7章 その2 長い一日のはじまり②
支度を終えて教会へ行くと、修道院を出るセラと鉢合わせした。手を上げ会釈する彼女は、昨日よりその瞳に光が差しているように見えた。
朝課は淡々と進められた。聖篇の朗読が響く中、ミナはこれからの方針について考える。
罪人の処遇については、いくら考えても結論が出そうにない。今は脇に置いておくしかないだろう。とにかく、まずはセラたちの無実を証明するために事件を解決することだ。
そのためにはどうすればよいか。
自分にはやはり、会話の精密な検証は難しいだろう。一応の努力はするつもりだが、それ以外に何か別の手立てはないものだろうか。例えば――エリスはなぜ殺されたのか、その原因を引き続き探るのはどうだろう? 動機が明らかになれば犯人も自ずと分かるだろうし、結果的にセラたちの無実を証明することにも繋がる。
昨夜口にした時には滅裂に感じられたその考えは、あらためて検討してみると案外悪くないように思われた。
まずは証言を集めることだ。特に、エリスが愚痴をこぼしていたというノラ監督官には、真っ先に話を聞くべきだろう。
やるべきことが定まり、気持ちが自然と引き締まる。
と、どこからか視線を感じて見回すと、リノが慌てて目を逸らすのが見えた。
昨日のことを引きずっているのだろうか。気になったが、朝課が終わると足早に出て行ってしまったので、話はできなかった。
朝食を囲んだのは前夜と同じ七人だった。ハルはロンゾと官舎で食べるとのことだ。そのまま住民への審問へ向かうらしい。
「あの三人の中に犯人がいるんじゃないの?」
「一応、確認できることは確認しておかないとな」
ミナの皮肉にどこ吹く風で、彼は朝課を後にした。
食後、話を聞かせてほしいとノラに頼むと、にっこり笑って快諾してくれた。落ち着いて話せるところでと、彼女はミナを自室へ誘った。
連れ立って表へ出たところで、ミナは思わず目を細めた。朝課の終わりにはまだ薄暗かった景色が、その輪郭をくっきりと輝かせている。照り付ける陽光は今日も容赦がなく、二人は逃げるように宿舎へと向かった。
ノラの部屋は宿舎の端にあった。室内はいたって簡素で、ミナたちが宿泊する官舎のものと造りはほぼ変わらない。他の部屋も同じだということで、これがこの町の標準なのだろう。
雨戸が開け放たれる。日差しとともに、かすかに鼻をつく空気が流れ込んできた。見ると、窓の向こうには一面に墓地が広がっている。部屋の主は気にする様子もなく、ミナへと椅子を勧めた。
「昨日の審問、リノさんが失礼なことを言ってごめんなさいね。あの子、エリスさんのことで今ちょっと不安定で」
そう言って、彼女は何度も頭を下げた。謝罪が済むと、今度は「水をお出ししないと」と井戸まで汲みに行こうとする。どうにか押しとどめたものの、それは骨の折れる仕事だった。
すぐ近くですからと微笑む彼女を見て、ミナは思った。例え井戸が隣町にあろうと、この人なら躊躇なく行くだろう。そして、そんな人柄の彼女だからこそ、修道女たちは愚痴をこぼせるのだろう。
そう伝えると、彼女は困ったような笑いを浮かべた。
「私はそんな大層な人間ではありません。ただ」
その目が窓へ、その先の墓場へと向く。
「人はいつか必ず死にます。それも、大抵は突然に。だから相手が誰であれ、その方がいつ死んでも後悔しないよう接する――そう心がけてはいます」
その視線と声からは、どうしようもない諦念が感じられた。
セラから聞いた話を思い出す。十五年前、彼女は家族を一度に失った。そこで何を思ったのか、何を感じたのか、そしてそれらがどのように心中へと根を張ったのか。その一端を垣間見た思いだった。
一拍置いて、ミナは聞き取りを始めた。
まずは、事件当夜について気付いたことがないか念のため確認しておく。しばらく首をひねっていたノラだったが、思い出したように言った。
「参考になるかどうかは分かりませんが、あの晩、近場で大きな物音はなかったはずです。ちょっとした光や物音でも、すぐ目が覚めてしまう身体ですので」
それも紛争の過酷な体験ゆえだろう。ミナは深く頷いた。彼女も過去の経験のせいで、大勢の視線や声に晒されると身がすくんでしまう。
次いで、関係者の人となりについて尋ねたが、返って来るのはセラから聴取したものと大差ない答えばかりだった。
だが、話がエリスの様子について及ぶと状況は一変した。
「関係ないとは思いますけれど、ひと月ほど前からエリスさん、ぼうっとすることが多くなりました。いつもうわの空という感じで」
――え……?
あと少しで声を上げるところだった。
――変わったところは……なかった。
――分からなかった……変わったところ、なかったと思う。
昨晩、セラたちははっきりとそう断言した。ノラの言葉は、それらと真っ向から対立している。
「きっかけは怪我です」
ひと月前、エリスは右足を捻挫した。腫れはひどく、さらには熱まで出てしまい、三日間寝たきりだった。様子がおかしくなったのは、熱が引いた後からだという。
「まだ本調子ではないのかと思っていたのですけれど、どれだけ経っても元に戻らなくて。大きな町の病院へ連れて行こうかと相談していたのですが……その矢先に、あんなことになってしまって」
憂いを帯びた顔で、ノラは首を振った。
「大切な人ほどみんな、突然いなくなってしまうものですね」
その呟きはしかし、ミナの耳には届いていなかった。これからしなければならない質問のことで頭がいっぱいだったのだ。
生唾を飲み込み、おそるおそる尋ねる。
「周りの方はみなさん、その変化に気付いていましたか?」
「もちろんです」
あっさりと、ノラが頷く。
「みんな気にしていました。特にセラさんたちは姉妹のようなものですから、一層気に掛けていましたよ。そのせいで、夜もなかなか眠れないようでしたから」
彼女の言葉を聞きながら、ミナは気が遠くなるのを感じた。
――まさか、いきなりこんな……。
「どうされました? 顔色が悪いようですけど、だいじょうぶですか? やっぱり水を汲んできましょうか?」
心配そうに顔を覗き込むノラに感謝を告げると、ミナは逃げるように部屋を出た。
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