40 周囲の動きは自分が思っているよりもずっと早い


 休日が終われば仕事が始まる。

 これは自然の摂理。


 いや、自然の摂理というより社会の摂理。

 人間とかいう不合理な生物が生み出した『仕事』とかいう概念のせいで、憂鬱になる。


 月曜日とかいう人類最大の敵に頭を悩ませながら、インスタントコーヒーに口を付けた。


「うん、うまい」


 これが朝のルーティーン。

 非効率な現実について愚痴を言いながら、インスタントコーヒーを体にしみこませる。

 こういうことを考えている時間が一番非効率であるということには目を瞑ることにした。

 

「紘彰ってコーヒー飲めたんだ。前、苦いとか言ってなかった?」

「インスタントコーヒーとディルナの持って帰った本格的な奴には雲泥の差があるのさ。同じコーヒーだと思わないほうが良い」


 今飲んでいるモノは相当甘めに調整されている。

 バイトのお土産としてディルナが持って帰ってきたそれとは違い、飲みやすさにステータスが極端に割り振られていた。


 こんなに甘いならコーヒーじゃなくても良くない、っていうツッコミは無しだ。

 ルーティーンは形から。

 コーヒーだからこそ、それっぽくなるってわけさ。


「じゃあ、インスタントコーヒーは好きってこと?」

「……難しい質問だな。好物ってよりスイッチみたいなもんだ。とりあえずコーヒーを飲むことで一日のスタートを切る。美味しさだけを求めるならもっと体に悪そうな飲料を飲んでるさ」

「だいぶ悪い言い方をするね……」


 良薬は口に苦しというのなら、悪いものは口に甘いに決まっている。健康を考えるのならとにかくまずいものを食っておけばいいのだ。

 それは違うか。


「どうだ? 飲むか?」

「いんや、私はいつの日か貰ったコーヒーを飲むって決めてるからね。他の銘柄に浮気なんかしないんだ」


 思ってたよりもディルナはあのコーヒーを大事に思っているらしい。

 カップを差し出してみたが首を横に振られてしまった。


「にしても大変だね。毎日仕事に行かなくちゃならないんでしょ?」

「人間ってのはそういう生き物だからな。行かなきゃ生活できない」

「まあ、それもそうだよね。私が働かないでいられるのも紘彰のお陰だもん」

「そうだぞ。感謝を忘れるなよ」

「はいはーい」


 心のこもってなさそうなディルナの返事を聞きながら、玄関の扉を開く。

 朝のこんな短い時間でも、話し相手がいるというだけで、なんだから良い一日が始まった気がするのだから、つくづく人間というのは一人では生きていけない生き物だ。



 ◇◇◇



 朝、若干の幸せと共に出勤したはいいものの、それは長続きしない。

 仕事を始めればすぐに消えてなくなる儚いもので、もう既に『帰りたい』という感情が頭の中を埋め尽くしている。


 はあ、帰りたい。

 ようやく始まった昼休みに一人寂しくうどんを食べながらため息を吐いた。


「なあ、勝木」


 どうやら『一人寂しく』ではなかったらしい。

 目の前に遠慮なく座る男が一人。

 佐多だ。


 佐多は、美味しそうな蕎麦を机の上に置き、割り箸を手に取った。

 うどん食ってる目の前で蕎麦を食いだすとはいい度胸だ。

 いや、別に関係ないか。

 

「何か用か?」

「用がなきゃ話しかけちゃいけないのか? 食事は人と一緒にしてこそだろ」

「どうだろうな。食事の価値観は人によるだろ」

「まあ、それもそうだ」


 割り箸を割りながら笑う佐多。

 どうやらうまく割れなかったようで、苦い顔をしている。


「やっぱムズイな。リベンジしても良いか?」

「環境に悪いだろ。その箸で食え」


 何だリベンジって。

 落としたんじゃないのなら、そのままの箸で食え。


「てか、本当に用ないのか?」

「残念、実は用があるんだ」


 意味ありげに笑うその様子に苛立ちを覚える。

 しかし、佐多はそんな俺の苛立ちに興味がないのかおいしそうに蕎麦を啜り始めた。 


「……何の用だ?」

 

 全く思い当たることがない。

 しかし、『用がある』だなんて言っておいて『実際は何の用もない』なんてことはしない人間だ。


 意味が分からず困惑していると、佐多は割り箸を皿の上に置いて口を開いた。


「先日、同棲を始めたって言ってただろ?」

「それがどうかしたのか?」


 確かにアドバイスは求めたが、それ以上の話はしていない。

 わざわざ話を掘り返すほどの情報はなかったはず。


「何か隠し事してるんじゃないかって思ってな」

「……いまいち話が掴めないな」


 隠し事って何の話だ。

 佐多が重要な情報を握っているとは思えないし、ディルナ関連でないのなら、俺に特筆すべき秘密などない。

 

「ちょっと変な噂を聞いてな。それの真偽を確かめたくてここに来たんだ」

「変な噂?」


 透明なコップに入った水を勢いよく飲んで、喉を鳴らす佐多。

 その様子はまるで今から話す言葉に備える様。



「その同棲相手は本当に人間なのかな、って思ってな」



 ――俺の日常はまだ戻ってきていないのかもしれない。

 

 佐多の言葉を聞いて、なんとなくそう思った。

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