第4話 そして、帰宅。
結局彼は、小一時間にわたって、そのすし屋で飲食した。
この店のクーポンには、なんと、税込4400円以上で、2000円引というのがある。彼はこれをどこからともなく仕入れ、この店で、月に何度か使う。この日は結局、ヱビスビール3本のほか、刺身や寿司を頼み、合計でその金額を30円ほど超えるところに落ち着けた。2500円でおつりがくる範囲に、収まった。
彼はこのすし屋の飲食代金を、デビットカードで引落した。そのカードに紐づけられている口座の通帳には、その金額と使った店の名前が程なく反映される。もっとも彼の口座の通帳はない。あくまでも、ネット上で確認できる電子情報の上で反映されるまでのこと。とはいえ、その気になればプリントアウトできないわけではないし、店舗に行けば金はかかろうが、履歴を出してもらえる。
会計を済ませた彼は、店を出た。
雨はとっくに止んでいる。
店を出た後、彼はまず、近くの電停のある大通りに出た。まずは、近くのバス停のバスを確認しようと思ったのだ。信号がちょうど変わったところで、岡山駅行の電車がやってきた。信号を渡ってすぐの電停なので、その気になれば走り出せもしようが、信号待ちの間、後ろの補導からやってくる客を拾おうということか。
バス停に向かう足を止め、彼は、横断歩道から電停に早足で向かい、その電車に乗った。乗客は、数名ほど。彼を乗せた電車は、岡山駅に向けて出発した。
乗ること3分程度で、電車は東山線と合流する手前の歩道橋の信号で停車した。
彼はここで降りる気はなかった。まだ、岡山駅前に行けば十分帰りのバスもあろう。そう踏んでいたのだ。
その時、目の前を、彼の自宅近くを通る宇野バスが岡山駅に向って行った。
彼はとっさに、降りる判断を下した。
躊躇することなく、彼は降車ボタンを押した。
チン! という音が、電車内に響く。
一瞬、他の乗客がこちらを振り向いたようにも見えた。
何か、意外性でもあったのだろうか?
やがて信号が変わり、電車は柳川の電停に到着した。
彼はそこで、ICカードをひょいとかざし、電車を降りて柳川のバス停に向かった。現在彼の自宅のある方面に向かう宇野バスは、この路線を通っている。
なぜかバス停のベンチに、女性が一人座っていた。
待つこと数分。彼の予想通り、目的のバスが来た。
ICカードをかざしてバスに乗込み、近くの席に腰掛けた。ここから彼が下りる予定のバス停まで、停留場は2つ。だが、歩くとそれなりの距離がある。しかもそこから、幾分歩かなければならないときている。実はもう一つ先のバス停まで乗れば、もう少し自宅近くまで行くのだが、それだと運賃が20円上がってしまうため、彼はその手前のバス停まで、通例、少し多めに歩いているのである。
彼を乗せたバスは、郊外の団地に向けて出発した。
次の県民局入口、そしてその次の番町口(裁判所前)のバス停では、幸い乗降客がないので、通過。さらに幸いにも、ここまで信号に引っかかっていない。
番町口を通過した時点で、彼は思い切って降車ボタンを押した。
今朝、岡電バスに乗込んだ南方交番前の向かい側のバス停に、バスは無事到着した。ICカードをさっとかざした彼は、バスから路上に降り立った。
信号が、今にも変わろうとしている。彼が急いで降りたおかげか、バスは信号にかかることなく、団地方面に向かって走り去っていった。
彼もまた、目の前の信号を、待つことなく渡ることができた。
あとは、来た道を歩くこと数分。
2021年3月28日・日曜日の21時過ぎ。
彼は無事に、帰宅できた。
彼が抱えている仕事は、津山の株式会社の専務取締役としての業務だけではない。
別の仕事には、彼の2作目の小説の最終校正もある。
彼はこの日、その校正の最低限度を朝と昼の空いた時間に自宅と津山市内のカフェでこなした。その原稿も、既に「責了」状態。
この大型連休の頃には、彼のその作品は、世に出る。 その小説の著者プロフィールには、「会社役員等」とは書かれている。
だが、会社名と「専務取締役」という役職名は、記載しない方針であるという。
(終)
ある専務取締役の出勤 与方藤士朗 @tohshiroy
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