69 一人になると唐突に様々な感情が込み上げてくる

♤hiroaki


 尋問部屋に隣接するように作られた簡易的な寝床。

 扉を開いた瞬間、部屋の構造が全て分かってしまうくらいには質素な部屋だった。


「……狭えな」


 どうやら俺に許された生活圏内は一部屋の独房のみらしい。

 人一人が寝られる程度の部屋と、これまた人一人が立てる程度のトイレとバスルーム。内部の人間との面談用か、片側の壁は一部分がガラス張りになっている。


 ベッドもトイレもバスルームもある。好意的に解釈すれば、暮らすのには十分だ。

 であるにも関わらず、俺の精神状況は限界だった。


「……しんどい」


 思わず口から出た言葉は弱音だった。

 あまりにも情けない。


「そろそろツケを払う時なのかもな……」


 転生庁が俺を殺せないというのはおそらく間違っていない。

 実際、転生庁は俺の生死をさほど重視してないのだろう。


 けど、残念ながら俺には利用価値がある。


 再転生者と共存した人間という貴重なサンプル。

 ディルナという再転生者に対する有用な交渉材料。


 残念ながら、他の人間では替えが効かない。

 転生庁の根本理念に再転生者の討伐がある以上、俺は必要不可欠なパーツだ。


「結局、ディルナ頼りかよ……!」


 呟き、壁に怒りをぶつける。

 無機質な壁を叩いた拳は、ただただ赤くなった。

 

「……痛ぇ」


 俺が今生かされているのは、ディルナという存在があまりにも大きいから。

 そこに俺でなければならない理由は存在しない。

 ディルナと一緒に行動しているのなら、それこそ誰だっていい。

 

「情けねえ……」

 

 あれだけ保護者面しておいて、俺は何をディルナに与えたんだ。

 何も出来てない。今もこうやってディルナの助けを待つだけ。


「だあああああああっ!」


 床に寝転んで思い切り叫ぶ。

 そうでもしないとやってられない精神状況だった。


 草次という男の前では精一杯凄すごんで見せたが、内心は全くの逆。

 知らない場所で完全に委縮してしまっていた。

 あと少し長引いていれば俺は先に音を上げていただろう。


「今大丈夫か?」


 ベッドがあるにもかかわらず床で寝転んでいた俺の元へ、男の声が届いた。


「……誰だ?」


 起き上がるのも面倒で寝転んだまま返事を返す。


「小森公俊だ。君に質問をしに来た」


 聞き覚えのある名前に一瞬戸惑う。

 なぜこいつの名前を聞いたことがある?

 

 俺に転生庁の知り合いなどいない。 

 であれば、こいつは誰だ?


 堂々巡りするかと思われた疑問はすぐに解決した。


「そうか……。お前が例の」


 そうだ。こいつの名を聞くようになったのは俺達のせいだ。

 俺達のニュースをする時には、欠かさずこいつの名を聞いた。

 小森公俊の活躍に期待がかかりますね、のように。


「……あんたが噂の人類の希望か。なんだ。わざわざ宣言しに来たのか? 俺が再転生者をしとめるって」

「そうじゃない。質問をしに来たって言っただろう? そこに敵意はない」


 立ち上がってガラス越しの小森と向き合う。

 以前ディルナと一緒に見た記事の顔と同じ。

 

「何を聞きに来た?」

「先ほど草次博士がした質問と同じものさ。君の口から直接答えが聞きたくてわざわざここに来た」

「同じもの?」

「ヒカリが人を殺したことがないというのは本当か?」


 頭が真っ白になるっていうのはこういうことを言うんだろう。

 ただただ目の前にいる人間の言葉が信じられず頭の中を反芻する。


 意味が分からない。それは俺がさっき嫌々答えた質問じゃないか。

 怒りで我を忘れそうになるのを抑え、口を開いた。


「何のためにそんなことを聞く。ヒカリが誰も殺さないというのがそんなに信じられないか? なぁ!」


 叫びながら俺と小森を隔てるガラスを叩く。

 相当頑丈に作られているようで、再度俺の拳が赤くなっただけだったが、殴らずにはいられなかった。


「そういうわけじゃない。ただ本当に気になってるんだ」

「……自分を正当化する理由でも欲しいのか。ヒカリが殺人鬼だっていう確証が得られれば、殺すのをためらう必要はないもんな?」


 思わず嫌味が口から出る。


「確かにそうかもしれない。俺は、自身を正当化する理由を求めているのだろう。だから、教えてくれないか?」


 こちらの目をしっかりと見て、真剣に問う小森。

 もちろんそういう交渉術がたけていて、真剣に見えているだけの可能性もあるが、それを考慮しても真摯に見えた。


 しかし、これだけ真面目に相対されると、悪態の一つでもつきたくなるのが人間のさがだ。

 そもそも、なぜ俺が奴の正当化に付き合わなきゃいけない。


「お前はヒカリと対話したんだろ。命のやりとりをしてきたんだろ」


 ディルナは楽しそうにお前との戦闘を語ったよ。

 お前は強かったって。

 凄いやつだったって。


「その上で、お前にはヒカリが人を殺すように見えたのか?」


 ディルナが負けるはずがない。

 なら、お前はディルナが生かした命なんじゃないのか。


「いいや、見えなかったよ。だからこそあえて聞いている」

「……理解出来ないな」


 俺とお前の意見は一致してる。

 一ミリの相違もない。

 だというのに、何を確認する必要があるというのか。


「俺が今ここにいるのはヒカリの手心によるものだ。俺の全力の殺意はヒカリによって受け流された。殺意を持って接してくる相手さえ殺さないような奴だ。一般人を殺すとは思えない」


 目線を外した俺に向かって、自身の心の内を吐露する小森。

 けれど、その言葉を聞いたことで俺の中の疑念はさらに広がった。


「だったら答えは出てるだろ」

「俺の出した答えに客観性はない。ただの主観だ」

「それの何が悪い。お前は転生庁の中でも立場がある人間なんだろ。なら、お前の主観が正される必要なんてない」


 社長の決めた結論が絶対とは言わない。

 けど、目の前の男は『人類の希望』だなんて大層な名前を背負った人間だ。

 なら、彼の選択にもそれ相応の重みがあってしかるべき。


「転生庁は外へ向けた機関だ。内部で完結する閉鎖的な機関じゃない。俺達が生み出した功績は報道機関を通じて民衆へと伝えられる」

「……だったら、なんだって言うんだ」


 なんとなく分かっていた。

 彼が言いたいことも、俺達が置かれている状況も。

 けど、そんなものを安易に認めたくはない。


「君達が思ってるほど世界は単純じゃない。『再転生者が人を殺す』って言う前提は想像以上にみんなの記憶に刻み込まれている。それは絶対なんだ」


 分かってるよ。

 俺だってそうだった。

 そういうもんだと思い込んでいた。


「確かにヒカリは例外なのかもしれない。けれど、そんな曖昧な根拠じゃ世界は君達を許してくれないんだよ」

「……」


 何を言うべきか考えて言葉に詰まる。

 小森の言葉は正しい。

 何一つ間違ったことなど言っていない。


 不発弾と知らされていても、地雷原の上は歩きたくないように、リスクのある行動をわざわざとるような人間はいない。

 ヒカリというリスクの塊を許容するのは実際、難しい事なんだ。


「だけど」


 さっきまでの理想論をひっくり返すかのように。

 逆接の接続語から小森は言葉を始めた。


「確かに君達を慕う人間は増えてきている。これは間違いないよ。だがそれは馬鹿な人間だけだ。一時の感情で大事なことをやってみたり、取返しのつかないことをやるものばかりだ」

「……酷い言い草だな」


 民を守る人間の言葉とは思えない。

 彼にも人類の希望だろ。


「そうかもしれない。けれど、そんな馬鹿な人間こそが大多数だ。我々に石を投げる者達も、君達に石を投げる者達も、きっとそんな一時の感情に流されてしまう人間ばかりなんだ」


 確かにそうだろう。

 SNSでディルナに向かって誹謗中傷を投げる奴らだって、心の底からディルナを嫌ってるわけじゃない。

 もちろん、心底憎んでいる人間だっているだろうが、大多数が流れに乗っているだけ。


「だから、君達が本当に世界ごと変えてしまえるのならそれで良いって俺も思ってるんだよ」

「転生庁の人間の言葉とは思えないな」


 お前とディルナは相容れない存在。

 それは誰の目にだって明らかだ。


「もちろん仕事は最善を尽くす。けれど、それは君達を応援しない理由にはならない。誰だって出来るなら手は汚したくないだろ。君達が世界を変えられるならそれに越したことはないのさ」

「正直なんだな」

「そりゃそうさ。崇められてはいるが俺だって人間だ。弱音だって吐くし、私情だって挟む」


 悪びれる様子のない小森に、昨日会ったばかりの警官が重なった。

 公務員ってのは思ってるより不真面目な人間ばかりなのかもしれない。


「それで、結局どうなんだい? 君はヒカリが人を殺す場面を見たことがあるかい?」

「……ねえよ。何回も言わせんな」


 素っ気なくほうった言葉だったが、それでも小森には十分だったらしい。


「そうか。それが聞けて満足だ。信じてるよ」


 言葉の通り、満足そうに頷いて小森は立ち上がった。


「いいのか? 俺の言葉が信用できるとは限らないだろ」

「信用しないのならこんなとこに来ない」


 まあそうか。

 どうせ信じる気もないのに俺に話を聞くなんてどうかしてる。


「お前らも一枚岩じゃないんだな」

「どこでもそうさ。君とヒカリだって、完全に同じ気持ちで行動を共にしてるわけじゃないだろ」


 そのまま部屋を後にすると思われた小森だったが、俺に背を向けたまま動きを止めた。

 

「どうした?」

「……迷ったが、大事な話だから君に伝えておく。君は知らないだろうが、君がここに来てからもう既に三日が経っている。外は君が思っているよりも風変りしているということを覚えておいたほうが良い」


 振り返って、俺の知らない情報を話し出す小森。

 草次が俺の眠っていた期間について言及しなかったということは、おそらく今小森が話していることは口止めされていた内容。


「あと、もし俺のことを信じれるのなら、これを飲むといい。君の症状がさらに緩和するはずだ」


 ガラス越しに見える数粒だけ入った錠剤入りの瓶。


「何の薬だ?」

「酔い止めだよ。ゲートの出現と同時に俺達の仕事が始まる。なら、どう考えたってそれを止める何かがないとおかしいだろ? 話を聞くため、君には最低限の投与がされている。ただ、それだけでは万全の状態には足りない」


 そうか。

 冷静に考えれば当たり前の話だ。

 俺があれだけ気分を悪くした転生酔いと、転生庁の人員は真っ向から戦わないといけない。

 対策をしていないはずがなかった。

 

 しかし、それと同時に疑問が残る。

 俺と小森はお世辞にも親密とは言えない。

 明らかな敵。それなのに。 


「……なぜ俺に施しを?」

 

 俺の質問に答える前に、錠剤が一粒入った瓶をガラスのそばに置く小森。

 向こう側には机があるのか。今まで気づかなかった。


「こちらの質問に答えてもらうだけでは申し訳ないからな。フェアに行こう」


 小森は立ち上がって、出口へと向かう。

 悪いやつじゃないのかも知れない。そんなことを思ったところだった。

 ふと気づく。


「なあ、それどうやってとるんだ?」


 ガラス越しに薬を置かれても取る手段がない。

 まさか見せびらかすために薬を持ってきたわけじゃないだろう。

 小森がこちらに振り返って、返事をする前に聞きなれた音が耳に入った。



 ――ウゥ―――ゥゥンン――



「センパイ! 再転生者です。早く準備を」

 

 同時に小森が開くはずだった扉がかなりの勢いで開かれ、一人の女性が慌てた様子で現状を伝える。


「分かってる。ヒカリだろ。まず交渉だ」


 女性が開いた扉から毅然とした様子で外に出ようとする小森。

 しかし、女性の返答は予想とは異なっていた。


「違います! ヒカリだけじゃありません。再転生者は二人です!」

「「……二人?」」


 俺と小森の言葉が重なった。


「まだ確証は得られませんがヒカリと同行しているのはおそらく第三転生事変の原因――」


 そこできちんと伝えられるようにと、女性は息を大きく吸う。

 その後、噛みしめる様に言葉を放った。


「――個体名『スノーマン』だと思われます!」


 あいつだ。

 公園で見た白い息を思い浮かべながら、なんとなくそう思った。

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