第4話 魔獣・『月王熊種』ムーンベア

 その月の新月は早くも2日後だった。森の主となった熊に捧げる子供の選定をするなら急がなければならない。誰にする?誰が決める?誰がそのことを本人と家族に?


「村長でしょう」


「村長だな」


「いや、しかし村長にだけ押し付けるのも…」


 密かに村長に反感を持つ協議員と親村長派がしのぎを削る中に、突然少女の声が上がった。


「はいっ!私が行きます!」


 声のした方向に向いた協議員の視線の先には、緑髪碧眼の少女、サラがいた。


「サラ!?」


「久しぶりに姿を見たな…」


 サラはこの1年、村の総会にも祭にも顔を出さない『変わり者』として過ごしてきた。誰かと話をしていることも、家の外に出ている姿を見ることすら珍しい彼女の声を、村民たちは忘れかけていた。そのサラに、村長が問いかける。


「行くとは、どこに行くんだね?畑仕事を頑張ろうと?」


「違います、熊の生贄になりに行くんです」


 村長が畑仕事、と言ったのには訳があった。サラの家の畑は今、村長の家人で耕している。両親と男手を喪ったサラがある程度の年齢になるまで預かり、サラが生きていくのに少し足りないくらいの収穫を分ける以外に収穫物は村長家で収納し、納税を行う。天涯孤独となったサラと村が交わした契約だった。


「馬鹿を言うな!サラ、お前さんは家の唯一の生き残りだぞ!」


「いや、しかし村長、サラならちょうどよいではありませんか」


「そうですよ、誰も損をしないんです、男手でもないし…」


「母親の当てが1人分減るのはいただけないが…」


 周りの協議員たちは皮算用を始めている。サラを失ったことで村が被る損失、サラがいることで自分たちが失う利得。彼女がいなければ、収穫高の多い美田であるグレッグソン家の畑を自分が取得できるかもしれない…。彼女は元々、孤児で女子。この村で重要な血筋でもない。知識も技能もないとみなされている。


「サラ1人出して、1か月耐えられるなら…」


 その間に対応を協議することもできる。例えば、領主の町の『戦士ギルド』に応援を求めることもできる。その原資を彼女の遺産に求めることも…。彼女の提案に乗らない理由はなかった。


「それが村の総意か。それが…」


「なら仕方ないですよね?」


 悄然として天を仰ぐ村長に、サラは耳打ちした。


「大丈夫です、何とかしますよ、村長?」




 2日後、サラは3人の村の若者に先導され、森の奥へと進んでいた。3人はサラが怖気づいて逃げ出さないようにと付けられた力自慢の勇士たちだが、明らかにこちらの方が怖気づいている。顔色は青く、冷や汗が止まらない。

 それに対し、色とりどりの絹の織物でできた衣服を身に着けたサラは悠然と歩いていた。この織物は村の女性たちが死にに行くも同然と聞いたサラのために、急いで織り上げたものだ。自分たちの子の代わりに食われに行くサラ。熊に気に入られて生き永らえればよい、せめて痛い思いをしないように、少しでも苦しまないように、との願いを込めて織られたもの。この衣服をサラに渡した村の長老の奥様、ベラばあ様は、別れ際まで現人神のようにサラを拝んでいた。


「ま、いろいろあった村だけど…」


 全滅して気持ちのいいものではないよね、とサラは思いをはせる。…協議員たちは死んでいいけど。


「おい、サラ、ついたぞ」


「あ、はい」


 そこは結構な高さのある岩穴だった。かなり背の高い大人でも、背を屈めずに入ることができるだろう。横幅もある。


「なあ、サラ」


「はい?」


 3人の勇士の中でも年長のリーダー格の若者がさらに語りかける。


「お前、これ、志願したって聞いたけど…本当か?」


「そうですよ?」


「なんで、志願しようなんて…お前が志願しなけりゃ、俺らが何とかしたかもしれないのに…」


「できるんですか、兄さん?」


「ぐっ…」


 できないけど…と言いたげに口ごもりながら、それでも若者は続ける。


「お前は、確かに変な奴だけどよ、それでも俺らの大切な妹で、女なんだ。なんで、なんで俺らがお前に守られなきゃならねんだ…!」


 その言葉に、他の2人もつられて口を開く。


「そうだ、サラ!お前はもっと怖がっていいんだ、嫌がれよ!」


「助けてって、言ってくれ!そしたら…」


『五月蠅いぞ』


 彼らの頭の奥に、ずしんと響くような念が押し込まれる。それなりのクラスの魔獣になれば使える念話だが、これだけ威厳のありそうな念を使う魔獣がこの南の辺境に現れようとは。地響きを伴う足音とともに、穴倉の奥から魔獣の熊が姿を現した。




 3人の勇士たちは踏ん張りがきかず、たちまち逃げ出した。無理もないことだ、戦闘に特化した技能を持つ専門の戦闘者集団、『戦士ギルド』においても対魔特化のメンバーでもない限り、3m500㎏の巨躯が目の前に現れた時、冷静でいられる人間は存在しない。そんな中で、前世は魔王であったサラは冷静に敵を観察していた。


「ムーンベアの…若い雄。将来性はありそうだけど、まだまだ強い魔力は感じない」


『グハハ…弱く小さき者たちだ。しかし、こちらは良い人間のメスが来たものよ。肝が据わっておる。オレの姿を見て腰を抜かさぬどころか平然としておるとは』


 しかし、とムーンベアは首をひねる。なぜ、この女は腰の一つも抜かさない?その疑問に答えるように、サラは魔法陣を展開した。

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