パンドラと箱と希望の光【KAC2021作品】

ふぃふてぃ

パンドラと箱と希望の光

 天界では、今も昔も書物が欲されている。読書とは嗜好の道楽なのだそうだ。


「パンドラ!何処におる、パンドラよ」


 耄碌ジジイが少女の名を呼んだ。この爺さん、昔はゼウスとして名を馳せ、人間の若き女子おなごをナンパしては子を孕ます。男の底辺の中の底辺だが、何故か人間に愛されていた。


「はい」と可憐な少女が顔を出すと、認知症に片足を突っ込んだゼウスは、箱を持ってきて説明した。


「パンドラよ。この箱にはな……」

「分かってますよ。ゼウス様。災厄と希望が入ってるんでしょ。人間に届ければ良いのですね」


 絶対神であれ、唯一できない事。それが、物語を紡ぐことだった。

 災厄なんて大それたことを言ってはいるが、実際の箱の中身は、自分の読みたい本への要望書の様な物だ。

 人間に書いてもらうため、わざわざ『希望の光』なんて、曖昧な賄賂まで詰め込んでいる。


「絶対に開けてはならんぞ」

「知ってますよ。もう何回目だと思ってるんですか」


 読書家のゼウスは、何度も箱を少女に運ばせては、作品を貪る様に読んでいた。人界ではコレをパンドラの箱と名付る者も多い。



 何回目の御使いか、少女は箱を開けてしまった。

 初めは開けるつもりは無かった。開けたとしても、すぐに閉じる予定だった。最後に残る希望の光も、どうせ三百円ぽっちだと気づいていたから、あまり乗り気はしなかった。


 ただ、自ら箱を開けようとする者を讃えたかった。助力すべきだと思った。だから、今回は箱を置くのではなく、手で持っていた。


箱持ちの少女に一人の男性が声をかける。

「僕には無理ですよ。でも、貴方ならパパッと出来るはずだ。限界に挑んで下さい」


 彼の一言がパンドラの好奇心を煽り、開けさせてしまったのだ。



 ーー無謀な挑戦ではないか?

 喉から出てくる言葉を飲み込んだ。人間達が欲する『希望の光』を、彼女は見たくなってしまったのだ。


 全く持って無謀なのは分かっていた。しかし、今となっては感謝していた。パンドラはゴールテープを切る寸前まで来ていた。そして、最後に残された、希望の光に手を伸ばしている。


 その、最初の一歩を踏み出す事が出来たのは、彼が背中を押してくれたお陰だろう。



 パンドラは思慮深げに、ここ一ヵ月の記憶を辿る。希望の光に近づくまでの道のりは、決して平坦では無かった。むしろ、茨の道だった。


 最初に箱から飛び出したのは、苦悶だった。度重なる睡眠不足が、体力も精神力も蝕んだ。 

 次いで孤独が飛び出した。終わりの無い、暗く冷たい道を、闇雲に進んでいると感じた。


 ゴールテープを切る瞬間は呆気ない。見ているものの印象はまさにそうだ。ゴールテープを切れる事が重要であり、その時の順位が重要である。それまでの過程は、さほど重要視されない。


 作品ですら、何処からともなく、ポッと出てくるような、無機質な印象すら持ってしまう。


 三番目に現れたのは怠慢。


 その時、ホラーかミステリー。何方どちらを書くか迷っていた。何方にせよ、パンドラの苦手なジャンルであった。思うように力を発揮できなかった。


 ーーゴールテープが切れれば良いや


 辛い日々が続き、とりあえず走って、何なら適当に歩いて、ゴールさえ出来ればいいだろう。書物さえ書き終えていれば良しと、満身創痍の彼女は、甘い考えに身を委ねそうになる。

 そんな白痴な彼女を、一つの作品が語りかけた。


 丁寧な文章だった。推敲作業まで時間をかけているのは、明白だった。ルビの使い方が特徴的で、魅力的な文章だった。時間ギリギリまで作品に向かう作者の姿勢にも、心を打たれた。


 ーー真似できないよ。


 ただ、その時は、凄いとは思いはしたが、認められなかった。こんな簡単に自分より優れた人物に出会ってしまったことに、内心すごく落ち込んだ。


 そんな思いは続く。ただでさえ難航な出題に対して、全ての話を繋げるという奇抜な発想で、勝負をしている作品に出会った。

 普通なら、思いついたとしても実行には移さない。いや、移せない。突拍子のない、お題一つでコンセプトが狂う、リスキーな構成だと思った。


 それでも、やり遂げていく姿勢を目の当たりにして、チャレンジ精神の強さに感服した。



 二人とも、ただ面白い小説を描きたい一心で、パンドラの前を駆け抜けて行った。情けなさと不安が苛立ちに変わる。


 四番目に現れたのは嫉妬だった。


 とうとう、パンドラの集中力が切れた。箱の中身が怖くなった。自分の描く作品に、メッセージ性が無い事に、気付いていながらも、提出を余儀なくした。そして、五番目には後悔が現れた。


 ……悔しかった。


 それでも、箱を閉じることはしなかった。逃げなかった。逃げたくて、逃げたくて、どうしようも無かったが、描かねばならない事があった。


 六番目に出てきたのは自虐。懺悔の思い。その思いの丈をぶちまけた。謝りたかった。無知な少女は、その曖昧から生まれてしまった作品達に頭を下げた。


 下げて、下げて、非礼を詫びて。

 下げて。下げた先に、言葉が募った。


 パンドラと同じ思いをしている人間がいる。

 少女は気づき、人間に救われたのだ。


 箱は彼女だけが持っていた訳では無かった。中身は個々に違えど、開けた者は苦悩の中から光を見つけ出そうと、もがいていた。


 そんな苦難を共にしている人間達が、パンドラに声をかけてくれた。


 ある者は誤字の指摘した。私は読んでいますという紛れもないメッセージ。少女はそう捉えた。その他の励ましも、再び筆を取るには充分すぎる程の活力となった。


 七番目には劣等感が溢れた。勢いよく筆を取った思いとは裏腹に、斬新な発想は浮かばなかった。実力不足も露呈した。テーマ毎にジャンルを変えるという離れ業を持つ者まで現れ、自分の到らなさが積もり始めた。


 自虐的な彼女も、短編小説には多少なり自信があった。ジャンル問わず描けるという自負もあった。あっただけで、蓋を開けたら中身が無かった。小さなプライドが粉々に砕けた瞬間だった。


 八番目に憎悪が沸いた。駄目な自分に対しての憎しみ。素晴らしい作品を、サラッと描く、他人に対する憎しみ。


 現実は何処までも痛切で儚い。発想力、描写力も足りないと、目の前の作品に、完膚なきまでに叩きのめされた。

 他作品に読み耽る彼女に、仲間意識と勝手なライバル視が入り混じる。



 叙述トリックの巧みな作品を読んだ……。


 読み手を巧みな言い回しで、よからぬ方向へ想像させ、想像させ、最後に「そう来たか!」と思わせる。憎悪に駆られた少女には、大抵思いつきもしない芸当をサラリとやって退けた。



 情景描写の巧みな作品を読んだ……。


 行ったことのない世界の一片を、画像を見ただけでストーリー作り出す。まさに神の所業に等しい。その描写からは匂いがした。人の息づく音がした。



 九番目に箱からゆっくりと出たのが諦め。もう、諦めの境地に達していたが、逆に晴れ晴れともしていた。


 みんなの、作品に対する気持ちを感じ取れるようになっていた。体たらくだった少女は、気付かされたのだ。


 熱い思いと、その裏にある苦悩。遊び心のある作品も、綺麗なオチも、自分で決めた縛りも、光り輝いている。嘆き、焦り、憂いも含めて、光り輝いている。



 気づけば、パンドラの目の前には光。十番目に姿を表した希望の光。開け放たれた箱からは、木漏れ日の様な、優しい光が溢れている。

 でも、全てを書き終えた彼女には、もう興味なんてなかった。


 一時的なゴールに至るまでの苦悩。力不足への劣等感と、辛辣な現実の狭間にある葛藤。そして、最後に辿り着いた希望の光。


 ーーみんなも、この輝きを見ているのだろうか?

 

 彼女は目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、一緒に闘い、走り続けた仲間達の、疲れ切った顔だった。


 いま思えば、あの日の苦悩も、あの日に抱いた葛藤も、憎しみも劣等感も、全てが甘美なものに見えてくる。


 こんなチンケな希望の光より、より希望に相応しいように思えてくる。


 だから最後は、この作品が描きたかった。みんなと一緒にゴールテープが切りたかった。もうすでにゴールしている仲間達もいるけど、今日という大切な日を残す為に……。


「闘ってくれて、ありがとう」

「励ましてくれて、ありがとう」


 パンドラの箱は、災厄の輝く箱でした。



 パンドラは、目の下に隈を浮かべながら、ポチリとスマホの電源を切ると、自らもスイッチが切れた様に、寝息を立て始めた。












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