2章その1 出会いと相性①
ラテナの中心より南、街を東西に流れるロンド川は中央大陸最大の河川である。
沿岸には多くの港町が形成され、大きいものから小さいものまで、何百という船が日々水上を賑わせている。船着き場一帯には取引所や競売所、直売所が列をなし、朝から晩まで喧騒が絶えない。
命令書を受け取った翌日。
第十四教区にある船着き場から道一つ隔てた広場にミナはいた。中央に設えられた小さな噴水の縁に腰を下ろし、足元には荷を詰めた背嚢。ここでハル・クオーツ審察官と合流する予定なのだ。
応援に派遣される審察官は、基本的に二人組とされる。単独より調査の効率がよく、不慮の事故にも対応しやすいためだ。加えて、それぞれ別々の教区から選ばれることが慣習化している。中央も人手が不足していた時代の名残だが、教区間の交流ができるという利点もある。
「おーい」
慌ただしく行き来する人通りの中から、こちらに向けての呼びかけが聞こえた。と、壮年の男が手を振りながら近づいて来る。
弾かれたように立ち上がる。その勢いで足元の背嚢が倒れたが、緊張で身構える彼女にそれを直す余裕はなかった。
男は彼女の横を素通りすると、近くにいた別の女性に声を掛けた。どうやら人違いだったようだ。二人が立ち去るとミナはへなへなと腰を下ろし、
「もう、リズが変なこと言うから」
空に向かって口を尖らせた。
派遣の一件を聞いたリズの第一声は、「何かの罰?」だった。
「そうかもしれない。ばれちゃった」
「……は?」
それ以上はところ構わず話せる内容ではない。幸いにも終業の時間を過ぎていたため、二人はミナの住む使徒寮へと場所を移すと、そこで一部始終が語られた。
赤やら青やら顔色をくるくる変化させ、「うお!?」「えええ!」と奇声を上げながら聞いていたリズは、ミナが助かったことを知るや、空気が抜けたように椅子へと崩れ落ちた。
「よかったー」
「うん」
ベッドに腰かけたミナが頷く。けれど、燭台の炎に照らされたその顔に安堵はなく、複雑な表情が浮かんでいる。
「いやー、さすが父上。見直したわ」
「ごめん」
唐突にミナが言った。宙に浮いたような、頼りない声だった。ふう、とリズがわざとらしく息をつく。
「まったくだ」
その言葉に、ミナは俯いた。
昼間の一件から分かるように、リズはすべてを知っていた。ミナが話したのだ。
もちろん本意からではない。彼女を巻き込みたくなどなかったし、黙っていられるのならそれに越したことはなかった。だが、初回の幇助のやり方があまりに拙く、あっさりと彼女に露見してしまったため、打ち明けるしかなかったのだ。
当然ひと悶着、いや幾悶着もあった。リズはどうにかしてやめさせたかったし、ミナにそのつもりはなかった。事あるごとに二人は衝突し、話はどこまでも平行線をたどった。
けれど。
リズがミナを告発することはなかった。どころか現場では毎回(渋々ながらも)折れてくれ、人払いをするなど、それとなく手伝ってくれさえする。事が明るみに出れば、自分も共犯として火刑になるかもしれないのに。
今回の一件は、まさにそれが現実になるかならないかの瀬戸際だった。実際のところ、リズの行為が共犯にあたるかどうかは分からない。だが、見方によってはそう捉えられてもおかしくはない。もし、そうなっていたら――
「それで?」
「え?」
ミナが顔を上げる。
「教区長は私のこと、何か言ってた?」
「ううん、何も。だからリズが知ってること、多分ばれていないと思う」
「ミナは私のこと、何か言った?」
「言うわけないじゃない!」
「うん、よろしい」
にっと笑うと、ミナの頭にぽんと手を乗せる。
「本当に骨を拾うことにならずに済んでよかったよ」
ミナが何か言おうとすると、さらに頭をぽんぽんと叩かれた。
「二人とも無事に済んだんだし、もういいじゃない」
有無を言わせぬ口調だった。ぽん、と今度は優しい手つきで。
「……あたしの頭は太鼓じゃないんだけど」
そう言って手を払いのけると、今度はずいっと足を伸ばしてきた。横にかわして素早く払い落とす。いつもとまるで変わることのない遣り取り。なのにひどく胸が詰まり、ミナは泣きそうになった。――ありがとう、リズ。
「で、これを機に足を洗うってのはどう?」
「ごめん」
いつもの返答に、リズが肩をすくめる。同じく、何度も繰り返されて来た遣り取りだ。
「じゃあ、とりあえずは目の前のことをしっかりこなさないとね」
ミナへの派遣要請についてはリズも首をかしげたが、そこは切り替えの早い彼女のこと。すぐさま調査応援初心者への講義が始まった。
派遣審察官の心構えからサウスウェルズまでの駅馬車の乗り継ぎまで、必要そうなことは片っ端から。中には、旅のお土産についての注意事項もなぜか含まれており、それがいかにも彼女らしかった。ミナはうれしいようなむずがゆいような、姉に世話を焼かれる妹になった気分だった。
「で、どうするの?」
一通り講義が終わると、椅子の背凭れに顎を乗せてリズが聞いた。
「どうって?」
「派遣先でどうするの?」
「うん」
ベッドの上であいまいに頷くと、ミナは逃げるように窓へ目を遣った。開け放たれた鎧戸の向こう、上弦をわずかに過ぎた月が見える。
「向こうじゃ、見逃してくれるはずないんだから」
「分かってる」
そう、分かっている。彼女が今の活動を続けられているのは、あくまでリズの協力があってのものだ。他教区で同じことをしようとすれば刑場送りがオチだろう。
「捕まえたら、話は聞こうと思うけど」
「そこから先は?」
「その時考える」
「ミナ」
口調が厳しくなる。
「ちゃんと周りをよく見ること。ちょっとでも懸念があるなら絶対に行動に移さないこと。これだけは約束して」
「がんばる」
その答えに不満を隠せない様子のリズだったが、結局は諦めたように首を振った。
「そういえばさ、一緒に派遣されるのって誰?」
この部屋に来てからすでに二時間。今頃それを聞くのかと思いながらも、ミナは命令書にあった名前を口にする。
途端にリズの顔が曇った。
「ハル・クオーツ?」
「え、知ってる人?」
「うーん、噂で聞いただけなんだけどねえ」
煮え切らない態度で言葉を濁すリズ。さらには、
「まあ、審察官としては優秀らしいよ。これまで罪人を取り逃がしたことは一度もないらしいし。だけど、うーん、ミナとは相性がよくないかも。というか、最悪かも」
明日会う予定の人間を前に、不吉な言葉を並べ立ててくる。
「な、何で? 失敗に厳しいとか?」
これまで自分が積み上げて来たミスの数々を思い浮かべ、ミナの顔に情けない表情が浮かぶ。
「まあ、そこは気にしなくていいかな。厳しいは厳しいらしいけど」
「結局厳しいんじゃない」
「あー、私がついてってあげられればいいんだけどなあ」
ミナの表情が引き締まる。調査応援の個人的目標を思い出したのだ。
「だいじょうぶ!」
努めて明るい声を上げる。
「リズはおとなしくお土産待ってて!」
そう言うと、彼女は胸を張った。残念ながら、リズの顔から不安の色が消えることはなかった。
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