6章その1 対話と疑惑①

 晩課には二十人ほどの住民が集まった。年のいった者ばかりだった。みな質素な身なりで、不安に皺を深くしている。

 僻地であろうと晩課の内容は変わりなく、聖篇の朗読、賛美歌斉唱が滞りなく進められていく。説法ではミナが紹介され、参列者たちに調査への協力が呼びかけられた。

「皆さんの不安はよく分かります」

 厳かな、けれど慈しみを湛えたマズローの声が堂内に響く。

「ですが、この町の中に侵入者がいないことは、ロンゾ審察官の調査からも間違いありません。軽率な言動は控え、ただ神に祈りを捧げましょう」

 晩餐は普段通り教会の食堂に並べられた。ハルたちは調査から戻っておらず、教会関係者とミナの七人でテーブルを囲むことになった。

 燭台のあえかな光の中、食事は沈黙のうちに終わった。教会では食事中の私語は禁じられているのだ。食後の片付けが済むと、すぐに消灯となる。

 ミナは焦った。何でもいいから情報を引き出せと言われているのに、その機会はまるで訪れてくれない。

「あの……」

 みなが部屋を出ようとする中、思わず声を上げた。怪訝な表情で振り返る面々に言葉が浮かばず口ごもっていると、マズローが口を開いた。

「ミナ審察官。この後、このまま食堂を使っていただいて構いません」

「え?」

「事件について話を聞きたいのでしょう?」

 見透かされたようでぎょっとするミナに、司教は微笑んだ。

「まずは、リノたちに聞かれるといいでしょう。彼女たちが一番エリスに近かったのですから」

 上の者がいない方が話しやすいだろうと、司教たちは部屋を後にした。再びテーブルについた修道女たちの視線が自然とミナに集まる。燭台の炎に揺らめくその目は、不安と疑心に満ちていた。

 一つ深呼吸して、ミナは言った。

「大切な隣人を亡くされて、つらいお気持ちでいるのはよく分かります。けど、だからこそ、調査に協力してください。犯人はきっと捕まえます」

「気持ちがよく分かる?」

 ささくれ立った声が響く。リノだ。目を細めてミナを睨みつけている。

「どうしてあなたに私の気持ちが分かるんですか?」

「え?」

 心臓がとくんと鳴った。咄嗟に答えられずにいると、

「答えられないんですか? やっぱり、全然分かってないんですね」

 リノが顔を背けた。彼女との間でぴしゃりと扉が閉められたかのようだった。鼓動が速くなる。

「リノ。もうそれくらいにしよ」

 相変わらずの平板な声でセラが間に入ると、リノは無言で立ち上がり、そのまま部屋を出て行ってしまった。止める間もなかった。

 その後ろ姿に小さくため息をつくと、セラは頭を下げた。

「ごめんなさい。今あの子、精神的に参ってて」

 ミナも慌てて頭を下げる。

「こちらの方こそ、ごめんなさい。昼間も散々審問受けたのに、また協力しろだなんて」

「ううん、それは必要なことですから」

 淡々とセラが答える。

「あの子、エリスと本当に仲が良かったから、ずっとあの調子で」

「気持ちは」

 分かる、と言いかけて、ミナは口をつぐむ。また同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。そんな彼女に、セラが軽く肩をすくめた。

「質問には私がまとめて答えます。それでいいよね、ローザ?」

 先ほどからずっと俯いていたローザがわずかに顔を上げ、小さく頷く。それに頷き返すと、セラはまっすぐにミナの目を見た。

「リノに聞きたいことがあったら教えてください。後で聞いておきますから」

 ミナはそっと息をついた。まだ鼓動は治まらなかったが、仕事はこなさなければならない。とにかく、何を質問すべきか思いを巡らせる。そしてこんな時、彼女が知りたいと思うのはいつも同じことだった。

「エリスさんのことを教えてください」

 セラがわずかに首を傾げる。

「事件の日のことですか? エリスの行動ならもう審問の時に……」

「ううん、違う。教えてほしいのは、エリスさんがどんな人だったのかってことです」

「……どういうこと?」

「エリスさんがなぜ殺されたのか、その理由が知りたいから」

 二人の修道女が顔を見合わせた。セラはほとんど表情を変えずにいるが、その様子から心の裡はよく分かった。明らかに戸惑っている。

 どうやら中央から遠く離れたこの町にも、審察官についてのは根付いているようだ。ロンゾという、彼女たちのよく知る人間が審察官を務めているにも関わらず、やはりイメージが先行してしまうのだろう。

 思い返せば、日中に行われたハル主導の審問でも、動機に関して触れられることは一切なかった。そしてロンゾを含め、そのことに異を唱える者も出なかった。思うところはあっただろうが、審問とはそういうものだと誰しも認識していたのだ。もちろん、一人ミナを除いての話だが。

「審察官って、そういうこと聞かないんじゃない?」

 言葉を選びながら尋ねるセラに、ミナは苦笑を返す。

「まあ、そうだね」

 四年前、彼女がいくら訴えても、審察官たちは取り付く島もなく同じ答えを返してくるだけだった。

「だけど、私にとってはそこが大切なの」

 セラの瞳がわずかに泳ぐ。けれどそれは一瞬のことで、すぐさま値踏みするような目をミナに向けた。言葉の真意を探ろうとするかのように。隣に目を遣ると、ローザも上目遣いにちらちらと視線を送って来る。どう反応すればいいのか困っているようにも見える。

 居心地は悪かったが、ミナは黙っていた。言いたいことはすでに言ったのだから。

「そっか……」

 セラがぽつりとこぼした。

「ありがとう」

 エリスのことを思ってくれて、ということだろう。「、か」。ふう、と息をつくと、彼女は覚悟を決めたように言った。

「セラの話をしよっか。ついでにみんなの話もする?」

 彼女たちとの距離が変化したのをミナは感じた。縮まったのか遠くなったのか、それともその間で揺れているのか。二人の表情からそれは窺い知れなかったけれど、いつの間にか硬さがとれているセラの言葉尻と、ありがとうの言葉。きっと、少しは話の分かる審察官だと認めてくれたのだろう――

 そう思うことにして、ミナは答えを待つセラに神妙な顔で頷いた。


「十五年前の紛争についてはもう聞いた? エリスも私たちも、その時の孤児なの」

 四人は月をまたぐことなく立て続けに生まれた。神の恵みだと町は喜び一色に染まったが、間を置かずして紛争が勃発。彼女たちは両親との、あまりに早い別れを迎えることになる。

「というより、私たちだけ生き残った、と言うべきかな」

 当時、町に二十人近くいた子どものほとんどは殺され、生き残ったのは彼女たちとロンゾの五人だけだったという。

「まあ、物心つく前だから親の顔も全然覚えていないし、何の感慨も湧かないんだけど」

 セラの口調は砕けてはいるものの、まるで他人事のように淡々としていた。聖堂での審問時にも感じたことだが、感情がすっぽり抜け落ちたような虚ろな空気がそこには漂っている。

 逆にローザは口を開くことこそないが、前髪の向こうに見える瞳には様々な感情がうつろい、揺らめいていた。

 二人のどちらが自然かと言えば、ローザだろう。今は事件の真っただ中であり、審察官に聴取を受けている最中なのだから。さらには、物心つく前とはいえ、自分たちの凄絶な過去について話をしているのだ。冷静でいられる方がおかしい。

 引っかかりを覚えるミナだったが、今は聞くに徹することにする。とにかく、まずは情報収集だ。

 紛争後、生き残った五人はマズロー司教に引き取られた。修道院はこの時、来客用の宿泊施設を改修して造られたらしい。

「みんな同じところで育った幼なじみってわけ。といっても、ロンゾは宿舎の方で暮らしてたんだけど」

「ロンゾさん、そんなこと一言も……」

「ロンゾ、自分のことしゃべるの苦手だから。紛争の経験が尾を引いているんじゃないかな」

 あの紛争で身内が死ななかったやつなんて、一人もいねえ――そう吐き捨てたロンゾの硬い声が思い出される。

「自分のことを話すっていうのは、結局はもう一回過去を体験するってことだから。それを避ける気持ちが働いているんだと思う」

 それはミナにも痛いほど分かった。彼女も同じように、自分の過去を語ることは滅多にない。

「で、そんな過去から救い出して、まっとうに育て上げてくれたのが司教。だから、ロンゾにとって司教は特別な存在なの」

「あ、それで……」

 ロンゾがハルに掴みかかった一件を話すと、セラは「ああ」と頷いた。

「あれはもう、完全に崇拝の域。司教の話をする時は、私たちですらロンゾが周りにいないか確認してる。……って、ロンゾの話になっちゃったけど、今は私たちのことだよね」

 一息つき、話を続ける。

「ほんとに性格がばらばらな四人が集まったなって思う。私は適当な性格だし、ローザは……見ての通りだね。本当はもう少ししゃべるんだけど」

 ローザは俯いたまま何も言わなかった。

「リノは……今はああいう感じになってるけど、元々は真面目な子。四人の中で一番しっかりしてた。で、最後にエリスだけど……とにかくじっとしていられない子だった。何かしていないと落ち着かないっていうか。だから、修道院の生活にはいつも文句言ってた。特にここ、司教が厳しいから」

 修道院での生活は、院ごとに戒律によって定められている。マズローの掟は厳格で、朝晩課や洗濯掃除といった日課、そして食事や沐浴などの時間以外は、聖篇や注釈書の写本か、聖堂での祈祷しか認められていないという。

「うわ、それは……」

「すごいでしょ? あと、教会の敷地外へ出るのも禁止。そんなだから、ちょっとした反抗ではないけど、エリスはよく他愛のないいたずらしてうさ晴らししてた。いつもリノを巻き込んで」

 二人の性格は正反対だったが、なぜか馬が合ったという。

「真面目なリノを、落ち着きないエリスが引っ張るって感じかな。で、そこにローザもちょくちょく巻き込まれて。まあ、強引に誘えばいやでもついて行くからね、この子は」

「そんなことは」

 そう言って、ローザが顔を上げた。食堂に入ってから、彼女が口にする初めての言葉だった。

「ん、分かってるよ、別にいやいや付き合ってたわけじゃないって。というか、むしろ喜び勇んでついてったよね」

 その言葉に、話題の主は再び下を向いてしまった。

「セラは? 一緒に遊ばなかったの?」

「私はまあ、適当に付き合ってたかな。仲が悪いってわけじゃないよ。ただエリスの遊びって、子どもっぽいものばかりだったから」

「セラが一番しっかりしているみたい」

 率直な感想に、彼女はあいまいに首を振った。

「とりあえずこんなところかな。何か他に聞きたいことある?」

「殺される前、エリスさんに変わったところはなかった?」

 これは重要な質問だ。彼女に殺される理由があったのなら、事件前の態度に何がしかの変化があったはずである。身構えて答えを待つ。だが。

「変わったところは……なかった。事件の日も、ううん、エリスに変わったところは何もなかった」

 感情に乏しい顔でセラが答える。ローザへ目を向けると、こちらは泣きそうな顔になっていた。

「分からなかった……変わったところ、なかったと思う。エリスちゃんは……殺されるような子じゃない」

 思いもかけず強い声だった。もしかすると事件以来、同じことを自身に問い続けているのかもしれない。何も気付けなかったと自分を責めながら。

 ミナは慌てて礼を言い、話を切り上げた。身近な彼女たちが気付かなかったのだ。奇妙な話ではあるが、変わった様子はなかったのだろう。

「ありがとう。じゃあ、他の人たちについても教えてくれる?」

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