四十九日がやって来る

長月そら葉

四十九日のその日まで

 ―――おい、起きろ。

 誰かが自分を呼んでいる。申し訳ないが、まだ目覚めたくはないんだ。何故だか、無性に眠くて目すら開けられない。

 だが、声の主に容赦などなかった。

 ―――そんなの知るか。さっさと起きろ!

 ゴッ。頭を拳で叩かれ、『俺』は思わず飛び起きた。


 そこは、黒一色で統一された宮殿のような建物の中。応接間の一つらしい。床で目覚めた『俺』は、絨毯の感触に感想を持つ暇も与えられなかった。


「いってぇぇぇっ」

「ようやく起きたか、この寝坊助死者が」

「ううっ……」


 ズキズキと痛む頭をさすりながら、『俺』は目の前に立つ者を見上げた。

 ゆうに2メートルはありそうな巨体に、筋骨隆々とした体つきの男だ。頭には冠のような帽子を被り、手には王が持ちそうな杖がある。

 ぎょろりと動く目で『俺』を見下ろした男は、低く響く声で尋ねてきた。


「お前、名は?」

「は?」

「名があっただろう? 生前の本名だ」

「生前って、あんた何を言っているんだ? 俺は……あれ?」


 思い出そうとして、『俺』は何も覚えていないことに気が付いた。どうしてこんなところにいるのかもわからなければ、自分の名前すらもわからない。かろうじて、自分が男であると認識出来るくらいのものだ。

 頭を抱えて混乱する『俺』にため息をつき、巨体の男は肩をすくめた。


「『アルト』だ」

「ある、と?」

「そう。お前の名は『アルト』という。……天命が尽きたために、死んだのだ」

「死んだ……。死んだ!?」


 アルトは瞠目し、勢いよく立ち上がった。自分の容姿を見回すが、年老いているわけではない。何処からどう見ても、十代の若者だ。

 十代で既に『天命が尽きた』とは一体どういうことなのか。何も納得出来ないではないか。

 アルトは立ち上がっても見上げなければならない男を睨みつけ、おい、と呼び掛けた。


「お前、何もんだ? どうして俺が死んだのかも知っているのか?」

「『お前』ではない。我が名は『閻魔』。死後の裁判を行う王の一人だ」

「閻魔……って、あの有名な閻魔様!?」

「さっきから要所要所で五月蠅いぞ、アルト。お前が何を夢見ているのかは知らんが、われは閻魔であることに相違ない」

「へ、へぇぇ……」


 ぽかんと閻魔を見上げたアルトに、閻魔はやれやれと嘆息した。そして、アルトの体の向きを変えて背中を押す。

 ぽんっと前に突き出され、アルトはバランスを崩して前のめりに倒れた。


「うわっ」


 何とか前に手をついて顔面強打を逃れたアルトだったが、文句を言おうと振り返った時、そこに閻魔の姿はなかった。それどころか、宮殿の部屋でもない。


「……何処だ、ここ」


 アルトは放り出されたのは、何処かの森の中だった。街道の一つであろう道のど真ん中であるのが、人里に下りられる可能性を残した唯一の救いであろう。

 それにしても、何の情報もなく放置される身にもなって欲しい。

 アルトは歩き出すよりも先に、天に向かって大声を上げた。


「ふざけんじゃねえぞ、この閻魔野郎が―――!」


 肩を怒らせながらも、アルトは人里を探して道を歩いて行く。彼のそんな様子を鏡で見つめている男がいた。――閻魔様、その人である。

 厳密には『人』ではなく『神』や『仏』に近い存在なのだが、ここでは説明は割愛しよう。

 玉座に体を沈めて満足げな顔でアルトを見つめる姿は、まるで父親のようだ。


「閻魔様、今回の死者には思い入れでもおありですか?」

「そう見えるか、司勒しろく

「ええ。楽しそうですよ、閻魔様」


 司勒の兄である司明しみょうにも笑われ、閻魔は隠さず大きな声で笑った。武骨で強面の閻魔だが、笑えば途端に優しい顔になる。

 オンとオフがはっきりと分かれた閻魔だが、彼が仕事中も楽しげにするのは珍しい。そう思って声をかけてしまった妹の司勒の頭を撫で、閻魔は頷いた。


「確かに、奴のことは生前から気に入っておった。……が世界を救うためと称して召喚した日が懐かしい。だが、使命を終えて待っているのが天命の終わりとは、あまりにも残酷ではないか」


 閻魔の言葉に、司勒と司明も頷く。

 彼らのみしか知る者はいないが、アルトは所謂『勇者』であった。『女神』と呼ばれる存在に乞われ、世界を救った英雄だったのだ。

 しかし彼に待っていたのは、老後の安定した生活と引き換えに与えられた無遠慮で余計な憧憬と失望、そして愛した者たちとの別れだった。

 どうにか天命尽きるまで生きた『勇者』だったが、閻魔は彼に幸せを感じさせてやりたかった。『女神』のことを深く知っているがゆえに、甘い考えだということは十二分に承知している。

 それでも、『勇者』にアルトとして生きさせたかった。『女神』があの日、泣き崩れていたのを知りつつも支えられなかった、己への贖罪だ。


「閻魔様、アルトは村人との接触に成功したようです」


 司明の声に我に返った閻魔は、アルトが村人の少女とテンパりつつも話す様子に目を細めた。


「アルト。四十九日しじゅうくにちがやって来る前に、その世界のゴールへ到達せよ。さすれば、お前は新たな命として生を受けよう」


 この死後の幻影世界でのゴールは、すなわち全てのスタートだ。

 何もかもを忘れた死者が放り込まれる、無慈悲な仮想現実の世界。そこで生き延び、世界の果てへ赴くこと。それが生まれ変わるまでの時間―四十九日―で成すべき旅だ。


 閻魔は鏡の向こうで己の足で立つ青年になり切らない少年に、最大限のエールを贈る。

 ――侑人ゆうと、ここから全てが始まるぞ。



 これは、勇者だった少年の生まれ変わりまでの物語。

 死後の幻影世界で紡がれる、よみがえりの旅の記録。

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