異形界奇譚〜九条栞は今日も俺を殺さない〜

本田ゆき

第1話

「い、嫌だぁ!!

た、助けてくれぇ!!」


 そう男が泣き叫ぶ。


 男の目の前には異形の怪物が立っていた。


 全長2メートル程のその怪物は、迷う事なく男に襲い掛かろうとする。


 俺は、その間に割って入り、自身の左腕で怪物に殴りかかる。


 怪物はあっさりと吹っ飛ばされた。


 そして怪物は溶けて消えてしまった。


 俺は、自身の異形な左腕を見る。


「ひっ!」


 男はそんな俺に怯えていた。


 助けてやったと言うのに、酷い仕打ちである。


 そんな出来事を一部始終後ろから眺めていた、和服の少女が男の元へと近寄った。


「さて、これで異形はお望み通り退治したよ。

さあ、報酬をくれるかな?」


 そう少女は殊勝な笑みを浮かべる。



 俺がどうしてこんな事に付き合わされる羽目になったかと言うと、遡る事半年前。


 俺はバイトの帰りに、いつも通る高架橋を歩いていた時だった。


 ふと、飛び降りようと考えた。


 別に前から自殺をしたかった訳ではない。


 今の人生に不満はない。

 しかし満足もない。


 幸か不幸か、俺が5つの時両親が事故で他界した。


 それから親戚の元をたらい回しにされ最後は孤児院に預けられた。


 かと言って、孤立していた訳でも、虐められる事もなく、平凡に中学まで卒業した。


 それからは高校には進学せず、孤児院を出た後はバイトで生計を立てていた。


 それだけの人生だ。


 人間関係が希薄な俺は、天涯孤独の身であった。


 バイト先だって、俺が来なくても代わりはいくらでもいる。


 俺が死んで悲しむ人はいない。


 俺が死んで迷惑かける人もいない。


 なら、生きてても死んでも変わらない。


 そう俺はまるで買い出しに行く感覚で自殺を図った。


 高架橋の柵に足をかけ、躊躇する事なく飛び降りた。



 筈だった。



 俺は河原の横の草原の上で大の字になって寝転がっていた。


 上には、飛び降りた高架橋と、まるで血濡れた様な真っ赤な夕暮れ空が見える。


 体の何処にも痛みは感じられない。


 俺は死んだのだろうか?


「いつまでそんな所で寝ているつもりだい?」


 そう、少年とも少女ともとれそうな声が、俺の頭上から降ってきた。


 誰だろうか?


 俺は体を起こして立ち上がる。


 何処も痛くない。

 それどころか、何処も怪我すらしていない。


 どう言う事だ?


 俺は確かに高架橋から飛び降りた筈……


「やあ、おはよう」


 そう先程の声が目の前から聞こえた。


 そこには、和服を着た黒髪に黒目のおかっぱの少女が立っていた。


 その姿はまるで精巧な日本人形の様に、可憐さと気味の悪さが入り混じっていた。


 そんな和服に似つかわない真っ赤なシュシュが左腕に巻かれている。


 なんなんだこの子は。


 一体何がどうなっているんだ?


「おや、そんなに和服が珍しいかい?

日本人が日本で日本の服を着るのは、寧ろ普通の事とも思うがね」


 そう怪しげな少女はくすりと笑う。


 まあ、確かに少女の言う事も一理はあるが。


 いや、それより俺は今どんな状況なんだ?


 周りを見渡してもこの少女以外変わったものは何もない。


 俺が飛び降りたのは夢だったのだろうか?


 確かに飛んだ感触はあったんだが……


 俺は、一先ず家に帰る事にした。


「おや?

私には関心無しかい?

酷いねぇ」


 そう少女は笑いながら言う。


 しかし、俺がこの少女に構う理由もない。


「まあいいさ。

君は嫌でもまた私の元へ訪れる事になるだろう」


「は?」


 俺が何の事かと訊き返そうとしたら、少女はいつの間にか居なくなっていた。


「何だったんだ?」


 きっと俺はバイトで疲れて、高架下の草原で寝てしまったのだろう。

 そして、夢の中で飛び降りたのだ。


 そんな事あるのか? と思うも、そうでないと辻褄が合わない。


 俺は家の扉の鍵を開けて中へと入る。


 すると、目の前に状況が広がっていた。


「何だよ、これ……」


 俺の部屋に、よく分からない化け物がいた。

 それも一匹だけではない。至る所にいた。


 化け物はそれぞれ形が違う。

 人型っぽいのもいれば、熊の様なものもいる。

 ぬるぬるしてそうな奴もいれば、刺々しい奴もいる。


「あ? ニンゲン、もしカシてオレたちがミエルのカ?」


「人ゲン、ニンげん、ダぁ」


「ネェ、あそボウヨ」


 そう言って化け物達は寄ってたかって俺の元へと押し寄せてきた。


 ぬるり、と掴まれた感触に、俺は戦慄する。


「あ、ああ」


 俺は、一目散に走った。


 とにかく外へ行かなくては。


 しかし、俺が飛び出した外は、もう俺の知っている世界ではなかった。


「嘘だろ……」


 さっきまで何とも無かった筈なのに、外にも至る所に化け物達が居たのだ。


「にんゲン、遊ぼウよ」


「おいデ、コッちへオいデ」


「何で逃ゲルの?」


 そう俺は呼び止められるも、訳が分からず一目散に走る。


 何処を目指せば良いかは分からないが、取り敢えず化け物に捕まらない様がむしゃらに走った。


 すると、俺は一箇所だけ光っている箇所を見つけた。


 藁にもすがる思いで、俺は光の方へと走る。


「だから言っただろう?

また私の元へ訪れるって」


 そう光の中心に、さっきの和服の少女が殊勝な笑みで立っていた。


 俺が光の中へ入ると、そこはいつもの俺が知っている世界だった。


 先程の化け物が嘘の様に、何の変わり映えもしない世界。


「どうしたんだい?

まるで化け物に追われたかの様な顔をして」


 そう少女はくすくすと笑う。


「お前は、何なんだ?」


 俺はこの状況が理解出来ない。

 しかし、一つだけ分かる事は、この少女に会ってから世界がおかしくなってしまったという事。


「私は九条栞。

表向きには霊媒師をやっている」


 霊媒師?


 俺は聞き慣れない単語に疑問を抱く。


「君も化け物が見えるから困って此処に来たのだろう?」


「あ、ああ」


 やはり、この少女が何かを知っている事は間違いなさそうである。


「家に戻ってから、化け物が見える様になったんだ」


「それはそうだろう、だって君はもう人間こちら側ではないからね」


「は?」


 どう言う事だ? こちら側ではない?


「君はもう化け物、異形側の者になった」


「え、と」


 意味が分からない。

 さっきからこの少女は何を言っているんだ。


「だって、君は不死身の死体なのだから」


「……え?」


 不死身? 死体? 何だそれは。


 俺の疑問を面白がるかの様に少女は更にくすくすと笑う。


「まさか君は、?」


 飛び降りて、死んで……


「は? どう言う事だ?

俺の体は何とも……」


 無い、と言いかけた瞬間、俺の左腕が見る見ると化け物の形になっていった。


「な、何だよ!

何なんだよこれは!」


 俺がそう叫ぶと、少女はくすくすと笑いながら答えた。


「高架橋から飛び降りた君は見るも無残な姿だったよ。

だから私は落ちていた死体を少しばかり弄らせて貰った」


「はぁ!?

何だよそれ!」


 俺の左腕は尚も化け物化が進み、肘まで侵蝕が進む。


「人間の姿でいたいなら、私の言う事を聞いてくれるかい?」


 そう少女は笑みを絶やさずに問い掛けてくる。


 その間ずっと俺の左腕は侵蝕され続け、肩にまで到達しそうになった時、俺は。


 その左腕を使って自分の首を刎ねた。


 筈だった。


 死ぬ程の痛みを味わった刹那の瞬間、しかし俺の体には傷一つ残ってすらいなかった。


「な、何で?」


「おいおい、話の途中で勝手に死なれては困るよ。

さっきも言ったじゃないか、君は今だって」


 不死身。つまり俺は死ぬ事が出来ないという事。


「私がそうまじないをかけたのだから」


まじない、だと?」


 なら、こいつを殺せば、解けるのでは?


 そう俺は化け物に侵蝕された左腕を少女に向ける。


「やめておけ。

私を殺した所でまじないは解けない。

それにそのまじないを解けるのはかけた私にしか出来ない。


私がまじないを解かずに死んだら、君は未来永劫不死身のまま、この世を彷徨う事になる」


「な、なら早く解いてくれ!」


 俺は怒りを込めてそう叫んだ。


「君が私の仕事を手伝ってくれたらまじないを解いてやる」


「仕事?」


「ああ。

丁度欲しかったんだよ、絶対服従の助手が」


 そうして少女が人差し指を右から左にスライドさせる様な仕草をすると、たちまち俺の左腕は元の人間の腕に戻った。


 俺は自身の腕を見つめる。


「それと、私の側にいたら中級霊くらいまでは自動で逃げていく。

異形のものを見たくないなら私の側にいる事だな」


 さっきの光は、どうやらこの少女が自身の結界を身に纏っているとの事らしい。


「君はもう人間ではない。

だから異形も見えてしまうし、異形達も君の事を人間の形をした仲間だと見ている。

仲良くなりたいなら止めないがね」


「何であんな化け物と仲良くならなきゃいけないんだ」


 そんな事、冗談でもお断りである。


「大体、お前が俺の死体を弄らなければ、俺はあの時普通に死んでたんだよな?


別に自殺したかった訳じゃないが、そうやって邪魔されるのは腹が立つ」


「普通に、ね……

まあいいじゃないか、特に死ぬ理由も無いのだろう?

私の仕事が終わればちゃんと殺してあげるさ」


 そう少女は口ずさむ様に軽く答えた。





 それからというもの、俺はこいつ、九条栞の仕事を手伝っている。


「ひぃ、ふぅ、みぃ……

うん。10万きっちりあるね」


 そう栞は貰った報酬を確かめていた。


「それで、結局あの異形は何だったんだよ」


 俺は現金を握りしめる栞に問い掛けた。


「ああ、あれは死霊を纏った鴉天狗だ。

あの男、余程怨まれているのだろう。

怨みがあそこまで膨れ上がり化け物になるのはままあるが、よりによって天狗とはな」


「天狗って、そんなに危ないのか?」


 俺がそう聞くと、栞はまあなと答える。


「天狗は神にもなれる存在だから、普通の異形より厄介だ」


「俺、思いっきり殴ったんだけど、怨まれたりしないよな?」


 神様を殴るなんて、ただでは済まなさそうだが。


「大丈夫だよ。あの天狗は私達なんぞ眼中に無い。

狙いはあの男だけだからな」


「そうなのか。

しかし、それだけ強そうな異形なのに、今回は10万って安いな」


 この半年、俺は栞と各地で異形に困っている人達を見つけては退治して歩いていた。


 しかし、毎度金額がまちまちである。


 大体弱い異形は5万くらい、上物だと50万くらいと差が激しい。


 そしてその金額設定は全て栞がその場の異形を見て判断する。


 今回の天狗は割と上物の部類だと思ったんだが。


「ああ。本来なら100万は下らないだろう」


「100? ならなんで10万だけにしたんだ?」


 栞と半年共に過ごしてきた俺だから分かるが、こいつは人に情けなんてかけない。


 絶対に裏があるのだ。


「あの天狗は余程あの男を怨んでいた。

だから、一度退治されたくらいで諦める筈がない。

力を蓄えればまたあの男の前に現れるさ」


「それって……」


 俺は何となく察した。


「こんな不安定な仕事だと生活も厳しいからね。

大事なリピーターは作っておかないと」


 先程の男には少し可哀想だが、これが世の常である。


「それに、普通の生活をしていれば本来異形に出会す事なんてない。

依頼してくる側にも大体問題があるのさ」


 それを栞は知っていて、敢えて何も教えずに放置している。


 それも恐らく仕事の為だろう。


「それで? 今回の天狗はだったのか?」


 俺が聞くと、栞は少し残念そうな顔をする。


「残念だが外れだよ。

中々見つからないものだね」


 しかし、全くもって悔しそうでは無かった。寧ろ楽しんでいるくらいだろう。


 俺としては、さっさと見つけて俺の事を解放して欲しいというのに。


「わざと見逃したりしてないだろうな?」


「まさか。

ちゃんと探しているよ」


 栞は表向きには霊媒師である。


 その真の目的は、九条家で代々当主に引き継がれるという古書を探し出す事だった。


 九条家とは、異形を祓う能力に優れたお屋敷らしい。


 そして、その当主になる条件として、古書を引き継がなくてはいけないらしいのだが。


 その大事に保管されていた古書が、どうやら異形に盗まれたとの事らしい。


 これは九条家にとっては前代未聞の出来事だという。


 まあ、異形を祓う家に異形の泥棒に入られるなんて、馬鹿らしい話である。


 そして九条栞は、九条家の当主になる為その古書を探しているという事なのだ。


「てか、そもそも九条家って、立派なお屋敷なんだろ?

金には困らないんじゃねえのか?」


 そう俺が尋ねると、栞はいやいやと手を横に振った。


「異形に入られたと噂が立ってからは家も信用が無くなってね、お陰で見かけだけ立派な貧乏屋敷に成り下がった」


「それはご愁傷様」


 まあ俺からして見れば九条家が滅ぼうがどうだっていい。


 さっさと古書とやらを見つけて、俺にかけられた呪いを解いて貰う。


 その為に俺は今日も栞に使われている。


 俺は今日も殺されない。

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