第1章 トーラス村のサラ
第1話 その日、全てを失った
忘れもしない、帝歴907年7月2日。7日の『帝国神聖節』を前に、お祝いの飾りつけや料理を用意するための食料や現金が村の各家庭に、その村の規模にしては潤沢に置かれていた。その間隙を突かれたのだ。
非常によく訓練された、忌々しいほどに優秀な野盗。どこかの傭兵や正規軍のはぐれ者かもしれない。今言えることは、どこからともなく忍び寄ってきた奴らに村は放火され、略奪された。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ…!」
一人、村民の少女が燃える建物の間を縫うように走っていた。幸い、少女の家は燃えていない。あの家は祖母が最期の時を過ごした大事な場所だ。燃えていたら、自分の危険を顧みず消火活動を行うつもりだった。だが、ほんの少し、安心したのがその少女にとって命運を分けるポイントだった。
腕をつかまれた。野盗か、と振り返ると村の大人たち。口々にここは危険だと言って、少女の腕を引っ張っていく。構わない、気にしないでと言うだけの理由が彼女にはあった。あの家には、すでに事切れていたとしてもその身をもって娘を逃がした、彼女の両親が残されているのだ。
また、彼女は気にしないでと言えるだけの実力をその身に秘めている。彼女自身は知らぬことだが、どこかで貴族の血が入っている彼女には、類まれな魔力が蔵されている。まだそのコントロールには成功していないが、無理やり使えば今回の規模の賊ぐらいは制することができる程のものだった。
しかし、そんなことは村民たちの与り知らぬことだ。自分たちと同じ無力な存在、いやそれ以下の力しか持たぬ女子供を燃え盛る村の中には残せないと、村の外に引っ張っていく。
「いや!お父さんとお母さんを助けに行く!放して!放してっ!」
「何をばかなことを言っておる!死ぬ気か!」
「お前の幼馴染もそう言って行方不明、恐らくは…お前まで死なせられるか!」
何も知らぬ大人たちは、大人としての利点―――腕力を活かし、彼女を担ぎ上げる。いくら魔法の才に優れようと、腕力に優れるわけではない。為す術もなく目指す方向、両親のいる自分の家から引き離されていった。
祖母、そして父譲りの緑髪碧眼の少女は名をサラと言う。トーラス村のサラ、サラ・グレッグソンが彼女の名乗りだ。トーラス村はトリコロイド子爵家のいくつかの領地のうちの1つで、『帝国』の南に位置するそれなりに裕福だった村だ。現在でも穀物の税負担だけで100人扶持、現金納税額は金貨20枚。傭兵1人を1年間雇用するために必要な現金収入が金貨1枚の半分強、銀貨6枚と言われる。この村は食糧だけなら100人近い兵隊を食わせ、その中に相場通りなら30人の傭兵を雇うことができる村だ。
しかし、その税収の源泉となるべき田畑は焼けてしまった。300人を超えてきていた村民は3割が亡くなり、もう2割が怪我とその後遺症に苦しむ。体だけでも無事な村民は半分しかいなかった。
村の次代を担う人材を産み育てるべき女性人口に至っては、サラの幼馴染のエイミーをはじめ、4割が死に絶えた。若年人口こそ被害はエイミーのみだったが、薬師で産婆のベスばあ様を初め、口伝を残していくべき有用な技術知識を有した女性に限って逃げ遅れ、野盗たちの手にかかったのである。
惨憺たる事実のみが、トーラス村の前途に広がっていた。そんな中でサラに期待されたのは、子を一人でも多く産み、育てることだけだった。
サラは家族のいない家に独り籠るようになった。友人はエイミー以外におらず、隣家の大人たちも村の復興に駆けずり回って忙しく、誰も彼女を気にかける人間はいなかった。
「なぜ、このようなことになったのだ…」
サラはその容姿に似合わぬ言葉で独り言ちていた。
「我はただ、良き夫を娶って子を成し、両親を安心させて…それだけでよかったのに」
サラは椅子の上で膝を抱く。夏のじんわりとじめじめした暑さの中、頬を伝った汗は床にぽたりと落ちる。あるいはそれは涙なのかもしれないが。
「我には、普通の生活は送れぬと言ったな、女神よ。だからなのか…?」
サラは、自分が生まれる前の記憶を紐解いていた。
サラは転生を迎える前は、魔王と呼ばれる存在だった。50年ほど前に9代目の魔王が時の勇者に滅ぼされ、暗黒戦争時代は終焉を迎えたわけだが、その9代目魔王がサマルカンド・サライなるデーモン族最強の男だった。
魔王サライは統率力に優れ、無尽蔵の魔力を蔵するとされるデーモン族の中でも群を抜いて強い魔力を有したが、魔族に対して特攻を誇る聖剣と、魔族に劣る人類の中でもデーモン族に比肩する実力を持つ勇者サイラスと壮絶な一騎打ちを演じて敗れたのだ。それが暗黒戦争最後の会戦であるダイゴヶ原の遭遇戦の最中であったこと、そして魔王軍がそれぞれ全く種族の異なる各部族の連合軍であったことが災いして軍勢の統制が崩壊し、その一戦で戦役すべての勝負が決まった。
「…軍団長始め、将兵たちにはどう謝っても、償いきれぬ」
サラはより膝を強く抱いた。
「あるいは、それが因果応報…この我に課された敗者のための運命なのかも、な…」
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