第48話【時雨と五月雨】

ーーーーーーーーーその日の夜遅くーーーーー


 連雨れんうは、一人、誰にも気づかれないように東本家あずまほんけの玄関を出た。外は、少し肌寒く、とても静かな夜だった。玄関の扉を静かに閉めて、ゆっくり息を吹くと、東の里の出口に向かって歩き出そうとする。しかし、不意に屋根の上から、声をかけられた。


時雨しぐれ

「・・・れん。どこへ行くんだい?」


 屋根の上を見ると、瓦に腰をかけた時雨しぐれの姿があった。


時雨しぐれ

「こんな時間に、子供一人で出歩くのは危ない・・・。」


 連雨れんうは下を向く。


連雨れんう

「・・・にぃちゃん。・・・俺はもう抜け忍だ。伊賀いがは抜け忍を絶対に許さない。いつか俺を殺しに来るかもしれない。俺達のためにこの里が危険にさらされるは嫌だ。でも・・・どうか弟だけは、この里に置いてやってくれ。俺と一緒に連れて行くのは、あまりにも過ぎるんだ。ワガママ言ってるって、分かってる。でも・・・。お願いだ。にぃちゃん・・・。」


 連雨れんうは拳を握りしめる。時雨しぐれの返事を息を飲んで待つ。


時雨しぐれ

「・・・そうだな。お前も、この里に残るっていうなら、お前の頼み、聞いてやるぞ。」


 連雨れんうは驚いて再び時雨しぐれを見た。


連雨れんう

「・・・でも、それじゃあ・・・」


 すると時雨は里を見渡すように遠くを見る。


時雨しぐれ

「・・・ワタシは、この東の里を護る者。・・・この命尽きるまで、この里を護り続ける。」


連雨れんう

「えっ!?」


 何を言っているのだろうと、思った。しかし時雨は優しい口調で続ける。


時雨しぐれ

「この里の人々は、全員、ワタシにとってまもるべき大切な家族だ。それは、れんそれにれい、お前達二人も同じだ。この里を脅かそうとする者がいたとしても、ワタシが何人たりともそれを許さない。・・・だから、連雨れんう、安心してこの里にいて良いんだよ。」


 時雨しぐれは笑う。とても優しく。連雨れんうが安心して、この里にいれるように。


連雨れんう

「にぃちゃ・・・。ありがとう・・・。うぅ・・・。うう・・・。」


時雨しぐれ

「もう、夜も遅い。れいをいつまでも、一人で寝かしていては可哀想だ。早く戻ってやりなさい。」


連雨れんう

「うん・・・。」


 連雨れんうは、冷雨れいうが、待つ部屋に戻ると、久しぶりに心から安心して眠ったのだった。







 時雨しぐれは、連雨れんうが家に入って行くのを確認すると、先日伊賀いがから盗み出して出したあずまの国に関する機密文書と書かれた巻物を開ける。どこかで見たこがあるような絵柄と文面・・・。時雨は、夜中こっそりと倉庫にあるホタルの先祖が書いたとされている予言の巻物を開いた・・・。その内容は、どうやら伊賀いがの国に保管された機密文書とどうやら同じようだった・・・。


 いつかの正月の時に泡沫うたかたに見せた時、泡沫うたかたは、酷く驚いた顔をしたと思ったら、突然厳しい面持ちなった、あの巻物だ。あの時、泡沫うたかたはこの巻物の字は、かなり昔に書かれたものであるから、読めないと言っていたが、あれはやはり嘘だったようだ


・・・。巻物を開けば、あの時と同じように東家あずまけの家系図も出てきた・・・。


 あずまの里に泡沫が、自分達の師匠になってから、教えられてきたのは、何も忍びとしての技術を磨くためだけの修行だけではなかった。


 読み書きに数の数え方、そして、東の里にある寺子屋では教えてくれないような、今の日の本でのまつりごとや、各地の方言など、忍びとした生きていくのに十分な教養を教えてくれた。


 そんな知識が豊富な師匠が、今は使われていない昔の文字で書かれているからって、巻物の内容が分からないはずがなかった・・・。


 そして、その師から教えを受けた今、その弟子もまた、巻物の内容か分からないはずがなかった・・・。


 



 ・・・・・・・・・・・・・・・。



 後ろに誰かいる気配がする・・・。そして、その人は低くそして揺るぎない真のある声で問いかけてきた。


五月雨さみだれ

「・・・あいつに・・・聞いたのか?」


 紛れもない父親の声だった。


時雨しぐれ

「・・・いいえ。師匠は、ワタシに何も言っていない・・・。ワタシが自分で気づいたんだよ・・・。父上・・・。」


五月雨さみだれ

「そうか・・・。」


 長い沈黙がその場に落ちる・・・。今日の風は、いつもよりも冷たく感じた・・・。あぁ・・・。そろそろ梅雨がやってくるな・・・と時雨しぐれは思う。


五月雨さみだれ

「俺を、恨むか?・・・時雨しぐれ・・・。本当なら、お前が・・・。」


 低くいて、そして芯に響くような声で問いかけるその声は、威厳に溢れた力強い声だった・・・。


 家族でいる時も、里の者と話す時も、誰と話す時も、この人は、威厳と自信にあふれた声で人々を励まし、導きこの里を導いてきた。

 



時雨しぐれ

「父上・・・。兄上は、兄上ですよ・・・。体の弱い弟をよく看病してくれる、頼りになる優しい・・・ワタシのたった一人の兄上だ・・・。それに、先に生まれた方が、兄となるのは、普通でしょう?」


 時雨しぐれは、笑って振り向いた。後ろにいる者に、心配をかけたくないと、そう思った・・・。


 時雨しぐれは、父親はきっと、複雑な気持ちでそこに立っているのだろうと思った。どんな顔をして自分の後ろに立っているのだろうか・・・?


 深刻な顔をしているだろうか?それとも、いつものように厳しい表情をしているのだろうか・・・?



 しかし、振り向いた時に目に飛びこんで来たのは、父親の顔では無かった・・・。


 飛びこんできたのは、大きな、大きな、一国の長の背中だった・・・。本流ほんりゅうの村の長の名、雲海うんかいの文字の描かれた羽織が、風に舞う。


 そう・・・。この人はそういう人だった・・・。振り向かない・・・この人は、自分がした選択に対して、決して後悔などしない人だった。


 苦しみも悲しみ、たった一人でその背中に背負い、たった一人で雲海うんかいの名を背負って今までこの里をまもってきた。


 きっとこの人は、今までもそして、これからも、この一切の迷いのない眼で真っ直ぐに里の未来を見ていくのだろう。


 そうだ・・・。

 自分はこの背中を見て、育った。

 そして、思ったのだ。いつかは・・・。


 自分も父のような・・・雲海うんかいに・・・。


 時雨しぐれは、一度目を閉じて、そして言った・・・。



時雨しぐれ

「兄上は、きっと・・・本流ほんりゅうおさ雲海うんかいの名を父上から立派に受け継ぎます。だから・・・あなたは、何も迷うことなんて、ありませんよ・・・。」


 

 そう言うと、時雨しぐれは屋根からすっと飛び降り、家の中に入っていった。


 時雨しぐれがいるうちは、決して五月雨は振り向かなかった。いや、振り向けなかったのだ。


 竜の力を封印して、時雨しぐれを普通の人間とし、そして、長男として育てる方法もあった・・・。だが、自分はそれをしなかった。父親としてではなく、一つの里を守る雲海うんかいとして、時雨しぐれを次男として、竜に選ばれし者として生きさせることを決めたのだ・・・。


 だから、もう・・・。


 朝日が登って行くのを見ながら、五月雨さみだれは思った。もし、あいつが竜に選ばれていなかったら、全然違う形の里の未来が今ここに存在していたのだろうかと・・・。

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時雨の里 有馬波瑠海《ありまはるか》 @ArimaHaruka

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