67 何かが起きる時、それには必ず原因がある。

♤hiroaki


 ここは……、どこだ……?

 意識がはっきりとしない。

 何か考えようとしても、倦怠感がひどく上手く思考の整理が出来なかった。

 

 頭が割れそうなほど痛い。

 考えたくない。

 この割れそうなほど痛い頭を動かしたくない。


 けれど――。


 ただこのまま何も考えないわけにはいかない。

 ゆっくりと思い出せ。


 確か、ディルナの言葉に乗せられてディズニーに行ったんだ。

 そして、俺達は写真を撮るために入場ゲートで――。



「……入場ゲートで?」



 ――それはやばいだろ。

 嫌な予感が全身を駆け巡り、瞬時に目を開き体を起こす。

 

「あ、起きたんだ」


 俺が周りを見回すより先に、ディルナの声が耳に入った。

 今まで感じた事のないほどの焦燥感が徐々に薄れていく。


「なんだ……。ホテルか……」


 周囲の風景はどう考えてもホテルの個室。

 見覚えがある。昨日から宿泊していたホテルだ。

 俺の危惧していたことは起こっていなかった。


「あー、それね。周りの人が救急車呼ぼうとしてたから流石に止めといたよ。多分呼ばれちゃダメでしょ?」


 不安の正体はそれだった。

 あんな衆人環視しゅうじんかんしで倒れたとなれば、確実に誰かが助けに来る。


 もちろんそういったお国柄なのは非常に良い事なのだが、俺の場合はそうではない。救急車なんて呼ばれた日には確実に身元が特定される。


「助かった、ありがとう。危うくお縄にかかるところだった」

「指名手配されてるってのも考え物だね」


 当たり前だ。

 指名手配犯がまともに暮らしていける世の中なんて来ないほうが良い。

 そんなものが来たって何の得にもなりはしないのだ。

 

 けれど、自分が指名手配されているとなれば話は変わる。


 本当に不便だ。

 誇張一切なく、現状俺が治療を受ける方法はない。

 絶望せずにはいられなかった。


「それで、結局なんで倒れたの?」


 そう、これが分からないのだ。

 残念ながら俺に医療の知識はない。

 今俺を苦しめているのは疲労によるものなのか、それとも何か病気にかかっているのか、まったく判別がつかない。


「多分、疲労だと思うけどなぁ……。まあ根拠があるわけじゃないけど」


 こんなに長い期間旅行をするなんて経験は初めてだ。

 しかも、ただの旅行じゃない。逃避行だ。

 俺の心身にかかる負担は相当のものだろう。


「どうする? 前も言ったと思うけど私に治療するたぐいの能力はないよ。魔力不足ってわけじゃないんでしょ?」

「さあな。俺にはその魔力不足ってやつが分からん。もしかしたらそうなのかもしれない。けど、その可能性は限りなく低いんだろ?」

「まあ、そうだね。紘彰はそもそも能力を使えるわけじゃないし。普通に考えればありえない。それこそ、最初に言った通り疲労ってのが一番可能性が高いんじゃないかな」


 概ね同意見だった。

 まさか先に力尽きるのが俺になるとは。

 全く情けない。


「……随分と体力が落ちたもんだ」

「ちょうど、今日は超暑いらしいし休むのもいいんじゃない?」

「そんな暑いのか?」


 質問すると、ディルナは手に持っていたスマホで調べる素振りを見せた。

 

「真夏日だって。細かいルールは分かんないけど、暑いんでしょ?」

「だろうな」


 もうそんな時期なのか。

 ディルナと初めて会ったのが、春だったから季節が一つ進んだことになる。

 随分と長い付き合いになったな。

 感傷に浸りながら、ゆっくりと目を閉じた。

 


 ◇◆◇



 ベッドに寝転がって、天井のシミを数える。

 そんなくだらないことをしては、目を瞑って体を癒す。

 しかし、一向に疲労が取れていく感覚はなかった。

 

「頭いてえ……」

 

 俺が寝ている間、ディルナはずっとSNSの稼働にいそしんでいたようで、「あー」と生気のない声を出している。

 どれだけ頑張っても返せない量のリプがついているのは把握していたが、返す必要がありそうなリプはほとんどなかった。

 だというのに、わざわざ返すなんて律儀な奴だ。


「どう? 大丈夫そう?」

「分からん。ただ体調が回復している感じはないな」

「気分転換にリプ返でもする?」

「……気分悪くなりそうだからやめとくよ」


 自分へ飛んでくる誹謗中傷にへこたれず、返事を返すというのは精神にくるものがあるはずだ。

 最近、増加傾向にある親身なリプが混ざっていようとも、残念ながら俺には出来ないだろう。


「勘が良いね。でも、ずっとやってると慣れてくるもんだよ。だんだん優しくなってく人もいるし」

「楽しいのか?」

「人心掌握ってやつを体験してるんだ。楽しくないわけないでしょ?」


 言いながらニコリと笑うディルナ。

 そういうキャラじゃないだろうに。

 まあ、楽しめてるのなら、それでいい。

 俺が口を出すべきではないことだ。

 

「ならいい。俺はちょっと外の空気を吸ってくるわ。寝ててもあんまり意味なさそうだし」

「おっけー。気を付けてね」


 任せろ、と言い残してホテルの部屋を出る。

 帰るころになったら、ディルナのリプ返は一段落ついているのだろうか。

 そんなことが気になった。



 ◇◆◇


 

 とりあえず、変装用のサングラスとフードを被っていつものように不審者に扮する。

 最初は違和感のあった暗い視界も、最近は慣れてしまって、逆にかけていないと違和感を覚えるようになってしまった。

 人間というのはつくづく単純な生き物である。


「さて、どこで休もうか」


 自分がなって初めて分かったが、不審者が休める場所はそこまで多くはない。

 どこで休憩しようか迷っていたが、幸いなことにホテルから出てすぐの場所に公園があった。

 ディルナが付近に来ているという情報が出回っているせいか、それとも単純に平日だからかは分からなかったが、公園に人はいない。


「まあ、いないほうが好都合なんだけどな」


 ベンチに体を預けて深呼吸をする。

 どうせ勘違いなのだろうが、室内の空気より数倍美味しい気がした。

 

「情けないなぁ……」


 天を仰ぎ呟く。

 年齢に差はあるといっても、俺もまだぎりぎり二十代前半である。

 さらに性別だって俺の方が有利だ。


 だというのに、先にダウンしたのは俺。

 情けない。 


「お疲れのようだね。夏バテかい?」


 目を開いて、声の主を確認する。

 目に入ったのは、フードを深く被りサイズの合ってない服を着た男。


 見覚えがある。

 間違いない。不審者だ。


 いや違う。

 常に意味深なことを言う馬鹿な奴だ。

 また、お前か。とため息をつきたくなる気持ちを落ち着かせ、口を開く。


「どうだろうな。夏バテかもしれないし、ただの疲労かもしれない。なんにせよ、お前には関係ないことだ」


 俺が一人になる度に話しかけてきやがって。ストーカーかよ。

 今、お前と会話するようなことはない。


 頭が痛いんだ。

 それこそ、俺が体調不良な理由を教えてくれるみたいなことでないと、会話する気にはならない。


「僕をそんな邪険にしていいのかい? 僕は君に病名を教えに来てあげたんだよ?」


 ほら、また意味の分からないことを言い出した。

 病名を教えに来た、だなんて。


 そんなの俺が欲していた答えそのものじゃないか。

 ――いや、待て。答え?


「……なんて?」

「ん? 聞き取れなかったかい? そんな滑舌かつぜつ悪く話したつもりはなかったんだけどね」

「そうじゃねえよ。お前の言葉が信じられなかっただけだ」

 

 言いながら、話を聞くために顔を上げる。

 しんどいが、重要なことだ。


「ああ、そんなことか。言葉通りだよ。君が体調を崩すってのは織り込み済みだった。だから、君の病名も見当がついているって話さ」

「そうならそうと最初に言えよ」

「言ったさ。君が聞く耳を持たなかった、というだけで」


 聞く耳を持たせなかったのはお前のせいだ。

 ずっと大事なことを、はぐらかしてきたじゃないか。

 文句の一つでも言ってやりたかったが、今は病名の方が大事だ。


「……それで、結局俺はなんでこんなに体調が悪いんだ?」

「むしろ逆に心当たりがないのかい? ちょっと考えてみなよ。君は以前もこの症状に悩まされたことがあるはずだ」

「以前も悩まされたことがある? なんの話だ? というか、そもそもなんでお前がそれを知ってる」


 人差し指を唇に当て「しー」とジェスチャーするフードの男。

 腹立たしい。そんなことをするな。

 かわいいやつにしか許されないジャスチャーなんだ、それは。

 

「そりゃ企業秘密ってやつだよ。それで、心当たりはないのかい?」


 心当たりがあるか、と聞かれても正直全く思い当たる節はない。

 そもそも、最近何か病気にかかった、という記憶がなかった。


「……いや、待てよ」


 こいつがわざわざそんなことを言ってくるのには意味がある。

 生まれてきてから今まで、俺がかかった全ての病気について言及しているのだとしたら、流石に理不尽が過ぎる。

 ならば俺がその病気に苛まれたのは直近。

 推測がつく。

 

「どうだい? 何か思い出したかな?」

「ちょっと待て。今考えてる」


 フードの男にとって、俺という存在はあくまで『再転生者と行動を共にする人間』のはず。

 それならば、その前提に関連していないわけがない。


 再転生者。

 病気。

 

 さらに、俺が経験したことのあるもの、とくれば、流石に選択肢は多くないだろう。


 なんだ?

 ここまでヒントが出ているにもかかわらず、全く思い当たらない。

 そもそもディルナと会ってから、特段体調を崩すなんてことはなかった。


「さては、お前適当なこと言ってるな?」

「そんなわけないじゃないか。もっと冷静に考えてみなよ。ほぼ一択のはずだ」

「一択?」

「思考が固まってるんじゃないのかな。もっと頭を柔らかく」


 もっと頭を柔らかく。

 そもそも再転生者が全く関係ない可能性があるってことか?


 ――いや、違う。

 そもそも原因が転生者そのものなんじゃないか?


 そう考えれば辻褄が合う。

 ディルナと出会ってから、ではなく。

 問題なのはディルナと出会ったその時。


「……転生酔い、か?」

「ご名答。君の症状は典型的な転生酔いだよ。間違いないね」

「待てよ。転生酔いってあれだろ。再転生者がこっちに来る時に周囲の人間が体調不良になるってやつだろ? 誰かが来たってのか?」


 ディルナと会った時、俺が極端に体調を崩していたのも転生酔いのせいだ。

 やつらはこっちに来る時、時空を歪める。


 その歪みによって、一般人は気分を悪くする、らしい。

 このことを総称して『転生酔い』なんて呼ぶ、とどこかで習った気がする。

 

「そうだね。一般的に転生酔いは再転生者がこちらに来る際にしか起こることはない」

「じゃあ――」

「――待ちなよ。一般的には、って言っただろう? 転生酔いにはもっと根本的な理由がある。考えてもみなよ。なんで人間は再転生者がこっちに来た時に気分が悪くなるんだい? おかしいだろ」


 ……確かに。

 そもそも時空を歪めるってなんだ?


 再転生者がこちらに来る際に気分が悪くなるというのは事実だ。

 これは俺が体験したから間違いない。

 

 けれど、なぜ気分を崩すのかと言う問いに対して、納得できるほどの答えを俺は持ち合わせていなかった。


「……じゃあ、何が理由だって言うんだ」

「簡単な話さ。話を整理してみなよ。ヒカリと行動を共にするということ、イコール、再転生者がこちらに来るということ。それが、君の状態から分かるわけだろう? じゃあ、一体何が共通していると思う?」

「それが分かったら苦労はしない。もったいぶってないで、早く教えろ」


 どうせ考えても答えは出ない。

 ディルナが分からなかったのだから俺が分かるはずがなかった。


「魔力だよ」

「……魔力?」

 

 普段生活するうえでほとんど耳にすることのない単語。

 あまりの耳馴染みのなさに、オウム返しをしてしまった。


 しかし、意味が分からない。

 俺が魔力を有しているとでもいうのだろうか。


「再転生者はそこに存在しているだけで周囲に魔力を発している。普通に生活しているだけなら気にする必要はないが、君の場合は違う。あれだけ一緒にいれば、少ない量でも無視できなくなるというわけだ」


 まるで花粉みたいに。

 魔力がディルナから周囲に常に発されていて、俺がその影響を受けている。

 こいつはそんなことが言いたいらしい。


「じゃあ、再転生者がこっちに来る際も魔力をまき散らしてるってことか?」

「そうだね。それも普段の比じゃない。なんせ異世界とつながってるんだ。ゲートからは意味が分からないほどの魔力が放出されてる。だから、君は現状と比較にならないほど体調を悪くしたし、それも即時だった」


 なるほど。

 『転生酔い』の原因は魔力で、それは再転生者がこちらに来る際に大量に発すると。さらに、再転生者は存在しているだけでもその魔力を周囲にまき散らす。

 だから、どちらの場合でも人間は転生酔いにかかる、と。


「じゃあ、俺はあいつと一緒に過ごすことで段々と体に魔力を蓄積してたってことか?」

 

 俺の言葉を聞いて、フードの男は満足げに頷いた。

 その後、「つまりね」と続ける。



「君は毒をちょっとずつ飲んでいた、ということさ」



 嫌味を含んだ言い方に少し苛立ちが芽生える。

 こいつの言葉からは、俺を馬鹿にしようという意思しか感じない。

 

「それを伝えて何がしたい。そもそもお前はなんでそれを知ってる」

「最初に言ったじゃないか。それは秘密だって」


 再び口元に人差し指を当てるフードの男。

 ダメだ。こいつは身元を教える気はないらしい。

 なら、他にも聞きたいことがある。


「じゃあ、どうすれば転生酔いは治るんだ?」

「ああ、それね。残念ながら僕にも治せない。だから、専門家に頼むしかないんだ」

「……専門家?」


 なんの話だ。

 再転生者の専門家でもいるってのか。

 

「長話をしてしまったね。体調も優れないだろう。そろそろ限界なんじゃないか?」

「話を逸らすな。専門家ってのはどういう意味だ」


 話を続けようとする俺とは反対に、ベンチから立ち上がるフードの男。

 ちょっと待て。お前にはまだ聞きたいことがある。

 そんなことを考えながら、フードの男の動きを止めようと手を伸ばした時、違和感に気づいた。

 

「どうしたんだい? ずいぶんと体調が悪そうだね」


 焦点が合わない。目の前にいるはずのフードの男が分身して見える。 

 おかしい。ディルナからは今距離を取っているし、ベンチに座っているだけで疲労が溜まったとは考えづらい。


「なんで……? 何が起きてる……?」


 座った状態で見上げる俺と、それを見下ろすフードの男。

 角度も相まって、ずっと見えなかったフードの男の顔が若干見えた。


「君は僕の正体に予測がついていたわけじゃなかったのかい? それとも、そもそもそんなはずはないと最初から決めつけてしまっていたかな?」


 見えかけたフードの中身から吐き出される白い息。

 タバコでも吸っているのか? と思ったがそんな雰囲気はなかった。


「おい……、まさか……!」


 そんなはずはない。

 そもそも今日は真夏日なんだ。夏真っ盛りなんだよ。

 


「転生酔いってのは再転生者と共に過ごすことで悪化する。さっきしたばかりのこの話を憶えているかい?」


 ああ、糞野郎が。

 そうならそうとさっさと言えよ、馬鹿。

 そりゃ、システムにも詳しいわけだ。

 


 ――こいつか。



 何か文句を言ってやろうとも思ったが、そんな気力はもう残っていない。

 俺に出来るのは、気に入らないこいつの顔を睨むことくらいだ。


「安心してくれ。ちゃんと君は医療機関に預けるよ」


 スマホを耳に当てたフードの男を視界にとらえたまま、俺の意識は途切れた。

 




 



 

 

 

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