出会いと別れ

 毎朝の道程に横たわってもがき苦しむ男たち。彼らを見逃さず、ぼくは手始めに目下の男から手にかける。この時、暗黒面に堕ちたのだ。


 「待ってくれ……。お前の父親は、俺たちを更生させようと、わざと生かしてーー」


 父が仕留め損ねたであろう男たちを、殺虫剤で死に絶える虫けらの如く、躊躇ためらいもなしに葬り去る。

 それから雨の日に注意をうながされ、水溜りに気をつける子どものように、死体から吹き出る血溜まりの跡を避けて行く。


 「そんな……!」


 しかし、ぼくが居間へ辿り着いた頃には手遅れで、事切れる寸前の父が腰を下ろして、おもむろにタバコを蒸していた。


 決死の覚悟をしていたのだろう。父は悪びれる様子もなく、結果として死を受け入れようとしている。健全に「チクショウ」とか「くそったれ」くらい言ってほしいものだ。


 「よう、寝坊助」


 ぼくに気付いて、いつものセリフを吐く。

 それも最後だと思うと、胸がはち切れそうになり、あの頃のぼくは嗚咽おえつが止まらなかった。


 「ちょっと、こっちに来てくれ。思うように身体が動かない」


 ぼくは年相応らしく、父に抱きついた。

 これは後で聞かされたことだが、父はニューヨーク市警の不祥事ふしょうじを探り、その核心へと迫ったために襲われたらしい。

 単なる強盗殺人を装って、プロの殺し屋ではなくアマチュアに依頼し、このような中途半端な現場が生まれたというわけだ。


 「ごめんな……」

 「ぼく! お父さんみたく、悪いやつらと戦うよ!」


 自分なりに精一杯考えた慰めの言葉。

 父の意思を引き継ぐという、親子の宿命的な誓い。だが、結論から言って「ぼくはお父さんみたく」はならなかった。

 大人になるにつれ、戦士として大義名分を司るも、少しばかり用途の異なる職業。つまり、法務行官ではなく平和維持の兵士に就き、世界を渡り歩いていた。


 これには家族との確執かくしつが関係する。

 母は人殺しをさせてしまったと、ぼくに関して悔いるばかりか、良き夫を失って精神的に病んでいた。


 ずっとそばに寄り添っても、過去の行いを悔いられていては、明るい未来がないと考えた。だから、あの日の出来事によって現在があるというやり方で、荒治療だが母には立ち直ってもらうことにしたのだ。


 「おーい、アーロン」


 この日の出来事は、よく覚えている。

 二十歳の頃のものだ。軍のキャンプから離れ、人知れない木陰で一人読書をしていると、チャールズが駆け寄って来た。


 その振りかざすてのひらには手紙が握られている。

 ぼくらのような特殊部隊に属する兵士はスマートフォンの持参が、機密保持きみつほじの観点から禁止されている。なので文通といった古いやり方でしか、外部との連絡が不可能な状態にあった。


 「やあ、チャック」

 「ほれ、お前さん宛てに」

 「わざわざありがとう」

 「お袋さんの容態は、もう大丈夫なのか?」

 「確か順調に回復へ向かってるって」

 「よかった。俺も親父を癌で亡くしたから、自分のことのように心配なんだ」


 アイサムを追っていて知り得なかったが、ぼくが去ってから母はストレスによって、過剰な飲酒や喫煙に苦しんでいた。その結果、確率的に肺癌を患い、だんだんと転移しているのにも気付かず、仕舞いには余命宣告を受けていた。


 しかし、ぼくには余命宣告という部分は頑なに伏せられ、手紙にも癌を患っているけれど、先生が大丈夫だと言っていると記されていた。


 当時の医学ではよっぽどのことがなければ、癌は致死を迎えるような病ではなくなっており、ぼくもそのような話を鵜呑うのみにしてしまった。何しろ、アイサムを追っていた最中だ。

 それからも顔を合わせられない時が続き、やがて帰国した頃には、母はもう亡くなっていた。


 ぼくに心配をかけまいとする。母の執念というか、精神的な強さには恐れ入った。父と言い、何故これほど死を受容じゅようできるのか。死んだこの時を持ってしても理解できずにいる。


 本音の話をすれば、人間らしくいてほしかった。惨めに弱音を吐きながら、死を克服する努力を見せて欲しかった。

 それらを見れば、ぼくも死を受難じゅなんすることなく、必死に生き延びられたかもしれない。

 例え四肢が失くなろうとも、虫の息であろうとも、生き永らえれば未来はあったはずだ。


 「何ボサーっとしてんだよ。読ませろ」


 チャールズに手紙を奪われ、勝手に読み上げられる。これもちゃんと覚えている。


 あなたを心より愛しています。

 しかし、この手紙はあなたの元へと、本当に送り届けられているのでしょうか。

 あなたは愛してると返事をしてくれません。

 あなたの帰りとまで高望みはしなくとも、その言葉だけを待ち望んで、気づけば二年ほどの月日が流れました。なんだか、ごめんなさい。

 こんな風に責めたくはないのだけれど、あなたの顔も見えず、声すら聴こえない世の中で、愛情を感じるには文字しか有り得ないのです。

 どうか、私を愛してると書いてください。

 私はそれ以外の言葉を望みません。

 アシェリー・ノーベル。


 「古風なラブレターだが、随分と哀しいね。なんだって、彼女を安心させてやらないんだ」


 チャールズに問われ、ぼくは率直に答える。


 「そんな気休めを言って、どうするのさ」

 「おいおい」

 「ぼくは世界的なテロリストを追っている。それがどれだけ危険なことか、彼女を巻き込んでしまう恐れだってあるんだぞ」

 「そんなことは相手だって百も承知さ。あまり、妻所帯持ちを舐めるなよ。お前よりか、本質的に愛がなんであるのか知っている」


 ぼくは、ぐうの音も出なかった。


 「もっと正直になれ。個人的な人間らしく、我がままで幸せになろうとしろ。自分を無碍むげにするような考え方は捨ててしまえ」

 「幸せか……」

 「彼女の信頼を裏切るな」

 「ぼくにとって愛してるは、精神的に重くのしかかる。男性的なプレッシャーなんだよ」


 ぼくは愛してるに続く、夫婦の関係を想像した。しかも自らの両親に重ねて、アシュリーを母と看做し、子どもにも悪影響を与える存在として、父である自分を思い描いてしまった。要するに臆病な玉なし野郎だってことだ。


 「悲観主義者ペシミストめ……」


 ぼくの代わりに涙を流し、アシュリーからの手紙を折り畳みながら、チャールズは言った。


 「本当に可哀想なのは、アシェリーだ」

 「当たり前だよ。馬鹿野郎」

 「それでもぼくを叱らないんだな」

 「俺たちは親友だからな」

 「ありがとう。チャック」


 ぼくのような偏屈な人間は、社会で孤立して当たり前だ。なのに彼は寄り添って、適度な距離感で接してくれる。すごく良いヤツだった。


 そういえば、ジェシー・ウィリアムズも、ぼくの表情を読み取るのが上手かったな。

 もしかしたら、友人になれたかもしれない。


 一度でも死んでみると、よく人生について考えさせられる。さてと、もう眠りに入ろうか。

 この先は血で血を洗う。後味の悪い戦いしか起こらない。父さん。母さん。今行きます。


 永遠の眠りに就くことを決めて、ぼくは考えるのをやめた。

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アーロン おれれお @ore_enjoy

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