10章その1 光明と混迷①

「くそ! こんな単純なこと、何で気づかなかったんだ!」

 ハルの叫びが聖堂内にこだまする。

「異教徒のまっただ中に町を作ったんだ、緊急時の抜け道なんて定石中の定石じゃないか!」

 目の前の床には、ぽっかりと四角い穴が開いている。祭壇の右、篝火が鎮座していた場所だ。その周りを囲むのはハルを始め審察官三人とローザで、それ以外に人の姿はない。加えて、聖堂入口には人が入れないよう閂が掛けられている。

 修道院で話を聞いた後、ミナは二人の審察官を聖堂に呼び、すべてを伝えた。

 落火を捕らえるのに、彼女一人ではあまりに心許ない。彼ら二人の協力が不可欠だ。そして、ロンゾにしろハルにしろ、少なくともローザたちの状況に理解を示してくれるはず――そう考えての行動だった。

 セラは当然のごとく反対したが、重ねての説得に抵抗する気力も尽きたのだろう、泣きながら折れた。一方のローザはただ静かに頷き、さらには篝火台の動かし方を説明するため、こうして聖堂まで赴いてくれた。

「こんなところに隠し通路が……」

 ロンゾが呆然と呟いた。リノが殺されてなお自制を保っていた彼も、今はその顔に憂欝を色濃く刻んでいる。

 ミナからすべてを聞いた彼は、ただただ首を振るばかりだった。幼なじみたちが大罪を犯し、しかもそのせいで同じく幼なじみが二人も死んだのだ。冷静でいられる方がおかしいだろう。

 それでもローザたちの処遇については、すぐには考えがまとまらないと言いながらも、落火を捕まえるまで保留としてくれた。

「ロンゾさん、この通路のこと、本当に知らなかったんですか?」

 力なく俯いたロンゾに代わり、不機嫌に答えたのはハルだった。

「おそらく、赴任した司教から司教へ代々受け継がれてきた秘密だったんだろ」

 隠し通路は、その存在が敵対者に知られてしまっては意味がない。また、紛争中に住民が恐慌を来たし通路へ大挙して押し寄せるような事態になれば、大きな事故につながってしまう。そのため、存在は極秘扱いとされていたのだろう。

「で、十五年前、先代司教の不慮の死により引き継ぎが途絶え、存在自体が闇に消えてしまったと、そんなところだろう」

 胸に渦巻く気持ちを吐き出すように、ハルは大きく息をついた。

「とにかく」声にいくぶんか冷静さが戻る。「来歴はひとまず置いといて、今はこの通路を辿るのが先決だ。まだ分からないことだらけだが、クラッドとかいう落火を捕まえれば全部はっきりするはずだ」

 そう、隠し通路の存在が明らかになった今でも不明な点は多い。

 まずは篝火台の問題だ。

 セラによると、第一の事件のみならず第二の事件においても、死体発見時に篝火台は本来の位置のままだったという。クラッドはどうやって篝火台を戻したのだろうか。加えて第二の事件の場合、どうやって聖堂に侵入したのだろうか。

 クラッド以外の何者かが、篝火台を動かした?

 だが、審問によると第一の事件当夜、聖堂に出入りしたものは住民の中にはいないはずだ。第二の事件時の出入りを聞き取れたのは教会関係者だけだが(そしてもちろん全員否定した)、それでも第一の事件と考え合わせると可能性は低いだろう。

 他に隠し通路がある?

 これはローザたちが否定した。彼女たちによると、設計図に描かれた通路は一本のみ。残念ながら設計図自体は証拠隠滅のため燃やしてしまったらしいが、その点だけは間違いないとのことだった。また、この通路以外に隠し部屋といった類の仕掛けなどは一切記載されていなかったという。

 では、ローザたちが考えたように外壁を乗り越えた?

 何がしかの加護があれば可能だろう。どころか加護を使えば、篝火台を通路側から動かすことだってできるかもしれない。だがそれはあくまで想像にすぎず、証明してくれる痕跡もないのだ。これについては保留するほかない。 

 疑問は他にもある。なぜリノは殺されたのだろう?

 これまでは口封じのためだと考えられてきたが、犯人がクラッドとなれば事情は違ってくる。落火である彼には口封じをする理由がないのだ。彼はこの国ではすでに罪人であり、何もなくとも捕まれば火刑となる運命なのだから。

 最後に、なぜ死体は燃やされていたのか。そもそも前回死体を燃やした理由もいまだ判然としていない。ハルの言う通り、分からないことだらけなのだ。

「ああ、そうだな」ロンゾが頷く。「ごちゃごちゃ細かいこと考えるのは後にして、さっさと捕まえちまおうぜ」

 自分を奮い立たせるかのようにそう言うと、彼は脇に置いた長槍を持ち上げた。聖堂に集まる前、官舎から持ち出してきたものだ。

「誰が行く? もちろん俺は行かせてもらうぜ」

 そのまま穴に飛び込みそうな勢いだったが、

「いや、ロンゾはここに待機してくれ」

 ハルの言葉に一瞬動きを止めると、彼は目を剥いて叫んだ。

「はあ? ふざけんじゃねえぞ! 殺されたのはこの町の人間なんだ。俺が行くのが筋だろ!」

「相手は落火だ。どんな行動に出るか分からないし、退路を確保しておく必要がある。それに、この通路のことは伏せておくんだろ? なら、誰も聖堂に入らないよう見張りが要る」

「だから何で俺が――」

「そいつを守るのも、この町唯一の使徒たるあんたの仕事だろ?」

 ハルがローザを顎でしゃくると、ロンゾの口から呻き声が漏れる。しばらく長槍で床をこつこつとやっていたが、やがて諦めたように舌打ちした。

「絶対捕まえて来いよ」

「ああ」

 ミナとハル、二人が穴の中へと降りる。幾歳もの月日を感じさせる苔と土の混ざり合った臭いが鼻をつき、ひんやりと湿った空気が纏わりついてきた。

 ランプで周囲を照らすと、坑道のような通路が横手に一本伸びている。幅は二人並んで歩けるほどで、大の大人でも屈まず進める十分な高さがあった。

 ハルが先頭を切って歩き出す。通路は緩やかな蛇行を繰り返しながらも、大まかには一直線に伸びているようだった。だが、光源がランプしかないため見通しは想像以上に利かず、地面も均されていない。相も変わらずだぶついた裾に足をとられ、ミナは何度もつまずきかけることになる。

 薄明かりでの歩行にようやく慣れた頃、彼女は少年の背中に声を掛けた。

「ねえ、ハル。セラたちのことだけど」

「ああ、一杯食わされた。この町は本当に大層な連中ばかりだな」

「セラ、すごく泣いてた。死にたくないって」

 反応を窺うが、ハルは何の素振りも見せない。

「セラたち、どうなるかな」

 そう問いかけるミナの胸には、わずかながらも目算があった。

 聖堂で彼女の話を聞いた後、不思議とハルは修道女たちの処遇について口を挟むことがなかった。拍子抜けしつつも、ミナの中で想像が膨らんだ。もしかすると、彼もセラたちの立場に同情してくれているのかもしれない。ならば、罪を見逃してくれる可能性もある――

 だが。

「……火刑だろ」

「ハル!」

 ミナの叫びが通路に反響する。歩を緩めもせず、ハルは言った。

「落火の侵入を黙認した時点で、彼女たちは罪人だ。この国では罪人は火刑だと法で決まっている」

「でも、セラたちはエリスを止めようとしてたんだよ!」

「マズローに言ってくれ」

「ハルはどう思うの?」

 少年からの答えはない。

「ローザを守るようにって、ロンゾさんに言ってたじゃない」

 返って来るのは足音だけ。ミナは必死に呼びかける。

「ねえ、法とか司教とかは関係ない。ハルはどう思ってるの?」

「ローザ修道女は火刑でいいって言ってるんだろ?」

「ハルがどう思うか聞いてるの!」

 無言。たまりかねて少年の手を掴む。

「ねえ!」

「罪人は罪人だ!」

 振り向きもせず張り上げた声が、狭い通路内に幾重もの反響を巻き起こした。複雑にうねる余韻が二人の身体を震わせる。

 握りしめた手に、ミナは力を込めた。

「そんなこと言ったら私だって!」声を振り上げる。「罪人だよ! 罪人を助けてるんだから! それを知ってて見逃してるハルだって――」

 荒々しく手が振りほどかれたかと思うと、鋭い風がミナの頬を過ぎた。何が起きたのか分からないまま、彼女はいつの間にか側壁に背をつけていた。ひんやりとした土の感触が伝わって来る。

 風の行方を探るように、ミナは首を回した。その目が捕らえたのは、ランプのわずかな光を反射して輝く、一振りのナイフだった。ミナの頬のすぐそば、土壁に突き立てられたそれを握りしめているのは、白の袖に通された見慣れた手だ。

 視線を戻すと、目の前にハルの顔があった。下からの明かりに照らされ、どこか虚ろな、まるで亡霊のような表情がそこには浮かんでいた。

「ああ、俺は罪人だよ」亡霊が囁く。「

 炎の揺らめきが、虚ろな顔を複雑に彩っていく。いや、虚ろに見えてその実、そこでは無数の感情がない交ぜに揺らめき、激しくぶつかり合っていた。亡霊のように見えたのはただ、それらを表出しまいと押し殺した結果なのだろう。

 す、とミナから離れ、顔を逸らすハル。その表情が影に沈む。

「今はクラッドを捕まえることだけ考えろ」

 返事を待たず、彼は歩きはじめた。

 一つ唾を呑み込み、ミナはその背を追いかけた。頭の中がひどく混乱している。彼が見せた表情の、言葉の意味が理解できなかった。

 少年の後ろ姿を見つめる。その背中はひどくよそよそしくまるで見知らぬ人間のようで、彼女はそれ以上声を掛けることができなかった。

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