白昼の迷宮
スズヤ ケイ
白昼の迷宮
「リアル脱出ゲームに挑戦してみない?」
僕と由香は高校に入ってすぐに付き合いだして、もう2年目になる。
デートコースが少しマンネリ化してきたので、一風変わった場所を開拓してみようと話し合っていたのだ。
そこで由香が目を付けたのが、近頃流行りらしい「リアル脱出ゲーム」だった。
雑居ビルなどの中身をまるごと改築した巨大な迷路を、様々な謎や仕掛けを解き進んでゴールへ向かうものらしい。
意見が一致すると、由香はその日の内に行き先までのルートから日取りまで、あれよあれよと決めてしまった。
彼女の即断即決はいつ見ても気持ちが良い。
そんなのほほんとした気分は、現場に立った時点で吹き飛んだのだけど。
ビルの外観は至って普通。
しかし入り口の雰囲気が異様だった。
自動ドアの回りは赤いペンキがぶちまけられたように、まだらに染まっている。
中に入れば、白いタイル張りの床に点々と、赤い足跡が受け付けまで続いていた。
早くも異界に迷い込んだ気分だ。
「いらっしゃいませ! ようこそ、
にこやかに迎えてくれたのは、目や口から血の糸を垂らすおどろおどろしいメイクをした、ナース姿の女性店員だ。その白衣もあちこちが破れて赤い染みがある。
迷宮のコンセプトは毎月変わるそうで、今回はホラー仕立て。廃病院をモチーフにした舞台だという。
それを聞いた僕は、内心後悔してしまった。
由香には恥ずかしいので内緒だったけど、僕は怖いものが苦手なのだ。
でも、
「すごい内装凝ってるねー! 中も楽しみー!」
なんて目をキラキラさせる彼女を見たら、今さらやめたいなんて言い出せない。
結局店員の説明もろくに頭に入らないまま、挑戦は始まってしまった。
ガチャァン……
後ろで扉が閉まる音が、妙にねっとりと耳に絡み付く。
もう後戻りはできない。
前を向けば、薄闇に沈んだ白い廊下が真っ直ぐに伸びていた。
先々を、ちかちかと明滅する非常灯の緑色だけがぼんやり照らしている。
浮かび上がる背景は、確かに古ぼけた病棟のイメージそのままだ。
防音も完璧なのだろう。表の喧噪が嘘のような静寂で満ち、作り物とは思えない不気味さを感じる。
「雰囲気あるね……」
「ねー! 何が出てくるかな!」
何とかそれだけを漏らした僕に、明るい笑顔を向ける由香。
本当に頼もしい彼女だ。
勇気を分けて貰った僕は、意を決して足を踏み出した。
左手は由香の手を握り、右手にはモデルガンを持って。
意外にも重いその模型を意識した事で、店員の説明を一部思い出す。
迷宮内には正体不明の
対して
捕まらずにゴールまで辿り着けばクリアというルールだ。
銃を使えるのは一人一回。
そう考えると、緊張でグリップを握る手がぶるりと震えた。
「──ねぇ、おかしくない……?」
しばらく歩いたところで、由香が呟いた。
僕は恐怖心を抑えるのに必死で、周囲に気を配る余裕もない。
「な、何が?」
そんな間抜けな返ししかできなかった。
すると由香は綺麗な眉をひそめつつ、声も潜めた。
「入ってからもうずいぶん経つのに、何もイベント起きないじゃん……」
その方が僕にはありがたいけど、由香は不満そうだ。
でも、言われてみれば……
ここまで、病室のドアや曲がり角は一つもなかった。
ずっと一本道の廊下ばかりが続いている。
前も後ろも、まったく先が見通せない。
ビルの外観からは、こんなに奥行きがあるようには思えなかったけど……
違和感を感じると同時に。
背後から、カツン、カツン、という硬い音が響いてきた。
「も、もしかして殺人鬼かな」
「こんなところで出るの!? 隠れる場所全然ないのに」
見回しても、左右は灰色に煤けた壁があるばかり。
その間にも、靴音らしきものは聞こえている。
隠し通路などを探している暇はなさそうだ。
「……走ろう」
思考を放棄した僕は、由香の手を握ったまま促した。
頷く由香と一緒に駆け出すと、
カツン……カツンカツンカツンカツン……
背後の音のペースも上がった。
──向こうにも、僕達の足音が届いてしまったんだ!
僕と由香は視線を交わすと、走る速度を上げた。
運動不足がたたって、全身がきしむのを感じる。
それでも迫る者を振り切るために、必死になって走った。
カツカツカツカツカツカツカツカツ……
呼応するように小刻みになる靴音。
心なしか、大きくなっている。
僕はちらりと肩越しに目をやると、声にならない悲鳴をあげて、全速力に切り替えた。
「なになに!? ──きゃああああ!!」
釣られて振り向いた由香も、すぐさま僕に追い付いた。
もう見える範囲に、何者かが迫っていたのだ。
一瞬だったので全身は見えなかったけど、巨大な斧のような物を手にしているのだけは、はっきりとわかった。
──ドガアァンッ!!
不意に、後方で大きな音が鳴り、廊下全体が揺れる。
「何!? 地震!?」
立ち止まった由香と共に辺りを見回すと、追跡者が振り下ろした斧を、陥没した床から引き抜いているところだった。
「ちょっと、脅かすだけじゃないの……? あんなの、死んじゃうよ」
あまりの迫力に、由香が僕の胸にすがってくる。
いつもならふわりとした髪の香りを楽しむところだけど、とてもそんな余裕なんかない。
気を抜くと漏らしてしまいそうだ。
足がすくんでしまった僕達へ、人影がのそりと寄ってくる。
非常灯の範囲に入るにつれ、その全貌が徐々に見えて来た。
下半身は、ゲームなどで見るような西洋風の長い腰巻。
その上は裸体がむき出しで、ものすごい筋肉の塊だった。
先程の振動が納得できる、廊下を塞がんばかりの巨体。
しかし視線を上げると、それよりショックなものを見せつけられた。
『──ひぃぃ!?』
二人して抱き合い絶叫する。
本来人の顔があるべき場所には、どう見ても牛のような頭が乗っていたのだ!
半開きの大きな口からは荒い息と涎を垂れ流し、虚ろな瞳をぎょろりとさせて僕達をねめつけている。
扮装にしてはリアル過ぎた。
「もう無理!! 降参! ギブアップします!!」
僕が両手を上げて叫ぶと、由香も激しく首を縦に振った。
続行不可だと判断したら、
なのに……
カツン。カツン。
牛男はこちらへ歩き始めた。斧を頭上に振りかぶりながら。
「待って……降参だってば」
カツン。カツカツカツカツ。
聞く耳持たないとばかりにのっしのっしと走り出す。
由香が僕のシャツの襟首をぎゅうっと握りしめた。
──その仕種で、僕は閃いた。
右手に、現状を打破できる可能性が残っている事を。
僕は無我夢中でモデルガンを正面に向け、ためらわずに引き金を引いた。
バァン!!
予想に反して、凄まじい反動と銃声が上がる。
同時に、牛男の頭がぐしゃっと弾け飛んでいた。
「きゃあああ!」
「ほ、本物!?」
困惑する僕達の前で、ただの男になった肉塊が、赤い液体を噴き出しながら仰向けに倒れていく。
……動かない。
僕は人を、殺したのか……?
「……考えるのは後にしよう。早く逃げなきゃ」
疑問や罪悪感はこの際置いておけ──
辛うじて残った理性はそう指令を下し、まだ呆然とする由香を無理に立たせて歩き出す。
その後、新手を警戒しながら進んでいると、唐突に明るい場所へ出た。
ざわざわとした日常の音がする。
「脱出、おめでとうございまーす!」
光に慣れた目の先で、骸骨メイクの女性店員が朗らかに拍手をしていた。
「も……戻って、来れた……?」
「はい! お疲れ様でした! すごいですね、お客様。一度も発見されずにゴールなんて! こちら、景品になります!」
包装された小箱を渡して来る店員の言葉に、更に困惑してしまう。
「いや、あの……牛みたいな人、いましたよね?」
銃を返しながら質問すると、店員は首を傾げた。
「牛? そんなのキャストにいたかしら……?」
とぼけているようには見えない。
「ええと……じゃあ、それって本物なんですか?」
「え? まさか~!」
彼女が引き金を引いて見せると、多少派手な破裂音がしただけだった。
ビルを出てからしばらくしても、まだふわふわとした感覚が残っている。
二人して白昼夢でも見ていたんだろうか。
果てしない迷宮。
牛頭人身の男。
そして……死。
それらのワードは、とある哀しい神話を想起させた。
「……何だったんだろう」
思わず零すと、由香は僕の腕に勢いよく組み付いてきた。
「怖かったね……でも、嬉しかったよ」
そう言って僕の肩に頭を預ける由香。
「え、な、何で?」
周囲の目が気になり、僕は狼狽えながら聞き返した。
「カッコイイとこ、見せてくれたから」
上目遣いな目がすぐそばにある。
「ありがとう。守ってくれて」
「……うん」
僕は右手へ視線を落とす。
あの時体が動いたのは、きっと由香がいてくれたからだ。
彼女が僕の意識の糸を手繰り寄せてくれなければ、今頃……
軽い
「自分でも、よく咄嗟にあんな事できたなーと思うよ!」
「……ふふ、そうだね! 直前まで、『降参で~す!』なんて情けない声出してたのに」
「そこは忘れて欲しいな……」
悪戯っぽく笑う由香に、僕は頭をかいてみせた。
「無事にゴールできて……良かった」
僕の腕を掴む力を強めて、由香が言う。
その安堵した顔を見たら、あれこれ考えるのが馬鹿らしくなった。
帰って来られた。それでいいじゃないか。
「そうだね。二人一緒にゴールまで行けて、本当に良かった」
どちらが欠けても、こちらには戻れなかった。
何故だかそんな想いに駆られ、僕は人込みにも構わず由香を抱きしめた。
彼女もぎゅっと抱擁を返してくれる。
伝わる温もりで、ようやく現実に戻れた気がした。
僕らの脇を通り過ぎた人が、「バカップルめ」と言い捨てるのが聞こえた。
白昼の迷宮 スズヤ ケイ @suzuya_kei
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