第2話 都心の夜桜

嵐が来る。見ごろは週末まで。そんなニュースが流れた。毎年満開を狙ったかのように、大雨や暴風がやってくる。パッと咲いて、散る。これが風流なのだそうだけれど、あまりにもあっけなく、少し寂しい。けれどそんな嵐にも負けず、案外耐え忍ぶ桜も多い。まるで日本人の潔さや忍耐強さを体現してるみたい・・・とまるで昔の人のことのような考えを巡らしていた。


「今週末、大雨で散っちゃうみたいですよ。見に行っておいて正解でしたね。」

「そうなんだ。見ておいて良かった。」

「でも、散っちゃう前にもう1か所くらい見に行こうかなーとは思ってる。」


私はもう1回彼とどこかに花見をしに行きたくて、そんなやりとりをしていた。けれど当日、午後から予想外の大風が吹き、東京には暴風注意報が出されたくらいだった。さすがにそんな風の中歩くわけにはいかず、私たちは翌日に予定を延ばした。


そして翌日。前日以上に快晴。そして風は止んだ。私たちは仕事終わりに待ち合わせをし、少し大きめの公園を散歩することに決めた。


朝からソワソワして落ち着かなかったが、目の前に山積みの仕事を適当にするわけにもいかない。定時には仕事を終わらせ、私は寄るところがあると言い、先に仕事場を出た。


「どこに寄るの?それによって、待ち合わせ場所考えるけど。」


そう彼は言ってくれたが、言えない。彼のために少しお洒落をしに行くだなんて。ちょうど彼は少し残業せねばならず、私は駅の近くのカフェで時間を潰すことにした。その前に予約を入れていたサロンに立ち寄った。とはいっても、そこまで気合を入れたらなんだか気恥ずかしく、目元のメイクだけ少し春らしい感じに変えてもらった。それから近くのずっと行こうと思っていたカフェに入り、美味しいコーヒーをすすりながら、1時間後の楽しみを思って思わず頬が緩んだ。


カフェを出て駅に隣接した商業施設の中を歩いていると、彼から連絡が来た。


「お待たせ。今改札に向かってるけどどこにいる?」

「お疲れ様。私も改札の方へ歩いてます。花屋さんの前あたりにいます。」

「了解」


やりとりから30秒もせず、花屋の前に立つ私を彼が見つけて歩いてきた。私たちは二人で改札を抜け、電車に乗った。仕事の何気ない話をしながら目的地へ向かい、18時過ぎには駅の改札を抜けた。既に薄暗く、昼から花見をしていたであろう若者たちが賑やかに缶ビール片手に駅へ向かっていく。それに逆行するように、私たちは適度な速度で公園の中へ歩みを進めた。


広い道幅には人があふれているが、まだまだ宴を続けている人以外は、思い思いに歩きながら少しずつ駅へと向かっているようだった。桜はライトアップされているわけでもなかったため、ほとんどが暗闇の中でよく見えない。しかし、ぼんやりと白く浮き出てくる桜も一興だった。途中、電灯の近くにある桜は満開の様子がよく分かり、多くの客が写真を撮っていた。


彼もスマホを駆使して写真を撮り始めた。私なんてまるで横にいないかのように夢中になっている。それでもいい。仕事中とは違う無邪気な彼を間近で見られることだけで満足だった。


私たちの間には見えない溝があり、決して0距離になることはなかった。肩を並べて歩いていても、その肩と肩が触れ合うことは滅多になく、お互いポケットに手を入れながら歩くことも多い。手が外に出ていたとしても、指と指の間に結界でもあるかのように、決してお互いに触れることはなかった。歩みを進め、人影まばらな舗装されていない場所に来ても、彼は何気ない話を進めるだけで、足元を注意したり、私を気遣うことはない。


あっという間に門まで戻ってきてしまった。残るは駅までの短い道だけ。そこで私はずっと気になっていたことを聞いた。


「ねえ、最近一緒に帰ったりすること多いけど、いつまで続ける?」

「あー、たしかに最近ほぼ毎日だよね。」

「別に私は迷惑でもないですけど、急にぱたっとなくなったらそれはそれでちょっとな・・・って。」

「じゃあ、今からなくしていきますか?」


彼は私がそれを嫌がっていることを分かったうえで聞いてきた。私が何も答えずにいると、ニヤニヤと面白がってこちらの顔を覗き込んでくる。私の立場を分かっているし、私を恋愛対象ともしていないくせに。少し腹が立った。


「まあ、彼女ができるまでにしとけばいいと思いますよ。」


私はそう言ってそっぽを向いた。


「いつになるかねえ・・・」


彼は苦笑してそう言った。


駅前に着いた。私は地下鉄なのでここで別れることになる。


「じゃあここで。長時間ありがとうございました。」


私はそう言って軽く会釈した。彼もそれに返事をし、駅舎の方へ歩き始めた。・・・苦しい。まだ一緒にいたい。言ってはいけない。様々な思いが交錯し、言葉よりも先に体が動いた。


「あのっ・・・」


咄嗟に彼のコートの袖をつかんだ。彼は振り向き、私を見た。私も彼を見上げたが、何を言ったらいいのかわからない。というか言いたいことは決まっていたが、言ってはいけないと思い、必死に喉に蓋をしていた。


「なんすか?」


彼が笑顔でそう言った瞬間、私は手をぱっと離し、


「ううん、何でもない!気をつけてね。」


そう言って手を振って、「失礼します」というと、地下鉄の方へ歩き始めた。彼の姿が見えなくなったあと、地下に降りるエレベーターの前から離れ、少し離れた場所の石橋の上を数歩歩き、欄干に寄り掛かった。既にとっぷりと暗くなったが、都会は明るい。星1個さえ見えない。周りのアパレルショップのネオンや、遠くのビル街の電気、人ごみの騒がしさ。私の目の前を様々な風景が絶え間なく動く。


「無事に乗れた?」


そう送ったが15分返事がない。やはり私は何かよくないことをしたのかもしれない。本当はあの場で、「もう少し歩く?」と言ってほしかった。戻ってきて抱きしめて欲しかった。「一緒にいたい」と言いたかった。全てが夢見事で、「一緒にいたい」という言葉さえ言ってはいけない自分を持て余していた。


都会特有のグレーがかった夜空を見ながらため息をついた。このまま変わることのない私と彼の距離。いっそのこと、一緒に帰ることもなく、寄り道することもなく、ときどきいたずらにように距離を縮めてくることもなければいいのに。


橋の下の川に桜の花びらが1枚、また1枚と落ちていく。その水面に目を落とし、自分のスマホの画面に目を落とし、一度瞼を閉じた。すっと目を開く。急に疲れを感じた私は、エレベーターに向かって歩いて行った。


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さくら、さくら。 みなづきあまね @soranomame

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