第3話 サラの身の上話(2)
魔力回路は魂に刻み付けられた記憶のようなものだが、記憶と言う以上、人体の脳にも刻み込まれている。つまり、魔力の構築や行使には脳での認知が重要となる。通常、魔法を行使する場合には頭の周りに1つ以上の魔法陣が現れる。その発現場所は頭頂に一番多く、次いで後頭部、側頭部や背中と展開していく。稀に魔法陣を展開しないで魔法を行使する人間や魔族がおり、サラもその部類に入る。つまり、
「…魔法陣、展開」
魔法陣を展開しなくてもよい者が魔法陣を開くには、魔法行使の工程に敢えて一手間を加えなければならない。そこまでして使う理由は、魔法精度の向上、安定化にある。
通常時で魔法陣を展開しないのは、強力な魔力量や魔力回路を有するためであることが多い。魔法陣は魔力回路(つまり、魂や脳)と『世界』をつなげるために展開する。例えば高位の契約精霊があれば、世界との結びつきが元々強いものとなるため、必要なくなる。魔力が人並外れて高ければ、無理やり世界そのものに影響力を通すこともできる。
ここでサラが魔法陣を展開したのは、無理に力を使うことで万が一に起こり得る暴発を防ぐためでもあった。魔術師100人分以上の彼女の魔力は強い。『誘惑』の魔法が暴走すれば、この村を覆いつくすぐらい造作のないことなのだ。
「『誘惑』の阻害率は…30%というところかあ…目の前に村人がいれば、即ハマるだろうなあ」
最近は彼女も『誘惑』を使いこなし、その効果をある程度数値化して認識することができるようになった。魔力回路を起動してもある程度調節して出力することができる。しかし、まだ振り回されずに済むわけではなく、むしろ上位効果を持つ『魅了』などの魔法に発展してきているため、まったく油断がならない。
「『魅了』は『誘惑』の出力が低ければ行使の候補にも挙がらないからまあいいけど…」
それでも、高位魔法を放とうとすれば顔を出してくるはずで、魔王や勇者にすら幻惑が通る『魅了』を使えるとなればいよいよサキュバスとして追われる立場の仲間入りだ。誰にも感づかれるわけにはいかなかった。
「我は、今生だけは人間として生きたいと願う…例え、両親や友人が逝こうとも、あの聖女の言葉の真意。人間の生きる意味とやらを知るために…」
それは女神と交わした契約の1つ。『人間として生きたい』というものだった。魔王として戦い、屠ったかつての聖女。彼女が死に際に放った言葉。そして、誰に裏切られようとも諦めずに魔王を倒す一念を貫き通した勇者。彼らが生きた人生というものを自分も体感し、果たして魔族と人類は手を取り合えるのか。それを確かめるための生だ。
「人として生きること、齢11にして、すでに辛いことばかりだ。親が死ぬこと、友が死ぬこと。こんなに悲しいことだとは思わなかった」
魔族の平均寿命は200年に満たないほどはある。魔王サライの享年は266歳だった。デーモン族は長寿を誇るが、子は種族全体で10年ごとに数人程度しか生まれない。病気やケガにも強い彼らは、人生の遠い先に訪れる死をあるがままに受け入れられたが、今のサラは孤独を通して死を恐れるようになっていた。
「あるいは、人として生きたいと願う我にはそうあるべきなのかも、な」
人として、今を生きること。デーモンとして、魔王として10年100年先を見ながら生きることとは全く違う。刹那の出会いと別れの連続は、確実にサラの心を傷つけ、しかし、その傷は彼女の心を強くしようとしていた。
ある日、眠っていたサラは家の外が騒がしいのを感じ、目を覚ました。
「…外が騒がしいな。まさか、また」
彼女は躊躇する。もう、この村に守りたい人はいない。でも、今ならまだあの時よりも戦える。人の死を見ないで済む。なにより、
「試してみるか…」
自分が今、どこまでできるのか見極めるために、このあたりに出てくる賊程度なら最適だという打算が強く働き、彼女は扉を開けた。
「村長、うちの子が!」
「ああ、あの人も、食われて…!」
「食われて…?」
少し様子がおかしい。村人たちは逃げようという態勢ではなく、むしろ総動員で立ち向かおうとさえしている。とても300人の人口がいて高々20人の賊に膝を屈したような村とは思えない。何より、「食われた」。賊は食人人種なのだろうか?
サラが聞き耳を立てていると、鉈で武装した村人―――トムが村長の元に走ってきた。
「村長!件の熊は、森の方に帰っていきました!あいつ、俺らの頭に直接…!」
「念話したのか、やはり、魔族か…なんと言っておった?」
「はい、『これから新月を迎えるたびに、齢15以下でなるべく大柄の子供を一人、差し出せ』と…それが、この村をいきなり総浚いにしない条件だと」
「15以下の子供を一月ごとにか…!1年は持つだろう。しかし、それ以上は持つまい」
「戦うのですか、村長?」
「無理です、勝てません!」
「しかし、これ以上子供を犠牲にして…!」
村長の元に村の協議会で発言権を持つ大人たちが集まり、対応を協議している。15歳以下の子供を毎月生贄にしろと言われて、はいそうですかと言っていられるほど裕福な村でもないため、皆かなり必死に考えているが、
「諦めるしかないのか…」
力がないというのは残酷だった。対応策など出て来るはずもない。それだけ、魔獣と人の力差は歴然としていた。
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