彼女の行く末

九十九

彼女の行く末

「私ね、決めているの」

 薄暗い教室の中、唐突にそう言った彼女に私は尋ねた。

「何を?」

「ゴールを」

 問うてすぐ、彼女は答えた。

 薄暗い教室の中で彼女の顔には影が掛かり、上手く表情が読み取れず、私は少しだけ眉根を寄せた。

「ゴール。そう、目的を、目標を。決めているの」

 続ける彼女は私へと微笑んだ。それは何時もの彼女の笑みだった。



 彼女が消息を絶ったのはそれから数日後のことだった。



 ――何を決めていたのだろう。

 私は彼女の笑みを思い出しながら考える。思い出しても、思い出しても、記憶の中にある彼女は笑うばかりで、ゴールの手掛かりを残してくれてはいなかった。

 彼女は一体、何をゴールにしたのだろうか。


 彼女が消息を絶ったのは、何時もと変わらないとある日の夕暮れだった。冬から春に変わる境界線、その年の最も温かい日に彼女は消息を絶った。

 春に羽化する蝶のように、冬眠から目覚めた獣のように、彼女は身一つで気軽に飛び出して行ってしまった。彼女の服すら、その日に身に付けていた一着だけしか消えていなかった。

 何処に行ったのか、何をしに行ったのか、誰一人として彼女の行く末を知っているものは居なかった。ずっと一緒に居た私でさえも、彼女の目的を知らなかったのだ。


 果たして彼女が何を思い、何をしたのか、数年経った今でもずっと不明のままだ。



「人はどうしてゴールを決めるのだと思う?」

 誰も居なくなった薄暗い教室は、私と彼女だけの場所だった。ここには私と彼女しか居ない。面倒なものは何も無い。私達に手を振りかざすものも居ない。

 私と彼女は、たった二人だけの教室で、用務員さんや先生が鍵を閉めに来るまでよく話をしていた。

「ゴールを決めたいの?」

 尋ねる私に、彼女は少しだけ考える素振りを見せたが、やがて曖昧に笑って私に答えを促した。

「そこに行きたいからじゃないの?」

 彼女の質問に、私は首を傾げながら答えた。

 その場所に行きたいから、その場所をゴールにするのではないか、そう私が答えると、彼女は少しだけ目を見開いた。驚きと、少しだけ別の感情が混じったような不思議な顔をしていた。

 そうしてややあってから、彼女は嬉しそうに笑った。先程まで浮かべていた微笑みとは違う、不意に零れた笑みだった。

「どうしてそう思うの?」

 嬉しそうに笑いながら彼女は問う。何となく、彼女は私の答えを知っている気もした。

「どこでも良いなら、目的なんて決めないでしょう?」

 学校指定のサンダルをぶらぶらと足で遊ばせながら、私は言う。

 どこに行っても構わないなら、態々ゴールは決めないだろう。結果としてのゴールと目的としてのゴールは違うのだから。ゴールを決めると言う事は、そこに目的のものがあるからだ。

 そう言った私の隣で、彼女は可笑しそうにくすくすと笑った。

「ええ、そうね。そうだわ」

「?」

「目的があるのよ。だから、ゴールを定めるのね」

 あんまりにも楽しそうに笑うので、私はよく分らずに首を傾げた。彼女は答えをくれなかったけれど、可笑しそうに笑いながら、私の頭を撫でた。



 数年経った今でも、彼女がどこにゴールを置いたのか分からないままでいる。

 彼女が何を思ってゴールを決めたのかは分からない。何があって己が居た場所から立ったのかも、私は知らなかった。


「あれらを無くすことが君のゴールだったの?」

 道路の片隅で一人呟き考える。

 私と彼女は同じだった。同じような傷を負い、同じように互いを見詰めていた。互いが互いの鏡だった。

 数年前の彼女が消息を絶ったあの日、同時に五人の命の灯が消えた。私と彼女の要らないもの。私と彼女の傷。その五人が、彼女が消息を立った日に吹き消されたみたいに消えて行った。

 それが彼女のゴールだったのだろうか、と。彼女のゴールが、目的が、遂行出来てしまったから彼女は消息を絶ったのだろうか、と。そんな事を考える。

 けれど、それもどこか違う気がした。

「目的があるから、ゴールを定めるんだよね?」

 一人、思い出の彼女に問う。

 ゴールとは行きたい場所だと私が言った時、彼女は嬉しそうに笑っていた。それならば、彼女の目的の過程で要らないものがあったから、それらが消えたと考える方がしっくり来た。

 消息を絶ったのは、己が居た場所から立ったのは、きっと彼女の求めるゴールがそこでは無かったからだ。

「なら、やっぱり君はどこかにいるんだ。ゴールか途中かは分からないけれど」

 記憶の中の彼女が微笑みながら、頷いたような気がした。



 彼女が居なくなった時、五人は消えて私は消えなかった。ならば、私は彼女にとって要らないものでは無かったと言う事だ。

 それなら、私が勝手に彼女を探してもいいだろう。私が勝手に彼女をゴールにしてもいいだろう。もしも駄目なら、私のゴールを変えるだけだ。

 


「あなたのゴールは決まっている?」

「私?」

「そう、あなた」

 薄暗い教室の中で彼女は微笑む。私は少しだけ考えてから彼女の足を指差した。

「君の居る場所」

「私?」

「そう、君。だって行きたい所なんでしょ?」

 彼女は少しだけ驚いた顔をして、そうして幼い子を見守る母親のような眼差しで私を見た。

「変な子」

 彼女は微笑みを深くした。



 思い出に笑いながら、道の傍らから立ち上がる。私は、私のゴールに向かって、再び歩き始めた。

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