7章その1 長い一日のはじまり①

 目を覚ますと、部屋はまだ静かな闇に覆われていた。薄布の隙間から忍び込む冷気に、ミナ思わず身震いする。

 起き上がろうとすると、重苦しい気分が身体に纏わりついてきた。頭に手をやると、髪がぼさぼさに乱れている。昨晩なかなか寝付けず、何度も寝返りを打ったためだろう。大きく伸びをしたが、垂れこめる暗鬱を追い払うことはできなかった。

 と、ノックの音が響く。のそのそとベッドから出てドアを開けると、ハルが立っていた。

「お前、女をやめたのか? 野盗みたいな顔してるぞ」

 思いっ切りドアを閉めてやる。ドア板が割れたかと思うほどの派手な音が響き、自分で出した音なのにミナは思わず身をすくめた。それがまた悔しくて、ドアを睨みつける。

「何か用?」

 邪険に言うが、ドア越しに聞こえる声は澄ましたものだった。

「昨日の話の確認さ。ちゃんとできるかな、とお伺いを立てに」

「心配しなくてもちゃんとやるし」

「その髪でか?」

「うるさい!」

 ――絶対、間違いを認めさせてやる!

 ハルが立ち去ると、昨晩のことを思い返してミナは唇を噛んだ。


 * * *


「あの三人の中に犯人がいるなんて、信じられない」

「いや、犯人はあの三人の中にいる」

 夜の官舎。会議室のテーブルを挟み、二人は言い争っていた。

「同じ修道院の仲間を殺すなんて。それに、みんなエリスさんが死んで悲しんでる」

「だからそれも演技だ」

「あれは演技じゃない」

「露天商の笑顔に騙されてたやつが何言ってるんだ?」

「あの時は……お腹が空いて頭が回ってなかったし!」

「夕食摂っても回ってないじゃないか」

 ハルはため息交じりに何度目かの説明を繰り返す。

 犯人は教会関係者の六人以外にはまずありえないこと。その中で偽証できる可能性があるのは、三人の修道女たちだけであること。そして、ここから導かれる結論は一つであること――

 確かに筋は通っている。だが、セラたちと間近に接したミナにとって、それは到底受け入れられる話ではなかった。

「洗礼を受けてなかったとして、どうしてそれに気付くことができるの? 本人も周りも、受洗済みだって思い込んでるんでしょ?」

「たまたま嘘を口にしてしまったんだろ。で、神罰が下らなかった」

「それなら、その後すぐに洗礼を受けようとするんじゃない?」

「どう説明するんだ? 嘘をついたのに神罰がなかったって言うのか? 偽証はこの国では最大の罪なんだぜ? そんなこと言えば火刑にされるのがオチだ」

 もっと言えば、とハル。

「偽証ができるという誘惑に勝てなかったんだろ。人は誰しも特別な存在になりたがるもんさ」

「それまで信徒として生きて来たのに?」

「司教の中にすら、死ぬと分かってて偽証してしまうやつがいるんだぜ?」

 咄嗟に反論が見つからず、ミナは顔をしかめる。

 ここ数か月の間、司教が四人立て続けに神罰を受けるという事件があった。

 不可解なのは、なぜ彼らに神罰が下ったのかということだ。いや、もちろん偽りを口にしたからなのだが、分からないのは、なぜ彼らがそんなことをしてしまったのか、ということだった。

 四人とも長年司教を務めてきた人格者であり、周囲の人望も厚かった。その彼らが揃いも揃って偽証をするなど、たちの悪い冗談以外の何物でもなかった。

 しかも、彼らが口にした偽証は、どれもつまらないものばかりだった。例えば、説法中に神罰が下った四人目の司教は、自分の業績を水増しして並べ立てるという、信じられないほどのお粗末な嘘をついていた。精神を狂わせる毒薬を飲まされたのではないか、悪霊にとり憑かれたのではないかなど、胡乱な噂が飛び交ったのも当然と言えるだろう。

「ミナの話からすると、三人ともそれなりに怪しい。セラ修道女がよくしゃべるのは、偽証しても大丈夫だという自信の表れにも取れる。なにより、身内が死んだのに冷静すぎる。逆に、あまりしゃべらないローザ修道女も疑わしい。思わず偽証してしまうのを避けているのかもしれない。そしてリノ修道女が出て行ったのも、もしかしたら同じ理由かもしれない」

 勝手に話を進めるハルに、ミナは苛ついた声を上げる。

「なんで彼女たちがエリスさんを殺さないといけないの?」

「知らないし、知らなくても捕まえられるだろ」

 頭の中が沸騰する。

 ――これだから審察官ってやつは!

 自分もその一員なのだが、そんなことはあっさり頭の隅へと押しやられ、ミナはテーブルを勢いよく叩きつけた。

「そんなことない! 捕まえることしか考えてないハルにはそれが分かんないんだ!」

 やれやれとばかりに、両手を広げるハル。

「じゃあ聞くが、知ってどうするんだ?」

「え?」

「殺された理由を知ってどうするんだ? いつもみたいに言うのか? この人には事情があったんです、逃がしてあげてくださいって」

 黒い瞳が冷たく光る。

「身内を殺された相手に向かって」

 身を乗り出したまま、ミナは凍り付いた。

 ――で、どうするの?

 リズの問いが鮮明に蘇る。今に至るまで、をすっかり失念していた。そして、それがいかに重い問いかけであるか、遅まきながら気付いてしまった。

 考えてみれば、これまで彼女が逃がしてきたのはすべて、窃盗の現行犯だった。受けた損害はその場で取り戻すことができる。

 だが、今回手掛けているのは殺人だ。失われた命は弁償できないし、取り返しなどつかない。なにより、死者を悼み、悲しみに暮れている者たちがいる。そう、リノたちのように。そんな彼女たちに向かって言えるのか? ――犯人を逃がしてあげて、と。

 いや、違う。もともと逃がす時に被害者へ断りを入れるなんてことはしていなかった。ならば、知らせずに逃がせば――

 それこそ、できない。

 彼女たちの痛みはよく分かる。その気持ちを裏切るようなことを、どうしてできるだろう。そもそも、部外者である自分にそんな権利などあるのだろうか。

 ようやく、ミナは思い当たった。リズが彼女に殺人事件を担当させなかった、本当の理由。まだ新人だということ以上に、この手の袋小路に陥らせないようにとの意図があったのだろう。

「でも……理由は突き止めないと。それに……理由が分かれば、三人の中に犯人はいないっていうのも分かるはずでしょ」

 我ながら支離滅裂――言っているそばから、ミナは腰が砕けそうになる。だが、正直な気持ちを言葉にするとそうなるのだから仕方がない。厳しい叱責が飛んでくると覚悟したが、ハルの口から出たのは予想外の提案だった。

「分かった。どうあっても、あの中に犯人はいないって言うんだな? じゃあ、自分でそれを証明してみろよ」

 戸惑うミナに、ハルが身を乗り出す。

「難しいことじゃない。あの三人の中に潜り込んで、嘘つきがいないか探りを入れるんだ」

「探り?」

「相手が偽証できるっていうのは相当に厄介だ。何を聞いても知らぬ存ぜぬで通せるからな。だが、今は異常事態のまっただ中だ。心の中では動揺もあるだろうし、偽証しなければならない場面も多いはずだ。ボロを出す可能性は高い。注意深く相手の言葉を聞いて、前後で矛盾がないかを検証するんだ」

 ミナは顔をしかめた。

「呆れた。それって結局、嘘つきを見つけ出せってことじゃない」

「見つけ出すのもいないと証明するのも、最終的に同じことさ。もし三日経っても嘘つきが見つからなければ、一旦考え直すって約束するよ」

「……どういう風の吹き回しよ?」

 疑り深い目でハルを見つめる。そんな約束をする必要など一つもないはずだ。何か魂胆があるに違いない。

「まあ、ミナのやる気を出すためってところか。現段階では、この役に一番の適任者だからな」

 すでにミナは、修道女二人と多少の関係を築いている。相手が油断して、余計なことを口走る可能性は高い。

「それならロンゾさんの方が適任じゃない?」

「三年前まで教会の中で一緒に過ごしてたんだろ? 俺たちが疑っているのをあの三人に密告する危険がある」

 確かにそれは否定できなかった。密告でなくとも、騙し討ちのようなこの作戦に反対して、正面切って彼女たちに尋ねようとするかもしれない。

「でも、私だってうっかりしゃべっちゃうかもしれないよ」

「それは織り込み済みだ」

 これ以上の口論は面倒とでもいうように手を振ると、ハルはそっけなく言い添えた。

「ミナには借りがある。借りは返す主義なんだよ」

 唐突な言葉に、ミナの口から「は?」と声が漏れる。

「どういうこと?」

「こっちのことだ。それこそ知る必要はない」

「ああ、そうですか」

 借りがあるのはむしろ自分の方だと思うのだが、向こうがそう言うのならわざわざ否定する必要もない。利用させてもらうまでだ。

「ねえ、もっと手っ取り早い方法があるよ。三人にもう一回受洗してもらって、その上で審問する」

 ハルの話を聞いてから、ずっと考えていた最終手段だ。ただ、それが無謀な方法であるのはミナ自身にも分かっていたため、今まで口に出せずにいた。案の定、すぐさま反論が飛んで来た。

「それだと、犯人以外は洗礼を二回受けることになるだろ」

 ミト教は一度入信すると棄教することができない。つまり、二度受洗するなど本来あり得ないことであり、それ自体が洗礼への冒涜だとして法により禁じられているのだ。

「でも、事情が事情だし」

「ここの司教は信仰の鬼なんだろ? 協力してくれるはずがない」

 話は終わりだというように、ハルが手を打った。

「さて、どうする? 自信がないのなら無理にとは言わないが」

 安い挑発だとは分かっていたが売り言葉に買い言葉、勢いミナは乗ってしまっていた。息巻いて自室に戻った彼女だったが、横になった途端に後悔が押し寄せてきた。

 注意深く相手の言葉を聞いて、検証する。そんなこと、注意に疵のある自分にできるのだろうか? 偽証を聞き逃してしまうかもしれないし、気付かず素通りしてしまうかもしれない。そんな網目の大きな検証で、果たして彼女たちの無実を証明できるのだろうか?

 ごろんと寝返りを打つ。いつもながら後先考えない自分の行動に、大きなため息がこぼれる。特に、今回は輪をかけてひどい。

 セラたちに自分を重ねているのもあるだろう。だがそれ以外にもう一つ、大きな原因がある。ハルだ。

 事情に関係なく罪人は火刑だという主張。そして、罪人の腕を折ることに躊躇を見せない冷淡さ。そこだけ見れば、彼は典型的な審察官だといえる。

 一方で、最初こそひと悶着あったものの、彼はミナと普通に会話をしている。ミナの所業を知っているにも関わらず、だ。

 いや、それだけではない。審問の際にはミナにいろいろと教えてくれたし、今しがたなど、修道女たちの嫌疑を晴らすための機会すら提供してくれた。上司の命令があるとはいえ、法を犯している相手にそのような態度を取るものだろうか?

 そう、彼の言動にはどうにも一貫性が欠けているのだ。そのため思考が掴みづらく、言葉のいちいちに振り回されてしまう。

 考えてみると、ハルは移民であり、生粋のミト教徒ではない。

 以前、リズに聞いたことがある。他国では罪人は必ずしも死刑とはならず、罪の重さに応じて罰や賦役が課せられるのだと。

 ならば、ハルがこの国の極端な刑罰制度に馴染むのは難しいかもしれない。ちぐはぐな態度はその表れなのだろうか。

 ――そういえば、ハルって十歳の時にこの国に来たんだっけ。

 彼はそれ以上語らなかったが、年端もいかない少年が故国を捨てざるを得なかったのだ。計り知れない苦労があっただろうことは想像に難くない。彼の皮肉な口ぶりの裏には、そういった事情が隠れているのかもしれない。

 ――事情、か。

 リズの言葉がよぎる。――で、どうするの?

 犯人に斟酌の余地があったとして、リノたちの気持ちを考えると、とてもではないが見逃すなんてできそうにない。じゃあ一体、どうすれば――

 まとまりない思考が、やぶ蚊のように脳内をぐるぐると飛び回る。それらに明確な答えを出せないまま、ミナはほとんど一睡もせずに夜を明かすこととなった。

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