ゴールテープの天使ちゃん

乙島紅

ゴールテープの天使ちゃん



 男には、絶対に負けられない戦いに挑まねばならない時がある。

 ……たとえ小学生だとしても、だ。




「かけあーし、止まれっ!」


 いち、に。

 統制の取れたリズムで戦士たちはその場で足を止める。

 空を見上げれば雲ひとつない晴天。絶好の決闘日和。


 そう、本日は私立皇倫こうりん学院初等部の運動会。

 これより四年生男子のかけっこが始まる。

 スタートラインに着く五人は、まだあどけない顔に闘志を満たしていた。


 絶対に負けられない。

 誰よりも速く走ってゴールテープを切ってやる。

 なぜなら……ゴールテープを持っているのが学院一の美少女・天満しずかだからだ。


 天満しずか、またの名を「てんしちゃん」。

 その愛称のとおり天使のように可憐な外見で、それでいて高飛車ではなく、どんな時もおっとりとした笑みを浮かべているような女の子だ。

 スタートラインで待機している五人は彼女に恋をしていた。

 五人は幼稚舎からのライバルで、常に学校での成績を競い合ってきた仲である。いつだって頂点を目指し、最高の品質を追い求め続ける彼らにとって、同じ女の子を好きになるというのは、偶然ではなくもはや必然。

 将来の日本を背負うであろう彼らは、紳士らしく話し合いでこう決めたのだ。

 今日のかけっこで一等賞を取ったやつが、最初にてんしちゃんに告白できると。


 ここでかけっこのルールをおさらいしよう。

 距離は百メートル。

 一般庶民であれば靴のまま走るか裸足で走るか、それくらいしかルールはないと思うが、ここは政財界のトップエリートの子女が通う皇倫学院、ルールは「相手を怪我させなければどんな手段を使っても良し」である。


 第一レーン、某スポーツ用品メーカーの社長の息子・阿藤くんの場合。


「ふふふ……申し訳ないが一位をもらうのは僕だよ。パパに頼んで今日のために特注の靴を用意してもらったからね」


 彼が履いているのは陸上の公式大会では絶対に使用禁止になるような、強力なバネが靴底に仕込まれた靴だ。一歩踏み出せば走り幅跳び世界レベルの選手並の歩幅を実現できる優れものである。


「甘いな、阿藤。俺の足を見てみろ」

「な……!?」


 第二レーン、天才外科医の息子・伊藤くんの場合。


 彼だけは半ズボンの体操服ではなく、くるぶしまであるジャージを履いていた。その裾をまくると、露わになったのはスーパーサイボーグと化した足。なんと彼は父の力を借りて人体改造に手を出してしまったのだ!


「すごいね、伊藤くん。そこまで本気とは……。でも、僕だって負けるわけにはいかないよ」


 第三レーン、エリート外交官の息子・宇藤くんの場合。


「……って、宇藤お前どこにいるんだよ!?」

「えへへー」


 彼はにこにこしながらレーンの外側で手を振っていた。なら第三レーンにいるのは一体誰だ。伊藤くんは隣をちらと見やり、目を丸くした。


 そこに待機するのは、見覚えのない精悍な顔つきのアフリカ生まれの少年。そう、宇藤くんはコネとカネを駆使して助っ人外国人を雇ったのである。


「さすがだな、宇藤。だが、まだまだ視野が狭いようだ」


 第四レーン、有名一級建築士の息子・江藤くんの場合。


 他の子と違って、一見何か特別なことをしているようには見えない。だが、彼は得意げに眼鏡をくいとあげた。するとそれが合図だったかのように、第四レーンだけコースの形状が変化していく。スタート位置がせりあがり、ゴールまでなだらかな傾斜に。しかも地面は氷面へと変わり、彼はいつの間にかスケート靴に履き替えていた。


「江藤っちすごいや。おれも負けてないけどな!」


 第五レーン、先祖代々大地主の息子・尾藤くんの場合。


 彼はというと、馬にまたがっていた。そう、尾藤くんの親は馬主でもある。彼が乗っているのは、国際競争でも勝ち抜いたことのあるサラブレッドの血を引く仔馬だ。


「そ、それは反則じゃないのか……!」

「大丈夫大丈夫! うちの子がコースを外れるわけないから。おまえらは無傷のままおれが一位とってやるよ!」


 以上五名(うち一名は代走者)、先生の合図でクラウチングスタートのポーズをとる(馬を除く)。ちなみに今のところ反則判定は出ていないため、これは正当なる紳士の決闘として認められたようである。


 百メートル先のゴール地点では、てんしちゃんがにっこりと微笑んでこちらに向かって手を振っていた。五人が五人とも自分に向けられた笑顔だろうとほくそ笑み、その足にやる気をみなぎらせる。


 先生はそんな彼らにやれやれといった様子で生暖かい眼差しを送り、スタートの合図の準備に入った。


 緊張の瞬間。

 賑やかな運動会に刹那の静寂が訪れる。


「位置について……よーい、スタート!」


 パァン!

 乾いたピストルの音が鳴り響き、五人は一斉に駆け出した!


『始まりました、四年生男子の部! 多種多様な手段で挑む五名ですが、駆け出しをリードするのは……!』


 なお、解説は陸上のオリンピック金メダリストが担当している。


『阿藤くん、阿藤くんだ! 靴の性能によりスピードが乗る前から圧倒的歩幅でリードしています! しかしそのすぐ後ろを追うのは――』


 激しく舞う土埃。怒涛の勢いで追い上げるのは馬に乗った尾藤くんだ。


「ふん、こんなこともあろうかと用意はしてある!」


 その後ろを追う江藤くんが、前方に向かって何かを放り投げた。

 にんじんだ。


「ヒヒーンッ!」

「あ、こら! ファンタジックギャラクシー号!」


 馬は夢中でにんじんを追い、あっけなくコースアウト。

 一方、傾斜によりスピードに乗ってきた江藤くんは一気に距離を縮めていく。現在先頭を走る阿藤くんは靴が特殊とはいえ足を動かしているのは本人だ。徐々にペースが落ちるのに対し、スケート靴で加速していく江藤くんが追い抜くのは時間の問題、かに見えた。


 ヒュンッ!!


 黒い影がものすごい勢いで横切っていく。宇藤くんの代走の助っ人外国人である。物心ついた頃からサバンナでチーターと追いかけっこをしていた彼にとって、この程度ジョギングレベルでもないのだ。


「俺を忘れてもらっちゃ困るんだよ……!」


 伊藤くんがポチ、と自らの左乳首を押した。すると彼の足先から炎が吹き出し、ジェットのごとく爆走する!


 ゴールまであと数十メートル。

 コースアウトした馬を除き、並走する四人。

 一体誰が一位になるのか……!

 憧れのてんしちゃんの姿が近づき、それぞれ疲労を押し込めラストスパートに力を込めた。


 ……その時。




「あ、ちょうちょだー」




 ひらひらと舞う蝶を見つけ、てんしちゃんはゴールテープをパッと離してしまった。緩んで地面に落ちるテープ。直後、なだれ込むようにゴールインする四人。と、遅れてやってきた馬一匹。てんしちゃんは彼らのことなど見てはいなかった。風に揺れて不安定に飛ぶ蝶を夢中で目で追っている。


「あのー、てんしちゃん……僕たちの誰が一等賞だったかわかる?」


 恐る恐る尋ねると、彼女は「うーん」と首をかしげて、それからはっと思いついたように言った。




「一等賞はね、おしりを出した子かな!」





〈おわり〉


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ゴールテープの天使ちゃん 乙島紅 @himawa_ri_e

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