第16話 パーフェクト・ヒューマン 白河天皇登場!

【道長と白河天皇は似てる!? 平安の二大天狗】


 藤原家による摂関政治によって牛耳られていた朝廷ですが、道長の絶頂期を最後に衰退していきます。


後三条天皇ごさんじょうてんのう「よっしゃ! 藤原の連中もおとなしくなったな! これからは天皇の時代や!」


 こんな感じで、天皇家が藤原家から政権を奪い返します。


 しつこいようですが、飛鳥時代から平安時代まで『天皇家VS貴族(豪族)』による覇権の奪い合いは、ずーと続いていますね。


 後三条天皇は経済政策をメインで行いました。

 というのもこの時、お金は藤原家に流れやすいようになっていました。そこで荘園を整理してお金が国内全体に回りやすいようにしたんですね。


 またこの頃になると、東北が朝廷の支配下に入りました。


 坂上田村麻呂とアテルイが戦っていた時代から、270年以上経っています。

 この頃にようやく本州全体が日本になったんですね。


 後三条天皇はさらっと流して、面白くなるのは次の白河天皇からですよ。


 白河天皇は『院政』という政治形態を作りました。 


 院政というのは、天皇が皇位を譲って上皇になっても……


「俺は天皇の“父親”だから権限は俺にある! 文句あるのかコノヤロー」

 という感じで、実権を握り続ける事です。


「俺は天皇の“義父”だから権限は俺にある! 文句あるのかコノヤロー」

 という感じで、実権を握っていた藤原道長のやり方に似ていますね。


 道長は三人の娘が三人とも男の子を産むという幸運に恵まれましたが、白河天皇は上皇になった後、三代連続で院政を続けるという快挙を成し遂げます。


 そんなパワフルな白河上皇が残した名言がこちら!


「思い通りにならぬのは、加茂川かもがわの水、サイコロの目、僧兵だけ」と豪語しました。


 僧兵は以前お話したお坊さんによる武装集団で、朝廷が手を焼くほど強かったようです。


 これをふまえて、白河上皇の名言を解説していくと…


「自然と、サイコロと、厄介者だけは思い通りにならないが、あとは全て俺の思うがまま」という意味になります。


 これを一言で表すと「アイム・パーフェクト・ヒューマン」という事になりますw


 このように白河上皇も道長に似て、天狗発言をしています。


 さて、パワフルな白河上皇は『北面の武士』という特殊部隊をつくりました。

 

 自宅の北側に武士の詰め所を置いたから北面の武士と呼ばれまじた。


 なぜ特殊部隊を作ったのかというと、それは僧兵に対抗するためです。


 というのも、当時の貴族達は皆仏教信者であり、そして僧兵はとても横暴でした。


 この構図がどうなるのかと言うと……


僧兵「おう! 寺を修繕したから金がないんだ。今年は税金払えないけどいいよな!」


貴族「ええ、それはちょっと困りますよぉ」


僧兵「なに! 俺達の言う事を聞かないと、仏罰が当たるぞ!」


貴族「ええ、仏罰怖い! わかりました。税金は払わなくてもいいです」


 こんな感じで僧兵はジャ○アンみたいに無理な要求ばかりしていたうえ、貴族は仏罰を恐れて手出しができなかったのです。


 しかし、北面の武士は違いました。


北面の武士「おい、僧兵ども! テメーらの好きにはさせないぞ!」


僧兵「なに! 私達に逆らうなら仏罰が当たるぞ!」


北面の武士「うるせえ! 俺達は貴族と違ってスピリチュアルなんか信じないんだ! 仏罰を当てれるものなら、当ててみやがれ!」


僧兵「仏罰があたるって、痛い! 斬らないで、止めて! 助けて仏様、ぎゃああああああ!」


 こんな風に平然と僧兵に立ち向かったのです。


 さて、上皇の特殊部隊に選ばれるほど武士の株というのは上がってきました。


 荘園の発生と共に生まれた武士ですが、最初は貴族の番犬程度の地位しか持っていませんでした。

 しかし時代が進むにつれて力をつけ、やがて貴族社会を脅かす存在になっていきます。



【サムライが初めて活躍した戦い!? 保元の乱】


 先ほど話したように白河上皇は三代連続で院政を行いました。


 その間の天皇が堀河、鳥羽、祟徳すいとくというのですが、注目すべきは最後の祟徳天皇の時代です。


 祟徳天皇は白河上皇の孫にあたる人物で、彼が生まれた時は白河上皇が院政として覇権を握っていました。そして……


白河上皇「おい、鳥羽天皇! 孫が生まれたから、そろそろ皇位を譲れよ!」


鳥羽天皇「……はい。(くっそ、なんで俺が親父の言いなりにならなきゃいけないんだよ!)」


 こんな風に鳥羽天皇は不満を抱きつつも、父の白河上皇には逆らえず祟徳天皇に皇位を譲る事になりました。、


 しかし、まだ祟徳天皇は3歳という幼さで即位したのです。


 サザ○さんのタ○ちゃんくらいの男の子に政治が出来るはずもなく、朝廷内では相変わらず白河上皇が……


「俺は祟徳天皇のお祖父ちゃんだから、権限は俺にある! 文句あるのかコノヤロー!」


 といった状態でした。

 祟徳天皇の立場を利用して、覇権を握り続けたのですね。

 

 かなりパワフルなお祖父ちゃんですが、白河上皇も孫が生まれるくらいのいい歳です。

 

 祟徳天皇が即位して数年後、白河上皇は亡くなりました。

 

鳥羽上皇「よっしゃ、親父の奴ついに死んだな! これからは、俺の時代だ! おい、祟徳天皇、お前、弟に皇位を譲って退位しろよ!」


祟徳天皇「ええ、でも……」


鳥羽上皇「その代わり、お前の息子を天皇にしていいから、そうしたら院政が出来るだろ」


祟徳天皇「そういう事なら、わかりました」


 こうして祟徳天皇は、弟の近衛天皇に皇位を譲りました。


鳥羽上皇「くっくっく、かかったなアホが」


 鳥羽上皇が影で笑っていますね。何やら企んでいるようです。


 こうして近衛天皇が即位したわけですが……


近衛天皇「なんだか、急に体調が悪く……うっ! ガクッ」


 近衛天皇はあっさり亡くなってしまいました。


 次は約束通り息子が天皇に即位して、祟徳天皇の院政になれると思いきや……


鳥羽上皇「次の天皇は、祟徳天皇の弟の雅仁親王まさひとしんのうね!」


祟徳天皇「そんな! 約束が違う! 弟が即位したら僕が院政できないじゃないですか!?」


鳥羽上皇「約束って、なんだっけー? 僕知らなーい」

 

 こうして鳥羽上皇は約束を破るフラグを回収して、雅仁親王が後白河天皇に即位します。


 鳥羽上皇は祟徳天皇を、徹底的に政権から離そうとしていますね。というのも、鳥羽上皇は……


鳥羽上皇「祟徳天皇の奴は、本当に俺の子供なのか? 親父の子供かもしれん」


 このように鳥羽上皇は祟徳天皇の事を、本当の子供ではないと疑っていたのです。


 自分の妻と白河上皇が浮気して出来たのが、祟徳天皇だ鳥羽上皇は疑っていたです。


 祟徳天皇は実はお祖父ちゃん子供だったかも、しれないのですが、真偽は不明です。


 しかし鳥羽上皇このように思い込んでいたから、祟徳天皇に冷たくしていたのですね。


 思い込みの激しい鳥羽上皇が亡くなると、朝廷内に不穏な噂が流れるようになりました。


「祟徳天皇が皇位を奪い返すために、クーデターを起こそうとしてる」


 このような噂が流れる中、後白河天皇がよからぬ事を企んでいました。 


後白河天皇「兄貴の奴、その内反乱を起こすかもしれないかなら。ちょうど、変な噂も流れてるし、便乗して倒してしまおう!」

 

 さて、打倒祟徳天皇を掲げ後白河天皇は挙兵するのですが、ここで注目するのは『後白河天皇は戦にサムライを動員した』という点です。


 墾田永年私財法によって荘園(私有地)が発生して以降、自分の土地を守る為に武装した者達は、やがて貴族のボディーガードとして雇われるようになり、武士(サムライ)が誕生しました。


 最初は雇い主の番犬程度の地位しかなかったサムライでしたが、白河天皇が『北面の武士』として天皇直属の特殊部隊として選ばれた事により、社会的地位を確立させます。


 そして後白河天皇の時代にはサムライは天皇の戦闘員として戦うほど、地位を上げていたのです。

 

 平安時代という華やかな貴族社会の陰では、サムライが少しずつ力をつけており、やがて天皇の地位を脅かす存在となっていきます。


後白河天皇「こういう訳で、祟徳天皇をやっつけるから協力してよ」


???「我々にお任せください」


 おや、なにやら強そうなサムライが二人もいますね。何者でしょうか?


平清盛たいらのきよもり「必ずや祟徳天皇を倒してみせましょう!」


源義朝みなもとのよしとも「天皇のため、素晴らしい戦果を上げます」


 なんと、後の源平合戦でキーマンとなる平清盛と源義朝が、後白河天皇に着いたのです。


清盛「オラオラ、祟徳天皇出てこい!」


義朝「クーデターを企んでるだろ! そんな事は許さん!」


祟徳天皇「ええ! 僕、クーデターなんて企んでないのに! こうなったら、仕方がない。僕も戦うぞ!」


 後白河天皇率いる、清盛&義朝に攻撃された祟徳天皇も挙兵せざるおえなくなりました。


 こうして祟徳天皇VS後白河天皇による戦い『保元ほげんの乱』が発生しました。

 

 皇族同士の争いは『壬申の乱(琵琶湖大戦争)』以来です。

 

 しかし、壬申の乱と保元の乱の違いは、争いに武士が大きく関与している事ですね。


 保元の乱は清盛&義朝の活躍もあり、祟徳天皇が敗けます。

 

 そして命を奪われる事はありませんでしたが、讃岐(香川県)へと島流しになりました。


【保元の乱が大魔王を生んだ!?】

 保元の乱のお話は祟徳天皇が敗れて終わりなのですが、『怨霊伝説』に繋がるのでお話します。

 

 都から遠く離れた香川県へと島流しにされた祟徳天皇は、争いを起こしてしまった事を酷く悔やみました。


祟徳天皇「僕のせいで沢山の人が死んでしまった……」


 こうして祟徳天皇は争いによって亡くなった人々を供養するため、写経(お経を書き写す事)をします。


 そして写経を終えて……


祟徳天皇「この写経を亡くなった人々の供養の為、都においてほしい」


 という事で写経を後白河天皇の元に送りました。しかし……


後白河天皇「なんか、呪われてそうだからヤダ! 送り返して」


 なんと、写経を突っぱねたのです。


 写経が送り返された事に祟徳天皇は激怒して、自分の舌を噛みちぎります。


 そして、流れる血で写経に……


「私は日本の大魔王となって、天皇地位を落としてやる! この写経は呪いの書だ!」

 

このように書いたのです。


 その後、祟徳天皇は髪や爪を伸ばし続け、夜叉のような姿となり、生きながら天狗になった、と言われています。


 祟徳天皇の怨霊伝説はこちらに詳しく書いたので、よかったら読んでください。合わせて読むと、より見識が広がります。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054922097870/episodes/16816452219319894445



 さて、祟徳天皇の言葉通り、この後天皇家は政権を武士に奪われ、鎌倉幕府という武家政権が生まれます。



 皇族同士の争いである保元の乱は、『武士が初めて活躍した戦』であり『天皇家を衰退させた、大魔王を生んだ戦』でもあるんですね。

 

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