなかった。

 だが、だからといって考えるのをやめるわけにはいかない。理由が分からないなら分からないで、最悪の事態を想定して対策を練る必要がある。そして現時点で考え得る限りの最悪とは結局、「クラッドが今後も凶行を続けようとしている」という可能性に集約される。

 その場合、彼はどう行動するだろう? 

 動機は先ほど挙げたマズローへの復讐という線が妥当だろう。となると、これまでと同じく修道女を狙うのが自然だ。だが、二度までも事件が発生した現在、警戒は厳重。不意打ちといった手段も今度は成功しないだろう。

 それは彼も承知のはずだ(第二の事件まで十日空いたのは警戒が強くて手出しできなかったのかもしれない、とロンゾの言)。ならば、彼はどうする? 

 。それこそミナたちが危惧する展開であり、何としても避けなければならない事態だった。

 では、それを防ぐためにはどうすればいいのだろう?

 本人を捕まえることができればいいのだが、居場所の見当がつかない現時点でそれは叶いそうにない。

 可能性の芽を潰すために住民全員を聖堂に避難させる? それこそ現実的ではないし、いたずらに不安を煽り再度の暴動の引き金にもなりかねない。そうでなくとも、夜間に不安から暴動が再燃する可能性もあるのだ。

 頭を突き合わせて考えた結果、次善の策として今晩はロンゾが夜警をすることになった。クラッドに対して備えるとともに、暴動再発を牽制する目的も兼ねてである。

 と同時に、ミナはハルと共に修道院へ泊まることにした。今の状況でハルを町中へ戻すのは危険であるし、クラッドの不在が明らかだとしても教会敷地内の警戒を怠る理由にはならないだろう。

 隠し通路および落火については伏せておくことで意見がまとまった。ローザたちの処遇の問題があるし、住民たちに話せば暴動の危険もある。代わりに、今晩は部屋から出ないようマズローたちへ注意を促して回った。

 すべて片付くと、ロンゾは夜警に出発した。その後ろ姿を見送った二人が修道院に戻ると、ちょうど中から出てきたノラと鉢合わせした。

 彼女が言うには、今しがた目を覚ましたハルに追い出されてしまったらしい。それでも気を悪くした様子を見せず、彼女は軽く頭を下げると宿舎へと戻って行った。

「私たちはどうしましょう?」

 心許なげに尋ねるローザに、ふと思いついてミナは言った。

「前にローザたちが言ってたみたいに、みんなで一部屋に固まるっていうのはどうかな?」

 住民全員は無理でも、彼女たちだけで固まる分には問題はないだろう。

 今晩は自分が傍についているし、もしクラッドが来たら絶対返り討ちにする――そう力説するミナに頷きつつも、ローザは顔を曇らせた。

「でも、セラちゃんに何て言えばいいか」

「……確かに」

 日中、あれだけ取り乱していたのだ。今の状況を知った彼女がどんな反応をするか、まるで予想がつかない。だが、伝えないわけにもいかないだろう。

 セラは部屋にいた。暴動の間もずっと籠り続け、食事も摂っていないという。

「セラちゃん。私だよ、ローザ。開けて」

「だめ」

 同じ問答が繰り返されるばかりで、ドアは開かなかった。仕方なく、二人はドア越しにこれまでの経緯を伝える。

「あいつは教会にはいないのね?」

 すべて聞き終えると、セラは一言それだけ確認した。話のすべてが伝わったかどうか怪しい。「多分、いない」と答えると、

「あいつはいない、あいつはここにいない……」

 放心したような呟き声が続く。先ほどの提案を伝えたが、

「いや。私、この部屋にいる」

 なしのつぶてだった。説得を諦めた二人は、「誰か来たら大声を上げる」と約束してもらい、部屋を後にした。

「部屋から出たら落火に襲われるって思い込んでるみたいですね」

「だね」

 恐慌を来たした相手に理屈は通じない。先刻見たばかりだ。

「ローザはどうする?」

 ミナの問いに、彼女は首を振った。

「私も自分の部屋にいます。セラちゃんが一人でいるのに、自分だけ安全に過ごすなんてできません」

「でも危険だよ。相手は加護も持っているんだし」

「目を見なければ魅了されることもないんでしょう? もしあいつが来たら大声出しますから、絶対に捕まえてください」

 彼女は頭を下げると、さっさと自室へと入ってしまった。

 仕方なく、ミナも割り当てられた部屋へと向かう。ハルの隣の部屋だ。落火の襲撃を警戒するなら、入り口すぐの部屋に待機するのが正解なのだろうが、それらは殺された二人の部屋なのだ。さすがに抵抗があった。

 部屋に入る前にハルの様子を窺ったが、ドア越しに何度声を掛けてみても返事はなかった。

「隣にいるから、何か困ったことがあったら呼んで」

 やはり反応はなく、ミナは諦めて自分の部屋へ入った。

 

 簡素な部屋だった。正面に雨戸付きの窓、その下にベッドが据えられているほかは、最低限の調度だけだ。それでも掃除は定期的に行われているらしく、目立つ汚れや埃っぽさはない。

 髪を解いてベッドに倒れ込む。闇の向こう、天井をぐっと睨みつける。

 今晩、眠ることは許されない。これ以上の犠牲を出さないために、何が起きてもすぐ動けるようにしておかなければならない。

 だが、すぐさまそんな決意は不要だと知る。神経はこれまでにないほどに昂っており、微睡むことすらありえなかった。

 ローザたちはだいじょうぶだろうか。ハルはどうしているだろう。一体、クラッドはどこに潜んでいるのだろうか――散漫に回る思考。けれど一人になった今、その終着する先は決まって同じだった。

 目の前に差し出された緑色の小さな手。

 ――あなたは彼女を異教徒ってだけで、話も聞かずに否定しちゃうの?  罪人ってだけで火刑だと叫ぶ審察官と同じように?

 異教徒は恐ろしいもの――ミナが子どもの頃から聞かされてきた常識だ。死の前ではミティアの民だろうと異邦人だろうと大差ないと考える彼女にとっても、それは変えることのできないだった。

 いや、人間の暗い部分を散々見てきた彼女だからこそ、なのかもしれない。神罰というくびきがあっても人は罪を犯す。ならば、その軛から自由な者はどんなことでも平気でやりかねない――彼女にとって、異教徒とはまさしくそんな不安を体現する存在にほかならなかった。

 加えて、今回は十五年前の紛争の痛ましい帰結についても聞かされている。彼女にとって、突如現れた異教徒の少女――ナエは恐怖の対象であり、糾弾されるべき相手だった。

 だが、あの碧眼の少女は本当に恐ろしい存在なのだろうか?

 彼女がミナに禍々しい敵意を向けることなど、一度としてなかった。どころか、握手しようと手を差し伸べさえしている。

 しかもスロースによると、彼女はこれまでミト教徒を一度も襲ったことがないという。

 つまり。彼女に対する思いのすべては、ミナの一方的な偏見によるものなのだ。けれど、それが分かってもなお、彼女は自分の考えに固執し、スロースに食って掛かろうとした。

 四年前が思い出される。母の無実をいくら訴えようと、取り合ってくれる審察官は一人としていなかった。彼らと自分との間に、一体どんな違いがあるというのだろう?

 ミナは強く首を振った。少なくとも罪人の処遇については、自分は審察官たちよりまともな判断をしているはずだ――心の中で呪文のようにそう繰り返すが、その声も急速にしぼんでしまう。気づいてしまったのだ。罪人に対するこれまでの自身の行動にすら、ある種の欺瞞が潜んでいたことに。

 斟酌しんしゃくの余地ある罪人に、やり直しの機会を与える。それこそがミナの行動原理だったはずだ。だがサウスウェルズに来てからというもの、彼女はそれを貫くことができていない。

 殺人犯を見逃がすように提案することなどできないと悩んだかと思えば、リノたちが疑わしいとなると一転、何とか救えないかとマズローに探りを入れさえしている。殺人犯にどう対応するのか、首尾一貫しないこと甚だしい。

 極め付けが今日の午後の件だ。ローザからクラッドを裁いてほしいと懇願され、彼女は当然だと言わんばかりに返した。

 ――クラッドは必ず火刑に送るし、二人とも死なせやしない。

 今では、クラッドの動機が最低なものだったと知っている。だがあの時点では、判断材料は一つもなかったはずだ。クラッドのに思いを馳せることなく、なぜあんなことを言ったのだろう?

 。ローザたちから大切な親友を奪ったから。論理的にではなく、感情的に。

 ――すべては恣意的な線引きにすぎないわ。

 そう、罪人を逃がすかどうかを、ミナは自分勝手な匙加減で決めていた。異教徒とミト教徒を区別するように、許す者と許さない者とを、自分の都合で選り分けていたのだ。

 これまでもそうだったのかもしれない。罪人の事情を聞いて、逃がす。だが、その事情が逃がすに値する深刻なものだと、一体誰が決める? ミナ自身だ。彼女が勝手に決めているのだ。

 ここでも、審察官とミナとの間に違いはない。両者とも、各々の基準で罪人を裁いているに過ぎない。

 いや、ミナの方が一層たちが悪い。審察官は曲がりなりにも法という基準に従っている。それに比べ、彼女はその都度、自分勝手に基準を変えているのだから。

 しかも、その結果は――

 ぼろきれのような落火たちの姿が浮かぶ。

 ――その先に夢も希望もないなんて、誰が決めたの?

 いつかリズに向かって、彼女はそう言った。逃亡生活は苦しいだろうが死ななければ必ずやり直せるはずだと、そんな願いを込めて。

 だが今日、現実を突きつけられてしまった。ただ生きるために罪を繰り返すあの二人の落火には、夢も希望も、それどころか良心も、人間らしさすらもなかった。

 組織に属するスロースたちは、まだ余裕があるように見える。しかし、その彼らにしても世間から隠れて生活するしかなく、常に捕まる危険と隣合わせだ。

 火刑になるよりましだとスロースは言った。だが、本当にそうだろうか。死んだ方がましだと訴える者もいるのではないか?

 右手の聖痕を見つめる。目の端が熱くなる。

 結局のところ、これまでは物事を一面からしか捉えていなかったのだ。見たいものだけを見ていた、と言い換えてもいい。

 そんな自分の行動は、自己満足の産物にすぎなかったのかもしれない。それは誰の助けにもならず、それどころか、いたずらに罪人を増殖させていただけなのかもしれない。

 ――私、本当に何してきたんだろう。

 そう呟きそうになり、ミナはぐっと唇を噛んだ。言葉にしてしまうと、それこそ立ち直れなくなりそうな気がしたのだ。

 息苦しくなり、雨戸を開ける。夜気とともに、丸く満ちた銀の光が冷たく室内に流れ込む。一つ大きく吸って呼吸を整える。

 不意にリズの顔が思い浮かんだ。ミナにとって唯一無二の拠り所である彼女。だが、今はここからはるか離れた遠い空の下だ。寄る辺なさがこみ上げ、いっそ声を上げて泣いてしまいたくなる。

 その時、小さくノックの音が響いた。

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