4 そして不思議な生活は幕を開ける。
もし十分前に戻れるというのなら、俺はいくら出してもその権利を買うだろう。
それだけの危機に瀕していた。
先ほどまでの楽観的だった俺をぶん殴ってやりたい。
死ぬ。本当に死ぬ。
すぐそこまで死神が追いかけてきているのを肌で感じた。
『緊急転生警報』が発令されるとすべての公共交通機関の機能は停止する。運転手などの命を他の命と同等に扱うためだ。
よって、現在俺に残された移動方法は己の身で走ることだけ。
そんなことは百も承知だった。いつものことだ。
けれど、ここまで体調が悪くなるなんて思っていなかった。
うまく歩けない。思考が固まらない。
「んだよ、これ……! さっきまでそんな素振りなかったじゃねえか」
ずいぶんと昔に『転生者に会うと気分が悪くなる』みたいなことを習った気がするが今の回らない頭では、思い出すことは叶わない。
そもそも思い出したところで手遅れだ。
今の俺には、ただ走るという簡単なことすら出来ない。
「……マジでどうすりゃいいんだ。どこの放送局でも再転生者と会った後の話なんてしてなかったぞ」
一時期死ぬほど聞かされた世界が割れていく不気味な音が鳴り響いている。
確か『転生音』だったか。
死の音なんて大袈裟だ、ってずっと思ってたがどうやらそうじゃないらしい。
「いやあ、避難しとけばよかったなぁ……」
自分の体が思うように動かなくなっていくのを感じる。
これほどまでに自分の行動に後悔したことはない。
転生者予報は的中率ほぼ百%を誇る。おとなしく従っておくべきだった、と。
「……ありえねえほど気分が悪い」
体だけでなく心も弱っていくのを感じる。
膝に手をついて大きく肩を上下させ息を吸った。
わずかな希望をもって周りを見渡してみるが人の気配は感じられない。
「まあ、助けは絶望的か」
そりゃそうだ。
普通に考えて、この時間帯に外に出てる奴は頭がおかしい。
他人を助けるという思考を持った善人が現れる可能性は絶望的。
「でも、あと少し」
明らかに動きが鈍っている体を引きずるようにして目的地を目指す。
頭ではさっさと走って自分の家にたどり着いたほうが良いのは分かっていた。
しかし、今まで経験したことがないほど頭が痛い。体がだるい。
動け、と命令しても言うことを聞いてくれない。
「……一回休もう」
呟きながら立ち並ぶマンションの壁に背中を預け座り込んだ。
体を休めようと精いっぱい気を抜いてみるが、一向に体調が良くなっていく様子はない。
あまりのしんどさに、弱音を吐こうとしたところだった。
「あ、みーつけた」
背後から聞こえてくる声で、背筋が冷えていくのを感じる。
ゆっくりと振り返って声の主を確認した。
「……もしかしたら普通の人間かもって思ったんだけど、さすがにそんなことはないよな」
綺麗な人だな、というのが最初の感想だった。
転生するとモテるようになるとは聞いていたが、そもそも良い容姿で生まれ変わってるのだろうか。
周囲に光球をふわふわと浮かせている少女はこちらを見ている。
あれは何だろうか。俺の知っている常識が通用しない何かがそこにはあった。
「なかなか人に会わないから、私がいない間に絶滅しちゃったのかと思ったよ」
第一生存者はっけーん。とご機嫌に鼻歌を口ずさむ少女はマイペースにこちらに近づいてくる。
ゆっくり近づいてきているのを頭では理解していた。
走れば逃げれる。
しかし、体は動かない。
「……ちょっとだけ待ってくれないか」
放心した状態でふと出たのはそんな言葉だった。
俺の言葉を聞いて再転生者の少女は足を止めて不思議そうに首をかしげる。
「……何を待てばいいの?」
「遺書を書かせてほしい」
きっと科学技術の進歩した現代ならこんな路上に遺書を残していたとしても家族まで届けてくれるはずだ。だから、せめて遺書だけでも。そんな思いだった。
そもそもそんな時間はくれないかもしれない。遺書を書いたとしても、彼女の力によって消滅してしまうかもしれない。あの光球にあたればきっと紙なんて消滅してしまうだろう。
思い浮かぶのは最悪ばかりだったが、彼女の返答は想像とは違っていた。
「今から死ぬの?」
沈黙が生まれる。
当たり前だ。俺は彼女の言葉に返答していないのだから。
返す言葉を持たなかった自分に恥ずかしさを覚えるとともに、ゆっくりと彼女の言葉を噛みしめている自分がいた。
そういえば、どうして俺達は『再転生者』と会えば殺されるという価値観を持っているのだろうか。
『再転生者』は特殊な能力を持っているとはいえ、俺達と変わらない人間のはずだ。特殊な能力を持ったからって人を殺すのか?
「……お前たちは俺たちを殺すように言われているんじゃないのか?」
変わらず少女は首をかしげる。
俺の言っていることが理解できていないようだった。
そうか。少女は俺達人類が再転生者を恐れているという事実を知らない。
なら、俺の言っていることが理解出来ないのも当たり前。
「私があなたを殺すように命令されている……? いったい誰から?」
そりゃそうだ。誰が人間を殺せなんていう命令をするのか。分からない。
考えれば考えるほど頭が痛くなる。
そもそもこっちはただでさえ調子が悪いんだ。ふざけないでくれ。
一向に謎ばかりが深まっていく今の状況に苛立ちが止まらない。
かといってきっとこの怒りの矛先を向けるべき相手は目の前の少女ではない。
「……一体、なんなんだお前らは!」
苦し紛れに口から出たのはそんな言葉だった。
その直後、ぷつんと糸が切れたように意識が途切れる。最後に視界にうつったのは不思議そうにこちらを見つめる少女の顔だった。
◇
鳴り響くサイレンの音で目が覚める。
瞼を開くと、先ほどの少女が同じようにこちらを見つめていた。
「あ、おはよう。放置するわけにはいかなかったから、ずっと見守ってたんだ。それにしても物騒だね。サイレンの音が鳴りやまないよ」
情報量の多さに頭が追い付かない。
思わず耳を覆いたくなるほど大きなサイレンの音。相変わらず光球を携えた目の前の少女。思わず吐いてしまいそうなほど気分の悪い頭。
言いたいことはたくさんあるが一つだけ確かなことがあった。
「……サイレンが鳴りやまないのはたぶん君のせいだ」
「どうして?」
彼女の言動に含みがあるようには思えない。
本当にこの世界のことについて何も知らないのか。それともただ馬鹿なだけなのか。俺には判別がつかなかった。
「君はこっちの世界では災害として扱われてる。指名手配犯なんだ。君が捕まらない限り、警戒状態は解けない」
「へー、私がいない間にずいぶんと様変わりしたんだね」
相変わらず鳴り続けるサイレンをBGMに彼女の返答を待つ。未だに状況の整理がついていない俺とは反対に目の前の少女はずいぶんと陽気な様子だった。
そんな少女だが何か考えているのか先ほどとは一転、うーんと唸っている。その後、自分の中で結論が出たのか突然こちらを向いた。
走る視線に一瞬恐怖を覚える。
「じゃあ、君が匿ってよ」
何を言っているんだろうこいつは。
化け物みたいな提案に俺の思考は止まった。
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