64  人の感情は意外と簡単に移り変わる。

♤hiroaki


 一晩経って、ディルナ対転生庁の結果が世間に知れ渡った頃、目覚まし時計の音が部屋に鳴り響いた。

 規則正しい生活を続けるための、最後の防波堤だ。

 起きる時間くらいは普通の人間と合わせようと、常に同じ時間に起床を続けている。


「……ねむい」


 寝ぼけた眼をこすりながら、ゆっくりと体を起こし、なんとなくテレビの電源を入れる。

 垂れ流しの音声を耳に入れながら、首を回すと定期的にチカチカと光るスマートフォンが目に入った。

 青い鳥のマークが象徴的なアイコンが明滅を繰り返しながら、通知の多さを俺達に伝えている。

 

「……気が散るから、さっさと電源落とせ」

「何言ってんのさ。こうやってスマホに出続ける通知で自分の価値を再確認するんだ。消すなんて有り得ないよ」


 俺よりも早く目を覚ましていたらしいディルナ。

 スマホを手に取って通知をニヤニヤとしながら眺めている。


 どうやら彼女への友好的なリプライは段々と増えてきているらしい。

 わざわざ『らしい』なんて言葉を使っているのは、俺には実際に確認出来なかったからだ。


「ディルナの承認欲求はもう充分満たされてるだろ。何をいまさら」


 公開アカウントであるディルナのツイートやリプライを見ることは現実的には可能。

 けれど、分かっていて言葉のナイフの海に突っ込む気にはどうしてもなれなかった。そのナイフが俺に向けられているものじゃないと分かっていても。


「承認欲求は留まるところを知らないんだよ? どこまでいったって満足することなんてないさ」


 俺には勇気がない。

 こいつを見ていると痛いほどそれを思い知らされる。


「そうか。そりゃ困ったもんだな」


 にしても、恐ろしいものだ。

 現代病の感染力は異常に高いらしい。

 まさか最近現代にやってきたディルナが承認欲求モンスターになっているとは予想していなかった。


「んで、一晩明けたわけだが、これからどうするんだ?」

「良い質問だね!」


 ベッドから飛び起きて、こちらを向いてビシッと俺に人差し指を向ける。


「気分転換に散歩でも行こうよ!」

 

 ……元気だな、こいつ。

 昨日疲れ果てて眠った奴と本当に同じか?

 

「散歩に行くのは良いんだけどさ。その傷大丈夫なのか?  ディルナって治療スキルは持ってないんだろ」


 服だけ着替えても、体についた傷が消えるわけじゃない。


「まあそりゃ痛みがないわけじゃないよ? でも、そんな大したもんじゃない」

「いや、でも……」 


 お前銃で撃たれたんだろ。

 それが大したことないって、そんなわけあるか。

 お前と違って相手はお前を殺す気で引き金を引いたはずだ。


「安心しなよ。本当に大したことないんだ。一晩寝れば治るくらいのモノさ」

「睡眠はそんなに万能じゃないって」


 心配する俺を、ディルナは「ホントだよ」と笑う。

 

「治癒能力はないけど、生命力は高いからね。そうじゃなきゃ能力の出力に体が追い付かないでしょ?」

「いやそれは知らないけど……」


 当たり前みたいに言うなよ。

 そんなこと知らねえって。


 信じられないが、問い詰めたところでマトモな解答が返ってくるわけがない。

 こいつの言うことはとりあえず信じるのが吉なのだ。


「あ、ほら見てよ! また私のことやってる」


 こいつの好奇心の大きさを表すかのように、ディルナの興味は既にテレビへと移っていた。


「そりゃ昨日、お前が無茶苦茶したばっかりだからな。当然、話題にもなるさ」


 あれだけ大々的に再転生者と転生庁の戦闘が報道されたことなんてなかった。

 こいつは異常なんだ。敵対組織に堂々と宣戦布告した後、罠かもしれない場所に出向くなんて頭のネジが一本外れている。

 いや、一本どころじゃないか。


「おー見てみて! 私が建物に突っ込んだシーンじゃん。良く撮れてるね」

「そりゃ、お前がカメラ向かって突進したんだから当たり前だろ」

「……カメラとスコープ誤認したんだって。カメラに突っ込む気はなかった」


 恥ずかしそうに顔をそむけるディルナ。

 いや、恥ずかしがるところそこじゃないだろ。


「それにしても、良く撮れてるな」

「ホントに至近距離だったからね。カメラマン腰抜かしてたよ」

「誰だって突然目の前に人が現れたら腰抜かすだろ」

「いーや、私なら腰抜かさないね」


 どういう自慢だよ。

 このカメラマンに勝ったところでお前は嬉しいのか。

 

「何に張り合ってんだよ、馬鹿」

「そりゃカメラマンと張り合ってるんだよ」

「お前の方が強いから安心しろって」


 肝の座り方でお前に勝てるやつはなかなかいねえよ。

 たかがカメラマンが再転生者並みの心臓持っててたまるかって話だ。


「まあ、そんなことはどうでもいいのさ。善は急げだ。出かけるよ」


 ニュースの切り替わりと共に、ディルナの興味は失われていく。

 最初に話した『散歩』へと話題は戻った。


「……何が善なんだよ」


 早起きは三文の徳みたいな訳の分からない理論を振りかざすのはやめろ。

 てか、指名手配犯が散歩するのはどう考えたって悪なんじゃないのか。

 そこんとこどうなんですかね、ディルナさん。



 ◇◆◇


 

 結局何が善なのかは聞けぬまま、ホテルの周囲を目的もなくぶらついていた。

 散歩とはいっても我々がいるのは見知らぬ土地。

 普通の散歩とは楽しさもまた違ってくる。


 足を進めれば進める程、見知らぬ何かに出会える。

 この楽しさは普通の散歩では味わえないだろう。


「うーん、意外とやることないね」

「……お前が散歩しよって言ったんだろ」

 

 提案者がいきなりやる気をなくすんじゃない。

 お前に従って散歩しに来た俺が報われないだろ。


「いや、まあそうだけどさ。でも私達あんま目立つわけにはいかないし。結構不便だよね」


 新鮮な場所での散歩はいつもより楽しい。

 それは事実だ。けれど、通常以上に縛りが存在するというのも事実だった。


「こうやって生活眺めてるだけでも結構楽しいだろ」

「人生諦めた浮浪者みたいだよ、紘彰」

「絶賛路頭に迷い中だけどな」


 指名手配されながら日本一周の旅。

 尋常じゃない路頭の迷い方だ。

 一般人じゃ到底真似できない。


「良いじゃん。貴重な経験だよ。しかも楽しいでしょ?」

「……将来の不安を考えなかったらっていう条件付きだけどな」

「そんなのみんなが抱えてるよ。将来なんて誰にも分からないんだから」

「その考え方は達観しすぎなんじゃないかって思うけどな」


 そりゃ将来なんて誰にも分からないけどさ。

 でも、一般論ってのがあるだろ。

 

「ほら、あれを見なよ。あんなに楽しそうにボール遊びをしてる少年少女でさえ、多分心の内には大量の悩みを抱えているはずさ」

 

 ホテルの近くにあった広い広い公園を指差して、ディルナは言う。


「……そんな希望のないこと言うなよ」


 ディルナが指差した公園へと向かい、入口に最も近かったベンチにディルナと隣り合って座った。

 なんだかデジャブのような感覚に陥りながら、あの時とは違って広い広い公園を眺める。

 

 ランニングコースが公園をぐるりと一周するように舗装され、コースに囲われた中で鎮座する草原。

 公園の大部分を占める草原は非常に広く、沢山のグループがそれぞれのやり方で体を動かして遊んでいる。


「でも楽しそうでしょ? じゃあ、悩みなんて大したことないってことだよ」

「……そうかなぁ」


 そりゃ極論ってもんだろ。

 悩みがどれだけ大事かってのはそれぞれだ。

 全ての悩みを一律に考えるなんてことは出来ない。


 俺達の悩みは結構重い方だろ。

 そう続けようとした俺の目の前にいつの間にか現れた少年。

 俺が現状を整理する前に、トコトコと歩いてきた彼は口を開いた。


「あ、お姉ちゃん見たことある! 凄い人だよね! 一緒に遊ぼうよ!」

「お、良い意気だね少年! ボコボコにしてやろう」


 小学生だろうか。

 若いというよりも幼いが似合うその容姿に呆気に取られていると、訳の分からない言葉が耳に入った。


「は? いや、待て待て! ふざけんな!」


 遠慮のない言葉が、彼の幼さと力強さを表している。

 若さとかいう最強の力になんだか気圧されて、反応が遅れた。


 駄目だ。そんなことは許されない。

 一般人と一緒に遊ぶなんて。


「心配性だね、紘彰。大丈夫だよ。私は危害を加えないし、私に危害を与えられるだけの力は彼らにない」

「いや、そういう問題じゃないだろ」


 少年から投げられたサッカーボールを手に取り、草原の方へ向かう。


「ねえ、写真撮ってよ。結構、反響あるんじゃない?」

「子供たちの顔を映すわけにはいかんだろ」

「そこは編集で何とかしなよ」

「無茶言うなって……」


 これ普通のスマホだろ。

 編集ソフト入ってます? そもそも俺編集の経験ないよ?


「ほら、写真撮るよー!」


 そんな俺の心配などディルナが聞いてくれるはずもなく。

 せめてより良い写真を撮影しようと、気合を入れてスマホを構える。

 

「お前には人見知りとかないのかよ……」


 初対面だろ、全員。

 お前も少年もすげえよ。

 

 理解出来ないレベルのコミュ力に圧倒されながら、俺はシャッターを切った。 

 


 ◇◆◇



 時は過ぎ三時。

 丁度おやつの時間になった頃、親御さんの元へと少年少女が帰っていくのを見送るディルナの背中をぼーっと眺める。

 手を大きく振って「またあそぼうねー!」なんて叫んでいる様子を見て、俺の心配は杞憂だったのかななんて思った。


「いーや、楽しかったねえ」

「俺はずっとヒヤヒヤしてたけどな」


 目立っちゃいけないっていう大前提を忘れてないか?

 まあ、お前も子供たちも楽しそうだったから良いけどさ。


「遅くなっちゃったけど昼食にしようよ」

「……誰のせいだと思ってんだ」


 お前が時間を忘れて遊ぶなんて愚行しなきゃこんな時間にはならなかったんだ。

 子供の体力は無限なんだから、お前が切り上げないと。


「良いじゃん。思ってたより私達は嫌われてないってことが分かって」

「子供はそんなに邪悪じゃないだろ。でも、親がどう思うかは別だ。後であの子たち怒られてるかもしれないぞ?」

「そんなこと言われてもね。怒られたら怒られたで、良い経験だったってことさ」

「無責任だなぁ……」


 まあ、誘ったのは彼らだしそういう考え方も出来るか。

 ちょっとかわいそうだが、人生経験を積んでもらおう。


「そんなことより昼食だよ! さっさと良さそうな場所探して!」

「……落ち着けって」


 マップアプリを立ち上げて、飲食店をソートする。

 そんな時だった。


「近くに良い店を知ってるんだ」


 後ろから俺達に向けてかけられる男性の声。

 聞き覚えのない声に違和感を覚え振り返ると、見知らぬ男性がそこにはいた。

 

 

「昼食、ご一緒してもいいかな?」


 

 なんだか見覚えがある手帳をこちらに向けて、そんなことを言う制服の男。

 彼の後ろに見える白色の車両。

 チャームポイントの様に赤い色のランプが車の上に乗っているところまで確認してため息をついた。


 どうやら俺の心配は杞憂じゃなかったらしい。

 にこりと笑う制服の男が死神のように見えた。



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